遊び半分・面白半分

脳梗塞により左半身麻痺になり現在リハビリ中、健康回復日誌

1年半経過

2006-05-29 22:32:44 | Weblog
平成18年5月29日
 発症して1年と半年が経ちました。手はいまいちですが、足はなんとか使えるまで回復しました。手は指が十分に動くようにならないと使いものにならないんですね。もうちょっとという感じなのですが、このちょっとが、とても重大なんですね。指の関節が全て動くようになったので、もうちょいと思っていたのですが、動くようになると、もっと細かい動きを要求するのです。この細かい動きが重要なんです。皆さんは、意識にないでしょう。例えば、スプーンを持つでしょう。すくおうと思って持ち方を微調整するでしょう無意識に多分。この微調整が最大の難関なのです。これが出来ないと、スプーンを置いて、再度使い方を意識して持ち方を考慮して持つことになるのです。それに今まで使っていなかったので筋肉も錆付いているのでスムーズに動きません。筋肉の力は今から付けていくしかありません。たくさん訓練すればとお思いでしょうが、過負荷に耐えられないのです。肩の力を付ける訓練は、手を前に上げて20秒保持する。これを3回する。これが、私のリハビリのメニュウです。肩の筋肉トレーニングはこれだけです。手を使えば肩も
使いますが、肩を意識したものは、これだけです。右手と比べても、左手は重いです。握力は15Kgです。昔は35Kgでした。
 今日は、調子がよかった。午前はよかったのですが、午後3時頃から肩が痛くなりました。肩というより上腕の肩側が痛くなりました。前側ですね。手の重さを支えている。右手はなんともありません。完全には筋肉が働いていないようですね。寝ないとこの痛みは消えません。毎日これの繰り返しです、そして少しずつ回復していくのです。救いは、この小さな変化が私には分かるのです。昨日とは違っていると。
 27日(土)定期健診に行きました。MRIを撮りました。機械が新しくなって、撮った内容が増えました。所見は、異常なし、でした。脳内動脈も異常なし。結構細いものまで見えました。首のところも十分に見えました。MRIの写真は首の方からスライスしていくんですね、主治医は、異常はないと言いました、が脳の外側部分で白いところでは、動脈硬化の影響だが、問題ないと言っていた。脳の皺もはっきりしていると。
 また半年したら来ますと言うと、1年後でいいよと、言われました。
 10時に受付けて、11時半に診察を受けて、12時半にMRIを撮り、出来た写真を持っていくと、時間があるので食事をしてきてくださいなんて言われ、予約の患者さんがいるので2時すぎになりますといわれ、食事をして2時前に戻り待つことウン十分。終わったのは3時でした。帰るとき、病院の前には3台の救急車が停まっていた。
 ああ、訊かれたことは一つだけありました。「運動はしていますか?」でした。
 注意事項等は何ひとつありません。食事は退院時に指導がありました。
 我家には料理の本が増えました。が、生活習慣を変えるには、意識の改革が必要ですね。当事者が強い意志でやるしかないのですね。死んだ脳細胞の機能回復も己の脳に対して強い指示を出し続けること。自分に叱咤激励をしながら、休まないで少しずつ進むしかない。絶大なサポートを受けながら。はい、感謝しています。

リハビリ中の恐怖心

2006-05-27 23:06:59 | Weblog
現在、発症してから1年6ヶ月経過した。
入院中は、痛みもなく監視されているという安心感からか、何にも
考えず気楽に入院生活を楽しんでいたようだ。当然、麻痺した身体をかかえていて。
 退院してから、脳梗塞に対する恐怖心が判ってきた。
 再発に対する恐怖心
 麻痺に対する恐怖心

・麻痺に対する恐怖心(筋拘縮)
 脳梗塞による麻痺は、筋肉に神経が通じていない。
 そのため筋肉へ信号が届かない。つい最近まで私の左手は
意識していないと、ブラブラでした。足元にある物を取ろうと前かがみになると
左手は肩から紐でぶら下げられたようにブラブラしていました。
 脳梗塞による麻痺患者の人たちは、寝たきりになると動かさない手足の筋肉が細くなるだけではなく、硬く縮んでいくようになります。収縮する筋肉の力が強いので手足が曲がり易いほうへ曲がっていきます。健康な人たちも運動などしないでいると身体が硬くなったと言いますが、自分の力でストレッチが出来ますし、痛さ加減にあわせて少しづつできます。が、麻痺の患者は自分ではできません。
私も最初の頃は、出来るのは曲げることでした。曲げた手を元に戻す時は右手を使っていました。リハビリは曲げることより伸ばす訓練が大切なのです。筋肉が縮んで硬くなるのを筋拘縮というようです。退院し家から通院するようになり、歩いて病院に通いました、だから足は毎日使っていました。だから足は、何もしなくても大丈夫だと思っていました。ある日愕然としました。歩いていると何故かつま先が
躓くのです。杖なしで歩けるようになり、階段の上がり下りも出来るようになると
足のリハビリが終わってしまったのです。足のストレッチがおろそかになっていたのです。足はアキレス腱が縮んでいくのです。足先は伸びていくのです。これが進んでいくとつま先立ちになり歩くことは出来なくなります。あわててアキレス腱のストレッチに励みました。今でも毎日行っています。関節の可動範囲を確保するには、毎日ストレッチはかかせません。今でも恐怖心を持っています。

退院の頃と今

2006-05-21 22:47:35 | Weblog
2004年12月28日に退院しました。
 12月20日頃、主治医から「いつでも退院してよい」と言われ、準備を考えて28日に退院することにしました。退院するにあたり必要な準備は、
 ①リハビリどこでするか?
 主治医がいうには、どこでも好きな所を選んでよい。紹介状は書いてあげます。どこが良いか分からなければ紹介しても良い。と言われリハビリ病院に入院したいと、言うと入院しないで通院が良いというのです。理由は入院しても通院しても効果は同じ。入院すると回りはお年寄りが多い、等と言って通院を勧めるのです。
 と言うわけで、主治医のいる病院に外来としてリハビリに通うことに決めました。但し、毎日リハビリを行う条件で。家から通院するとリハビリ室で担当の療法士に伝えると、家の状態を検査することと、介護が必要だから介護保険の申請をするように進められた。家は、バリアフリーと手すりの有無寝起きに支障はないかのチェックです。必要があれば家を改造しなければなりません。介護の認定を受けておくと改造費用の負担が1割になります。そのため介護の認定が必要なのです。申請書を書き、主治医のコメントをもらいました、左手は全廃と書かれていました。動くけど使い物にならない、ということです。家の改造は風呂場の手すりだけでした。家を建て替えるとき、バリアフリーにしていました。階段、トイレ、玄関には手すりを付けていました。28日、杖で歩いて退院しました。
 入院費用は、全部で150万円、保険で3割負担ですから約50万円でした。
 家に帰って、主治医が通院を勧めた理由がわかりました。病院では、自由が利かないということです。歩けるのであれば、入院よりも通院を勧めてくれたのです。
 介護保険の認定のため、市の調査員が調査に来まして、それから一月ほどして、介護保険証が届きました。要介護1でした。6ヶ月すると継続申請が必要です。その時は、要支援と軽くなり、次の継続申請は、しませんでした。

・現在
 土曜日、2週間ぶりにリハビリに行きました。足に改善が見られました。今日、膝の下側に違和感が移っています。以前は膝の上に違和感があったのです。左片足でジャンプをする時、膝を曲げないでしていました。今回は膝が曲がってクッションみたいになりバランスがよくなっています。すると次は足首に負担がかかるのです。今までは膝と足首をまっすぐにして支えていたのが足首の負担が多くなったというか、足首も曲がらなくてはいけなくなったということか。(足首の訓練はリハビリを開始したときからずっとしています)前脛骨筋の上部に違和感をかんじるようになった。今まで、歩く時、走るとき膝から下が思うようにスムーズでなかったのが、膝から下が特に足首がスムーズでないのが実感できるのです。退院して1ねんと6ヶ月、毎日使ってやっとここまで回復。順番制を感じます。

入院中の出来事

2006-05-18 23:16:08 | Weblog
入院中の出来事
 足が動くようになり、車椅子や杖を使って移動できるようになると、主治医や看護士さんたちから「転ばないで」と何度も言われた。私の場合、左側へ転ぶことになる。左手が使えないので、無防備の状態で倒れることになる。すると顔を打つことになる。当然頭も。肩から転べば鎖骨を骨折の可能性もある。リハビリ途中で骨折すると、直るまで動かせないことになると、リハビリは中止となり、動かない筋肉は硬くなり動かなくなってしまう。そのため「転ばないで」という注意になります。
 ところが、二度ほど転びそうになりました。一度目は車椅子からベッドへ移ろうとしたときです。車椅子から立って、身体を捻ってベッドのほうへ尻を向けようとした時、左足に体重が移ったときに、グラッと螺旋状に尻餅をつきました。左足に体重がかかったとき、膝を曲げてたため支えることができず座りこんでしまったのです。びっくりしました
 二度目は、床に落としたものを取ろうとして、ぐらっときました。あわてて何かにつかまろうとしましたが、かろうじて座り込みました。この時も、左ひざを曲げていました。膝を伸ばしていれば、体重をある程度支えられるのですが、曲げていると支えきれず倒れてしまうのです。それ以後、膝に注意を集中したので転んだことはありません。今では走ることも出来ます。

入院中(2004年11月28日)と今(2006年5月17日)

2006-05-17 22:53:55 | Weblog
・入院中
 脳梗塞では身体に痛みはないと言いました。症状による痛みはありませんでした。ただ麻痺しているので動かない(脳から見ると神経が繋がっていないので見えない)だけです。ただ一度だけ前腕が疼きました。入院してから三日目の夜だったと思います。21時過ぎ、ベットで寝ていました。すると急に左手の前腕が疼くのです。どうしょうもないほど、何をどうすればいいのか、でもどうしょうもない。看護士を呼ぼうかとも思いましたが、呼んでも何も出来ないと思い呼びませんでした。妻にメールを送りました。「前腕が疼い」と返事はありませんでした。なるようになるでしょうと、あきらめて寝てしまいました。次の朝眼が覚めたとき、疼みは消えていました、昨日と同じで動きませんでした。今思うと、断末魔の悲鳴だったのでは、と思います。
 足を動かしてから三日目くらいに車椅子に乗れるようになり移動が出来るようになりました。リハビリも病室ではなくてリハビリ室に行ってするようになり、立つ練習や歩く練習をするようになりました。足が動くといっても昔のように歩けるわけではありません。足といったら足全体です。膝とか足首とかの区別は出来ません。一本の棒のようなものです。だから、とっても小さい段差でもクリアできないのです。足先を上げてなんて言われたって、足先、足先と頭の中を探したって見あたらないのです。歩き方も頭の中で考えながら行うのです。ええっと、右足に体重を移動して、左足を前に上げて、下ろす時は踵から先に着くようになんて。一番難しいのはつま先を上げることです。今でもリハビリの中で毎回つま先上げを行っています。3週間位で杖をついて歩けるようになり、30日で退院の許可がでまして、12月28日に歩いて退院しました。注意事項はひとつです。「転ばないこと」です。手の方は動きましたが、万歳はできていません。遠いとおぉーい道のりです。

・今日
 ここ二日間くらい、脳の動きが普通とは違う様相だ。前頭葉が何故だかもぞもぞ活動している。午後になると時計回りに側頭葉へと動いていく、後頭葉へと行くが左脳へは行かない。そして今日、後頭葉のところまでは昨日と同じだが,頭頂葉(もちろん右脳側)へと移ってきた。そこから中心部のところでちょっとした刺激を感じた。何をしているのだろう。最近、仕事の関係で左手の指先を使ったからかな。以前指先の運動をすると、前頭葉が騒いでいたけど、たくさんの情報がどっときたのでシナップスの選別がはじまったのかな。
 4月になって左手指の遠位指節間関節(指の先っぽの関節)が動くようになった。これで手の関節は全部動く。動きは鈍くても動かすことはできる。思えば手は動くと確信したのは、去年の8月だった。それから9ヶ月。ひたすら動かし続けた毎日だった。基本はグーとパー、通院でのリハビリは会社に復帰したので週1回になっていた。今後も休まずただひたすら動かすことが、回復への道です。
 私、音楽を奏でたい、ただそれだけです。

死んだ脳細胞のその後

2006-05-16 23:47:14 | Weblog
脳梗塞によって死んだ脳細胞はどうなるのか?
主治医から説明を聞いたけど、納得できませんでした。
生き残った脳細胞の境界はどうなる?
瀕死の細胞は?掃除後の空間は埋まらないのか?
麻痺した機能の回復はどういう手順で回復するのか?
予備回路があるというけど、そこへ繋ぐにはどうすればよいか?
予備回路とは、どんな機能をもっているのか?
リハビリを続けながら回復していく様相や脳の動きを感じる中で
長い間疑問に思っていました。
 2005年10月1日
 私は死んだ脳細胞について、子供達にどうなるのかを文献等での調査をお願いしました。
 返答をくれた中の一つに、脳梗塞、半身麻痺からの完全復帰という手記のコピーがありました。その中に参考情報として「NHKサイエンススペシャル 驚異の小宇宙・人体Ⅱ 脳と心 秘められた復元力:発達と再生(1994年出版)がありました。
 早速、書店で注文をしようとしましたが既に絶版になっていました。そこで図書館の蔵書検索で検索すると、ありました。早速取り寄せて、読みました。納得しました。リハビリによって回復していく状況や手足の動きの変化そして脳の作業状況(私、脳の動きを感じるのです)等を統合して考えると、納得できました。
 それから、不安感なくなり、回復するんだと思えるようになりました。脳を意識いてリハビリをするようになりました。
 貴重な情報ですので掲載しておきます。

 脳損傷からの回復過程について
新潟大学脳研究所の生田房弘教授は、脳損傷後の修復過程の研究を電子顕微鏡を使って行っている。損傷を起こした脳の組織を時間を追って克明に見ていくと、まず、細胞と細胞の間に広い隙間ができ、そこに脳浮腫液という液体がたまる。その中で、死滅したニューロンがマクロファージ(含食細胞)と呼ばれる細胞できれいにそうじされると、そこに、鍾乳洞のようなたくさんの穴、隙間ができるので、脳軟化と呼ばれている。その穴も浮腫液で満たされている。隙間の周囲を見ると、あちこちに生き残った多数の毛細血管や無数のシナプスが見える。そのシナプスや血管のまわりには、細胞分裂を終わったアストロサイト(星状グリア細胞)などのグリア細胞がびっしりとへばりついている。生田教授によると、これらは損傷を起こした脳細胞内部で起きた再生へのドラマの痕だという。さらに、生田教授は興味深いことを語っている。「大人の脳は細胞と細胞とが互いにぎっしりひしめき合っており、ニューロンが新しいネットワークを作ったりする融通性は見られませんが、損傷を起こした脳は、まるで、発生途中の胎児の脳の状態とそっくりの状態をまず作り出そうとしているようにみえます。発生や成長途中の脳というのは、ニューロンのネットワークがまさに形成されようとしている途上にあり、ニューロンや他の細胞との間には、元来広い広い隙間、細胞外間隙が存在しているのです。ですから、ニューロンはまるで海に浮かんだ単細胞生物のように、脳内の細胞外液の海を自由に泳ぎ、新しい突起を伸ばしてネットワークを形成していきます。
 グリア細胞がまずその道を付け、次いで、結合したシナプスを覆うことでニューロンネットワークの形成を助け、完成させているのです。脳損傷もこれとまったく同じことをやっているのです。不幸にも組織が死滅したあと、まず次々に細胞と細胞との間に広い隙間を作っていきます。その中でマクロファージは壊れた組織の掃除をし、アストロサイトはその後、ニューロンを育てる因子を出し、周辺のニューロンに突起を伸ばすように促します。脳の組織が死ぬと、損傷脳はその状況を逆手にとって、その部位を胎児期の状態に戻し、組織化を再び行おうとしているとしか考えられません」
 生田教授のこの話は、大人の脳にも機能を再生させようとするメカニズムがあることを示竣している。(50頁ー51頁)

ニューロンの生と死の物語
・ プログラムされた死
 ニューロン(神経細胞)は、一度できてしまうと増えないことで知られている。だが、胎児期に脳が作られるときには、ニューロンも爆発的な勢いで分裂増殖を繰り返す。そして、充分な量のニューロンが確保されたあと、実は、過剰に作られたニューロンは約半分にまで間引かれ、生理的な死を迎える。これはプログラム死とも呼ばれ、ニューロンが情報回路を形成する時期とほぼ一致している。標的細胞(軸策を伸ばしていく相手の細胞)と正しくシナプスを形成できなかったニューロンがプログラム死するのである。
 シナプスの形成によってはじめて脳の神経系は機能し、神経情報の連絡が始まる。それでは、ニューロンがシナプスを作るために神経突起(軸策)を伸ばしていくメカニズムは、何に由来しているのだろうか。
 そのカギを握るのが、神経栄養因子(neorotrophic factor )という総称で呼ばれる一群の蛋白質である。
 多細胞生物にあっては、個々の細胞は全体の中の一つの構成要素として機能しなければならない。細胞が分化し、増殖していく場合にも方向性を規定するものがあり、形、役割が位置づけられていく。このために細胞の外から働きかけ、ニューロンの分化と生存をコントロールしているのが神経栄養因子なのである。そして、たくさんある神経栄養因子の中でも代表的な存在が、神経成長因子( nerve growth factor,NGF)という小さな蛋白質である。
・ シナプス形成のメカニズム
NGFは、脳の中では新皮質と海馬のニューロンによって作られ、分泌される。これらのニューロンには前脳基底野のコリン作動性ニューロンが投射(神経線維を標的に向けて伸ばしていること)しており、コリン作動性シナプスを形成している。
NGFが標的細胞から分泌されると、ニューロンの神経線維はその濃度勾配を感知し、そちらに向かって伸びていく。NGFの供給量は標的細胞群の量によって規定され、その限界以上のシナプスを形成しようとして神経線維を伸ばしても、標的部位へ到達できないことになる。したがって、神経回路の形成においては、ニューロンのほうに主導権があるのではなく、標的細胞側がコントロールしているわけである。
複雑精緻なニューロン・ネットワークを作り上げるためには、細胞が決まった相手と手を結ぶ(シナプスで連絡する)ことが必要だ。いちばん離れている例では、脊髄の運動ニューロン、感覚ニューロンは、いメートル近くも離れている相手と間違いなく正しい回路を形成している。それでは、ニューロンはどのようにして自分の標的とする細胞群を見分けているのだろうか。
どうやらNGF以外にも、それぞれの神経系に対応するいろいろな物質があって、それが標的細胞、組織を特定させるらしい。ヒトの場合,数千種類あるのではないかといわれているが、現在見つかっているのは10種類程度にすぎない、NGFをはじめとするさまざまな神経栄養因子は、ただ繊維を伸ばすことを支援するだけではなく、決まった相手に連絡を結ぶメカニズムそのものを担っているのである。
成熟したニューロンになればNGFの作用が終わるかというと、それほど急に分泌量が減るわけではない。ということは、その後も何らかの作用をしているということだ。その役割の一つとして考えられているのが、再生系である。ニューロンが何らかの障害を受けたとき、修復されて再生し、生き残るために役立っているものと思われる。
さらにいえば、特にニューロンが障害を受けていない場合でもNGFが出ているということは、単に再生だけでなく、生きつづけるということそのものに関わっているのではないだろうか。事実、NGFには前脳基底野のコリン作動性ニューロンの死を予防する効果が確認されている。つまり、NGFという蛋白質がいつも働いているから、ニューロンは生きているのかもしれないと考えることもできるのである。

ネットワークの再構成。そこでは何が起きているのか。
 脳損傷が起き、それに伴って発芽によるニューロンのネットワークの再構成が起きるとき、ミクロのレベルではいったい何が起きているのだろうか。さまざまな研究者の意見をつなぎ合わせ、あえて一つのシナリオを作ってみた。実際はもっと複雑で未知のことが起きているようだが、とりあえず蛮勇を振るって、強引に一つのストーリーを作ってみたらこういうことになる。
 まず、衝撃によってニューロンの軸策が切れるか、特定のニュウロンが破壊されるとしよう。すると、今までそのニューロンを保護して栄養などを補給していたアストロサイトは突起を縮め、丸くなって傍らで待機する。損傷を受けたニューロンはミクログリアによってきれいに掃除され、食い尽くされるだろう。ミクログリアはニューロンのカスを食べながら、サイトカインなどの物質を放出。これが引き金になってアストロサイトが分裂を始める。なぜアストロサイトが分裂を始めるかというと、ニューロンの死滅で隙間だらけになった脳組織を、「パテ」のようにアストロサイトが固め、補強するためである。それと同時にアストロサイトはNGFなどの栄養因子を放出し、近くのニューロンの軸策からの発芽を促す。発芽を起こした近くのニューロンの軸策はまるで無数のヘビのように周囲を動き回り、もとからあったネットワークの受けて側のニューロンに接続して、新しくたくさんのネットワークを形成する。
 ここまでが脳の機能の再生の第一段階である。脳損傷という状態を引き金に、まるでトカゲのしっぽが生えるようにニューロンの軸策から発芽が起き、とりあえず応急処置的なネットワークの手当てがなされたのである。
 さて、大切なのはこれからである。脳が損傷を受けたとき、人の場合は必死でリハビリをするだろう。環境からの刺激が、ランダムに接続したニューロンを整理し、望ましいつながりを残して、不必要なものを落としていく作業が必要になる。それを実現する、脳の機能の再生の第二段階のシナリオはこうだ。
 一つのニューロンにいくつもの軸策が接続して、とりあえずそのうちのどれかが正しい接続だと仮定しよう。もともとニューロンの接続部分=シナプスには、シナプスのつながりを維持する不思議なメカニズムがある。あるニューロンから情報が流れ、シナプスを経由して次のニューロンに情報が伝えられるとき、情報をもらった側のニューロンから情報提供側のニューロンに「おかえし」として、NGFなどのニューロン成長因子が放出されるのだ。ニューロンは一本では生きていけない。生きていけないというよりも、複数のニューロンが手をつないで、より複雑な情報ネットワークになることこそ、その生物の情報処理能力を高め、激烈な進化のゲームで勝ち残っていける基本的な要因となる。そのことを思うと、NGFなどを介した栄養因子のやり取りのメカニズムは、非常に巧妙な「ニューロンの生存戦略」ではないかとさえ思えてくる。
 さて、話をもとに戻して、あるニューロンを取り合うようにランダムに接続した多くの軸策があるとする。リハビリによってその中の「もとのネットワークに最も近い軸策」に強い情報(インパルス)が流れてくると、当然その部分で大量のNGFなどが放出される。さらに驚くべきことに、高頻度のインパルスが流れるシナプスからはある種の「抑制物質」が放出され、まわりのインパルス頻度の少ないシナプスの活性を下げる。その結果、インパルス量の多いシナプスはさらに強くなり、インパルス量の少ないシナプスは弱体化して、ついにははずれていく。こうして、使われるネットワークが残り、さらに強化されていくのである。昔から「頭は使えば使うほどよくなる」というが、これがミクロの世界の仕組みである。リハビリをすると脳の機能が再生され、能力をよみがえらせていくのも同じ原理である

入院してからの10日間(その3)

2006-05-15 00:33:50 | Weblog
入院してからの10日間(その3)
この10日間に何をしたのか?
①足を自力で動かし、リハビリによって立つことができた。それにより、車椅子に乗ることが出来るようになり一人でも移動が可能になった。リハビリで歩く練習も始まった。
②手も遅ればせながら、自力で動かした。リハビリではただ単に動かすことだけ。寝たまま腕を上に上げることを5回することぐらい。自主トレもベッドに寝たまま腕を上に上げるくらいだ。当面の目標は万歳を立って出来るようにすること。
 10日間でこの二つの成果で十分すぎるものだったと思う。
この間での、注意事項は「転ばないように」だけだった。あとは何にもなかった。
 主治医には「死んだ脳細胞はどうなるのか?」「失われた機能は、どのように回復するのか?」の二つでしたが、納得のいく回答はありませんでした。ずっと考え続けた疑問点になりました。

5月12日 ・入院してからの10日間(その2)

2006-05-13 00:30:24 | Weblog
現在
ある本(本当のナンバ常足を読んでいたら、踵を踏むということが書いてあった。歩いたり走ったりする場合後ろ足で蹴って前に行くのでなく、前の足に重心を乗せるのに踵を踏むようにすれば、スムーズに体重移動ができる。それでLDS走法をやってみました。すると、左足の踵が踏めないことが分かりました。リハビリのときPT療法士に伝えました。「じゃ、久しぶりに走ってみましょうか」ということで、定例のリハビリが終わって走ってみました。まあ走りは悪くないがといって「片足立ちをして」という指示です。双方20秒しました、なんと左足の時のバランスの悪いこと。右足の時は上体もそのまま右足に乗っているのですが、左足になると上体をグッと左に傾けてバランスをとっているのです。左足にきれいに重心が乗っていなかったのですね。左足に重心をきれいに乗せるように歩くと、歩きがスムーズになりました。
 入院してからの10日間(その2)
 入院して2日目からPT(理学療法士:足担当)とOT(作業療法士:手担当)の2名でリハビリが始まりました。が(その1)でも書きましたように2日目に足を動かしました。手は7日目に同じように高圧酸素気密室のカプセルの中で上に挙げ肘を曲げて手を胸に落としました。残念ながら観客はいませんでした。
 足は動くといっても、とても重いのです。ベットサイドに腰掛て膝を伸ばす動作をしますが、右足は重さ0みたいに出来ますが、左足はどうでしょ、10Kgかなあとにかく重く感じました。それを10回くらいすると汗をかきます。そこで大腿四頭筋をみると、全然緊張していないのです。膝を伸ばしているのに筋肉は働いていないのです。不思議ですね、何が働いて動かしているのでしょう?そこで、四頭筋を触りながら「お前動かなきゃだめじゃないか」と叱咤しました。あーら不思議、次の朝目が覚めると膝が軽いのです。昨日はあんなに重かったのに、今朝は膝にはびっくりでした。脳が認知したと思いました。脳は認知すると一瞬だけ軽く感じさせてくれます。一瞬が過ぎ去ると元の重さに近い状態になりますが、筋肉の状態が変わります。筋肉にハリがでてくるのです。2週間くらいで歩く練習になり、4週間後には杖をついてですが、退院しました。壊れた脳の機能回復は、自分自身が自分の脳を叱咤激励をしていくのが効果的なのです。リハビリ療法士がやってくれるから回復するだろうでは、効果は小さいでしょう。彼らは脳損傷による麻痺患者の心象がわからないのです。私、足と手を自分で上げて動かしました。動きましたが、部分を眺めると肩とか肘というと見えないのです。手を動かし続けてやっと肩が見え、肘が見えてきたのです。物をつかみたいと想い、指を動かす練習をしますが、機能回復には順番があるようです。肩、肘、手首、指と。だからあせらずに気長に休まず続けたらきっと回復します。そう私は確信します。そのためには、リハビリの療法士のサポートが絶対に必要です。1年8ヶ月の間、療法士が私にしてくれていることは、基本的に始めた頃と今も同じです。それは可動範囲の確保です。私の身体はまだ完全に神経が回復していないので、動かさないと筋拘縮が始まるのです。

5月10日(水)・入院してからの10日間(その1)

2006-05-10 12:52:24 | Weblog
過去と現在を時系列的に書こうと思って始めましたが、
書きたいことがたくさん出てきて消化不良を起して
しまい、しばし休息をいたしました。
 入院での状況も伝えたい、現在も日々の変化(身体の)
伝えたい。書き始めると、2000字を超える結果になり
睡眠開始時刻が遅くなり、体調に影響を及ぼしそうなりそうな
気配になった。
 的を絞って書かないと、支離滅裂になってしまう。
 書く方も、悩むけど、読む方も大変になり、読んでもらえなく
なってしまう。
 ここで休息をし、何を伝えたいかを、熟慮しました。
 今後は、項目を決めて過去のこと、現在のことを
書いていくことにしました。
入院してからの10日間(その1)
 脳梗塞で入院したのは、全部で32日です。そのうちの初めの10日間で脳梗塞自体の治療は終わりました。
 脳梗塞の治療は、二つでした。
 ①高圧酸素機密室(カプセル)に2気圧の定常状態で1時間入ること
  1日1回で10回、これ以上長く入っても効果はでないらしい。要は、早期に
  効果がある。
 ②点滴、10日間毎日2種類の点滴を2回行いました。
     内容は、血液をサラサラに保つのと、梗塞により死んだ脳細胞の領域を
     拡大させないようにするものらしい。
 日常的なもので、現在も行っているのが
   ・食事 減塩でカロリー1600Kcal
   ・薬  降圧剤(2種類)抗血小板剤
   どちらかというと、再発防止用という感じです。
 今は、降圧剤は1種類にしています。
 以上が私の場合の脳梗塞の治療です。
 

脳梗塞 入院3日目と現在の状況

2006-05-05 18:44:53 | Weblog
入院3日目(2004年11月27日(日))
 日曜日なので高圧酸素機密室に入る治療はお休み。
 薬:降圧剤2種類:抗血小板剤:胃薬
 点滴:2種類午前と夕方にそれぞれ行う。腕に点滴用の注射をしたまま固定してあります。点滴中に移動する場合は、病院で見たことがあると思いますが、点滴液を吊るした台車を押しながら移動します。このころは酸素吸入をしていますから、酸素ボンベも付いてます。

 リハビリは休みなく実行。
 PT(理学療法士) 足担当
 OT(作業療法士) 手担当
 簡単にいえば、上記のようです。
動けないので病室でのリハビリだったと思います。実質2回目のリハビリですから。多分午前中にPT。足は動かしたので専門家が動きのチェックでしょう。基本的な動作。寝た状態で両足を揃えて膝を曲げ、両足を踏ん張って尻を浮かす。膝を曲げた状態から膝を伸ばす。腹筋:寝た状態から上半身を起こす。等を実施。もちろん可動範囲確保のストレッチ付きです。最後は、いつもの定番(今でも)膝を立て両足揃えてのつま先上げです。これでPTは終わりです。約20分です。1セット20分と決まっています。医療費3500円。保険を使うと3割負担で約1000円です。
 午後はOTのリハビリです。手はまだ動きませんので可動範囲の確保です。肩、肩甲骨、上腕、肘、手首、指と動くところをストレッチです。私はストレッチと思いますが、専門家は別の専門用語で言っているようです。これも20分です。
 以上で3日目のスケジュールは終わりです。
 痛いところは、どこもありません。自主トレで寝たまま左足を上に上げるのを何回かしました。重いので全身を使ってあげます。感覚的には100K位に感じます。あとで神経が通じますが、通じると重さは0Kgです。重いので疲れます、午前に出来ても午後は上がらないことがありました。

・食事
 入院してから毎日の食事は病院食です。基本はごはんに1菜1汁な感じです。
 1日1600Kcal。塩分控えめで味がとても薄く感じられます。味がないという患者さんもいましたが、私は美味しくいただきました。
 ただ、食べるとき、唇の左側からこぼれます。私自身こぼれていることは感じません。普通通りに食べているのですが、何故かこぼれます。それと、飲み込むとき(嚥下)不安になることもあります。何かうまく出来ないように感じるのです。
飲み込めると感じるまで噛むしかありません。時々むせることがあります。喉や舌、くちの中も左半分麻痺しているのですね。今でもたまにむせることがあります。リハビリをしたのは手と足だけですから、それ以外は自然治癒なんです。

・そのころ疑問に思っていたこと
 ①死んだ脳細胞はどうなる
 ②失った機能はどう回復するのか
 です。
 主治医に聞きました。
 ①は、白血球のマクロファージが食べてくれる。
   食べられた跡は空洞になる。
   空洞には、髄液で満たされる
 というような、内容でした。
 ②は、私は右脳の被殻が死にました。左脳に予備回路があってそれから直接左半身に神経が伸びている。それを使って機能をある程度回復する。
  予備回路ですから、全てを回復させるよう数量がないということです。だから
  麻痺は残るということです。
 このときは、一応納得しておきました。でも疑問としては、残しておきました。
 脳に異常事態が発生し、脳は自分自身で修復しようと全力で取り組むようです。
 リスクを抱えながら。私、そのころから脳の中で何かが動いていると感じるようになりました。例えば、左脳の真ん中付近で何かをしているとか、前頭葉(額)全体でなにかしている、と言う具合にです。看護士に言っても、一笑にふされとりあってもくれません。でも、わかるのです。
 最初は、左脳が何かやっていました。ああ、やってる、やってるという感じで安心していました。が、ある日を境に左脳だけではなくなったのです。
  長くなりましたので次の課題に移ります。

・現在の状況(2006年5月5日)
 現在の課題は、指先の動きです。
 基本的には一通り動きますが、まだ日常的には使えません。
 つい最近、左親指とひとさし指の第一関節が動きました。小さいものが摑み易くなりました。すばやい動きは今からですが、摑むのに力をいれなくても出来るようになりました。これはとても大きな変化です。今までは、摑むのに力が必要だったのです。大豆を50個ほど摑んで移し替えを行うと汗をかきとても疲れていたのです。それをしないと、神経は認識をしてくれないのです。自分の身体を動かすのは自分しかいないし、指令をだすのも自分なのです。つらい期間があって、それなりのデータを集まると最適な状態にするようです。すると、朝眼が覚めるとチェックしろというように動くのです。あるいは動かして見て、というように。
 第一関節が動くようになってからは、親指の先と人差し指の先をくっつけて、親指を人差し指にそって上下させます、次に人差し指を親指にそって上下させます。
健常者にとっては、いとも簡単なことでしょう。指だけ動かしてできるでしょ。私がすると手全体が動きますし、どこかに力が入っていて、指が引きつったような感じです。
 動くといっても、動かなかったのが動くということです。以前よりそこに集中して動かせるということです。終わりではなく、次への始まりなのです。より良い状態にするために。どこまですれば満足するのか?音楽が以前のように出来るまで、それが私の目標です。やらなければ出来ない、やらないと退化する。麻痺して動かさないと筋拘縮がはじまります。筋肉がある方向に縮んでゆくのです。だから止められないのです。どこまでやればよいのか誰も教えてくれません。私の麻痺がどの程度まで回復しているのかもわかりません。ただただ自分で感じるだけなのです。