★tomoe-母のクモ膜下出血闘病日記

元気だったお母ちゃんが2004年2月17日突然倒れた。クモ膜下出血。家族の事、インターネットでできた事。体験談など。

三回忌といちご

2020年05月04日 | 家族の気持ち&行動

お久しぶりです。

一年以上ぶりの投稿です😅

実は昨日、お母ちゃんの三回忌法要を無事に終えることができました。

新型コロナの影響で、大々的には行わず、

お父ちゃん、兄ちゃん家族、私の家族、だけの身内だけで

お坊さんをお呼びしての法要でした。

仏前には、お父ちゃんのいちご🍓と、私の企画した

コーヒーとケーキセットを供えさせていただきました🙏

 

たぶん、お母ちゃんは、そばに来てくれて、喜んでいてくれた気がします。

 

今日もステイホーム!な日々ですが、

いちごの収穫や、バック詰め、そして出荷までできて、ありがたい限りです。

 

皆さまも、できる限りの用心と対策を。

そして、いちごなど、ビタミン摂取で免疫力を高めてくださいませ。

 

人間はいつかは、お母ちゃんのように死んでいきます。でも、今日も一日家族で過ごせて、一緒にごはんが食べれて、更に笑っていられたら、本当に幸せですね。

 

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました😊

 


お母ちゃんとお父ちゃんのいちごストーリー

2019年02月11日 | 独自リハビリ

🍓いちごストーリー🍓

お母ちゃんがなくなってから半年以上たちました。お父ちゃんは、今いちご作りに夢中で取り組んでいます。
実は、愛情を持って取り組んでいるいちご。ストーリーがあるんです。

お母ちゃんは、2006年の2月にクモ膜下出血で突然倒れて寝たきりで、食事も口からは食べれなくなり、胃からチューブで栄養をとる療養生活が3年続いていました。
ある日、お父ちゃんが島の農園で1ダースのいちごを買ってきたんです。

「母ちゃん、美味しいいちご買ってきたで〜。食べるか〜?」

本当に赤くて、つやつや新鮮で美味しそうないちごで、母ちゃんをイスに座らせて口に運んであげたら、なんと食べれたんです✨3年間食べれなかった人が!です。あの時は本当に嬉しかったですよ。あの時のいちごをきっかけに母ちゃんは、11年自分の口から食べて生きてくれました。

そして、母ちゃんがなくなってから、父ちゃんにいちごハウス買取の話が浮上しました。ハウス、ノウハウ、種もセットで、です。私は何も反対しませんでした。悲しみに暮れて過ごすより、好きに生きて欲しいと思ったからです。

去年、島から移築する際、自宅のお母ちゃんの為につけていた高級軟水機は、いちごハウスに取り付けなおしました。

2019年の現在、お父ちゃんは毎日いちご農園に通い、お世話をし、いつか、従業員の福利厚生でいちご収穫ができるようにしたい!と頑張っておられます。

日々、肥料のやり方、暖房リサイクル法など、すごく創意工夫をされているらしく、毎日私のお店に、採れたていちごを持って帰ってきてくれるまでになりました。

お陰様で、いちごパック詰めといちごパフェ作りが得意になったんですよ🍓🍓🍓

お母ちゃんが喜んで見てくれてるといいな。後日談でした。


後日談。

2018年10月30日 | 独自リハビリ

お母ちゃんが亡くなって、20日ぐらいがたち、仏壇のお花も落ち着いて飾れるようになった頃。。

私たちが住む街に雨が降り続いて、ある日の朝、水が一気に押し寄せてきました。

私のお店は床上浸水で水没し、3日間水が引きませんでした。。
かろうじて、電気は通じ、水圧が弱くて唯一出た水道は庭の蛇口だけ。。
水が引いてから自宅に戻ってみたら、自宅にも、水が押し寄せた跡がありました。。
毎朝起きたら暗いうちから、水汲みをするという生活を2〜3週間ぐらい続けました。

大変でした。。もし、体の弱いお母ちゃんがいたら、水道がまともに出ない埃だらけの街ではとても守れなかったと思いました。生前、お母ちゃんは
「私の葬式はちゃんとしてね。」
とよく言っていたから、ちゃんと見送れたから、これで良かったんだと初めて思えました。

塞翁が馬、です。←私はこの言葉が好きです。

その後、ちょっとした奇跡がありました。そのうちのひとつ。
私の家の鍵穴が土砂に埋まり、なかなか入らなくて、半泣きになりながら、水洗いしたりしていたら、急に!
「鍵穴スプレー」がコロコロと転がってきたんです!

お母ちゃんだ!と勝手ながら思いました。ずっと味方同士でいようねと約束したコト守ってくれてるーと思いました。(*^^*)


そして、毎日毎日掃除や復旧作業を続け、皆様に助けていただき、10月1日のコーヒーの日にカフェを復旧オープンすることができました。

本当は、お母ちゃんもいなくなってもう頑張れないよ、店辞めようとお父ちゃんに訴えたけど、街の為や、お客様、スタッフの為に頑張ってみました。

今ちょっとだけ安堵感でいっぱいです。お母ちゃんが教えてくれたコーヒーの幸せをできる範囲で伝えられるよう、やれるところまで頑張ってみるよ。

なんとかなる。なるようになる。きっと。


これから

2018年07月04日 | 家族の気持ち&行動

これからは好きなことをしていこう。

楽しくてわくわくすること。
それから私が知っているコト。経験したコトは惜しみなく伝えたいな。
 
お母ちゃんを亡くしてやっぱり悲しかったし泣いたし
元気が出ない日も続いた。
 
でも、お通夜や告別式のあいだじゅう、泣かずに私の体のどこかを
触ってなでなでしてくれた息子や
とても頼もしく一緒にいてくれた主人や
毎朝5時に起きてお経をあげるお父ちゃん。
 
はらりと壁から落ちたまるで遺書のようなお母ちゃんの12年前の手紙。
 
お母ちゃんの仏壇にお花いっぱい供えてくれたおきさん。
 
優しく元気付けてくれるスタッフのみんな。
 
ブログに優しいコメントしてくださる方。
 
私は幸せ者だと感じるから、介護から少しだけ解放されたのだから
後悔のない人生にしていきます。
 
やっぱりお母ちゃん。ありがとう。
 
 
ps 介護グッズを写真とって処分中です。フォトチャンネルにまとめて一部あげました。参考になる人がいればうれしいです。 
 

ありがとうございました

2018年06月24日 | お母ちゃん★日々の様子

2018年6月17日の早朝お母ちゃんは行ってしまいました。
享年72歳。2004年の2月17日にくも膜下出血で倒れてから14年と4か月の闘病生活でした。


ーーーーーーーーーーーーー

お母ちゃん。大好きなお母ちゃん。
あんなに毎日会いに行ってたのに前の日会いに行かなくてごめんね。
でも、私を産んで育ててくれて、ずっと一緒におってくれて
本当にありがとう。

半年前に誤嚥性肺炎で入院してから口からご飯がたべれなくなって
それでも入院を乗り切って自宅に連れて帰れて、お正月を過ごせて。。
今年の冬の寒さがこたえたのか?だんだん胃瘻からも受けつけなくなって。。。
それでもお父ちゃんが生きてほしいと願うから
頑張って応えてくれて。。
私も自宅で24時間点滴を何度も管理して泊まり込んで。。

これで良いのか本当に悩んだよ。。

正直しんどくてくじけそうで、目ばちこが2つもできて。。へこんだ。
でも一緒におれた時間はかけがえのない時間だったよ。
頑張る姿と家族の愛を教えてくれてありがとう。

最近は体力がなくて
週に一度、日曜日にお父ちゃんと私とでお風呂に入れてあげたね。
あの日、
「あ〜お風呂が気持ちいい。」
って長風呂したよね。1回もたいぎいって言わなくて
スーパーポジティブなお父ちゃんは「元気になりよる!」
ってすぐ言うものだから。。
あの時違和感を感じたのに私もすぐ良い方にアハハって笑ったんだ。

17日の朝早くに行ってまたお風呂に入れてあげようとしてたんよ。
もうちょっと待ってて欲しかったよ。
ごめんね。どんなにみてきても
何かしらの後悔は残るものなんだね。
なんでも出来ることは、後回しにしちゃいけないって
母ちゃんが最期におしえてくれたんじゃね。

前の日、会社の事務所引越しが一年半越しに完了して。。
昔火事で燃えた事務所が再建できたんよと
伝えたけん、安心して行っちゃったんだね。
引越し頑張ったけん、どろどろで汚い自分が菌を持ち込んじゃいけんと
思って。。一階まで行ったのに母ちゃんの顔を見に上がれば良かったと
胸が痛んだよ。ごめんね。
でも、自宅の温かい自分の布団で逝かせてあげれたのは
結局私の希望どおりだったね。安らかなとても綺麗な顔だったから
苦しくなかった?

今思えば。。

亡くなる1週間前。朝母ちゃんの部屋に行ったら
おきさんと元気な時みたいにラジオ体操してたね。
「母ちゃんおはよー。」
って私が言ったら、まじまじと
「とんちゃん、ありがとうね。」
って言ってくれたね。ありがとう言い合ったね。


その次の日12日は私の誕生日。
「母ちゃん産んで育ててくれてありがとう。」
って今年も言えたよ。あの時調子良かったじゃん。。

13日は東京のお父さんが入院したけん、お見舞い行ってきても
待っててくれたじゃん。。

14日は今度はだんなさんが東京行ったけんヒロと泊まれたね。
お父ちゃんがスイカを母ちゃんに食べさせてて
超ビックリしたけど、まあいっかで
美味しい〜と味わえた母ちゃん見れて本当に良かったと思う。


亡くなる2日前15日に定期検診で病院へ行った時、
エレベーターで抱きしめて
「母ちゃん大好き。ずっと味方同士でいようね。」
って約束したね。家に帰って車から車椅子、トイレ移動の時
なんだか愛しくて、いつも以上に抱きしめたよ。

「じゃあ、母ちゃん引越し頑張ってくるけん行ってくるね。」
あれが最期に交わした言葉になるなんて。
そこは想像してなかったよ。

お墓とお仏壇、ちゃんと守るからね。
見守っててね。
お父ちゃんはまだ一緒にこっちにおってもらわんと従業員が困るけん
まだまだとうぶん、お迎えに来ちゃダメだからね。

お願いよ。


お母ちゃんがいなくなってから、本当は寂しいよ。
でも、お父ちゃんが少しでも早く前を向けるように
できることを毎日ひとつづつでも
すすめていくね、見張っとくね。

母ちゃんが残してくれたものや、
ちょっとした出来事に
母ちゃんを感じるよ。
話しかけたら、心で母ちゃんの声が浮かぶ。不思議。
だいたい何てこたえるかわかるんじゃ。。

ずっと味方同士でいようね。本当にありがとう。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
長年、このブログを見てくださった方々
本当にありがとうございました。

母ちゃんは精一杯生きて愛と色んな貴重な経験を振りまいて
旅立ちました。生前、人様にあまり迷惑をかけたくなく、
派手なことも好まなかった為、亡くなった当日に通夜、
翌日には告別式を行いました。
家族や会社に迷惑がかからない最小限の日曜日の早朝に
一人で黙って旅立ちました。
本当に母ちゃんらしいです。

唯一、かかりつけの井上先生には最後までご迷惑をおかけしました、
私が朝7時に電話した時、既に東京行きの新幹線に乗っていらしたのに
岡山駅で降りて10時には家まできてくださいました。

家でみとれたのは井上先生のお陰と感謝しています。
本当にありがとうございました。


これでブログを終わっても良いのですが
気持ちが落ち着いてきたら
私が母ちゃんにベストを尽くした介護情報やグッズをアップしたいと思っています。
いつになるかわかりませんが、どなたかのお役にたてることがあれば。。と思います。