書くことは、言葉を用いた遊びの要素を持っていました。書くことは面白く、楽しい行為です。その心地よさは、スポーツのように本気にさせるもの持っています。書くことで明確になる心地良さがあります。その先には、分かっていくという面白さがあります。さらに、書いたものを誰かに読んでもらうことができれば、この楽しさや面白さは倍増していきます。
そこで、文章を書くことの楽しさや面白さに迫ってみました。文章を書いて仕上げに段階になると、不満が残ります。「もうちょっと、何とかしたい」という気持ちが湧いてくるのです。どんなに完璧に仕上げても、この気持ちを抑えることができません。文章を書いていると、習慣的事柄とは別のものを見つけてしまうのです。断片的で一見価値のない事柄が、瞬時に価値ある情報に変えてしまうのです。もう少し深掘りすれば、より価値ある情報を探り当てるのではないかという期待です。情報は一つではなく、いろいろ出てくるのではないかという欲なのかもしれません。
単に書くだけならば、書きっぱなしや垂れ流しになります。文章を書き始めると、書き手は文章の暴走を止めることができなくなります。書くことを続けるならば、自分自身の文章を定期的に読み返すことが良いようです。自分が書いた文章を、他人はそう簡単には分かってくれないものです。分かってもらう気持ちがあるならば、正しい言葉を正しい順序で並べることが礼儀です。その確認は、常にすることになります。
抽象度の高い文章は、気品があります。この気品ある文章を皆さんに分かってもらうためには、具体例があるほど説得力が増します。主張や意見は、抽象度が高いほど良いようです。現代について主張したければ、過去との比較をすれば分かりやすくなります。抽象と具体とをバランスよく繰り返す文章が、論理的で分かりやすい文章になります。良い文章とは、独自の内容と相手に分かる表現が備わっています。こんな素晴らしい文章を、書きたくなります。