局の道楽日記

食道楽、着道楽、読書道楽  etc
生活色々を楽しんで暮らしている日々の記録です

葬儀の形

2017-11-09 01:17:12 | 様々な思い
介護施設に入っていた叔母が亡くなったので、火曜日は葬儀に行った。

八年ほど前に夫に先立たれ、その二か月後に娘も癌で亡くなるといった悲劇があった。息子は国際結婚をして海外在住。一人暮らしになってから彼の住まいに行ったけど、やはり年取ってからの移住は難しかったのか、数か月で帰ってきてしまった。
それから介護つきの老人ホームに入り、すぐに認知症状があらわれたらしい。
ワタシも叔父の亡くなる前後に見舞いに行って、おろおろしている叔母を助けたり、その後すぐの思いがけない従姉妹の死は一緒に悼んだし、ホームには母と二人で一泊させてもらったりしたが、こちらも両親も老いてホームに入ったし、叔母の携帯電話は通じなくなるしで、いつの間にか連絡も途絶えてしまった。

そして、家電に「表示不可能」という電話の番号表示が出て、受話器を取ると、国際電話。
「局ちゃん ぼくだよ、わかる? 母が亡くなったんだ・・・」
確か、叔母も80半ば、こういう日が来るとは思っていたが、やはり突然の死の知らせはショックだった。

「お葬式は火曜日くらいになるかな うん 家族葬にするよ。ボクも色んな人に連絡もとれないし・・・ 局ちゃん、来れる? あとはMちゃんくらいかな、来てくれるとしたら・・・」
ワタシが行かなければ、従兄弟と親戚のMちゃん二人しか参列しない式・・・ それはあまりにも辛すぎるだろう。だから
「火曜日なら行けるよ、ワタシも行かせてもらうわよ」
と言ったら 従兄弟の声がちょっと明るくなった。



ってことで久しぶりに東海道新幹線。穏やかに晴れた暖かな秋晴れだった。富士山もくっきり見えた。

もう一人の親戚も来てくれて、身内が四人、自宅の近所のご夫婦が一組、ホームから女性職員が三人。
それだけの簡素な式。
上場企業の役員だった叔父の奥さんとして、華やかに、贅沢に過ごしていた叔母だった。家のオットが「そこらの女優より美人」と断言した美貌の叔母だったんだけど、こんなに寂しいお葬式。御棺の中の叔母は最後はモノが呑み込めなかったというのを体現していて痩せ衰えていてお別れもつらかった。



写真を用意するのさえ間に合わなかったという葬儀。従兄弟も色んなことが去来するみたいで言葉少なだし、親戚の女性陣も叔母が認知症になってからの事情はよくわからず、ワタシと似ていて「踏み込まない」「余分な事は聞かない」ところがやはり一族で、叔父や従姉妹の死やその後の叔母との関係など肝心の部分は語られることなく、ソンタクがその場の空気を行き来するような場所と時間を過ごしたような気がする。

叔父と従姉妹の時の火葬場は、死体処理場と言った感じの工場のような施設で、何十という釡が並んで、隣の人とくっついた空間でお骨拾いもしなければならなくて、ホントにヒドイ所だったので、またあの思いをするのかと思っていたら、一年ほど前に新しい火葬場が出来ていて、今回はそこになった。



今度のところはとてもきれいだし、プライバシーも保たれるし、死体処理場といった趣はないのでほっとした。みゃー地方の方はぜひこちらの新しい方を推薦申し上げます。

ってことでハイテクな施設で叔母は滞りなくお骨になった。
ただそこで問題勃発!、叔母がホームに入って数年後に自宅は売却しちゃったらしいので、従兄弟は日本ではホテル住まい。この後骨壺をそこに持っていくって言うので、さすがに女性陣が反対した。
「ホテルも嫌がるよ!」「叔父ちゃんの入ってるお墓のあるお寺にとりあえず預かってもらったら?」
「そうか・・・ その手があるか」
(今頃気が付いたのかよ~~!)と心中で叫んだワタシ
叔母が亡くなった時点でそのお寺の住職に葬儀のことを相談することさえ思いつかなかった従兄弟。30年以上も日本から離れて、今まで日本の葬式もとりしきったこともないらしいので無理もないのかもしれないかもしれないけどさ、写真も位牌もなかったわけね、結果的に(泣く)

幸い住職も奥様もとても良い方のようで、親身に相談に乗ってくれた模様。

叔父は郊外の方に普通のお墓も買っていたらしいが、事情が事情なのでそれを放棄して、従兄弟が駅のそばに永代供養のお墓を買ったらしい。
ホントに駅のそばなのに、懐かしい感じのお寺とお墓が高層ビルのふもとにちょこんと存在していた。

東京にあるような屋内ロッカー式じゃなくて、一応墓石もあるマンション形式のような永代供養のお墓たち。だいたいこれで四人分入って、いくらか聞けなかったが一括でなにがしか払うと、年に何回かご住職が供養をしてくれるらしい。毎年のお布施もいらないんですと。



思いがけなく、ワタシは叔父と従姉妹のお墓参りもできて、従兄弟は納骨の相談などもできたらしく、叔母のお骨も落ち着いて、この日のやらなくてはいけないことは澄んだ。

その後駅のデパートの上でお清め代わりの味噌煮込みうどんを食べて、デパ地下でこの地方ならではの食べ物をお土産に買い込み、従兄弟に別れを告げて女性陣はそれぞれバラバラに帰路に。

オットが品川まで迎えに来てくれて「疲れただろ」と労わってくれた。

親や肉親が老いたり病気になったり亡くなったり 誰にでもあることだけど、それを一人で全部背負わなきゃならないってのはツライだろうなあ と、今日も一人で色々な後始末に奔走しているであろう従兄弟を思っている。
ワタシはまだオットや弟、子供たちがいる。まったく気が利かないとかイライラしながらも相談したり手分けしてことを運んだりもできる。

それはありがたいことだなと頭では思いつつ
「ホント疲れたよ。Yちゃん大変でかわいそうだった。あなたは、ワタシって言う戦力があるから、いざって時に助かってるのよ!」と世界の山ちゃんの唐揚げをつまみにいばってしまったのはワタシらしい。

コメント
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