ファンタジアランドのアイデア

ファンタジアランドは、虚偽の世界です。この国のお話をしますが、真実だとは考えないでください。

宗教において心を支配する仕組み アイデア広場 その231  

2017-10-15 19:27:34 | 日記
 

 西洋には、エリートの歴史と文化が厳然として残っています。古典復興としてのルネサンスは、多くの芸術家を輩出しました。彼らの描く絵画は、ギリシャ文化やキリスト教の知識がなければ、その良さが分からないものです。古典文化は、多神教的な神話の世界を基礎にしていました。多神教と唯一神のキリスト教とは、相容れないものでした。神話世界を聖書世界のなかに無理やり融合させることに、ルネサンス文化の本質があります。当時の貴族や新興商人は、両者を同時に満たすため非常な努力を強いられました。相容れないものを昇華しながら、上流階層に属する人達は知識や文化を高めて行ったのです。中世社会では、ユダヤ人はとして低い地位にいました。でも、ユダヤ人であるダビデは、古典的身体の理想とされていたのです。そこに昇華の事例を見たように思います。
  そこで、西洋における清濁を併せ持つエリートの存在をほんの少しだけ調べてみようと考えました。西欧を知る上で、カトリック教を理解することが重要です。キリスト教は「食べた」ことが原罪とされる宗教です。アダムとイヴは神の禁じた知恵の実を食べました。そのために、神の怒りに触れてエデンの園を追放されるわけです。中世の西洋は、貧しい国でした。冬のあいだは牧草が育たず、まぐさ秣に限りがあり、家畜を育てることができなくなります。秋になると、繁殖用のものを残してほとんどの家畜がされ、肉は塩漬けにされました。冬の間の食料になったわけです。レント(受難節)の断食が、食糧の蓄えの不安になるころと重なっていたのはそれなりの理由があったのです。このレントから復活祭が過ぎるころになると、肉もバターもチーズも卵も不足する時期になっていました。余談ですが、イスラム教にも断食のラマダンがあり、キリスト教にもレントがあることに、類似の教義が信仰されていることに驚を改めて感じました。
  厳しい庶民の生活とは別に、修道院は世俗から離れて豊かな暮らしをしていたのです。修道院は、聖なる教義を守るために組織された集団です。修道院は、キリスト教の権威を高める仕組みを考え出しています。民衆が自発的に支配構造に入るようにしなければ権力を維持できません。完全に支配しようとすると、民衆は抵抗します。自発的に、支配の構造に入るようにするわけです。宗教組織は、信者が自発的に支配の構造に入る仕組みを整えます。その道具が、教会であり、教会を飾る絵画や彫刻、そしてステンドグラスでした。
  支配者は、心の中まで支配しようとします。でも、心の中までは見えません。見えるところで支配することになります。動作です。修道女の動きは、手を握り、前を向いて歩きます。その動きは、パターン化されています。それが、支配の完成した証になります。日本でも、小笠原流には、武士道や儒教の仕草が内在しています。その仕草が、封建制度を支える従順な精神を示すものだったのです。西洋には騎士道があります。その仕草が、支配を受け入れ、下位の民衆を支配していく仕組みを形づくったともいえます。仕草が、マナーとして確立されていきます。洗練されたマナーは、エリートの証ともいえるものです。と同時に、あるものに支配される表れでもあったのです。