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古い曲が気になる

似内清高くんと田中やすおくんが、厳冬期、札幌・帯広を歩いた

2009-07-01 | 日記・エッセイ・コラム

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 昨日、新橋で似内清高くんと待ち合わせていた。ちょっと長く歩くことになるが、日本橋で地下鉄をおりて、銀座・中央通りを歩いた。ウインドをみるのがたのしい。いちばん気に入ったのは、この資生堂・銀座店のリップ・スティックだった。これ全部、口紅。なかなか衝撃的に美しい。

 

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 銀座の七夕飾りは、小さく清楚で、涼しげだ。

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 山野楽器店頭は、福山雅治大会。きょうニュー・アルバム「残響」が発売なのだ。

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 銀座ヤマハは、新ビル建設中で休業していた。

 似内清高くんと田中やすおくんが、厳冬期、札幌から帯広まで歩いてきたのは、1977年(昭和52年)のことだった。大学の卒業記念になにか一生の記念になることをやりたい、と言いだしたのは、田中やすおくんだ。卒業記念にスカンジナビア半島を縦断した冒険家の先輩がいた、という。その影響なのか?

 札幌・帯広間を歩くことが、冒険かどうかべつにして、気持ちはわかる。スカンジナビア半島縦断のパロディーとしては、十分笑える。そうして、この冗談に共感して、似内清高くんが、同行することになった。

 当時、JR中央線・荻窪周辺に、帯広出身の大学生たちが集まってきていた。高橋文介さん、菅野さん、坂下くん、似内清高くん、宮坂くん、そして、ヤマハ・ブラザーズの田中やすおくんとみのるくんだ。測量専門学校に通っていた塚谷敏範くんも清高くんとおなじアパートにいた。みんな中学、高校のときから、わたしのレコード屋のお客さんたちだ。

 浜田省吾さんがデビューした1976年のこと、わたしはレコード・メーカーのコンベンションのために上京した。上に書いた帯広出身のみんなが荻窪の居酒屋に集まってくれた。てつやくんと門脇優くんも参加してくれた。その居酒屋、その日はマグロ・ディーだった。マグロが安かったのだ。そこに、浜田省吾さんがひとりで来てくれた。浜田さんは、二軒目のカフェバーにもきてくれて、終電までわれわれ帯広出身者の飲み会につきあってくれた。(このことは、前にも書いたが)。

 そんな帯広・荻窪仲間のいきがかりで、清高くんがサポートすることになった。似内清高くんと田中やすおくんの、札幌・帯広間徒破の、大冒険は、3月の厳冬期に決行された。これが予想に反して大冒険になったのだ。(つづきは、あす書こう)。

 昨年、レス・ポールのドキュメンタリー映画をいっしょに観たあと、飲んでいると、敦賀浩隆くん(元キャデラックスリム)が、「ダニー・ボーイ」っていい曲ですね、といった。たしかに、とんでなくいい曲だ。

 日本では「ロンドンデリーの歌」というタイトルでも知られている。ロンドンデリーとは、北アイルランドの地方のことだ。イギリスのロンドンとは違う。イギリスの植民地の北アイルランドの地名だ。

 「ダニー・ボーイ(ロンドンデリーの歌)」は、北アイルランドの民謡だ。採譜されて譜面が本にのったのは、1855年のこと。大飢饉でアメリカに渡ったアイルランド移民たちから、故郷をしのぶ曲として国家のように愛された。現在よく歌われる歌詞は、1913年につけられた。

 わたしは、ハリー・ベラフォンテの歌で「ダニー・ボーイ」を知った。1950年代、黒人たちが好んで、この「ダニー・ボーイ」をとりあげたのは、イギリスに支配されている北アイルランド人に対するシンパシーがあったからだろうか?

 アラン・パーカー監督の、アイルランド、ダブリンが舞台の音楽映画「コミットメン」のなかに、『アイルランド人は、ヨーロッパのニガー(黒人)だ』という主人公のセリフがある。

 ドゥー・ワップ・グループらしい「ダニー・ボーイ」を。

  ザ・ラークス Danny Boy   http://www.youtube.com/watch?v=le_aVQTAKyY

 もうひとつ好きな「ダニー・ボーイ」がある。イギリス映画「ブラス!」のなかの、ブラス・バンドの「ダニー・ボーイ」だ。映画は、閉山になる炭坑の、炭坑夫たちのブラス・バンドのつらい話だ。http://www.youtube.com/watch?v=6F5vBsY9VZ8&feature=PlayList&p=19C53E243F9D9654&playnext=1&playnext_from=PL&index=39


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