Ommo's

古い曲が気になる

浅川マキさんと食べた麻婆豆腐

2015-02-26 | 日記・エッセイ・コラム

 

 今日は酒の肴に麻婆豆腐を作った。

 

 1973年だろうか。東京・渋谷の表参道、浅川マキさんが住むマンションでのこと。(わたしは、浅川マキさんが、ビクターレコードから東芝EMIに移籍したときから6年か7年、北海道のプロモーターだった。札幌・道新ホールのコンサートは、じつは、帯広のわたしがプロモートしていた………札幌の人も、ましてや帯広の人たちは知らないことだろうが…………)

 わたしは、浅川マキさんの北海道コンサート・ツアーの打ち合わせのために部屋を訪ねていた。事務所を訪ねようと思ったのだが、部屋に来てくださいな、という。(そのマキさんが住むマンションの部屋が、マキさんの事務所だった。地下鉄・表参道駅から5分とかからない所だった)

「あなた、麻婆豆腐、好き?」
 事務所というより、女性が生活する自宅のリビングルームで、マネージャーの女性(お名前を明確に覚えているが、ここでは書かない)、そしてマキさんとコンサートの細部の具体的な打ち合わせをしていると、唐突にマキさんが、わたしに尋ねた。あなた、麻婆豆腐が好きか? と。

 曲順、照明、そんな仕事の話をしていたので、『えッ? 麻婆豆腐? 何のこと? 』と、咄嗟にその質問の意味を理解できなかった。

「あなた、マーボー豆腐、食べない?」と、もう一度訊かれた。「お腹、すいてない?」

 そういうことか。マキさんが麻婆豆腐を作るとは、思ってもみなかった。「はい、麻婆豆腐、好きです」、マキさんは、年上の、音楽界でのキャリアの長い人だ。わたしは25歳の駆け出しのプロモーター。企画を立てギャラを払う立場だが、わたしは山岳部、体育会系出身だ。 年上の人、キャリアの長い人には敬意をもち、最上級の敬語を使う。

『浅川マキさんが作る麻婆豆腐とは? これは、興味があるな』とも思った。

 

「麻婆豆腐、大好きです。お願いします………」

 すると、マキさんは、立って電話機をとり、「麻婆豆腐定食、四つ、お願いしますね」と、どこか近所の中華料理屋に出前を注文した。

 数十分後、出前の麻婆豆腐が届き、マキさんとマネージャーさんと、わたしと、そして、金沢のFOB企画の小杉社長と4人で麻婆豆腐&ライスを食べた。

 この日はじめて、金沢・FOBの小杉さんをマキさんに紹介していただいた。

 

 今、この浅川マキさんと麻婆豆腐との思い出を書くので、検索していて、FOBの小杉さんが亡くなっていたと知った。ご冥福をお祈りします。

 

 突然、公演先の名古屋のホテルで、浅川マキさんは亡くなった。2010年。急性心不全という……………。

 渋谷・表参道を歩くとき、麻婆豆腐を食べるとき、「あなた、麻婆豆腐、好き?」と言ってくれた、浅川マキさんを思い出す。

浅川マキの世界
EMIミュージックジャパン
EMIミュージックジャパン

 

 

 

 


枯れた柏の葉

2015-02-25 | 日記・エッセイ・コラム

 

 最近は、父の衣類の洗濯や掃除をすませて、午後早く買い物にいって、さっさと父の夕飯を用意して、自分の酒の肴を作って、さっさと二階に上がり、ワインを飲みながらユーチューブでロシアの映画を観る。

 2年と6ヶ月、毎日毎日、父のデタラメな生活時間にあわせて暖かい食事を用意してきた。しかし、もう、ヤメ。夕食は、夕方にテーブルに並べる。”何時に食べようがそっちの勝手、まぁ、好きにやってちょうだいな”。

 

 その父の夕飯を準備して、カメラを持って夕暮れの散歩にでる。もうこの町の、明るい色彩がない冬の景色にはウンザリだが、逃れようがない。

 

 柏の葉は、秋に枯れても枝から落ちない。冬の暗い景色のなか、雪のなかの、柏の枯れた葉が何故か好きだ。春、新芽が芽吹くまで、ずっとこの枯葉たちは枝にとどまっているのだろうか? その機能は何なんだろう?


『アメリカン・スナイパー』を観てきた

2015-02-23 | 日記・エッセイ・コラム

 

 映画館で、クリント・イーストウッド監督の『アメリカン・スナイパー』を観てきた。

 帯広にもどって2年8ヵ月、初めて映画館で映画をみた。

 長く住んでいた、東京メトロ東西線浦安から銀座まで20分くらいで出ていけるから、週に何度か日比谷や有楽町の劇場で映画をみていた。シニア料金になってからは当日券でも千円だ。仕事帰り、散歩の途中、映画館の看板をみて衝動的にみたりしたものだ。

 

 しかし、帯広にやってきてからは、映画館まで時間がかかる上に、観に行こうと思っていると、すぐに終わってしまう。

 市の中心にある映画館の近くまで、バスに乗るべきなのだろうが、1時間に2本しかないバス時間に生活を合わせるのも、かったるい。それに19時くらいが最終バスだから、早めに父の夕食を作ってからバスに乗って、夜の上映に出かけても、帰りはバスがない。タクシーか徒歩で帰ることになる。

 今日は、17時40分からの回にいったから、20時に終り、帰りは、凍てついた道を歩いて帰ってきた。足元がときどきスベるから、片道1時間半くらいかな。映画を観るために、往復3時間歩いた。映画鑑賞も、けっこう汗をかく。

 

 今、ここでは、この映画の内容に関しての感想は、やめておこう。封切りになったばかりだから、観てない人が多い。(それに、ネットには、プロ・アマチュアさまざまな人たちの映画評論があるのじゃないかな。わたしは、封切り映画をみる前に、そうした記事をいっさい読まない……その映画の公式サイト以外………)。

 

 この映画は、イラクで戦った実在のスナイパー、クリス・ケイルの自叙伝が原作だ。その本が、くしくも今日、エアーメールで届いた。17日に発注したから、ちょうど1週間で United Kingdom の書店から、北海道・帯広のわたしのもとに届いたわけだ。ネットの時代は、便利だね。中古本というので安いのだが、まったくの新品だ。だれもページを切ってない本だ。送料含めても、東京の大きな書店の洋書売りで買うより安いのじゃないだろうか。(このアマゾンの本は、ドイツ語版のようだが、わたしが買ったのは英語版、表紙はまったく同じ)。

 

American Sniper: Die Geschichte des Scharfschuetzen Chris Kyle
Scott McEwen
Riva Verlag

 


とどめを刺す

2015-02-22 | 日記・エッセイ・コラム

 

 わたしは、小さい時から父親のハンティングや、釣りに付き合っていた。

 半矢の鳥、その首を折る。それが、小学生のときから、わたしの仕事。

 「はん矢」の鳥とは、四足の動物で例えると、片方の足を撃たれたようなもんだろか。致命傷ではない。だが、落ちる。

 

 わたしの父は、飛んで落ちた半矢の鴨を自分の手で殺せない。10月、刈った田んぼを走って逃げる鴨を、また散弾で撃つのだ。3号弾で。

 最低だ。

 乾いた田んぼを走る鴨は、至近距離から散弾で撃たれ、ミンチになって、霧散する。

 醜悪な光景だ。

 

 わたしは、父が撃つ前に、乾いた田んぼを走り、半矢の鴨を追う。そして、首を折る。

 

 わたしは、あまり好きじゃないハンターのひとりが、わが父だ………。

 わたしは、鴨の半矢の首を折る。父が、できないからだ。

 わたしは、自分で撃ったものは、自分で解体して、食う。それだけ。

 

 父は、解体もしないから、鴨も兎も、鹿も、子供のときからわたしが解体して、わたしが食べた。

 父は、もちろん、絶対に食べない。自分で釣った魚も、食べない。

 

 わたしは、食わないものは、撃たない。

 撃ったら、とどめを刺して、食う。

 それだけ。


有森さんは、すごい

2015-02-21 | 日記・エッセイ・コラム

  東京マラソン第一回、わたしは、雨のなか、日本橋のぺんてるビル前で、ゲストランナーの有森裕子さんを待っていた。

  寒い小雨のなか、やってきた有森裕子さんは、まぁ、カッコイイ。オリンピック、2大会のメダリストの、その走る姿は………ほんとうに、シビレる。

 

  ロシアのエゴロアとの死闘は、マラソンの歴史に永遠に残る、死闘だろうな。凄いは!

  わたしは、有森さんを心から尊敬している。マラソンが好きなんだ、とにかく。

 

 


ニューヨークも帯広に並んだか………

2015-02-21 | 日記・エッセイ・コラム

 

 アメリカの寒波は凄まじく、ニューヨークは、昨日、氷点下16.6度になったという。これは記録的な最低気温という。

 ニューヨークも、やっと北海道・帯広と肩を並べるようになったか! 帯広は、先週2月11日、氷点下18度だった。これはまだ甘い。最近は、昔のように氷点下25度になったりする。

 今日は暖かく、最低気温は氷点下9度、昼の最高気温は、プラス2度。隣の人と「暖かくなりましたね」と、挨拶をかわした。気温2度で……………今日は暖かいですね………なのだ、帯広の冬は……。

 しかし、十勝のなかでは、マイナス35度やマイナス40度までに気温が下がる、陸別や小利別と、まるで勝負にならない。わが帯広はまだまだ、甘い、といえるだろう。

 これらの北十勝の町だけでなく、平野の比較的南部の幕別町糠内あたりも強烈に寒い。

 


山口の木村さんから猪の肉が……

2015-02-19 | 日記・エッセイ・コラム

 

 山口県の木村喜代子さんから、猪の肉を送っていただいた。旦那さんがハンターという。

 レシピに手書きの説明もあって、じつに、ありがたいことです。

 早速、冷蔵庫で時間をかけて解凍して、あすは、ぼたん鍋。

 

 山口の木村さんとは、わたしがブログをはじめたばかりだったか、5年ほど前に知り合うことができた。

 

 

 

 

 

 


内科の先生の往診、初日

2015-02-18 | 日記・エッセイ・コラム

 

 今日、内科の先生にお願いした、父の往診の初日だった。

 長い間、主治医の先生から、父は、血圧降下剤を処方してもらっているが、受診に行かない。

 (と、2年半まえに帰って知った)

 母が、泣いて処方箋を書いてもらったという。

 母が亡くなって、その役をわたしがやっていた。

 

 半年に一度くらい、「病院に行かないと、もう、血圧の薬はもらえないよ!」と、おどして、やっと、昼夜逆転生活の父を、 病院まで連れていった。 

 だが、薬が切れそうになっても、父は、病院に行こうとはしない。「寒い!」と。

 「今週、病院に行こうか?」と、わたし。

 「俺が、行くのか!」と、父が怒鳴る。

 

 だれの薬なんだよ、と、わたしは思う。なんで、わたしが? 人の薬や健康を気づかって、人に怒鳴られなきゃならんのだろか?

 

 

 わたしは、父に手紙を書いた。難聴の父とは、日常、ホワイトボードの筆談だ。毎日日常的に、のど壊すくらいの大声で、人と会話をしたくないだろ。

 わたしは、大声出すのは、ゴメンだ。補聴器を使えよ! と、わたしは、父に書く。母が買った補聴器を、「ワンワンと、うるさい」と、一度使ったきりで、母が買ったその高額の補聴器を使わない、という。

 

 ”自分自身の血圧の薬だろ。なんで、自分で受診して、薬をもらいに行かないんだ? 末期ガンのガラガラになった、あの母は、自転車に乗って病院にいって、泣いて処方箋を書いてもらっていた、と、母の妹から聞いた。よくも、まあ、57年もつくしてくれた女性に、そんな酷なことをやらせるな! 余命宣告を受けた、劇ヤセ、骨皮に衰退した人だぞ”と、帯広に帰ってきて、父に対する怒りは、憤怒だった。いまも、父に対する、その怒りは今も変わらない。よくも、あんな弱った母を…………。

 ”母にタクシーを呼んでもらって、病院に行って、自分で受診してもらって、大事な自分の血圧降下剤を処方してもらって、隣の薬局で、待って薬をもえばいい、それだけだろ”、と、わたしは、憤怒だわな、あの末期ガンの母さんに、よくもやらすよ! めんどうなことは、50年以上も、妻がやり、今は、わたし、次男がやる。”俺が家長なんだ、家長につくす、それがとうぜん、だろ” と、一昨日、言葉にだして言った。

 まあ、悲しいわな……………。

 

 

 

 

 


あすは、古村さんのライブ”疑惑の吹き語り”

2015-02-12 | 日記・エッセイ・コラム

 

 きのうも、一日、雪。雪、雪、雪。

 毎日、雪だ。

 

 今朝は、7時から3時間の雪かきだった。(わたしの雪かきは、徹底している。むかしレコード屋、商人だったから、店先を綺麗にする、という習性なのか……ひどく、小さい店だったのだが………)。その悲しき習性で、雪かきは徹底しないと気がすまない。

 そして、日暮れ。雪道の散歩にでると、また雪がちらついてきた。西の日高山脈から平野に向かって低い雪雲が流れてきている。強い西風にのって、山脈から雪が吹いてくる。

 

 あすは、帯広のブルースハープで、古村敏比古さんのライブ ”疑惑の吹き語り” がある。強烈な低気圧が北海道に接近してる。あすが、荒れなければいいのだが…………

 


余市 山本商店さんからお礼のコメントが

2015-02-11 | 日記・エッセイ・コラム

 

  以前、余市・山本商店さんの『子持ち鰊』の写真をアップした。そのお礼のコメントをいただいた。ありがとうございます。

 これはまた買わねばならん。じつに美味しいのだ。ワインにもよく合う。

 

 今夜の酒の肴は、生のタラコと、つきこんにゃくを甘辛く煮た、北海道定番の家庭料理。酒の肴にも飯のおかずにもなる。

 東京にいた時も懐かしくて食べたいな、と思ったが、わたしの住んだ界隈のスーパーで、生のタラコをみつけるのが困難だった(築地かなんか、行くところに行けば、手に入るのだろうが)。もちろん、塩をしたタラコや明太子は、どこのスーパーにもある。だが、わたしは、生の真たら子じゃなきゃだめだ、と固く信じていた。

 しかし、北海道に戻ると、冬、この”生真たら子”が信じられないほど安く売っているではないか! このタラコと、つきこんにゃくの醤油煮が、子供ときから、よく我が家のテーブルにのったわけが分かった。食材が安い。そして出来上がったものは、美味い。こんにゃくで、ある程度のボリュームがある。

 亡くなった母が(生母も継母も)、この料理が好きで、わたしも父も「今夜は、外食するよ」といった夕飯に、母は、自分のためだけに”真たら子&つきこんにゃく”をおかずに作っていた。わたしは、深夜にもどって、その残りものの”真たら子&つきこんにゃく”を肴にまた酒を飲みはじめる。母は起きてきて、そうした肴をいろいろ出してくれたものだ。(大学を中退して帯広にもどり、レコード店のサウンドコーナー駅前店をはじめたばかりのころ、まだ独身だったころのこと)。

 わたしは、なんど作っても、到底、母のあの味を再現することができない。あれは、うまかった。

 

 

 『永久保存版 高倉健』が、2月9日に発売になった。

 近所のスーパーマーケットに出店している書店で、週刊文春の告知記事をみせて、「この本、入ってますか? 9日、発売なんですが………」と、尋ねた。店員のおねえさんは、不機嫌な表情で、「まだですね」と、おっしゃった。

 「あ、そうですか……」

 帰ってきて、アマゾンに注文をした。

永久保存版 高倉健 1956~2014 (文春MOOK)
文藝春秋
 

ジャニス・ジョップリンが死んだ、と知った夜

2015-02-11 | 日記・エッセイ・コラム

 そのむかし、ジャニス・ジョップリンが亡くなった、と知った夜、わたしは、荒れたな。

 わたしは、レコード屋になったばかりだった。

チープ・スリル

ソニー・ミュージックレコーズ
ソニー・ミュージックレコーズ

 おそらく、北海道では、帯広の、わたしの店、サウンドコーナー駅前支店が、このCBSソニーの”チープ・スリル”を最高に売ってたんじゃないのかな。

 


ハーフムーン

2015-02-11 | 日記・エッセイ・コラム

 

 父の介護認定の更新手続きとか、往診の依頼手続きとか、今日は、午後、動きまわった。

 嫌がる父親を病院につれていくのはヤメにした。往診をしてもらって、薬を処方してもらう。

 そう、決めた。

 

 介護にまつわる悲劇的ニュースがある。介護の終末はわかっている。まあ、だれもいつか死ぬ。だが、その終わりの時がいつになるか分からない。と、いうのが介護のストレスなのだな。なにより、金銭のことが、最大のストレスだろ。お金だ。

 

 いま、親の下着を洗ったり、汚れた便器やトイレの糞まみれの床を掃除する。嫌々でもやっているのは、わたしがガキのとき、親に、おしめをかえてもらった恩がある。産まれたばかりのガキのわたしが、糞・小便たれながしていたとき、この父は、けっしてやらんだろうが、だが、生んでくれた母さんは、寝る時間もなく、乳をくれ、糞まみれのおむつを替えてくれたんだ。

 わたしは、中学生でも、”寝ションベンたれ”、強烈な夜尿症だった。継母は、わたしを叱ったことは一度もない。なにも言わず、わたしの布団を干してくれた。その育ててくれた母の恩がある。それだ。それだけで、父が汚した糞まみれのトイレの床をふく、その意味がある。二人の、母の恩だわな。

 

 窓を開けると、半月。明るいハーフムーンだ。

 ジャニス・ジョップリンの”ハーフムーン”がいいね。

 

https://www.youtube.com/watch?v=dFCpaDEM3Mc

パール
Sony Music Direct
Sony Music Direct