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古い曲が気になる

1970年は「雨にぬれても」から

2020-01-02 | 日記・エッセイ・コラム

ちょうど50年前の正月、1970年最初の全米ナンバー1は何だったのか? それは映画『明日に向かって撃て』の挿入歌「雨にぬれても Raindrops Keep Fallin' on My Head」だった。歌ったのは、B.J.トーマス。バート・バカラック/ハル・デヴィッドの作品だ。


「わが心のジョージア」、「ケンタッキーの青い月」

2019-12-25 | 日記・エッセイ・コラム

「恋はフェニックス」「ウイチタ・ラインマン」「ガルベストン」、「霧のサンフランシスコ」「夢のカルフォルニア」「霧のロンドンブリッジ」「ケンタッキーの青い月」、タイトルに地名が入ったご当地ソングは数あるが、レイ・チャールズが歌った「わが心のジョージア Georgia on My Mind」は1960年11月の全米ナンバー1の大ヒット曲。作曲はホーギー・カーマイケルで1930年に発表され、レイ・チャールズの前に多くのカヴァーがあるスタンダードだった。


「ケンタッキーの青い月 Blue Moon of Kentucky」は、ビル・モンローが作り1946年にレコーディングされた。1954年にはエルビス・プレスリーがカヴァーしてこれもヒットした。ポール・マッカートニーがジョージ・ハリソン、リンゴ・スターと「ケンタッキーの青い月」を演奏している映像がある。








「恋はフェニックス」もジミー・ウェッブの作品

2019-12-22 | 日記・エッセイ・コラム

グレン・キャンベルが歌ってヒットした「恋はフェニックス」「ウイチタ・ラインマン」、そして「ガルベストン」もまたジミー・ウェッブの作品。「恋はフェニックス By the time I get to Phoenix」のフェニックスは、不死鳥ではなくアリゾナ州フェニックスのこと。そしてウイチタもガルベストンもアメリカの地名。

フィフス・ディメンションの「Up,Up and Away」は、1967年のヒット曲

2019-12-21 | 日記・エッセイ・コラム

1967年、フィフス・ディメンションの「ビートでジャンプ Up,Up and Away」は、グラミー賞の5部門で受賞をした。作詞・作曲は、ジミー・ウェッブ。







「星空のふたり」、元フィフス・ディメンション

2019-12-21 | 日記・エッセイ・コラム

「星空のふたり You Don't Have to Be a Star(To Be in My Show)」(1977年1月全米1位)を歌ったマリリン・マックーとビリー・デイヴィス・ジュニア夫妻は元フィフス・ディメンション。フィフス・ディメンションは、1969年に「輝く星座(アクエリアス)」と「ウエディング・ベル・ブルース」(作詞作曲ローラ・ニーロ)、2曲の全米ナンバー1の大ヒットがある。







「ア・ソング・フォー・ユー」と「ハミングバード」

2019-12-17 | 日記・エッセイ・コラム


1972年にカーペンターズが歌って大ヒットした「ア・ソング・フォー・ユー」は、レオン・ラッセルの曲。1969年にレコーディングされたアルバム『Leon Russell』には「ア・ソング・フォー・ユー」、そしてB.B.キングがカバーした「ハミングバード」が収録されている。







レオン・ラッセル
ユニバーサル ミュージック

ロイ・オービソンの「Oh,Pretty Woman」はイギリスでも大ヒットした

2019-12-11 | 日記・エッセイ・コラム


テレビCMのバックに「おお、プリティ・ウーマン」のカバーが流れる。オリジナルはロイ・オービソン、1964年秋の全英、全米ナンバー1の大ヒット曲だ。

「おお、プリティ・ウーマン Oh,Pretty Woman」がヒットした1964年とは、ビートルズが世界中のヒットチャートを席巻した年。「おお、プリティ・ウーマン」の直前の全米1位は、アニマルズの「朝日のあたる家」。

1964年6月、ロイ・オービソンの「イッツ・オーヴァー」が全英ナンバー1になり、10月には「おお、プリティ・ウーマン」が全英1位になった。ロイ・オービソンはアメリカだけでなくイギリスでも人気が高かった。(1963年リリースの「ブルー・バイユー」は、アメリカで29位だが、イギリスで3位、アイルランドとオーストラリアで1位)。

1977年、リンダ・ロンシュタットが「ブルー・バイユー」をよみがえらせ(アルバム『夢はひとつだけ Simple Dreams』)、1982年にはヴァン・ヘイレンが「おお、プリティ・ウーマン」を再びヒットさせた。そして映画『プリティ・ウーマン』(1990年)ではロイ・オービソンのオリジナル・ヴァージョンが主題歌に使われた。





エッセンシャル・ロイ・オービソン
BMG JAPAN


夢はひとつだけ
ワーナーミュージック・ジャパン

「スーパースター」のオリジナルは、デラニー&ボニーの「Groupie(Superstar)」

2019-12-09 | 日記・エッセイ・コラム

「スーパースター」を最初に聴いたのは、ジョー・コッカーのアメリカツアーのライブ盤、LP2枚組の『マッド・ドックス&イングリシュメン』(1970年)だった。バックコーラスのリタ・クーリッジが1曲だけソロで歌う。それが「スーパースター」だった。翌1971年、カーペンターズがカバーして世界的に大ヒットする。日本でもよく売れた。

オリジナルはデラニー&ボニー、1969年、シングル「カミン・ホーム」のB面で発売されたときのタイトルは「スーパースター」ではなく、「グルーピー(Superstar)」だった。作詞・作曲はレオン・ラッセルとボニー・ブラムレット。







Mad Dogs & Englishmen [12 inch Analog]
Music on Vinyl Nl

イーグルス「ならず者 Desperado」

2019-12-07 | 日記・エッセイ・コラム

イーグルスの「ならず者 Desperado」は、1973年のセカンドアルバムからのシングルカット、リンダ・ロンシュタットのカバーも同年のリリースだった。「ホテル・カルフォルニア」が大ヒットするのは1977年のこと。



Desperado [LP]
Asylum

CSN&Y『デジャ・ヴ』

2019-12-03 | 日記・エッセイ・コラム

クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングのアルバム『デジャ・ヴ』もよく売れたLPレコードだった。それは1970年のこと。サイモンとガーファンクルのアルバム『明日に架ける橋』、そしてポール・マッカートニーの最初のソロアルバム『マッカートニー』もまたヒットしていた。



DEJA VU デジャ・ヴ [12" Analog LP Record]
ワーナー・パイオニア


Bridge Over Troubled Water 明日に架ける橋 [12" Analog LP Record]
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ポール・マッカートニー[Analog]
Universal Music =music=

ニール・ヤングのアルバム『ハーヴェスト』は、1972年リリース

2019-12-02 | 日記・エッセイ・コラム

ロバータ・フラック「愛は面影の中に The First Time Ever I Saw Your Face」、アメリカ「名前のない馬 A Horse With No Name」、ドン・マクリーン「アメリカン・パイ」、ギルバート・オサリバン「アローン・アゲイン」、ニルソン「ウィズアウト・ユー」、マイケル・ジャクソン「ベンのテーマ」、チャック・ベリー「マイ・ディンガリン」、そしてニール・ヤングの「孤独の旅路 Heart of Gold」、これらは1972年の全米ナンバー1の曲。ニール・ヤングのLP『ハーヴェスト Harvest』がよく売れた。



Harvest [12 inch Analog]
Reprise / Wea

チャイ・ライツ「オー・ガール」

2019-12-01 | 日記・エッセイ・コラム

チャイ・ライツの「オー・ガール Oh Girl」は、1972年のヒット曲。1990年のポール・ヤングのカバーもヒットした。



Greatest Hits
Rhino / Wea



キャロル・キング、ジェームス・テイラー、そしてダニー・オズモンド

2019-11-30 | 日記・エッセイ・コラム

1971年、キャロル・キングのアルバム『つづれおり Tapestry』が爆発的に売れ、シングルカットされた「It's Too Late/I Feel the Earth Move」とジェームス・テイラーがカバーした「きみの友だち You've Got a Friend」が全米ナンバー1になった。そればかりでなく、1962年にキャロル・キングとジェリー・ゴフィンが作ってスティーヴ・ローレンスの歌で大ヒットした「Go Away Little Girl」、この曲をダニー・オズモンドが再びレコーディングしてこれも全米ナンバー1になった。つまりこの1971年、キャロル・キング作曲の3曲が異なったアーティストの歌で全米1位になったわけ。

『つづれおり』は、わたしの店で70年代を通して売れ続けた。





つづれおり(完全生産限定盤) [Analog]
SMJ



「メロディ・フェア」が主題歌、映画『小さな恋のメロディ』も1971年の公開

2019-11-29 | 日記・エッセイ・コラム

ビージーズの歌が全編に流れる映画『Melody』は、日本で『小さな恋のメロディ』と邦題がつけられて大ヒットする。これも1971年のこと。日本ではサントラ盤のシングルとLPが爆発的に売れた。テーマ曲「メロディ・フェア」がシングルカットされたのは日本だけだった。B面が「若葉のころ First of May」。(映画封切り当時サントラ盤を買った、あの中学生や高校生のお客さんは、いま60代だろうか)。のちに監督として成功するアラン・パーカーが原作・脚本。本国イギリスとアメリカではヒットしなかったが、日本とラテンアメリカ諸国で大ヒットした。日本で主演のマーク・レスターの人気はすさまじかった。





小さな恋のメロディ[ザ・ビー・ジーズ][EP盤]
日本グラモフォン



ビージーズの「How Can You Mend a Broken Heart(傷心の日々)」は1971年

2019-11-28 | 日記・エッセイ・コラム

1971年8月、ビージーズの「傷心の日々 How Can You Mend a Broken Heart」が全米1位になった。これがビージーズの9曲ある全米ナンバー1の最初だった。この曲は多くのカバーがあるが、映画『ノッティングヒルの恋人』(1999年)のサントラにはアル・グリーンのヴァージョンが使われた。







TIMELESS: THE ALL-TIME GREATEST HITS [2LP] [12 inch Analog]
CAPITOL RECORDS


Let's Stay Together (Ogv) [12 inch Analog]
Fat Possum [Old]