萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第85話 春鎮 act.14-another,side story「陽はまた昇る」

2017-01-21 20:23:05 | 陽はまた昇るanother,side story
告げる窓
harushizume―周太24歳3下旬



第85話 春鎮 act.14-another,side story「陽はまた昇る」

恩師が呼んでくれる、いつもの椅子に。

「さあ座ってください、湯原君も、」

いつもの椅子、でも鼓動が響く。

「はい…、」

何を言えばいいのか解らない、何と思われているのだろう?
わからなくて不安で、言葉も探せなくて、けれど後悔はない。

『僕は、警察に復讐するため警察官になりました、』

さっき言ってしまった、あれは真実。
そのために自分は十五年かけてきた。

―田嶋先生は受けとめてくださった、でもそれは…お父さんの友達だから、

父の学友でザイルパートナー、その絆が「復讐」すら受けとめる。
けれど他の二人は違う、恩師も友人も父を知らない。

「ほら周太、座ろ?」

明朗な声が呼んで椅子を引く。
かたん、古い木音に眼ざし笑ってくれた。

「青木先生が待ちかねてんぞ、茶が冷めたら悪いだろ?」

チタンフレーム見つめてくれる瞳は明るい。
事情を聴いても変わらない笑顔、そんな友達に頷いた。

「うん…ありがとう賢弥、」

ひいてくれた椅子に腰下す。
ふるい木質やわらかい、栗色ふかい席にマグカップ出された。

「どうぞ?田嶋先生が淹れてくれたんです、」

紅茶あまやかな湯気に恩師が微笑む、その瞳が眼鏡の底から温かい。
むけてくれる眼ざし何も変わらない、そんな白衣姿に頭下げた。

「ありがとうございます青木先生…あの、手塚と話しているの聞こえていましたか?」

淹れてくれたばかり、そんな温度が香くゆらす。
温かなティーポット、湯気のマグカップ、そんな研究室に准教授は笑った。

「湯原君の声はそうでもないです、が、手塚君の声は徹りますからね?」

やっぱり聞かれていたんだ?
そんな返答に隣が笑った。

「それって青木先生、俺がウルサイみたいじゃないですか?」
「それもあるかな?嘘がない声だって褒めてるつもりだけどね、」

さらり言い返してくれる、その言葉しずかに鼓動を突く。
ようするに何を言いたいか?想い見つめて口開いた。

「青木先生、僕は先生にも嘘ついて…黙っていて、申し訳ありませんでした、」

沈黙は嘘じゃない、でも同じこともある。

―僕は嘘を吐いたのも同じなんだ、青木先生にまで、

この恩師と出会ったのは交番、だから警察官と最初から知っている。
それでもここへ招いてくれた、そんな篤実な瞳が微笑んだ。

「嘘なんて何もないでしょう?私は最初から君が警察官だと知ってましたし、恩もありますよ?」

憶えてくれている、こんなことになっても。

「恩なんて…先せ、」

言いかけて声つまる、もう眼の底が熱い。
だって思いだしてしまう、初めて会った時、それから再会。

「…恩なんて先生、僕こそです…あの本をもらってぼくは、」

あの日あのとき、あの一冊を贈られた。
だから自分は今ここにいる、その信頼と期待に泣きたいまま言われた。

「あのとき湯原君が助けてくれなかったら私は今、ここにいません。冤罪でも免職されていたでしょう、」

おだやかで篤い声、人柄にじんで温かい。
この声告げる言葉いくつ幾度を救われたろう?数えられない想いに問いかけた。

「青木先生、僕は先生と研究室のご迷惑になりませんか?今日この研究室に僕が来ることも、ご迷惑ではありませんでしたか?」

迷惑かけてしまう、その可能性が怖い。

『周太ああいうカッコも似合うんだな、驚いたけどカッコよかったよ?』

研究室仲間はそう言った、きっと恩師も一緒にニュースを観たろう。
あの事件が生中継されたらそんな時間だ、この学内どれだけの人間が観てしまったろう?

「あんな形でテレビに撮られて僕は、警察を辞めることになりました。どんな任務だったのか、この大学なら気づく人も多いのではありませんか?」

問いかける声ちゃんと出る、震えていない。
それだけ見つめてきた覚悟のテーブル、篤実な声そっと笑った。

「ひとりの掌を救ってくれた君へ…憶えているかな、湯原君?」

おだやかな声が告げる、その言葉どうして忘れられるだろう?
なつかしくて、ただ懐かしくて肯いた。

「はい…先生がくださった本に書いてくださいました、」

“ひとりの掌を救ってくれた君へ”

その一文から始まった、そして今ここにいる。
あれから幾度も読み返した筆跡のひとへ一冊、そっと鞄から出して開いた。

……
ひとりの掌を救ってくれた君へ

樹木は水を抱きます、その水は多くの生命を生かし心を潤しています。
そうした樹木の生命を手助けする為に、君が救ったこの掌は使われ生きています。
この本には樹木と水に廻る生命の連鎖が記されています、この一環を担うため樹医の掌は生きています。
いまこれを記すこの掌は小さい、けれど君が掌を救った事実には生命の一環を救った真実があります。
この掌を君が救ってくれた、この事実にこもる真実の姿と想いを伝えたくて、この本を贈ります。
この掌を信じてくれた君の行いと心に、心から感謝します。どうか君に誇りを持ってください。 樹医 青木真彦
……

なつかしい万年筆の筆跡、まだブルーブラック鮮やかに匂う。
この一文を贈ってくれた人は眼鏡の瞳ほころばせた。

「ああ、今日も持っていてくれたんだね?」

筆跡の主が笑ってくれる、この笑顔にたくさんを教わった。
この一冊に籠めてくれた願いの場所、紅茶の香ごし恩師が言った。

「この文を書いた時と今も同じです、私は君を恩人で、一人の学生だと認識しています、」

ほら、同じこと言うんだ、この学者は。

「先生、同じこと言ってくれましたね…あのときも、」

記憶こぼれて声になる、あのとき嬉しかった。
あの日と同じ銀縁眼鏡の瞳は自分を見つめてくれる、そして言ってくれた。

「そうだよ、あのラーメン屋でこの本を渡した時と何も変わらないんだ。植物好きな一人の学生に私は今も話してる、それだけです、」

あの店で言ってくれた、あの声そのまま今も見つめてくれる。

『私は君を学生だと認識しています。そして学生の君に、学者として私の本を贈った。そういう事にして頂けますか?』

冬の一日、いつものラーメン屋、その「いつも」が変わった瞬間。
あの瞬間は今も宝物で大切で、ただ懐かしくて鼓動ふかく熱い。

「先生、でも僕は…あのときと変わってしまいました、」

現実を声にする、でも鼓動の熱が止まらない。
逃げられない過去と現実が今はある、それでも諦められない未来に言われた。

「たしかに湯原君は変わったね、あのときより学生の貌になりました、」

静かな声、でも逞しい。
その声のまま白衣の手がっしり武骨で、そして言ってくれた。

「君を学生と認識して言います、私は湯原君にここの大学院へ来てほしいと思っています。先ほどの事情も忘れたほうがいいなら忘れますよ?」

静かな声は揺らがない、白衣の手は武骨たくましい強靭。
銀縁眼鏡ふかい瞳まっすぐ見つめられて、喉ごと想い軋みだす。

「…、っ、」

ほら涙あふれる、熱こぼれて止まらない。
また泣いてしまう鼓動に顔うつむけて、治める呼吸に言われた。

「おい周太くん、もう青木のコト信用してやれよ?」

声そっと背中を敲かれる。
うつむいた目もと指ぬぐって、ふりむいて鳶色の目と合った。

「青木はマジメでいいヤツだよ、周太くんの信頼に値するって俺が保証する。だからもういいじゃないか?警察が過去がなんだよ、」

ワイシャツ袖まくりの腕が髪をかく。
いつもの仕草くしゃくしゃ赤茶色、そんな学者がにやり笑った。

「いいか周太くん、若造はな、若造らしくワガママ無鉄砲やりゃいいんだ。そんな学生の面倒見るのも俺たち教員のシゴトで楽しみなんだよ、なあ?」

研究室の窓、スラックスの脚くんで学者が笑う。
もう五十になる笑顔、それなのに闊達シャープな瞳が言った。

「だから周太くんも面倒ふっかけろよ?そんなんで潰れるほど俺も青木も弱っちくない、手塚と大学院の約束もしてんだろ?もういいじゃないか、」

こっち来いよ、なんて言ってくれるの?

「…田嶋先生、僕は、」

僕はゆるされる、本当に?

想い鳶色の瞳に見つめてしまう、この瞳が見つめた姿を探す。
もし今ここに父がいたら何て言うのだろう?見つけたい想いに闊達な眼ざし笑った。

「もういいじゃないか?無鉄砲にこっち来いよ、若造?」

この声に、この瞳に父も見惚れたろうか?

そんなふう想ってしまう、鳶色ふかく深く惹きこまれる。
見つめてくれる眼ざし窓の陽ふれて、燈る静かな朱色に父がいる。


(to be continued)
 

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