萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第85話 暮春 act.1-side story「陽はまた昇る」

2016-07-05 22:18:31 | 陽はまた昇るside story
Have found new spheres 次の地平を
英二24歳3月下旬



第85話 暮春 act.1-side story「陽はまた昇る」

この庭も花が咲く、桜の春だ。

「きれいだ、」

仰いだ月明かり、声すなおに零れる。
この庭でこんなふう想えるなんて、たぶん進歩だ。

「…怪我したのも良かった、ってことか?」

声にして確かめる花の下、まだ明けきれない空は鈍い。
薄墨色あわく青い午前五時、月の残照やわらかな梢に呼ばれた。

「英二さん、もう起きたのですか?」
「おはよう中森さん、」

笑いかけ振りむいた先、ニット姿の銀髪がいる。
その衿元ネクタイ端正で、いつもながらの家宰に微笑んだ。

「十日間ほんとうに世話になりました、ありがとう、」

本当に世話になった、この家宰には。
想い頭下げた樹下、花の馥郁そっと言われた。

「こちらこそですよ?この家にお帰り戴いてありがとうございます、次の休暇もぜひ、」

低い声やわらかに微笑んでくれる。
ずっと昔なじみの笑顔に英二は笑いかけた。

「そんなに俺が帰ってくると違う?」
「はい、違います。ほら?」

銀髪の笑顔やわらかに向うを示す。
その視線たどった先、テラスの窓に白皙が見えた。

「中森さん、祖父はいつも五時起き?」

たぶん「いつも」じゃないだろう?
そんな予想どおり家宰は微笑んだ。

「いつもより2時間お早いです、お茶をお持ちしましょうか?」

皺深い瞳すっと笑ってくれる。
その銀髪さっきより明るむ庭に笑った。

「ありがとう、テラスに頼むよ、」

踵返した庭、芝草やわらかに光はじく。
もう月しずんで明けるだろう、その薄闇に花の香あまくて揺すられる。

『…英二、桜が咲いたよ?』

また君の声だ。

『夜桜で本を読んで…ワーズワースがいいな?』

幸せな春の記憶、あれから一年が過ぎてしまった。
まだ一年、それなのに違いすぎる春が降る。

―逢いたいよ、周太…でも今はいいのかもしれないな、

あのひとに逢いたい、でも今はこれで良い。
だって時間は限られている、その挟間をテラスに立った。

「おはようございます、お早いですね?」

笑いかけた窓辺、カーディガンの横顔こちら見る。
刻まれた皺の陰翳は深い、それでも端整な貌はすこし笑った。

「甘い匂いがするな、何か咲いたか?」
「桜です、一夜で咲きました、」

答えて佇んだ窓、ひろやかなガラスに月あわい。
まだ掛けられた錠かちり外して、押し開けた風に祖父が笑った。

「うむ、桜だ…花見だな、」

低い声しずかに透る、その横顔が優しい。

―こんな貌するのか、この祖父が?

微笑しずかに白皙を照る。
眺める睫の陰翳も蒼色やわらかで、初めて見る貌は言った。

「英二と花見は初めてだな、」

低く穏やかな澄んだ声、でも冷たくない。
ずっと知っていたはずの知らない貌に尋ねた。

「子供のころ春のパーティーになら来ましたよ、桜が咲くと人を集めていましたよね?」
「あれは花見じゃない、義務みたいなものだ、」

低い美しい声が笑う。
その言葉も知らなかった貌で、ただ見つめるまま祖父は言った。

「夏の庭も悪くない、次は」

告げて、けれど唇が閉じる。
皺ふかい口元ただ微笑んで、そんな貌に呼吸ひとつ笑いかけた。

「山の地酒でも買ってきます、」

この祖父にこんな約束するなんて?
だから想ってしまう、きっと今はこれで良かった。

―周太、この家に帰ってきて俺は良かったかな?

ほら心また追いかける、聴いてほしくて。
あの瞳に見つめてほしい聴いてほしい、ただ願う桜の窓に言われた。

「無事でいろ英二、山でもどこでも、」

ことん、とん。

奥深くなにか敲く、この感覚は何だろう?
解からなくて、けれど深く坐らす温もり微笑んだ。

「はい、あなたも無事で、」



ひさしぶりの隊服は馴染む。

「つっ…、」

通した左肩ずきり痛む、そんな痛覚すら包まれる。
一年半の毎日ほとんど着ていた、その隊帽もかぶり鏡に笑った。

「落ちつくな?」

カーキ色のキャップにカーキとオレンジ色の隊服、この自分を何度見ただろう?
もう回数とっくに忘れてしまった、それくらい馴染んだ鏡の自分に微笑んだ。

「そうだな、俺…山が居場所だよな?」

山に帰りたい、この十日間どれだけ想ったろう?

帰りたくて想って懐かしんだ、その時間分だけ今この部屋も嬉しい。
狭いベッドにデスク、小さなロッカーと書棚、小さな窓、狭い宿舎そっけない自室。
今朝いた屋敷のほうが遥かに美しくて、それなのに今この場所が斬られるよう愛おしい。

「ずっと居られたら良いけどな、」

微笑んでザックを背負い登山グローブ嵌めて、ほら馴染む。
爪の先まで懐かしく馴染む、その足もと屈んで登山靴の紐エイトノットに締めた。

「よし、」

笑って立ちあがった胸元、金属ちいさな輪郭ゆれる。
隊服の底ふれる合鍵は温かで、その繋ぐ革紐を首に確かめ扉を開けた。

「おっ、宮田?」

呼んでくれる懐かしい、帰ってきた場所に笑いかけた。

「ただいま戻りました。またよろしくな、黒木さん?」
「こっちこそよろしくだ、内辞は聞いたんだろ?」

話しながら歩いてくれる。
並んだ長身に聞いたまま微笑んだ。

「第2小隊長就任おめでとうございます、黒木隊長?」
「フライングするな、まだ隊長は国村さんだ、」

言い返してくれるシャープな瞳が笑う。
その精悍あいかわらずな輪郭すこし傾けて、低い声が訊いた。

「宮田、新しい隊員のことは聴いてるか?」
「詳しくはまだです、」

答えながら廊下すれ違う、その笑顔と会釈を交わす。
まだ「新しい」はいなくて、そんな肩いきなり抱きつかれた。

「お帰り俺のアンザイレンパートナー、お前のマオトコを知りたいかね?」

ああ、相変わらずなんだ?

「ははっ、」

笑ってしまう、だって力なんだか抜けた。
この再会どこか怖かった、けれど緩んだ安堵と笑った。

「ただいま光一、間男ってすごい表現だな?」
「ぴったりだろ?正妻じゃないザイル相手だからねえ、」

からりテノールが笑ってくれる。
雪白の貌あいかわらず明るくて、変わらないザイルパートナーに笑った。

「職務でザイル組むのは仕方ないだろ、それに間男なんて呼んだら本人に怒られますよ?」

だから本人その他に言わないでほしいな?
願い笑いかけた隣、精悍な顔がため息吐いた。

「ほんっとに…国村隊長やめてください、佐伯は冗談が効かない真面目な人間なので、」
「へえ?黒木なんだかよく知ってそうだね、」

朗らかなトーン訊いてくる。
底抜けに明るい眼は愉しげで、そんな上司に先輩は言った。

「俺より谷口がよく知っています、同じ芦峅寺の出身で高校も同じです。谷口に誘われて警視庁で山岳救助隊を志願したと聞いています、」

ちりっ、ほら熱い。

―また谷口さんか…芦峅寺、

鼓動の底ちいさく灼かれる、これは嫉妬だ?
自覚ほろ苦く笑った背中、からり朗らかなテノール笑った。

「俺の代打がクソ真面目ってスゴイ人選だね、能力かなり高そうだけどさ?」

ほんとうに「スゴイ人選」だ?

―きっと後藤さんだな、俺に何を学ばせたいのかな?

最高の山ヤの警察官、そう謳われる男が選んだ相手。
それには意味きっとある、その信頼とザック背負いながら笑った。

「十日間の遅れ、とりもどせるよう頑張りますね?」


(to be continued)

【引用詩文:John Donne「HOLY SONNETS:DIVINE MEDITATIONS】

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