昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

エッセイ(354)独裁者の内側(2)

2017-02-24 04:48:14 | エッセイ
 ヒトラーは意外にも菜食主義者だった。
 
 
 私たちのもとには、腕はいいが、実にかたよった料理をする野営コックがいた。
  
 ・・・彼はギュンターという名だったが、本名を知っている人はあまりいなかった。ヒトラー自身さえ彼をあだ名の<くず>と呼んでいた。台所のドアの上に「パンくずを粗末にする人にケーキはおあずけ!」という大きなポスターがでかでかと貼られていたからだ。小男の<くず>はこの封鎖区域全体の人員のために
食事を作った。約二百人の人員を彼は毎日巨大な鍋で養ったのだ。こんな長年兵士たちだけのために料理してきた大衆向きコックが、一人の菜食主義者のエキセントリックなご機嫌に付き合いきれなかったのも無理はない。彼は肉嫌いの者たちを心底憎んでいた、というか軽蔑していた。
 
 ・・・彼(ヒトラー)は食に関しては要求が少なく、質素だった。ごくたまに自分の食事は退屈だと嘆くことはあった。肉抜きの付け合わせだけをもらうのだから、何かが足りないに決まっている。<くず>は、人は肉なしには生きてゆけないという持論を持っていたから、ほとんどのスープと料理に、少なくとも一滴の肉ブイヨンか、豚の脂をちょっぴリ入れていた。たいてい総統はそのペテンを見抜いて怒り、胃の調子がおかしくなったと、ここぞとばかりに訴えた。


 <寒い総統の執務室>
 ・・・私はようやくまたヒトラーのところへ口述タイプに行った。
 ・・・数分後に私は執務室に通されていた。このときはじめて部屋をよく眺める余裕ができた。大きな扉を抜け、天井の低いライト付きの狭い退避壕室を通って、執務室に使われている小部屋に入ると、とてもよい心地がした。
 ・・・ヒトラーは私のほうにやってきて、「君、寒くはないですか?ここは寒いですよ」ときいた。
 軽々しく「いいえ」と答えてしまったことを、私はほんのわずかの時間のうちに痛切に後悔した。口述タイプが進むにつれ、ひどく寒くなったのだ。
 ・・・約一時間後、口述筆記は終わり、彼に紙を渡して、「私、よく理解できなかったかもしれません」と告げた。ヒトラーは優しく笑って手を差し伸べ、「大丈夫、きっとうまくできてますよ」と言った。
 私は氷のように冷たい足と熱く火照った頭で彼のもとを辞した。外に出てからなぜ執務室はあんなに寒いのかときいた。温度計をちらった見たら11℃しかなかった。国家元首たるもの、暖房を聴かせることくらい簡単なはずだ。実際ここにある施設はどれもセントラルヒーティングで、他はどこもかしこも暖かい。
 ・・・これでなぜ幕僚たちや司令官たちがいつも赤い鼻と青く凍えた手で、ときには何時間もかかる作戦会議から出てきて、すぐさま従卒部屋や食堂で温かいシナップスを喉に流し込むのかがわかった。


 肉類も食べないで、よくも寒さに耐えられる身体でいられたものですね!
 
 ─続く─

 <好奇心コーナー>
 
 「寒くなんかない!」 愛知県犬山市の木曽川で、卒業式を控えた犬山中学3年生が自分たちの使った机と椅子を洗う。今年で64回目を迎えた伝統行事。スバラシイ!
 




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