萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

時限日記@深夜雑談60424

2015-06-05 00:10:10 | 思考雑談
夏の夕暮れ時、ながら考えたことの雑談を、笑

子どもの頃から人の話を聴かせてもらうことが多い、いわゆる相談相手ってやつ。
老若男女、その時々ケースバイケースで色んな話を聴かせてもらう。
そんな自分は心理学者ではありません、笑
プロファイリングともすこし違う、

ただ相手の視点で一緒にものを考える。

それは経験と裏付ける知識、それから出逢った全ての記憶が基盤。
子供時代はフツーに聴いて考えて、それがいつの間にかいわゆる立場になって、
そうして色んな人に出逢って、聴いて、提案しながら色んなコトを解きながら今がある。

こんなふう相談相手になることは感謝されるように思われるけど、
でも現実はそうでもない、笑

辛いことを乗り越える時、人は三つの道がある。

1.納得するまで見つめ続ける
2.忘れて無かったことにする
3.自分以外に責任転嫁する

1番目は辛いことの原因解析→自分の失敗を等身大で認められる、
自分がドコをどうすべきだったのか?それを知ることは未来の失敗から自分を救う鍵になる。
自分で自分にダメだしすることはキツイだろう、それでも根本的解決は苦しい連鎖から自由になれる。

2番目は「忘却は人間の救い」という脳科学の話にもなる。
忘れることが人の精神均衡に繋がるというのは確かだ、それは感情感覚を薄れさせて楽にする。
けれど落とし穴があることは1番目の道からも否めない。
それは「忘れる」ことで次また同じケースに出遭ったとき防御すら忘れるからだ。

3番目、これは誰でも経験があるんじゃないかなと、笑
だって一番楽な方法だ、「この自分は悪くない」そう言われるだけで重荷は払われる。
けれど一過性の消去でしかない、なぜなら払ったものは消えるわけではなく廻ってまた戻ってくる。
それは「自分のココが悪かった」を知ろうとしなかったために、また同じトラブルを惹きこんでしまう本人の過失だ。

トラブルは誰もが無責任とは言えない、
その責任を欠片でも自分の中に見つけられたなら、同じトラブルに出遭わない選択を見つけられる。
もし同じトラブルに巻き込まれても前の経験と原因解析が、そこから脱するためのヒントを必ず照らす。
そうして人は経験から賢明になる可能性が誰にもあたりまえのよう与えられている。

で、こういうトラブル相談を自分は受ける立場に今あって、
そーゆーコトにあたる時いつも当たり前の覚悟をしている。
相談に乗っても感謝されるわけじゃない、2or3のとばっちりもフツーだ。
相談者を丸ごと信じることもしない、だって相手は変化する。

たしかに相談してくるときはこちらを信じて頼っている、けれど解決していくとNo.2「忘却」を選ぶ人も多くて、
その場合、辛かったトラブルごと相談相手もまるっと否定して記憶消去してしまう。
そうして連絡を絶ちたがる人は珍しくもなんともない、よくあることだ。

でNo.3「責任転嫁」はそのまんま、思い通りの解決にならないと相談相手に責任があると押し付ける。
経験不足、知識不足、いろんな「不足」を不測の事態の原因だとコチラを責めてくる、
これをやってくる人はいわゆるインテリタイプに多いようで、

「自分は大丈夫」

こう言ってしまう人がNo.3に転じやすい、なぜなら「自分の力で解決できる」と思っていたからだ。
けれど相談する時点で既に自力解決は出来ていない、その「自力不可能」な事がプライドに障ってしまう。

「ホントは自分は大丈夫、でも出来なかったのは『誰か』のせいだ」

こんな想いがどこかにある、だからアドバイスしても実行をなかなかできない。
そのタイミングロスが結果としてトラブルの痛手も大きくしてしまう、このタイプは最も周囲を巻きこみやすい。
そうしてコトがデカくなるから驚く、で、拡大化した被害に怯えてなおさら「誰か」へ責任を投げつけてしまう。
このNo.3は2から発展することも珍しくない。

「忘れたらいいよ、無かったことにしよう」

忘れたい、だから根本的解決に踏みだすことも忘れるためにしたくない。
けれどトラブルがあった事実は消えるわけじゃない、それでも解決アドバイスごと「忘れて」しまう。
アドバイスされた内容はモチロン「アドバイスの提案があった事実」も忘れ放置して、よーするにトラブルから逃避する。
そうして放置しているうち拡大してしまった被害に「自分のせいじゃない、相談相手が悪いあいつの責任だ」となるのは珍しくない。

人間は「事」外の力が加わると内面が揺さぶられる、
そうして不安定な人間は現代社会にあふれかえっているけれど、そこには色んな原因があって、
その原因は本人にも当然あるけれど「事」本人の周りから生まれてしまうものは大きい、だから本人を責めても徒労だ。
そんな徒労はNo.2や3のときは疲労感にも虚無感にもなりやすいんだろう。

そんな時でも変わらないものがある、それは子供の自分が大人の自分に決めた約束のちいさな誇りで、
それが何なのかっていうと多分きっと、世界の大人99%が心底どこかホントは抱いているんじゃないだろうか?笑

こんなふうに相談されるということはいわゆる逆恨みを買いやすい、
そのたびホントめんどくさくて弩エスりたくもなる、このバカタレテメエノセキニンダロガと嘲笑いたくもなる、
なによりコンナコトに大事なひとをウッカリ巻きこんだ時はホント自分を責めぬいて丸ごと全て考えぬく、正直マジキツすぎる、
ぶっちゃけ良いことなんか少ないかもしれない、馬鹿らしいほど徒労の努力なんだろう?

それでもこんな立場やっているのはNo.1=自由の可能性を知っているからだ。




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