萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第83話 辞世 act.33-another,side story「陽はまた昇る」

2015-11-25 22:25:16 | 陽はまた昇るanother,side story
稜線の慟哭
周太24歳3月



第83話 辞世 act.33-another,side story「陽はまた昇る」

小雪また舞いだした、息が白い。

照らされる駐車場の光に雪が吹く、風すこし強くなった。
耳鳴りのよう風が切る、それでも声たしかに周太へ届いた。

「どこに行く湯原、病室に戻れ、」

ぱきっ、

靴底に氷が割れる、その音に鼓動ゆっくり軋みだす。
いま呼ばれた声が誰なのか解かる、それでも母の手がひいた。

『行きましょう、無視して?』

ちいさな掌から意志が伝わる、その手に歩みは停まらない。
さくり、さくり、登山靴ふむ雪やわらかに鳴って鼓動が響きだす。

―追いかけて来ていない今は、でも来る、

背後の声は来るだろう、たぶん遠距離からの発砲はない。

―撃つなら接射する、音が響かないように…お父さんの時とは違う、

もし離れて撃つなら敷地外まで響く、そして囲むマスコミに探られる。
そうなれば「全て」が曝されるだろう、そんなこと警察組織はもちろん「あのひと」も望まない。

―公になることはしない、外で目だつことは…だから伊達さんも中で付添ってくれて、

状況整理しながら歩きながらコートのポケットで携帯電話ふれる。
指先かすかな感触にボタン押す、歩調そのまま歩いて、そして足音ひとつ増えた。

―来る、

もう背後は危険が立っている、靴底に氷砕ける。
それでも母の手に繋がれ歩き続けて、けれど至近距離の声が呼んだ。

「止まれ湯原、母親まで巻き込みたくないだろう、っう!」

ばしっ、

響いた音に繋がれた手ぎゅっと握りしめられる。
なにか敲かれた鈍い音、知りたくて振りむいた真ん中アルトヴォイス叫んだ。

「民間人舐めてんじゃないわよっ、この殺人鬼!」

いま、誰が、なんて言ったんだろう?

「おかあさん…?」

視界の真ん中ちいさな横顔の頬が白い。
この顔は母の顔、けれど見たことがない表情が怒鳴った。

「あなたが殺したってくらい解ってるのよっ、岩田さん!」

いま母はなんて言った?

「…え?」

解かっているって、どうして?
見つめて立ちつくす雪の夜、街燈の影から低く声が言った。

「湯原が何か言っていたのか?」
「夫も息子も何も言わないわ!ちょっと考えれば解かることでしょう?!そんな頭もないから殺人鬼やってられるんでしょうけどっ、」

アルトヴォイス怒鳴りかえす、こんな姿は見たことがない。
それでも母の横顔は唇ひらいて声は続いた。

「馨さんは!夫は賢い人ですっ、簡単に殺される馬鹿じゃないわ!あのひとが信頼している相手だったから殺されたんでしょう?!」

信頼している相手だから殺された。

そう叫んだ唇がふるえる、白い頬ひとつ光がつたう。
雪また激しくなってきた、それでも澄んだアルトは怒鳴った。

「だから葬儀の時ずっと見ていたのよっ、あのひとの顔を直視できないくせに死んだか確かめたがる人間が犯人だってね!」

ああ僕は忘れていた、この母こそ賢い人なのに?

―ずっとお母さん独りで抱えこんでたんだ、だから書斎で独りの時間を、

父が死んだ、あの春から母は独り一時を父の書斎に籠る。

毎晩いつも自分がベッドに入った後、隣室の書斎は扉そっと開け閉めされた。
すすり泣く声が聞えた夜もある、そのとき何を考えていたのか今やっと解かる。

「人間らしい心があるなら殺した相手の顔なんて直視できないわ、殺した本人なら本当に死んだのか気になって確かめたがる、あなたは夫の遺影を一度も見なかったでしょう?!でも触ったわっ、あのひとの手首で脈をみてたわね岩田さんっ、私ずっと見ていたのよあなたのやってること!」

ほら母の声まっすぐ告げる、怒鳴っているのに少しも澱まない。
それだけ何度も母は考えてきた、そのままに澄んだアルトが怒鳴りつける。

「私でも解かったのよっ、あのひとが解からないはず無いじゃない!でも何も言わないで死んだのよあのひとはっ、犯人を救ってくれってだけ言って!」 

雪がふる、風が吹く、それでも叫ぶ声どこまでも徹る。
闇の底ライト照らす白銀の上、白い小さな顔は涙と叫んだ。

「犯人を救ってくれとだけ言って、息子の名前を呼んで死んだのよっ!なんで犯人の名前を言わなかったと想う?!あなたを信じたからでしょう!」

信じた、だから父は沈黙のまま死んだ。
それが真実なのだと自分も解かる、ただ見つめる真ん中で泣顔が叫ぶ。

「あなたが後悔してくれるって信じてたのよ馨さんは!後悔したあなたが息子を護ってくれるって信じたから、だから黙って死んだのよっ!」

繋いだ手ぎゅっと握られる、その掌そっと握りかえす。
ふるえる手は小さくて華奢で、それでも声は強く怒鳴った。

「あのひとが命懸けで信じたのっ、だから私も息子が警察になること頷いたのよっ、あなたが護ってくれると信じたから!それが何よその拳銃っ、」

命懸けで信じた、頷いた、護ってくれると信じたから。

こんな言葉たちに母の十四年間が解かる。
毎夜あの書斎で母が想っていたこと、抱きしめた涙、それから父への終わらない慟哭。
その全てを今この時に吐きだして泣いて叫ぶ、おくれげに雪ひるがえしアルトヴォイス怒鳴った。

「雪崩の巣に送りこんで今度は拳銃ってどういうことよ!黙って死んだ馨さんを踏みにじってんじゃないよこの殺人鬼っ、」

澄んだ怒鳴り声に白い手あがる、瞬間、男の頬は高らかに鳴った。

「うっ、」

うめく声、叩かれる音、雪うなる空の風。
細かな雪つぎつぎ吹きすさぶ、空気さえ白い夜の底に男の顔がうかんだ。

「…私も好きで殺したんじゃない、殺したくなかった湯原だけは、」

囁くような低い声、けれど雪を徹って届く。
街燈あわい光うかんだ貌は蒼白い、その虚ろな瞳がこちら見た。

「湯原は…あなたの夫はほんとうにいい男だ、私だって殺したくなかった、」
「でも殺したのでしょう?」

ばさり、澄んだアルトが斬りつける。
隣の横顔に雪がふる、ちいさな白い貌ふる雪に髪も白い。
その前で紺色の制服姿も白く染めてゆく、すべて白くなる底で男は言った。

「ただ私は…家族を護りたかった、命令に背けば家族が…どうなるか解からなかった、」

ああ、やっぱり同じなんだ?

―僕もそうだ、お母さんを護りたくて…お父さんの名誉を護りたくて警察官になった、ね、

十四年前の春、殉職した父に世間が何を言ったか?
その妻に何を言ったのか、息子の自分に向けられた視線は何だったのか。
そんな全てを忘れるなんて今も出来ない、どこまでも続く螺旋の連鎖にアルトヴォイス微笑んだ。

「馨さんも私と息子を護りたかっただけよ、でも、あなたのような卑怯者じゃない、」

卑怯者、そう告げる唇が雪に微笑む。
あわい薄紅やわらかに微笑んで澄んだ深い声は告げた。

「どんな理由があっても馨さんはあなたを殺さない、だから馨さんは辞表を書いたのよ…だから黙って死んだのよ、」

それ、どういう意味?

「…おかあさん、辞表って…?」

こんなこと知らない、いま初めて聴いた。
ただ見つめる雪の底、母の横顔は静かに微笑んだ。

「あの日の翌日に辞表を出すつもりだったのよ…今も私が保管してあるわ、馨さんの絶筆だもの?」

かちり、

ピースまた一つ填まる、父の聲また届く。
最期どうして父がトリガー弾かなかったのか?その聲やっと聴こえる。

「班長…岩田さん、もう終りにしませんか?」

父の聲なぞって声になる、でも届くのだろうか?

「もう殺すなんてやめてください、誰も…どんな犯罪も罪も、生きてこそ償えるんです、」

死刑、それは確かに必要なのだろう。
けれど行う方法はこれじゃない、この二年に見つめた想い声つむぐ。

「死刑にあたる罪を犯したとしても、罪の重さを納得しないまま死刑にして償いになりますか?生きて苦しんでこそ償いになりませんか?」

だから父は殺さなかった、最期だけは。
そんな想い今なら解かる、この今のため辿った時間に言った。

「父は、生きることだけが償いだと信じたから最期は撃たなかったんです。だから僕も命令違反ばかりしました、生きて苦しんで罪だったと理解して、ほんとうに後悔することが償いだと思うからです。母も同じです、だから今この時までずっと我慢して何も言わないでくれたんだと思います、僕が自分で気づくことを信じて、」

父は気づいたから撃たなかった、その想い受けとめたから母も黙っていた。
そんな二人の時間はこの十四年より前から降りつもる、いま白くそまる涯に微笑んだ。

「罪は、罪を理解して後悔しなかったら償えません。そのために僕は14年間あなたを探してきたんです、あなたに後悔して償ってほしかったから、」

この十四年が声になって、とけて、白く染められる。
雪さらさら視界を遮る、白くけぶる闇に制服姿は雪へ融けてゆく。
制帽の翳から視線こちら見て、けれど貌見えないまま男は腕ゆっくり上げた。

「っ、しゅうた!」

母が叫ぶ、そして銃声ひとつ雪砕ける。

Justice & Truth 3ブログトーナメント

(to be continued)

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