遊び半分・面白半分

脳梗塞により左半身麻痺になり現在リハビリ中、健康回復日誌

近況

2006-10-23 13:02:19 | Weblog
10月23日
 22日夜、NHK特集 赤ちゃんの脳 を見た。
赤ちゃんの発育状況を脳の発達に関連させたもので、脳梗塞の場合とよく似てると
思った。麻痺からの回復過程が赤ちゃんの発育状況と似ているということです。
回復には、時間が必要ということ、あせらず続けること。
土曜日、リハビリに行き、リハビリの主任さんと話をした。今の私が、日常生活で出来ないことは、右袖のボタンをかけることだけです。しかし、私がやりたいことで、できないことは、たくさんあります。病院の医療活動、とりわけ、リハビリは、どこまで対応してくれるのか?法律が改正になり、病院が対応出来る期間が150日と決まったようですが、当然、そんな期間で完治するものでは、ありません。そのつど、継続の申請が必要となります。私の場合どんな基準で申請できるのか?日常生活ができる、でも申請できる?できない?患者の意志次第?
 どうなのでしょう。ピアニストだったらピアノが以前と同じ程度に弾けるまで。
アスリートだったら、公式試合に出れるまで。基準は、どこ?普通の人は、走れないけど歩くまで?「以前、走りたいけどと言ったら、別のところでやってくださいと言われた」。リハビリの範囲はどこまで?
 状況
左掌が完全に上を向くようになった。つまり手首の稼働範囲がもどったってこと。
あとは、スムーズさと力。
 今も身体は変化を続けている。脳や感覚が変化していることを、時々刻々感じます。個別的な回復は終わって、システム的な動きの回復に重点が移ってきています。出来ることが増加しています。動きを継続させねば、本当の回復にはなりません。忙しくなります。

脳梗塞の半身麻痺になったら No1

2006-10-15 21:48:25 | Weblog
10月15日
 脳梗塞なんて、ならない方が良いに決まっている。不幸にしてなってしまったら、なってしまったと思うしかない。過去を振り返っていろいろ言っても治るわけじゃない。明日のことを思ってリハビリに専念したほうがよい。
 間違ってはいけないことは、脳梗塞になると血液が止まるから脳細胞が死ぬ、死んだ脳細胞が関与していた身体の部位が麻痺する。脳梗塞の治療は、詰まった血管を解除するのと、死ぬか生きるかの瀬戸際にある脳細胞をなるべく助けるように、新たに血管を作って酸素と栄養を配布することにある。しかし、悦液が途絶えれば脳細胞は三分で死ぬといわれている。なにかおかしいと思って、検査するけど、検査法はCTとMRIしかない、これらは時間がどうしてもかかる。CTは早いが、過去の状態しか検査できない。MRIは現在の状態がわかるが15分から20分必要。その間、脳細胞は生きておれるか。脳梗塞になるということは、脳細胞が死ぬということ。だから、麻痺になります。右脳だったら、左半身が。左脳だったら、右半身が。
左脳の場合、言語にも影響を及ぼす確率がたかい。半身というのは、本当に身体の半分なんです。顔も鼻も舌も喉も声帯も胴体も半分が麻痺するのです。
 脳梗塞の治療は、私の場合、10日間で終わりました。
 1日3回の点滴と1日1回のの高圧酸素機密カプセルに1時間入ることでした。これを10日間して治療は終わりでした。血管が破れてなおかつ脳梗塞だったら治療も当然ちがってくるでしょう。
 麻痺とは、どんな状態か 麻痺とは、麻痺となった手や足が動かそうと思っても、頭の中でいくら探しても見つからないことです。手や足は見えています。触ればかんじます。だけど、動かそうと思ってもないんです、手や足がないのです。だから、動かせないのです。患者が動かせないものを、リハビリしても動きません。手や足に問題があるわけじゃないのです。問題は、脳の中で指令が伝わる神経が途中で無くなっているのです。だから、筋肉が問題ではないのです。動かない筋肉を一生懸命動かしても、リハビリの効果は薄いのです。患者の脳は、患者が一生懸命にならないと、回復するとは思えません。
 栗本 慎一郎さんは、1ヵ月後歩いて退院しました。私も1月の入院で自分の足で歩いて退院しました。栗本さんの場合は、当初首を30度以上上げてはいけないといわれていました。それでも退院のときは、歩いて退院されました。私の場合は、制約事項はなにもありいませんでした。しいてあげるなら、タバコはすわないで、でしょうか。私はタバコを吸っていませんから、何もないのと同様でした。
 
 

近況

2006-10-11 22:53:44 | Weblog
10月11日
 早いもので10月中旬になっている。
 いつの間にか歩く時、左手が正常に振れている。以前は内側にズレていた。
無理やり修正すると、脳が怒っていたような感じだったのに、いつの間にか修正モードになっている。不思議。
 体調はいつも変動している。先日は、肩と腕の接続部分が非常に痛かった。筋肉とか筋とかじゃなくて。多分、神経線の争奪戦をやってたみたいなかんじだった。
どうしようもないんです。ただじっと終わるのを待つだけなのです。その間左手のてのひらと前腕が痺れて・・・。でも動くんです。時々動かして診てという感じが
するので痺れの中動かすのです。朝から夜まで続きました。誰にも言っていません。私自身どうなることやらと思っていたのですから。次の朝は痛みはなくなっていました。折り合いがついたみたいですが、どうついたのか私にもわかりません。
不思議ですね。脳というのは。最近、脳の素晴らしさを再認識しています。ホント!脳はすばらしい!!そんな脳の能力の10%くらいしか使っていないなんて、使用人はアホか!!

近況

2006-10-04 21:43:43 | Weblog
10月4日
 左手の指で何かを持って動かす。これが現在のリハビリです。
 何も持たないでするのとは、負荷の度合いが違います。持つということは力がはいること。どこかの筋肉が緊張している。そして手を動かす。何故かぎこちない。
そしてとても疲れる。コップに水を一杯に入れます。それを左手で持って歩きます。右手だと揺れずに水もこぼれません。左手だと揺れます、そしてこぼれます。重さに耐え切れず左手が下がります。これが現実です。コップでなくても良いのです。うすい紙を持って歩きます。コップの時と同じです。まだ腕の筋肉全体に神経が行き届いていないようです。
 指全体としては、動きが軽くなりました。親指と人差し指が平均以下です。残りの3本はとても軽く動きます。が、物を持つと短時間しか使えません。使うと脳がフル回転しています。足は歩くには十分です。それ以上すると、ふくろはぎがピクピクしてきます。活動し始めたのですね。膝の違和感があちこち移動します。でも内心から見た足の動きはスムーズです。問題ありません。この気分わかってもらえますかね。

10月になった(終了の告知)

2006-10-01 18:18:41 | Weblog
10月1日
 10月になった。来月には、片麻痺になって2年となる。
 今でも、回復の途上にある私です。先月だったか、大分の高校生で中学3年の時
野球部でエースとして活躍していて高校からオファーがたくさん来ていた生徒がいた。県大会が終わって進学先を決めようとしていた矢先、脳梗塞になった。左半身麻痺になった。それでも地元の高校は彼を誘った。そして彼は地元の高校へ進学した。若いからといって、回復が早いかもしれないが、甘いものじゃない。二年の時の甲子園予選が終わって、監督は彼に告げた、「来年の予選の初戦の先発はお前だ」。その時の彼の状態は、投げるのがやっとで、試合なんてとてもという状態だった。彼は野球が好きだ。それなりに努力したでしょう。でも試合なんて無理。
 それから1年、ただひたすらに練習をしたでしょう。他の部員たちもそれを見ていたでしょう。右手で投げるので、投げるのは大丈夫です。問題は投げる時のバランスなのです。どうしても左足が弱いのです。でも練習で克服したようです。残ったのは、左手、グラブです。意外と重いのです。キャッチャーからのボールを捕球しなければなりません、また、ブラリと下げたままでは投げる時のバランスがとりづらい。これもなんとかクリアしました。だけど守備が間に合いません。で、条件がつきました。ランナーを出したら交代、と。
 試合当日、先発です。公式戦です。3年間で最初で最後です。残念ながら四球でした。最初3球ボールです、次がストライク、そしてファール、そしてボールでした。ファールの時、フェアになれと思いました。
 若くても3年間ではあそこまでしか回復しないのか、というのが私の感想です。間もなく2年、私は若くは無いが欲張りなのか。
 ただ若くしてなった場合は、絶望感というか失望感というか、とても大きいでしょうね。それを脱却して前向きに生きて行く心になるまでが、長いでしょうね。
 周りの励ましもあったと思いますが、若さの前線に復帰したことは、とてもすばらしいことです。拍手&スタンディングオベーション。
 そして私間もなく二年になります。動くところは、全て動くようになりました。
持久力を付けたり、保持力をつけたり、円滑に動作できるようにすることが目標です。周りから見ると、健常者と見分けが付かないでしょう。ここまで動けて何に困ってるのか、と言う方もいると思います。また、私の事が、参考になる度合いが少なくなっているように思えます。そこで、このテーマでのブログは平成18年11月24にで終了することにいたしました。