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古い曲が気になる

1970年代、帯広はとてもおもしろかった

2016-01-23 | 日記・エッセイ・コラム

 

 昨日は、宮坂建設社長の宮坂寿文さんが、じつは素敵なギターを弾く人だよ、と紹介した。全国的にも名の通った、帯広・十勝有数の会社の社長が、じつは、ロック、ブルースの凄いギタリスト、とは何とも愉快じゃないか。これこそまさに、”文化都市・帯広”ではないか。

 1970年代、帯広の音楽状況は、とてもおもしろかった。高校生の宮坂くんや磯部優くんがバリバリのブルースをやっていて、中島みゆきさんが札幌の大学を卒業して帯広にもどり、”黙示録”などのお店で歌っていて、足寄の松山千春さんはSTVラジオの土曜日のパーソナリティーになり、毎週番組が終わって札幌からの帰り、わたしの事務所で足寄行の汽車待ちをしていた。
 そして、NHK帯広局に、宮本隆治アナウンサーがいた。宮本さんのFM番組で、アマチュアの中島みゆきさん、松山千春さんを出演させていた。
 さらに、九州の森本裕二くんが帯広畜産大学の学生さんで、ガットギターを弾いてオリジナルを歌っていたのだ。
 足寄の高校生ヒロリン(佐野さん)、彼女が作る曲も、その歌唱表現も好きだった。才能ある人だな、と、直感した。

 そして、ドリカムの吉田美和さんは、帯広の隣、池田町の人だ。わたしはお会いしたことはない。でも、中学生や高校生のとき、サウンドコーナーでレコードを買い、わたしが帯広市民会館や帯広勤労者福祉センターで主催する、荒井由実や浜田省吾のコンサートを観に来てくれたのではないだろか。

 この時代、わたしが、帯広市民会館と帯広勤労者福祉センターを使って主催したコンサートに出演したアーティストは‥‥‥モップス、吉田拓郎、井上陽水、荒井由実、ダウンタウン・ブギウギ・バンド、浜田省吾、矢沢永吉、長谷川きよし、来生たかお、泉谷しげる、高田渡、ケメ(佐藤公彦)、遠藤賢二、及川恒平、チューリップ、海援隊、RCサクセッション、五つの赤い風船、古井戸、バンバン、リリィ、浅川マキ、高橋真梨子、五輪真弓、イルカ、立原累、とみたいちろう、佐渡山豊。そして、アマチュアの森本裕二、中島美雪、松山千春、ヒロリン(佐野裕美)、住吉徹、‥‥そのほか多数の地元のミュージシャンが前座で歌った。

 

 

 帯広三条高校の小さい川で白鳥を見た。それで、夕暮れに再び出かけてみた。(雪道、アイスバーン。ツルツル道で、氷点下の強風。けっこうハードな散歩なんだよ)。

 白鳥はまったくいなかった。しかし、雪の中に踏み跡がある。わたしの推理では、朝、この流れに白鳥がいて、餌をやる人たちの足跡だろう。「朝か‥朝。朝来るのは、無理だな‥‥深夜に活動する父の飯の支度で、こっちも午前中寝込んでる」

 

 白鳥を見ることはできなかったが、月見ができた。なんとも寂しい光景だが、これも美しいじゃないか、と、暗くなるまで帯広三条高校の北の橋の上に立っていた。


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