リカバリー志向でいこう !  

精神科医師のブログ。
弱さを絆に地域を紡ぎ、コンヴィヴィアルな社会をつくりましょう。

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11月14日を「いい医師の日」に。その1

2009年10月31日 | Weblog
全国的に医療崩壊、そして医師不足が問題となっている。
何かこのムードを変えるよい解決方法はないものか?

役割を自覚し使命感に燃え、命を削りながらがんばっている医師がいる。
自分の仕事を自ら限定し淡々とやっている医師もいる。
一方でその資格の希少性にフリーライド(ただ乗り)している医師も当然いる。

集団としての医師の中にも当然以下のようなパレートの法則、または働き蜂の法則が成り立つと考えられる。

「優秀な働き蜂100匹の集団を形成すると,25匹は良く働き,50匹はそれなりに働き,25匹はあまり働かなくなる。」
(または2:6:2)

医師は赤ひげやブラックジャックやゴッドハンドばかりではない。
医療センターや大学病院の隣に暮らしているからといって別に長生きできるわけでもない。
別に死亡診断書を書き、血圧だけを測る医師がいてもかまわない。

地域全体、国全体で必要十分な医療が充足されればいいのである。

医療においてコスト、クオリティ、アクセスを全て満たすことは出来ないそうだ。
つまり、クオリティ(よりベターな医療を)とアクセス(いつでもどこでも)を求めればコストがかかるということだ。
WHOも認めたように日本の医療はこの3つをどれもそこそこのバランスで保っていた。医療従事者の安い賃金で使命感に燃えて働く、お人よしで献身的な姿勢に頼っていたともいえる。

市民の医療に対する要求は増える一方だが、医療従事者もさすがにくたびれて、「自分の生活も大事だ、もっと人をいれてほしい(コストをかけてほしい)」と主張している。
それなのに今の流れはコストは減らそうとされ、クオリティを保てと医療現場に要求している。
救急車のたらいまわしや受診制限、リハビリ打ち切りなどアクセスが制限されるのも当然である。

これが今の医療崩壊の舞台裏だ。

日本の医師数は1000人あたり約2.1人。
OECD(経済協力開発機構)加盟国(ほぼ先進国)平均は1000人当たり3.1人。
キューバでは1000人当たり5.9人。

医師の数はもう少し増えたほうがよいのは確かだろう。
しかし今医学部の定員を増やしても彼らが現場で活躍できるようになるのは10年先の話である。

しばらくは、いまの医師にがんばってもらうしかない。
それなりに働く普通の医師に、いかにモチベーションをもってもらい、医師としての役割を果たしてもらうかということが医療全体のクオリティを決めると考えられる。

そのためには市民の一人一人かしこくなり、医療の限界と有用性を理解し、メディカルリテラシーを身につけ、自らの権利と責任を意識しパートナーシップ型の医療を実現する必要がある。

医療は本来はやりがいのある仕事であるから、医師をおだてて上手に使えば、安く気持ちよく働いてもらうことが出来るだろう。

医療崩壊(底付き体験)に直面して、兵庫県柏原市や千葉県東金市をはじめ各地で「地域医療を守る会」が出来ている。

そこで11月14日。
「いい医師の日」である。

ではあなたの考える「いい医師」とは、どんな医師だろうか?
(・・・続く)

参考エントリー
シッコ~Sickoみた。
佐久病院最期の救外当直

ガイドという職業について徒然

2009年10月28日 | Weblog
書きかけていた台湾の旅行の雑記ののこりをば・・・。

台湾は観光に力を入れていて、国外からの旅客数は年間384.5万人、うち日本からは108.6万人の入り込みがある。。

また台湾からは、ほぼ同じ人数の台湾人が日本を訪問している。
人口は日本が台湾の約5倍だから、人口あたりで考えるといかに多くの台湾人が日本に来ているかわかる。
たしかに札幌雪祭りなどでは中国語が飛び交っていた。
雪のないところに住む人には雪があるだけで大喜び。

その土地にある、何でもないもの、時には厄介なものが観光資源になる。
ツーリズムとは不思議なものだ。

台湾には最近は中国からの観光客が増えていて、日本からの観光客に迫る勢いだそうで、故宮博物館では、ガイドに率いられた中国語の団体がたくさんいた。

今回の台湾旅行はガイドもいる団体ツアー(フリーの日もあり)のプランで行った。
これはわりとよかった。

ガイドは許(きょ)さんという70代?の男性。

現地のツアー会社に現役で勤めている。
なんとなく古い固い日本語を使うが、またそれが味になっている。
「~ね。ハハハ。」という終わり方が印象的であり、憎めないキャラクターだった。

幼い頃に日本語を学び、日本にも友人は多く、孫は日本にいるそうだ。
毎朝、朝食前に1時間ほど散歩し、友人たちに会い挨拶をしてかえるらしい。
こういうのがその健康の元なのだろうか。

台湾の観光ガイドは国家の試験が毎年あり、歴史や文化、語学など割と厳しいものらしい。
言葉は「日本語、中国語、英語」の3種類でそれぞれガイドのネームプレートにガイドできる言語が書いてある。
橋渡しをするガイドは両方の文化と言語に精通していないとできない。
試験は一度だが更新の申請は、また3年間、ツアーの案内の実績がないと資格はなくなってしまうとのこと。

ガイドの資格をしっかり国家が認定することで質を保証する。
これは日本でも考えてもいいと思う。
日本も観光庁をつくって観光に力を入れるべきだ。
日本でも国家資格として旅行取り扱い主任という資格はあるが、海外から来た観光客に日本の文化や歴史を伝えるという質を語学力も含めて保証するものではない。
台湾からの日本へのツアーでも台湾のガイドが着いてきたりする。
これは自国の文化を自分たちで伝えられないということで非常に残念なことではある。

さて日本でも旅行のツアーガイドはわりと人気の仕事であるが、最近は大変らしい。
当地もそれなりの観光地であるので救急外来で観光客をつれてきたツアーガイドに話を聞く機会もある。
バスツアーなどダンピングが盛んで、添乗員も派遣で薄給なのに、かなりの責任をおわされたりで、かなりひどい状態らしい。

ここでもモンスターツアー客が増えているのだろう。

ガイドは尊敬すべき人。
パートナーとして上手に使えばいいものなのにサービスの提供者、受給者との関係、主人と召使いの関係になってしまうからおかしなことになるのだと思う。

話は変わるが学生時代に、子供たちに星や自然を教えるボランティアをしていた。
そのときに自然のガイド、特にインタプリター(特に自然のメッセージを伝える人。これも広い意味での通訳)という仕事があることを知った。

そういう仕事に憧れていたのだが、考えてみれば医師という仕事もガイドやインタプリターみたいなものである。
人の生き死にをすこし詳しく知っているものとして体の声を聞き、それをわかる言葉に翻訳して伝えるインタプリターである。
そして病気を上手に経過させるのを付き添うガイドである。

日々の生活では、病気にならないように危ないところではリスクを下げる算段を行う。
ライフサイクルに応じて相談に乗る。
高齢者とはまた冬や夏という山場がこせたことをともに喜び、春や秋の季節の変わり目では体調の変化に注意する。

精神医療やプライマリケアの場でおこなっていることも、救急や麻酔などの場面で刻々と変化するバイタルサインを読みながら必要な処置をするのと、そのペースが異なるだけで基本は変わらない。

台北の国立故宮博物院

2009年10月27日 | Weblog
初めて台北に観光に行く人きっと国立故宮博物院には行くのだろう。

台北の故宮博物院は中華民国の蒋介石らの国民党軍が台湾へ撤退するときに厳選して持ち出した中国の宝物を展示している博物館である。

中華帝国の一大宝物館であると言えよう。

それにしても宝物館というのは、美術館などと比べてもユーモアを感じてしまうのはなぜだろうか。
人が美しいと思うものにはわりと共通するのに対し、興味関心を持ちありがたがるものというのは個性がでてバラけるからだろう。(これが秘宝館となると、だれもが興味関心を持つものになるから面白い。)

自分との価値観のギャップがユーモアや驚きを誘うのかもしれない。

故宮博物館の宝物と言えば、もちろん歴史的に価値があるものや書や画もあるが、人気が高いのはネタとして分かりやすいもの・・・。

例えば翡翠のハクサイだとか、肉形石(豚の角煮の彫刻)だとか、思いつきで作ったとしか思えないネタのものだ。

一方で超細密な彫刻だとかも人気・・・。
手先が器用選手権チャンピョンでも足下にも及ばないような指先ほどの小さな船の彫刻や、3代かけて作った超細密な象牙の彫刻なども目がクラクラしてくる。

さて中国の歴代皇帝は過去の書や名画に、見たという証拠に印をペタペタ押すらしい。
だから名画や名書は印だらけになってしまうのだが・・・。
印だけでは飽き足らず、過去の名画や書に大量にサインや落書きをしたのが清の名君、乾隆帝だ。

観光地で落書きする輩の元祖だろう・・・。

とにかく人間は他の人間のくだらなくも楽しい行為が好きらしい。
こういう博物館では金や時間にものをいわせて作った奇人の寄行の痕跡がうかがえるから楽しい。

進行した認知症の終末期の経過(NEJMより)

2009年10月26日 | Weblog
臨床医学系のジャーナル(雑誌)でもっとも権威のあるとされるのがNew England Journal of Medicineというジャーナルである。
このジャーナルの最近の号にアメリカのボストン近郊の高齢者施設(Nursing Home)における進行した認知症の高齢者の終末期の観察の前向きコホート研究が掲載された。


The Clinical Course of Advanced Dementia →→→日本語要約はこちら
NEJM Volume 361:1529-1538 October 15, 2009 Number 16:Susan L. Mitchell, M.D., M.P.H., et al.
 

「認知症が進行すれば、摂食の問題がでてきて、熱が出たり、肺炎などになり亡くなる。」

「意思決定をおこなう代理人が進行した認知症の経過や予後に対して知っているほど患者が終末期に積極的医療をうけないことが多くなる。」

という、そんなことは当然知っているよというような結論だが、進行した認知症に限って冷静に観察して記述された研究はいままでなかったらしい。
これは高齢になればなるほど増える認知症であるから、世界的にみればその終末期の状態まで達することのできる人は案外少ないということなのかもしれない。(この研究の対象者もほとんどが白人女性だ。)
何かの本に認知症の終末期の説明として「老化が3倍早くすすむようなもの」というのがあったが、実感としては確かにそういうイメージでもある。
認知症が記憶や見当識などの認知の病気のみならず、身体症状も進行する全身疾患のだということは認知症が進行しないとなかなか理解しづらい。

終末期にはセルフケアが困難となる認知症高齢者であるから、その生命予後はケアの質に大きく左右される。
発熱エピソード、肺炎、摂食障害というのも誤嚥(ごえん)性肺炎という観点から観るとほぼ同じものをみているような気がする。

認知症を抱える家族の介護者会などがあるとそういう雰囲気も自然に伝わりやすくなるかとは思う

著者らの主張は「進行した認知症は末期癌や末期心不全と同様の緩和ケアを要する状態で、積極的な医療介入は差し控えるべき。(直接はそうは言っていないが)」というものだ。

この辺にはもちろん医療費削減という意図が絡んでいるのだろうが・・。

認知症で亡くなる方のほとんど(93.8%)がナーシングホームで亡くなっているのは周囲がそういうものだというコンセンサスがあるからだろうか。
日本でもこの値は地域によりだいぶ異なってくるのではないか。

疑問点としてEating Problem(摂食の問題)の定義が今ひとつはっきりしないことをあげたい。
一瞬一瞬を生きている認知症高齢者の摂食嚥下の問題として

・誤嚥を繰り返す状態。
・モグモグするだけで飲み込まない状態。
・注意がそれやすく食事に時間がかかりすぎる状態。
・食べることを拒否する状態。

などがあげられるがもう少し細かく突っ込んでみたいところだ。
このことに関しては非がん患者のターミナルとして、認知症のタイプごとに分けて検討すると何か見えてくるかもしれない。

いずれにしろ、終末期の認知症で本人の意思決定も困難な状態での経管栄養や胃ろうからの栄養、中心静脈栄養などを行うかどうかは難しい問題ではある。
経腸栄養や中心静脈栄養を行った場合のまとまった報告というのがあるかどうかは不明である。(余命は当然ケアの質によって左右される。)
個人的には積極的にはおすすめしないのではあるが・・。


参考)
Incidence and survival of dementia in a general population of Japanese elderly: the Hisayama study
Journal of Neurology, Neurosurgery, and Psychiatry 2009;80:366-370:Y Matsui1,2, et al.

日本の久山町で認知症の発症率、経過などを追ったコホート研究。


参考エントリー

終末期治療中止ガイドラインについて

人間・野村克也

2009年10月25日 | Weblog
最近、人間として野村克也氏(楽天ゴールデンイーグルズ監督を引退)に注目している。

氏の著書や関連した書籍を何冊か読んでみた。

その独特のキャラクターとぼやきで有名な野村監督。
無名の高校からプロ入りした苦労人で、現役時代、監督時代を通じて数々の伝説を残し、たくさんの人を育ててきた。

球界には、野村再生工場、野村学校という言葉があるそうだ。
才能に恵まれながらも、力を発揮できず自由契約を宣告(要するにクビ)された選手を拾い選手として再生し開花させてきた。

自分にも他人にも厳しく、決して現状への満足を許さない。
技術的限界に達したら知恵を絞り、頭を使い徹底的に分析し準備を怠らず全ての力を出し尽くす。
根本には野球に対する愛情、そして人間としての成長を目指してきた真摯な態度がある。
徹底的な状況の観察力、分析力、公平な目をもち選手に足りないものに気づかせ適材適所で活躍させる。
ノウハウを伝えるため言葉を尽くす。

その人間に触れ、選手たちは変わっていく。

これまでプロ野球にほとんど興味がなかったのであるが、プロ野球などのプロスポーツに違った見方が出来るようになった。

いろいろな個性を持つ人間をチームをまとめ、患者を取り巻く構造(システム)を把握し、主に言葉で適切な介入をおこないリカバリーを支援する。
さて人間再生とはまさに精神科医療でやっていることに通じる。

人間的成長なくして技術的成長なし。
プロフェショナルとしての態度を教えられる。

弱者の兵法 野村流 必勝の人材育成論・組織論
野村 克也
アスペクト

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「野村学校」の男たち 復活・変身37選手が明かした「ノムラの教え」
永谷 脩
徳間書店

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うつや依存症がよくなれないワケ その3

2009年10月24日 | Weblog
しかし今の世の中にはうつ病や依存症の人が容易に良くなれない社会の側の理由も存在する。

例えば市場の厳しさ、社会保障の貧しさである。
人が人として大事にされない社会の厳しさだ。
社会は若者の失敗にもかつてほど寛容ではなくなっている。

家庭福祉や企業福祉もかつてのように頼れなくなっている一方で我が国の公的福祉は貧しい。
よりどころになるはずの宗教も大きな役割は果たせていない。

社会全体が湯浅誠らのいう「溜め」を失ってきている。
社会保障が乏しく、労働市場が機能しないために、依存症やうつ病に逃げ込まざるを得ない事情があるのだ。
それでも何かに依存してでも自殺するよりは生きてもらったほうがよほどいい。

しかし、ここでも格差が存在する。
体力のある大企業や公務員や教員で長年つとめた人はうつになっても療養休暇や傷病手当金で何年もつなげる。
しかし、非正規が多い若者は最も厳しい環境にいるのにもかかわらず安心してうつにすらなれない。
本当に社会保障が必要な人に失業手当などの保証が薄いのだ。

最期のセーフティネットであるはずの生活保護は故意に使いづらくわかりにくい場所に隠されている。

一方で正規職員であっても余裕のなくなった職場から、「いくら休んでもいいから、完全によくなってから戻ってきてほしい。」と言われることがある。
うつの復職の当初に向いた、単純作業などはすでに派遣社員や海外に置き換えられてしまい戻る場所がない。

頼りにされている、安心できる居場所であるという感覚がうつや依存症にはもっとも治療的であるのに・・・。

これではよくなれない。

今の世の中に圧倒的に不足しているのは「あなたは大切な人で生きている価値がある」というメッセージであろう。

生きていくためにかかせない「気」の本質とはこのメッセージのことだ。
人からだけではなく、食べ物、日用品、建物、自然などあらゆるものから発せられているはずのこのメッセージがかつてと比べて弱まっている。

また人がこのメッセージを受け取る力も衰えているように感じる。

我々が早急になすべきことはこのメッセージ(気)を感じとり、また、それぞれの方法で発して世の中にあふれさすことだ。

うつや依存症がよくなれないワケ その2

2009年10月23日 | Weblog
「うつ」と依存症は裏表の関係にあるといえる。

依存症に関して述べさせてもらうと、依存対象は、アルコールや麻薬、覚せい剤など薬物の場合もあるし、過食嘔吐やダイエット、仕事や買い物、ネットやギャンブルなどプロセスの場合もある。
また特定の人間や宗教、人間関係のトラブルへの依存もある。
境界性パーソナリティ障害というのはまさに人間関係やトラブルへの依存と言える。
また自己愛性パーソナリティ障害というのは誇大すぎる自己イメージへの依存し動けなくなった状態と言える。
ミュンヒハウゼン症候群や身体表現性障害など病気への依存もある。
最近では長期間の引きこもりという状態も依存症モデルとしてとらえるのが主流である。

そしてまた「うつ」も依存対象になりうるのだ。

これらに共通するのは自ら成長することを拒んだ状態であり、言葉をかえれば慢性的な自殺であるとも言えよう。
何かに依存している間は人は深く考えることから逃げつづけるために成長しない。
そして依存している事実を否認し、認めたがらない。

これらの依存症にはかならず悪循環が存在し、容易によくなれない心理が存在する。
「いまさらよくなれない。」というのが本音の場合もあろう。

しかし、どこかで自らの問題に直面化し、いい意味で開き直り、覚悟を決めてできることから取り組んでいく必要がある。
(これをリカバリーという。)
このリカバリーを果たせていない状態で、単に依存対象から引き離すと、よりどころがなくなり生きていけない人がでてくる。

リカバリーを果たし社会で居場所をみつけていくためにはガイドとしての専門家と仲間が必要だ。
その中でリハビリを行いながらすこしずつ、再出発できるように適切にステップを刻んだ支援が必要である。

これが依存症、そして「新型うつ」の基本的な治療戦略である。

「うつ」や依存症がよくなれないワケ その1

2009年10月22日 | Weblog
今は「うつと依存症の時代」であると言われる。

社会の抑圧や規範がゆるみ、かわりに自由と自己責任が言われるようになった。
一見、自由で選択肢はたくさんあるように見えるが、失敗すると自己責任として突き放される世の中である。

そんな時代を反映してか、うつ病自体のあり方も変わってきている。

休養、抗うつ薬の内服だけで十分よくなる従来のいわゆるメランコリー親和型のうつ病は減り、社会との関わりを取り戻すのに難渋するうつ病が増えている。

いわゆる「新型うつ」である。

「新型うつ」はパーソナリティに深く食い込み、環境との相互作用の関与が大きい。

この新型うつに対しては旧来の「はげましてはダメ」「すべてを棚上げにして休め」だけでは太刀打ちができない。

治療の後半戦は精神療法とリハビリテーション(認知行動療法や対人関係療法、SSTなど)が中心となるし、時に励ましリカバリーを果たすまでつきあうことが重要である。
そしてこの「新型うつ」は上手に経過させないと、「うつ」は慢性化し「うつ」という状態に依存して離れられなくなる場合がある。
下手な治療者にかかると医源性に、うつ病という状態や、抗うつ薬、抗不安薬への依存をつくりかねない。



ほたか・野の花 NPO法人に

2009年10月20日 | Weblog
長野県内にはあちこちに「憩いの家」という地域の精神障がい者があつまれる小さな居場所がある。

安曇野市、穂高にも数年前家族の集まりが中心となって立ち上げた憩いの家があり、行政の建物に部屋を借りほぼボランティアで運営している。
しかし来年度から県の単独事業であった精神障害者憩いの家事業が廃止になるので、いままでの活動を継続するためにNPOを立ち上げることになった。来年4月からのNPO移行に向けて準備をして地域活動センター3型として同様に継続運営していく方針だ。

その運営の中心となっている方がPSWの資格取得の勉強のために安曇病院に実習きていたときに知り合ったのが縁で今年から毎月、地域の方に向けての精神障がいに関しての勉強会を行ったりしていろいろ教えていただいている。

そうしたこともあり今回、NPOに移行するに当たって役員としてお手伝いをさせてもらうことになった。NPOの立ち上げにかかわるのは初めての経験で総会や会則、予算など勉強になることしきり。

以下、設立の趣意書 

精神障がいとともに生きる人は、病気の苦しみのみならず、社会生活においても様々な生きづらさを感じながら地域社会の片隅でひっそりと暮らしています。
しかし、わたしたちの地域においても精神障がいに対する理解は十分すすんでいるとはとても言えません。
「NPO法人・ほたか野の花」は、弱さを絆に人と人とが出会い、それぞれの持ち味を生かし分かち合い支え合える場(医、職、住、友、遊)を地域の中につくり育てます。
そして当事者が癒され、生きる力を得て、地域で安心してくらしリカバリーを果たしていくのをみんなで支えます。
これらの活動を通じて地域をつむぎ、だれもがお互いのことをおもいやり、自分らしく暮らしつづけることができ、生きていてよかったと思える、そんなあったかい元気な街づくりに地域の一員として参加します。



農業祭・病院祭

2009年10月18日 | Weblog
全国の病院で病院祭(びょういんさい)というのをやっているところはどのくらいあるのだろうか?

元祖の佐久総合病院など厚生連の病院をはじめ、長野県の病院ではわりと多くの病院でやっていて、諏訪中央病院でも今年から始めたそうだ。
こういう雰囲気の中にいると病院祭をやっているのが当然というような気になってしまうが、全国的にはそれほど一般的なものでもないらしい。
長野県内ではたとえ病院祭はなくても市町村の地域の健康祭り(医療福祉祭り)というようなのはたいてい熱心にやっているような気がする。

こういうことも長野県の健康長寿に寄与しているのではないかと思う。

私のいる安曇総合病院でも毎年秋に病院をあげてそれなりに盛大に行われている。
例年は病院の外来棟やロータリーなどでの開催だが、今年は新型インフルエンザ流行のため規模を縮小して病院から徒歩数分のところにあるメンタルケアセンター(精神ディケア等の建物)と町の公民館が主会場として行われた。

昨年からは、JAの農業祭と合同で行っており、あい乗り効果で来場者が増えているようである。

農業祭では作物の販売、農機具の展示販売、米粉のパンやお菓子、料理の紹介、本年度の米の食味の表彰などがあった。
またタイやベトナム、韓国の料理(それぞれの国から来ている人たち)などの振る舞いもあり、タイのコーナーでのスイカやメロンの彫刻などは見事だった。(これは病院祭のパネル展示の商品となった。)


その他、町内の中学や老人ホームの作品の展示などもあった。

病院祭では、病院内の科や部署ごとのパネル展示で最近の医療トピックスや、知っておいてほしいことなどのパネルがならぶ。
また健康測定(脳年齢、骨年齢、血糖、体力測定、健康相談など)や講演会も行われた。
外ではバザー、模擬店などが並び、地域の作業所やNPO、保健所などもブースや模擬店をだしていた。
規模は縮小されたが、地域の方にもメンタルケアセンターに来てもらうよい機会となったのはよかったと思う。



自分は模擬店の広場の真ん中で、心臓マッサージ、人工呼吸、AEDを使った救急蘇生のデモンストレーションを手伝った。
家族が心肺停止状態となったとき、いざというときに蘇生法を見よう見まねでも知っていれば、助かる可能性は(多少は)上がる。
アンパンマンのテーマにあわせて、子供たちも心臓マッサージをやっていたよ。





若いときかから認知症予防してポイントためると特典?(怒)

2009年10月15日 | Weblog
ちょっと言わせてほしい・・。

松本市、若い時から認知症予防 ポイントためると特典(10月15日(木) 信濃毎日新聞)

 松本市は本年度から、若年層からの認知症予防対策に力を入れている。8月に健康福祉部内に市職員による専門部会を設け、本年度は啓発活動を進めるほか、来年度は認知症やその一因となる生活習慣病の予防に効果がある運動や食品などを認定する事業を始める。市民は認定された催しに参加したり、食品を購入したりすることでポイントをためる。市はポイントと交換できる特典を用意して予防の取り組みを促す。県内自治体による同様の取り組みについて、県長寿福祉課は「聞いたことがない」としている。

 運動や食品などの認定は申請に基づいて審査会で審査する。対象は市がメタボリック症候群対策で実施する健康診断やウオーキング大会、特定の野菜や果物、加工食品、スポーツ施設などを想定。市民はこれらを受診、参加、購入、利用することでポイントを得られる。ポイントに応じて市から特典を受けられる。特典の内容は未定だが、市健康づくり課は「予防に相乗効果があり、市民のやる気を促すものにしたい」としている。

 予防啓発のための講演会は健康づくり推進員や一般市民らを対象に、来年2月に予定。リーフレット5千部を作成中で、各機関に配る。

 事業はすでに認知症を発症した人への対策だけでなく、30~40代から予防を意識することで将来の患者数抑制を目指す。専門部会は啓発と予防事業の2部会からなり、来年度以降も継続して活動を進める。市が掲げる「健康寿命延伸都市・松本」の実現に向けて、介護を必要とせず、心身が健康な状態で過ごせる期間を示す「健康寿命」を延ばすことにもつながると期待している。

 市健康づくり課などによると、脳梗(こう)塞(そく)などが原因の脳血管性認知症を防ぐには、動脈硬化の原因となる生活習慣病の予防が大切。認知症の一つ、アルツハイマー病の予防や症状緩和には、運動や人との触れ合い、社会活動への参加が有効だとする学説もある。

 厚生労働省が3月に発表した調査結果によると、65歳未満で発症する若年性認知症者は全国で推計3万7800人。何らかの認知症の症状がある高齢者は2005年が169万人、10年は208万人と推計されている。


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松本市はいいことを考えたと大得意なのかもしれないが、なんというしょうもない企画なのだろうと思う。
日々の診療で認知症とともに生きている方に接しているものとして怒りすら覚える。

しかし、どこかで聞いたことのあるような発想だ。
そう、肥満者をつかまえていじめる特定健診のメタボリックシンドロームへの指導や、高齢者に筋トレを強いる介護保険での介護予防事業が思い出される。

健康でないもの、不健康につながるものをスクリーニングし強制的な介入を行う。
これぞ、まさにヘルスファシズムであるといえよう。

認知症になりたくないとがんばる高齢者。
認知症をすすめないようにとリハビリでドリルをさせる家族。

気持ちはわからなくもないが何かがおかしい。

年をとれば誰でもそれだけ頭や体が不自由にはなる。
できればなりたくはないが、なってしまうときにはなってしまうのが病気なのだ。
80歳まで生きれば15%、85歳まで生きれば30%の人が認知症を抱えて暮らすことになる。

「認知症だと悪いんかい!」と思う。

病や死や老いを忌むべきものとして遠ざけ恐れられてきた結果、皆、アンチエイジングに精を出す。
人間ドックは病院の稼ぎ頭だし、サプリメントや健康食品が大流行りで一大産業だ。
エビデンス(有効だと言う証拠)も乏しい高い健康食品や健康器具に大枚をはたく。

今回の認知症予防のポイント制もその延長にある。
予防のための科学的知識を性格に伝えること(ヘルスプロモーション)はもちろん必要だが、それをポイントをつかって特典でつってまで奨励するのはやり過ぎだろう。
そのうち予防活動に協力をしないものは罰則だとなりかねない。
元気でいられること以上になんの特典が必要があるのだろう。

こんなことをしても病人や老人、認知症を抱える高齢者の差別を助長し、悪徳ビジネスが栄えるだけだ。

(メタボリックシンドロームを対象とした特定健診・特定保健指導では受診率、指導率などで保険者にペナルティがある。)

感染症などはともかくとして、健康ほど個人的なものはない。
健康を強制されるほどバカなことはない。

これでは健康帝国ナチスドイツや、軍国主義時代の日本に舞戻りである。

老いや病、死を恐れ、若くて健康であることこそがすばらしいと皆が思う時代。
人と人とのつながりが断ち切られ、人が大切にされない時代。
高齢者も孤独だ。

認知症とともに生きる自分が受け入れられない葛藤で、抑うつや家族への妄想がででてくることも多い。
アルツハイマー病を抱えての葛藤。イライラ。余裕のなくなった家族との修羅場。

若い人にも余裕がなくなっている。
高齢者の自傷行為や自殺、セルフネグレクトなどもまれではない。
社会に余裕がなくなり「すねうつ」のような高齢者もますます増えている。

やっぱり何かがおかしい。
老いても惚けても、病気になっても、障害があっても地域のみんなで支え、安心して生き抜ける地域づくりこそめざすべきもののはずなのに・・・。

参考エントリー

マッチョ老人のひとり介護予防

故人を偲ぶ会

2009年10月11日 | Weblog


古巣の佐久総合病院地域ケア科主催の「故人を偲ぶ会」へ参加した。

佐久総合病院の在宅医療・福祉部門である地域ケア科が関わり、旅立たれた方のご遺族に声をかけてのささやかな集まりで今年で3回目となる。
もう恒例と行ってもいい。

今回はこれまでのように病院ではなく町の総合福祉施設のアイトピア臼田での開催。
より地域の行事に近づけた形になった。

看護や事務のスタッフが中心となってつくった手作りのあつまりで、準備は5月から行ってきたそうだ。

介護者、家族、地域ケアに関わってきたスタッフが一緒になって思い出を語り、故人を偲ぶ場である。
病院からは医師、訪問看護師、ケアマネージャー、施設のスタッフなどが参加した。

故人の家族の参加者には小さな子供もいた。
たまたま佐久総合病院に実習に来ていた医学生も参加した。

彼らは何を感じてかえったのだろうか。

私自身がかかわらせていただいたご遺族の方も来ており、ケアや「病」や「老い」や「死」のあり方について語りあう。

遺族にとっては他の遺族の話を聞いたり、スタッフと思い出を分かち合ったりするグリーフワークの側面があるだろう。(もちろんスタッフにとってもグリーフワークだ。)
一方、専門職にとっては、自分たちのやってきた在宅ケア、終末期ケアのあり方がよかったのかどうかという声を聞く場でもある。

地域ケア科では毎年登録されている方の約3分の1、約120人の方が旅立たれていく。
癌のように数ヶ月間と短期間のお付き合いで旅立たれていく方もいれば、脳梗塞、認知症の場合など10年を超えての在宅生活の末にそっとなくなられる方もいる。
最短、家に戻って3時間でなくなったケースもある。
今回は昨年なくなった方の家族が50人以上参加した。

何人かの家族の代表の話では、笑いを誘う話もあり、最期は皆で「野に咲く花のように」を歌って終わった。

病棟、訪問診療、訪問看護、老人保健施設などが連携して支えながらたとえ根治が望めない病態であっても患者とその家族が望む場所での望む生活をを支え抜くことは医療の大事な仕事だ。

定期的な訪問診療、訪問看護、ホームヘルプに加え、24時間対応する訪問看護と緊急往診、ディケア、ショートスティ、自宅改修、テクノエイドなど介護保険の仕組みをフルに使ってもまだまだ介護者の負担も大きく難しい。
在宅医療の草分けであるが、診療所と病院の役割を分担する方向での診療報酬上の誘導のため、今なお病院からここまで在宅医療をやっているのは例外的である。

病院の出口の回復期リハビリテーション病棟の充実に加え、終末期の在宅生活ををバックアップする病棟や通所療養介護の仕組みも充実させ、制度化が望まれる。

最期まで家で過ごせるのは、家族の覚悟も決まり、サポート体制が十分整うなど、いろいろな幸運が重なった場合だ。

ケースによってはその方の終末期のあり方がよかったのかどうか、なくなった後にスタッフが遺族に訪問を行い、デスカンファレンスをおこないデスサマリーとしてまとめる。

佐久総合病院の職員はは医師に限っては他の地域から来た者が多いが、看護師や介護職、事務職などは地元出身者が多い。
病院ができて60余年。病院と地域がともに歩み、地域の医療文化が作られてきた。

地域のニーズを探り、やれることをやる。そして、ともに医療や福祉のあり方を考える。
こういった活動の一つ一つが地域をつむぎ、地域の文化になっていくのだと感じた。

台北(タイペイ)の街。

2009年10月05日 | Weblog
休みをとった言い訳をさんざん書いたところで・・・。

まずは台北の街について。
中華民国の実質的な首都である台北は東アジア屈指の大都会である。

人口は261万人、周辺の都市圏も含めると670万人と香港に匹敵する都市圏を形成している。
後藤新平の手による都市計画を引き継ぎ、片道4車線の広々とした道路が町を貫く。
それでも道路もスクーターが道路を占拠し、特に朝夕のラッシュ時にはバスや車はひしめき合っている。
新しい車でも傷や凹みがあちこちに見られる。

慢性的な渋滞も96年から続々開通したMRTとよばれる新交通システムができてかなり解消されたらしい。
これは地下、高架、地上路線が混在した都市交通システムで本数も多く便利である。

台湾では今後国策として道路建設よりも鉄道を推進していくらしくMRTはさらにニョキニョキ増殖中。

台北の街で特徴的なのは世界各地の計画都市のように商業地区、住宅地区、工業地区といった区分け(ゾーニング)がそれほどなされずそれらが混在していることであろう。

これは日本の都市部の景観とは対照的である。
東京都心部のように夜は過疎地になるということもなく職住が一体、あるいは接近している。

日本では国策としてマイホームをもつことを推奨し、郊外へスプロール化した市街地が広がっていった。
また自動車産業が優遇されたこともあり、車社会になり多くの地方都市の中心市街地は空洞化した。
一方で、バブル前のデベロッパーによる地上げと再開発で都心は人の住める場所ではなくなった。
これらの景観はいづれも政策が生み出したものと言えるだろう。

台北の都市部はどこもアパートメントが林立し、1階部分の歩道はアーケードになりそれがずっと続いている。
アパートの窓にはみんな格子が入り侵入できないようになっている。
どのビルの壁は汚れておりこの辺りは日本と異なる景観をつくっている。
アーケード部分には商店、飲食店、医院、バイクショップなどの商店が連なっている。
セブンイレブンやファミリーマートなどのおなじみのコンビニもあちこちにある。
日本語もわりと見かける。間違っている日本語も多いが・・・。

そしてあちこちに夜市とよばれる深夜までやっている飲食の屋台が並ぶ区画がありにぎわっている。
毎日が祭りのようなもので住んでいて便利で楽しそうな街ではある。

ジェイコブス氏の考える都市の4大原則(下記)をかなり満たしている街であると言える。

1.都市の街路は、必ず狭くて、折れ曲がっていて、一つひとつのブロックが短くなければならない。
2.都市の各地区には、古い建物ができるだけ多く、残っているのが望ましい。
3.都市の各地区は、必ず2つ以上の働きをするようになっていなければならない。
4.都市の各地区の人口密度が充分高くなるように計画した方が望ましい。

そんな台北の街から学ぶこと・・・。

それはコンパクトで高密度な街づくりという点であろう。
Compact City そして Smart declineは今後の都市、農村、住宅政策を考える上でのキーワードである。

日本も人口減少により空き家が増え、かつてのニュータウンにも高齢化の波が押し寄せている。
長野県の空き家率は19%だそうだ。
子供たちは都会や都会周辺のニュータウンに出てしまい家をまもっていた高齢者がなくなると空き家は増えていく一方である。
人口密度が低下するとインフラ維持のコストの増加し、犯罪の増加も懸念される。

日本人は家にこだわりがあり、住み替えというのには抵抗があるようである。
しかし運転ができず、移動が困難となってくる高齢者にとってもユニバーサルデザイン化がすすめば都市部の方が便利だろう。

住宅政策、都市計画のおかげで都市周辺の農村部には住宅地が虫食いのように広がっている。
その一方で全国の地方都市の中心市街地は寂れる一方である。

都市とも言えず、農村とも言えないダラダラとした町をひろげるのはもうやめにしよう。
ロードサイドの店、大型ショッピングセンター、コンビニしかない同じ顔の似たような特色のない街ばかりを作るのはもうやめにしよう。
我々は都市、および農村の意味、そして家と人との関係などを見直していく必要がある。


 

休暇とリズム

2009年10月04日 | Weblog
夏期の休暇をもらった。
交代でとるので10月に入ってしまった。

ここ最近やっと気づいたことがある。
それは休むというのは本当に大事であるということである。

日常生活で硬くなった頭と体をほぐす。
休養は生きつづけていくためには必要なことである。

敬愛する精神科医の一人である春日武彦氏によると心を病むとは、「優先順位の狂い」と「選択肢の狭さ」であるという。
自分としては、さらにこれに「リズムの狂い」ということを加えたい。


人は自らリズムを刻みながら、周囲のさまざまなリズムに同調させて生きている。
心や体が固くなり、それがまったく出来なくなったとき・・。
それが、つまり死ぬときである。

そのまえにたいていは警告として「うつ」や体の病気になる。
そうなってしまったら「うつ」や体の病気をうまく経過させることが重要である。
「うつ」や「病気」を敵視するのではなく、それをうまく経過させられるように導くのが医療者の大事な役目である。

うまく経過させることができないと、依存症(引きこもりや、仕事依存も含める)になったり、病死、あるいは自死を選んでしまうという悲しい結末になる。

リズムの観点から精神疾患を見た場合・・・。

・リズムが失われるのがうつ病
・独自のリズムで暴走するのが躁病
・社会とのリズム同調がぎこちなくなくなるのが統合失調症。

であるといえる。

失われそうになったリズムを取り戻し、違った価値観に触れて心をほぐすには、必要なときにはしっかり休むことが必要なのだ。

しかし上手に休むというのは本当に難しい。
だらけてしまってリズムをつくれなくなると本末転倒になる。

うまく休むとは、うまく生きるということに等しい。

休暇に先立ち、しばらく、あけておいてもいいように仕事を整理する。

治療者、患者が距離をとる。これも治療の一環として利用する。
その治療者がいなくなったから患者が自殺しましたなど下手な治療者もいいところなのだから。

休んだ前後は多少忙しくなるが仕方が無い。
周りにも迷惑をかけるが、これはお互い様。

覚悟をきめて休むためには、すぐには日常に戻れないところ、携帯電話の届かないところへ行くのがよい。
そして普段と違う場所に行き、普段と違うことをするのがいい。
それには旅がいちばんだ。

本当は50年後の未来を見にキューバに行きたかったが、そこまでの「ずく」がなかったので今回は台湾に行って来た。

いろいろと気づいたことがあったので、しばらく何回かに分けてのレポートをお送りする。