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古い曲が気になる

アローン・アゲイン記念日

2017-08-30 | 日記・エッセイ・コラム

 

九州・熊本の森元裕二くんからの電話で「今日は、”アローン・アゲイン記念日”です」という。
今日やっと”アローン・アゲイン”をオリジナルどおりのコード進行でギターで弾くことができた、という。「じつに45年かかりました」 と。


”アローン・アゲイン”とは、もちろんポップス史に永遠に残るギルバート・オサリバンの名曲。1972年(昭和47年)㋆の全米ナンバー1の大ヒット曲だ。日本でもヒットした。
1972年、高校生だった森本くんが最初に感動した洋楽の曲で、いまも最も好きな曲だという。来日したギルバート・オサリバンの福岡でのライブも観たという。

”アローン・アゲイン”は、ギターを弾いて歌ってきたのですが、けっこう難しい曲で、やっと今日ほぼ完ぺきに弾くことができました。英語の歌詞もだいたい理解して歌えるようになりました。45年かかりました。だから今日は、ぼくの ”アローン・アゲイン記念日” なんです」と電話をもらった。

(森本くんは、リバプールに行ったり、メキシコに居たり、ニューヨークで焼肉店の店長をやっていたり‥‥‥巧みに英語に話す人だ。「森本くん、この歌詞カードの和訳、すこし違うように思うんだけど‥‥‥?」と、40年も前のこと、帯広畜産大学の学生の森本くんに、わたしは、ロッド・スチュワートやジョー・コッカーの歌詞を訳してもらった。)

しかし‥‥‥45年も前の高校生のときに感動した曲を、

猛烈に忙しい仕事の日々のなかでも、練習して完ぺきにマスターしたい‥‥‥この、音楽を愛する熱い思いに心打たれる。

 

   ギルバート・オサリバン  Alone Again   https://www.youtube.com/watch?v=BD4yL-fXU6s

   ギルバート・オサリバン  オフィシャルサイト  http://www.gilbertosullivan.co.uk/


  


浅草、おもしろいね

2017-08-28 | 日記・エッセイ・コラム

昨夜(今朝というべきか)のバトミントン・ワールドカップ 2017 女子シングルの決勝は、凄まじい試合だった。死闘とは、まさにこういう試合のことだろう。

   バトミントン・ワールドカップ 2017 女子シングル決勝  奥原希望 vs シンドゥ・プサルラ   https://www.youtube.com/watch?v=L__6ZhcJa0k

 

夕暮れに浅草六区を散歩して、浅草寺境内を通って入谷まで帰ってきた。浅草寺境内と六区界隈は人であふれていた。

浅草、入谷、上野‥‥‥この江戸時代からの下町は、ほんとうにおもしろい。

 

浅草にフクロウ・カフェという店がいくつもあって、店先でフクロウを手にしたおねいさんがお客を案内している。(フクロウとは、もちろん鳥の梟。猫カフェのようにフクロウが店内にいる、らしい)。

インド人らしい外国人ファミリーにフクロウ・カフェの説明している、おねいさん。

 

 

 

 

 

 


松山千春さんに会ったのは、1975年だったろうか?

2017-08-26 | 日記・エッセイ・コラム

8月20日のこと。千歳空港でのこと。出発がおくれているANAの機内で、たまたま乗り合わせていた松山千春が、イラついている機内の雰囲気をなごませるため、機長の許可をもらって一曲歌って、機内は拍手と歓声で盛り上がった、と全国ニュースになっていた。 いかにも松山千春らしいな、と、わたしは思った。

わたしがはじめて松山千春に会ったのは、1975年(昭和50年)のことか。NHK帯広局の宮本隆治アナウンサーの紹介だった。後に紅白歌合戦の司会などで大活躍する宮本アナウンサーは、北海道・帯広局が初任地だった。(NHKを退職してフリーになった宮本さんは今、民放の歌謡番組の司会や、テレビ東京の『和風総本家』などのバラエティー番組で活躍している)。

大学を卒業してNHKに入ったばかりの宮本さんは、帯広局でFMの番組を担当していた。「なんか面白いレコード、入ってませんか?」と、その番組の選曲のために毎日のように帯広駅前のレコード店サウンドコーナーを訪ねてくれた。

そうして、宮本アナウンサーは、わたしが主催する井上陽水や荒井由実やりりィ、浅川マキさん、そして浜田省吾のコンサートにデンスケを持ってやってきて、楽屋でかれらのインタビューを録って自分のFM番組で流した。後にも先にも、あんなに積極的で、仕事に一途な、熱烈アナウンサーはいない。(NHKだけじゃなく、当時、北海道の民放のディレクターやアナウンサーは、お願いしてもフォークソングやニューミュージックのコンサート告知などやってくれない。ましてやコンサート現場の取材など来てくれやしない。)

「足寄の”FMファンのつどい”で、おもしろい青年をみつけましたよ、ともみさん。コンサートの前座につかってみませんか?」と、宮本アナウンサーが足寄の青年・松山千春くんを紹介してくれた。

そのとき松山千春は、足寄高校を卒業してお父さんが主宰する新聞社を手伝っていた。 足寄の自宅に電話して、NHK帯広局のスタジオで会った。最初の印象は強烈だった。それは服装だ。鳶や土工の作業用のニッカズボンに地下足袋でスタジオに登場したのだ。歌った曲は、岡林信康の「チューリップのアップリケ」だったか? それと、高校を卒業をして間もないアマチュアだったが、いくつか印象的なオリジナルを持っていた。デビュー曲の「旅立ち」は、すでにこのとき歌っていた、ような気がする。

それから何度かわたしの主催するコンサートで歌ってもらった。最初は、帯広勤労者福祉センター(キンプク)だった。札幌の大学を卒業して帯広にもどっていた中島みゆきといっしょにキンプクに出演してもらったこともあった。松山千春のあとに中島みゆきが登場する‥‥‥今では考えられないことだろうね.。

 
 
 

 

    ノースプロダクション 宮本隆治 PROFILE  http://www.north-pro.com/talents/miyamoto_ryuji/

    日本コロムビア 松山千春オフィシャルサイト   http://columbia.jp/artist-info/chiharu/


ひさしぶりに青空

2017-08-24 | 日記・エッセイ・コラム

ひさしぶりに青空がでて、暑い。もちろんわたしは、若者のように強烈な陽射しの昼間に外を歩かない。

5時すぎて、明るい夕陽のなかを散歩にでた。暑いが、やはり夏はこれだ。蝉の声がうるさいくらいだが、8月はまったく夏らしくない梅雨の夏だった‥‥蝉も必死だろ‥‥‥頑張ってくれ‥‥。

街のなかの竹林。北海道から戻ったわたしには、これが懐かしく、なんとも新鮮な風景だ。(横浜市港北区日吉の、竹林に囲まれたマンションに住んでいた‥‥‥‥もう25年以上も前のこと‥‥)

 寺院の庭がじつに美しい。

 

 


1976年‥‥ジョー・コッカー『Stingray』

2017-08-23 | 日記・エッセイ・コラム

1976年といえば、『Stingray』、ジョー・コッカーかな‥‥。

酔って夜中に、九州の森本くんと電話で話していると、ジョー・コッカーが話題になる。と、決まって「『Stingray』は、いいアルバムですね」と共感し合う。

Stingray
 
 

わたしは、ジョー・コッカーがビートルズの ”With a Little Help from My Friends" をカバーして登場した年にレコード屋のあんちゃんになった。そのときからの熱烈ファンだ、じつは。はじまりは、1968年かな‥‥。

With A Little Help From My Friends
 
 
Mad Dogs & Englishmen (Dlx)
A&M
 

この『マッド・ドックス&イングリッシュメン』は、レオン・ラッセルがバンマス(つまりバンド・マスターね)のアメリカ・ツアーコンサート。2枚組のLPレコードでじつにエキサイティングな60年代の傑作ライブ盤だろう。

わたしは、キング・レコードから16mmの『マッド・ドックス&イングリッシュメン』のライブフィルムを借りて帯広で上映した。(まだMTVも放送前、民生用のビデオテープが普及してない時代だったが、アメリカやイギリスのアーティストのプロモーション映像が、16mmフィルムで日本のレコードメーカーに送られて来ていて、日本のレコード・メーカーはそれを死蔵していた。クリームとか、カーペンターズとか、シカゴとか、グランド・ファンク・レールロードとか、ディープ・パープルとか、CCRの、長いライブのフィルムを日本のレコードメーカーが持っていたのだ‥‥‥それを知ってわたしは、その16ミリフィルムを北海道・帯広で定期的に上映した‥‥”サウンドコーナー・ロック・フィルム・コンサート”だ。前売り入場チケットは、100円。でも‥‥「EP盤(シングル盤ね)を買ってくれると招待券を一枚プレゼント、LPにはペア―券をつけます! よろしくね!」と、このフィルム・コンサートを20歳から5年くらいやっていた。)

 

ジョー・コッカーが、3年前に亡くなったときは、悲しかった。レオン・ラッセルは、去年亡くなった。

   ジョー・コッカー 『Stingray』 A Song For You  https://www.youtube.com/watch?v=nnMX7pNMgDk  

 

ジョー・コッカーの「青い影」もいいよ。

   ジョー・コッカー  A Whiter Shade Of Pale    https://www.youtube.com/watch?v=hjBZllDo_8E

 

いまや何千とあるカバーの、「A Whiter Shade Of Pale  青い影」は、もちろんプロコル・ハルムがオリジナル、バッハ風のオルガンが強烈に効果的な曲だ。歌詞は、なんとも難解だ。「A Whiter Shade Of Pale  青い影」‥‥‥名曲だ。

   プロコル・ハルム A Whiter Shade Of Pale  青い影 (1968年)  https://www.youtube.com/watch?v=valL7JWjVB4  

 

     

   プロコル・ハルム  青い影 (2006年)  https://www.youtube.com/watch?v=075YC2aPuEA

  

   

   

 


やすおさんの商売繁盛を祈願して、鷲神社

2017-08-22 | 日記・エッセイ・コラム

ひさしぶりに空に晴れ間がでて、強烈に暑い日なので、陽が落ちた6時過ぎ外に出た。

8月になってずっと、梅雨のような雨の日がつづいていたが、やっと東京に夏らしさがやってきた。だが、立秋。やはり、日暮れが早い。

道ばたの草花に、つい見とれてしまう。両親の介護のために北海道に移り住んだ4年7ヶ月のせいで、新鮮な感覚で東京の路傍の草花を楽しむことができる。東京というか首都圏は、言わば亜熱帯気候の北限地だ。北海道・道東とはまるで植物相が違う。

とくに東京は、東京湾に黒潮が流れこむから温暖だ。真冬、都心でも薄氷が張る朝が数日あるが、東京湾深部の浦安で氷が張る日はまずない。ディズニーランドがあるのが、この浦安。

松尾芭蕉のバショウは、南方の植物、バナナの仲間だ。日本橋から深川に隠居したとき、弟子がバショウの木を庵に植えた。松尾桃青は、芭蕉を号にしたわけ。

 

 

足首に重りをつけて、道ばたの花をながめながら、鷲神社まで歩き、参拝した。

鷲神社(おおとり じんじゃ)は、商売繁盛に御利益がある、という神社。

 

昨夜、やすおさんから「お元気ですか」と、電話をもらったので今日は、鷲神社だ。やすおさんとは、帯広・旭楽器社長の田中康雄さん。

    帯広 旭楽器  http://www.asahigakki.jp/

やすおさんには、浜田省吾・北海道ツアーコンサートの、最初のドラマーをやってもらった。1976年(昭和51年)のことだ。

浜田省吾のコアなファンの人たちに、”帯広バンド” といわれる伝説のバンドらしいのだが、旭楽器のスタジオでリハーサルをかさねて函館にでかけた。函館・拓銀ホールでのジョニー大倉バンドの前座がツアーの一日目だったのだ。

この ”帯広バンド”、帯広・旭楽器スタジオでのリハのとき、浜田省吾のボーカルパートを歌ってくれたのが、帯広畜産大学の学生だった九州の森本裕二くんだ。本番前の三日間は函館・サウンドパパのスタジオで、東京からやって来た浜田省吾さん、町支寛二さんと ”帯広バンド” のリハーサルをかさねた。

今は昔‥‥‥遠い昔のはなしだ。

 

(なんと、九州の森元裕二くんは、今年3月20日、北海道・帯広での父の通夜に、ギターを持って参列してくれ、真夜中まで、自分のオリジナルだけでなくビートルズや浜田省吾を歌ってくれた。レコード屋の社長を送るにふさわしいお通夜だった)。

”大鳥”神社だが、この ”叶” と書かれた、”小鳥”がなんとも可愛い。

 

鷲神社の境内に、宝井其角、正岡子規、樋口一葉の碑が並んでる。

其角の句は、  

   春をまつ ことのはじめや 酉の市    

子規の句は、

   雑閙や 熊手押あふ 酉の市   (ざっとうや くまでおしあう とりのいち)

 

 

 

 

 

 

 

 

 


カワウソ、そして祖父

2017-08-18 | 日記・エッセイ・コラム

対馬でニホン・カワウソらしき動物が撮影されて話題になっている。

中学2年の時だから、もう50年以上も前のことになってしまう。北海道・帯広川でカワウソらしきものと遭遇したことがある。

柏林台の北側、西17条あたりの帯広川でウグイを釣って帰り、夕方、堤防を歩いていると前を奇妙な動物が歩いている。大きさは子犬くらいだが、犬とも猫とも違う。短い脚で、なんともピカピカの毛なみなのだ。尻尾も長くて太い。「なんだ? なんだ?」と、わたしはその動物の後をついてソロソロと歩いた。しかし、わたしの気配を感じたのか、その動物は振り向いて、アッという間に堤防の柳のヤブに逃げ込んで消えた。あのノロノロと堤防を歩いていた動物とは思えないほどの俊敏な逃げ足だった。

その夜、「川で変な動物にあったよ」と祖父に話した。祖父は、しばらく返事もせず、遠くを見るような感じで黙りこんでいたが‥‥‥「やっぱり‥‥いたか!」と言った。「それは、カワウソだよ」。

幼かった祖父が、両親に手を引かれて富山から北海道・芽室、伏古に開拓にきた当時(明治だ)、十勝川にも帯広川にもカワウソがいて、その毛皮は貧しい開拓農民にとって、いい現金収入になった、という。

「カワウソか、鯉、それが獲れると馬に乗って帯広まで売りにいったものだよ」「裸馬だよ、貧乏だから鞍なんてない」

その祖父、要籐電気社長・要籐文意は、継母の父だからわたしと血のつながりはない。しかし、ずいぶん可愛がってもらった。釣りのこと、電気のこと、自動車のエンジンのこと、その祖父から教わったことはあまりに大きい。

 

 

 


320円ラーメン

2017-08-16 | 日記・エッセイ・コラム

長く暮らした浦安(南行徳)に、250円ラーメンの店があって繁盛していた。年取ったおかみさんの手作りの餃子が、5個100円。真昼間から、その餃子を肴に飲んでるオッサンたちでカウンター席はいっぱいだった。しかし、突然、その古い店は壊され、マンションが建って、一階は花屋になった。花屋はすぐに店を閉め、わたしが母の看病のために北海道にいくときは、シャッターが閉まったままのマンション一階だった。

浅草6区の320円ラーメン。

おもしろいね。老舗の超高級の、寿司屋、うなぎ屋、天麩羅屋がひしめく浅草で、チープな飲食店もいっぱいある。

 


土砂降りだ

2017-08-15 | 日記・エッセイ・コラム

隅田川まで行こうか‥‥‥傘をさして言問通りを歩きだすとすぐに土砂降りになってしまった。国際通りのスーパーLIFEでワインを買って、さっさと帰ってきた。

言問通りの歩道にも、朝顔。

西浅草の路地。入谷鬼子母神・朝顔市の朝顔と浅草寺・ほおずき市のほうずきが雨に濡れている。


トニー・ベネットの Stranger In Paradise は、ロシアのボロディン

2017-08-14 | 日記・エッセイ・コラム

なぜか、突然、トニー・ベネットの歌う "Stranger In Paradise" が心に浮かび、この数日、その曲が頭から離れない。(だれもがきっと、そんな体験をしている‥‥‥なぜか、突然、ある曲がココロのなかに(頭のなかに?)登場して、何日もその曲が頭の中から離れない‥‥‥そんな経験はないだろうか?)

             トニー・ベネット&アンドレア・ボチェッリ      Stranger In Paradise  https://www.youtube.com/watch?v=WFrUsa5SUv0

デュエッツII
SMJ
 

この曲 "Stranger In Paradise" は、ミュージカル”kismet"(1953年)のなかの曲だが、トニー・ベネットのカバーがまずヒットした。1954年(昭和29年)のことらしい。

     トニー・ベネット  Stranger In Paradise https://www.youtube.com/watch?v=CGuIlbRBPvI 

 

 

もちろん、この曲のオリジナルは、ロシアの作曲家、アレクサンドル・ボロディン(1833-1887)のオペラ "Князь Игорь"(イーゴリ公)の「韃靼人の踊り」のメロディーだ。今いう、いわゆるパクリとはすこし違うようだ。最初からこのミュージカルは全編、ボロディンの "Князь Игорь"の曲をつかう、というテーマで制作されてヒットしたらしい‥‥‥‥。

     ボロディン  韃靼人の踊り  https://www.youtube.com/watch?v=2cQ_iYf1ai8 

 

     アイダ・ニコライチュク Улетай (Аудио) https://www.youtube.com/watch?v=mcAZrfarWFY

だったん人の踊り~ボロディン:名曲集
エーテボリ交響楽団,ボロディン,ヤルヴィ(ネーメ),ゴッティング(オウヴァ)
ユニバーサル ミュージック




 

 


秋かな

2017-08-14 | 日記・エッセイ・コラム

涼しい。夕暮れは、冷たい微風が吹いて細雨だ。8月になって毎日のように日暮れには細かい雨がふる。”雨”と言い切るより‥‥山の尾根を歩いているとき、谷から昇ってきた厚い雲のなかに入ってしまった、あの、雲のなかの冷たい霧雨の雰囲気だ。きょうも日暮れの東京スカイツリー、上部は雲のなかで見えない。

そんなスカイツリーを見ながら、足首にアンクルウエイトを付けて浅草を歩いた。