リカバリー志向でいこう !  

精神科医師のブログ。
弱さを絆に地域を紡ぎ、コンヴィヴィアルな社会をつくりましょう。

佐久病院最後の救外当直

2008年03月20日 | Weblog
佐久総合病院での最後の救急外来の当直が終わりました。

初期研修の終了式(+宴会)であったため、初期研修2年目が不在なのと小児科医師が新生児がらみの緊急で救急外来に出られなくなったためちょっとバタバタしていました。

しかし、この春から小児科の医師は救急外来にでなくなることが決まっています。
新体制が落ち着き、新たな研修医が動けるようになるまでは救急外来の厳しい状態が続くことが予想されます。

この冬は近隣の医療機関の医療崩壊の影響を受け患者がふえました。
オーバーベッドがつづき「緊急事態宣言」までだされました。
今年の冬に救急医療体制が破綻しなかったのはインフルエンザの流行が無かったという幸運もあったからです。
「断らないポリシー」を貫いてきた佐久病院も限界が近づいてきているように思えます。
これで大規模地震が起きたり鳥インフルエンザがはやったらどうなるのでしょう?
そういった危機に対応することは出来るのでしょうか?

小児の救急診療体制に関しては、これまで当院では小児科医師が夜21時までと休日の午前中は救急外来に出ていることは遠方まで知れ渡っていて、夜になって親がねらって連れてくるなど、夜間外来となっていた常態もありました。
(逆にいえば子育てすらゆっくりじっくり行えないという社会の実情を反映して、そういうニーズが地域にあるということです。 )
しかし小児科医師のマンパワーの減少と負荷の増大に伴い、昨年から、非緊急のものは救急外来のナースがトリアージをおこない軽症者は2時間くらいは待つこともあるという掲示がなされました。
また休日午前などには地域で開業する先生たちが外来を手伝ってくれたりして何とかやりすごしてきたような状態でした。
最近では地域懇談会などの、いろいろな場面で地域へ訴えてきたこともあり、多少理解が進み救急外来の利用の仕方が変わってきた面もあると期待したいところです。

「モンスターペイシャント」の跋扈する「心の僻地」には医者は居着きません。
これを継続発展し、地域全体で県立柏原病院の小児科を守る会の「子供をまもろう、お医者さんをまもろう」というような住民運動にしていくことが必要でしょう。 
 
この問題について、数年前、初期研修で小児科をローテートしていたときに小児科の部長先生と議論したことがあります。
「小児科の外来診療で緊急時の対応の教育や子育て支援を丁寧につづけていけば何十年かすれば地域住民がかわって、みんな賢くなり救急外来の受診態度もかわってくるのではないか?」
ということを聞いてみました。
「年間何万人も外来患者が来る状態ではそれは難しい。」
ということでした。
 
しかしこれは、私の師匠筋(勝手に)の風邪っぴき小児科医こと五十嵐正紘先生(もと自治医科大学地域医療学講座教授、現五十嵐こどもクリニック院長)の主張するところです。

先生は「人生百年を見据えた医師」を提唱し、
「地域の小児科医というのは基本的には風邪っぴきの医者であるが、風邪など放っておいてもいずれ治ることで、召集をかけなくてもお金を払って受診する。 その機会を子供の心身の発達や親子関係、将来よい生活習慣病の基礎をつくるとかを継続的に見る機会にするということこそがプライマリケアの実践である。」
ということを主張されています。

こどもの医療にかかわり、将来にわたる健康的な生活の基礎づくりこそが地域で小医療をおこなっている医師の大事な仕事です。
南佐久の農村でも肥満など生活習慣病の種をいっぱい抱える子供たちが増えてきているようです。
この実態を岡山大学の小松裕和先生らが研究し論文にまとめています。
どのように地域で子供をそだて支えていくのかということに関して地域作り、社会づくりも含め皆で考えて行かなくてはいけません。

救急医療の現場では救急の病態の判断と、そのときに必要な医療資源へのアクセスが確保が優先されます。救急しか受診しない人には救急での責任(翌日まで重篤な状態になる病態を見逃さず適切な処置をおこなう)しか果たせません。

慢性期医療の現場でも薬の無診療処方を求める人には、効果の確認や副作用のチェックや生活習慣支援までおこなうことは出来ませんし、せいぜい猛毒を飲ませていないかを確認するくらいが限界です。責任をもとめられても困ってしまいます。
近くの町立病院へ手伝いに行っていましたが何より辛かったのが、この無診療処方の山でした。

・・・結局、地域によい医療が維持できるかどうかは住民の意識にかかっているのです。

「医療はあればあっただけ。しかし意識の高い住民のいるところにはよい医療がそだつ。」それは間違いありません。 

医療崩壊が相次ぐ公立病院の中で、地域医療で有名な岩手県藤沢町民病院では、地域に出て「ナイトスクール」を開催し地域住民とともに医療のあり方等を考えてきました。

医療者もかつての「知らしむべからず、依らしむべし」という態度では今後、ますます苦しくなるだけです。無責任な依存心と無責任な約束による支配の時代は終わりです。
専門家の仕事は住民、患者に正確な情報と、愛に基づく技術(技術に裏打ちされた愛)を提供し、住民をファシリテートしエンパワーすることです。
住民も日頃から自分の体を大切にせず、自分たちが本来やるべきことをせずに、困ったときにだけ医療者に助けてくれという態度ではこまります。
住民と医療者が医療の限界と有効性を共有し、お互いの権利と責任を明確にした上で緊張感をもってお互いに高めあえる関係をつくって行かなくてはなりません。

それこそが若月のめざした「医療の民主化」です。
患者さんの権利と責任は医療における憲法にあたります。
地域と病院の関係でも同じことが言えるでしょう。

住民とともにプライマリヘルスケアの実践ができる「地域性、社会性をもった医療者」を育てることが佐久総合病院(そして若月俊一の目指した農村医科大学)の使命だったはずでした。佐久病院の理念を見れば、その使命は今も変わっていないはずです。
こんな理念を掲げている病院は他に知りません。

しかし自分の内外に様々な壁を感じ、自分もまたこの病院をいったん去ります。

それはまず自分が生き延びるため。
そして、佐久総合病院のこころを自分なりに引き継ぎ発展させていくために・・・。
佐久病院は多くの医療者にとって心のふるさとです。

佐久病院で学んだことは、
「地域医療とは医療を通じて地域を、社会をよくしていく実践・運動であるということ。
そしてそれには地域住民への愛、地域へ出て行く態度、信頼される技術が必要であるということ。」
です。
今後も夏川院長先生におっしゃっていただいたように、「のぞむ医療をのぞむ地域で」実践をつづけていこうと思います。
しかし、この「のぞむ」の主語は果たして住民(患者)でしょうか、医者(医療者)なのでしょうか?
これもまた重たい課題です。

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