”玲瓏”管理人のつぶやき

"玲瓏:羽生善治(棋士)データベース"管理人たいがーの独り言(HP更新情報含む)

NHKテレビ将棋トーナメント解説

2006年10月29日 | 羽生善治
 2回戦13局、石川陽生六段vs森下卓九段のテレビ解説を羽生さんが勤められた。素人にもわかりやすい口調で軽快に解説されていく。

 羽生さんが視聴者にもわかりやすい解説をしながら”この手はないです”と語った7四歩。理由は明快、飛車が捕獲されるからだ。その解説の矢先、その手を指す森下九段。

 「え~っ!どうするんでしょ?」

 それは棋理からして”形勢が不利になる”と現戦況を分析しながらも、”森下九段なら何か自分の考えていない手を見つけているのか”と読み筋のおさらいをし、”いやいや、きっと森下さんは読みぬけしていたんだろう。3筋からの警戒をしつつ、4筋、6筋の攻めを見て、5筋は・・・”と森下九段をよく知る羽生先生は最終結論を出されたようだった。

 この一局はこの一手で形勢を損ねた森下九段だったが、石川六段を終盤追いつき逆転もありえた感じがした。なので、終盤はとても見ごたえがあった。しかし、結末は石川六段はその差を維持、勝利した。

 局後の感想戦、森下九段は少々顔を紅潮させ、羽生さんの推理とおりの心中を吐露していた。さすがは羽生さん、その心理状況まで読みをつけるとは御見逸れいりました。

こころの玉手箱

2006年10月28日 | 羽生善治
 日本経済新聞夕刊紙の夕刊文化”こころの玉手箱”10月23日~27日は将棋棋士・王座の羽生先生だった。土日を除く一週間ということで5話完結。

◆「成長の記録」
◆「都立上野高校通信制」
◆三浦綾子「氷点」
◆島研の駒
◆大山康晴先生の気迫

 羽生さんは、将棋界のいろいろな記録を塗り替える誰もが認めるスーパースターだが、えもすれば燃え尽き症候群にならずとも思えない状況を経て、いまなおトップで居続けている。

 最終話で大山先生を”謎めいた強さ、目標超えた存在”と語る羽生先生。故人とはもはや対戦する術はなく、どのようにもご自分の成長を確認しようがないが、巨人として君臨した紛れもない歴史と、羽生先生の過去の対局記憶、そこから生まれる幻想もないとは言えないが、そして将棋の真理を極めようとする姿勢が、究極の姿をそこに浮き彫りにして知らず知らず見えない目標となっているのかもしれない。 

『渋谷ではたらく社長の会食』

2006年10月26日 | 羽生善治
 羽生さんと藤田晋サイバーエージェント社長との対談が、前編10月18日、講演10月25日にそれぞれUPされました。
『渋谷ではたらく社長の会食』

 角川Oneテーマ「決断力」を見ながらの会食ってなんだか不思議な感じがしました(^^; しかし食事を口にしているのかなあ?とか、このバー他にお客さんいるの?とか、余計な心配なんかしちゃいました。(←どうでもいいですかね?)

 しかしこの内容豊富で時間もそこそこある対談が無料で見れるなんでつくづく便利な世の中になったなあって思います。

追伸)
 テレビもラジオも、そしてインターネットもコンテンツが勝負という。藤田社長もきっと羽生さんにamebloやりませんか?と口説いたに違いない。羽生さんはさらりとかわしたと想像している。「”羽生無双(habu-muso)”という公式サイトがありますから」 と。

PRIDE.32 "THE REAL DEAL"

2006年10月23日 | 桜庭和志
 2006年10月21日(土) ラスベガス、トーマス&マックセンター 観衆=11727人(超満員札止め)、PRIDE初の米国興行が開催され大盛況のうちに幕を閉じた。

 一説のよると、米国総合格闘技団体最大手のUFCは直前まで妨害工作をPRIDE興行に仕掛けていたらしい。また、ラスベガスへのタイソン招致も企てられていたが、彼の気まぐれな性格に振り回されほぼ予想はされていたがドタキャンとなった。

 しかし、ジョシュも語っていたが、要所見所で会場がシーンとなってリングの攻防を固唾を呑んで見守り、盛り上がる所では会場の声援がヒートアップした。このことは、ファンのレベルは一定以上あることを示している。WWFなどのエンターテイメントプロレスがアメリカの象徴という感があったので、それは嬉しいことであり、PRIDE統括本部長である高田氏もその夜は朝まで楽しい酒を関係者と酌み交わしたと聞いた。

 大会総括ではいろいろな戦いといろいろな結末があり、ファンとしては十分堪能できたと思う。では恒例の全試合レビューを・・・。

第1試合 ジョーイ・ヴィラセノールvsロビー・ローラー

 ロビーは雰囲気から感じられるアメリカンな部分よりも研究熱心で練習も真面目な性格と伝え聞く。ジョーイは長南との激闘が記憶に新しいがPRIDEの選手層の厚さを知るファイターだ。怖いもの知らずのロビーと巻き返しをはかるジョーイとの勢いの差が出たというべきか結果は早いラウンドで決着、ロビーに凱歌があがった。

第2試合 中村和裕vsトラビス・ガルブレイス

 当初、マービン・イーストマンとの対戦だったが二重契約が発覚し急遽トラビスに変わったカードだ。中村は中尾との凡戦となってしまったイメージを払拭し、また初米国開催を盛り上げていくことに使命を感じていたようだ。その責任はややもすれば悪い方向に行く可能性はあったが、トラビスの準備不足にも多分に助けられたかもしれない。2R、TKO勝ちをカズが収めた。

第3試合 西島洋介vsフィル・バローニ

 パンチのイメージが強いバローニと、元プロボクシング世界王者の西島。打撃戦になることをファンは期待したが、ホームで負けられないバローニは出会い頭でパンチをかいくぐりタックルからグラウンドでの戦いを選択した。マーク・コールマン率いるハンマーハウスで鍛錬を積むバローニにグランドに誘われては西島は万事休す。確かにグランドのスキルはアップしているが、ミルコのようにタックルを切れなければ打撃系ファイターは苦戦する。今後の西島はどうするのだろう?

第4試合 ダン・ヘンダーソンvsビクトー・ベウフォート

 隠れた名勝負、随所に細かいテクニックがちりばめられており見ていてわくわくする試合だった。トータルとしてダンがポジションをうまくとっていたために判定決着ではビクトーは涙をのんだ。ビクトーは桜庭と戦った2000年前後が脂がのっていたが、その後UFCを選択した。一方、リングス、PRIDEを主戦場にしてきたダン。両者の揉まれ方に差が出たかもしれない。

 ただし、ビクトーもあのヴァンダレイを秒殺したこともあるほどの力量。結果が出ていないビクトーだが、今後の気持ちの持ち方でひとかわもふたかわも剥けそうだ。ミルコのように不屈の精神で這い上がってきてほしい。

第5試合 ショーン・オヘアvsバター・ビーン

 理由はわからないが、当初はオヘアではなくマーク・ハントだった。オヘアも急に出場となった感じだ。気合い満々のバター・ビーンとでは出足が違った。いきなりフックをくらい記憶がトンだようだ。バター・ビーンのパンチはいきなりもっていくほどの衝撃をもちそうだ。単純明快な結末でファンも喜んだろう。惜しむらくは、マーク・ハントとバター・ビーンの殴り合いガチンコ勝負を見たかった。気になるのは何故マークが出場できなかったか?だ。情報がない。

第6試合 ジョシュ・バーネットvsパウエル・ナツラ

 元メダリストのナツラとキャッチレスリングの雄ジョシュ。ただ、ジョシュはGPから間もないところを無理を押して強行出場だ。案の定、いつもは倒れないジョシュがうまくテイクダウンを許してしまう展開が何度も続いた。ナツラの今後の課題でもあるが、テイクダウンしてからの攻撃がない。ジョシュも語っていたが、グランドで相手が攻めてこないので膠着してしまったようだ。しかし、柔道にはない足関節をとりギブアップを奪うジョシュ。バーンアウト気味なところを母国大会成功の使命の中、さすがジョシュというところを見せてくれた。

第7試合 マウリシオ・ショーグンvsケビン・ランデルマン

 ショーグンの潜在能力を見せ付けられた試合だった。ランデルマンの身体能力は並でない。出会い頭でショーグンが一挙に有利に体勢にできるなど想像していなかった。ランデルマンは、母国での試合で気合が入っていた。しかしパウンドでは一日の長があるものの、グランドの攻撃、関節技系は得意ではない。その差が出た。ショーグンの一本勝ち。今後のショーグンのミドル級戦線勢力図争いが気になってくる。

第8試合 エメリヤーエンコ・ヒョードルvsマーク・コールマン

 アメリカらしい演出、家族愛を前面に出してマーク頑張れのイメージビデオ。一方、拳のケガから復帰戦となるヒョードル。この両者以前にも対戦したことがある。PRIDE-GPだ。ヒョードルからタックルでテイクダウンを奪いコールマンの実力に舌を巻いた覚えがある。しかし、ヒョードルは下の体勢からでも腕関節の攻撃ができる。まるでデジャブーを見ているようだった。いや、それまでの展開がまるで違う。テイクダウンを許さない。格段にアップした打撃もあった。コールマンの顔面が破壊されていく。ここまで差が開いてしまったのか?と呆れてしまった。

 ヒョードルの絶対的強さ。リングサイドで見ていたミルコはどう思っただろう。年末に行われるであろうヘビー級タイトルマッチ。今からわくわくする。

「天才のヒラメキを見つけた」

2006年10月22日 | 羽生善治
 WAC出版からこの程「天才のヒラメキを見つけた」という出版され、われらが羽生先生も初っ端に登場される。ほかのメンバーは『脳を鍛える大人のドリル』などで御馴染みの川島隆太氏、リチウムイオン電池ケースを開発した岡野雅行氏、『バカの壁』で御馴染みの養老孟司氏、『直観でわかる数学』の著者:畑村洋太郎氏らである。

 ホストである日垣隆氏は作家でジャーナリストで、羽生さんが2005年12月18日と25日に出演された「サイエンス・サイトーク」(TBSラジオ)のパーソナリティでもある。出元はここでのトークでした。

 日垣氏のあとがきにたいへん興味深い一文があるので引用します。「私は天才にはなれません。しかし、天才は天才になろうとは思わないかもしれず、むしろ凡人は天才から学びうるのではないかと、ある時期から思い直すことにしました。」

 サイエンス・サイトークのWebサイトからは出演時の生の声が聞けます。この出版で活字として目にすることで耳からの情報と一緒に反芻すると、行間に埋まっていた聞き逃していたやもしれない伝えたかった”ツボ”もちょっと膨らんで聞こえた気がしました。

茂木健一郎さんとの対談

2006年10月15日 | 羽生善治
 トンミーの故郷便さんからの情報で、茂木健一郎さんのクオリア日記(10/14)http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2006/10/post_e09b.html
「歴史を忘れる者は」に羽生さんとの対談の様子が書かれていることを知って、早速訪問してみました。

 羽生さんは自分の考えていることを言葉に表現できるスペシャリストで、もちろんその属する分野での秀逸な業績もさることながら、その能力によって異文化交流が深められているのだなあと感じています。

 羽生さんの講演に行く機会は多くこのブログでも速やかにご報告しておりますが、感心するポイントは多々あります。必ず聞き手が理解しやすいような言葉を選ばれて話されている点は、専門分野の話になればなるほど難しいことを考えると素晴らしい。

 また米国シリコンバレーのベンチャーでの勤労を経験して、英語を話さなければならない環境に置かれて、その言語文化から少しは結論から言えるようになったけども、まだまだ聞き手に正しく伝わっているかなと自ら首をかしげることが多い自分からしてみれば、相手に伝える技術、学ぶことはたくさんあり感心しきりです。

daichan先生昇段!

2006年10月13日 | 羽生善治
 将棋道場仲間のれなすけさんから、突然、そして普段は来たことのないお昼の時間帯に携帯メールをもらった。それも「突然ですが」という件名…。

 ほんの携帯メールをチェックするまでの数秒間に、「えっ、れなすけさん、道場やめるのか?」とか、「ま、まさか、会社倒産…れなすけ社長っ…」とか、「黒ブラ…(身内ネタなのでわからない人、ゴメンナサイ)」とかが頭をよぎった。

 メールの内容はそんな暗い話題ではなく(黒ブラは明るい?)、daichan先生が竜王戦連続昇級ということで、これはお祝いの呑み会を催さねば、みんなも来る?というお話しであった。

 裏番のれなすけさんからの命令…もとい、お誘いだし、表番…もとい、道場のねむりねこ先生つながりのdaichan先生の昇段ということで、この目出度い席に参加しない理由がないのだが、うちの奥さんの叔母さんが倒れる、会社の重要な会議が夕方にある、という2つの超えなければならない難問が待ち構えていた。

 おやつの時間にうちの奥さんから叔母さん退院の報を受ける。ほっと胸をなでおろす。最後の難問は会議が長引かずに終わるかだ。終わった。6時過ぎだった。速攻で呑み会の現地に向かった。待ち合わせ時間ちょうどの7時。しかし、難問はこれだけでなかった。都会の駅っていうのはどうしてこんなにデカイんだ?攻撃が待ち構えていた。れなすけさんにSOSメールを出して無事に救出される。

 道場仲間兼いつもの呑み仲間とdaichan先生という男ばかりの呑み会がスタート、いつもと違う(同じ?)楽しいひとときでした。

HERO'S 2006 ミドル&ライトヘビー級世界最強王者決定T

2006年10月09日 | 桜庭和志
 このクラスでは最強、最凶のメルヴィン・マヌーフ。そのマヌーフのパンチの猛攻を凌ぎ、腕ひしぎ逆十字固めにきってとった秋山は見事だった。首のケガでドクターストップとなったコメンテーター桜庭に向かって「大晦日、待ってます」は番組を盛り上げた。

 唸ったのは宇野の技術。アイヴァン・メンジバー戦では卓越した防御とパンチの的確さには舌を巻いた。また、急遽穴埋め参戦となったとは言えヒクソンが一目置くハニ・ヤヒーラからフロントチョークでギブアップ勝ちをおさめたJZカルバン戦。試合結果は判定負けとなったが、一発で持っていく力のあるパンチをぎりぎりで見切る判断力、そして組み合った時のひざ蹴りをすんでのところでかわし続ける技術、見事としか言いようがない。Rがもう少しあればきっと勝ちを呼び込んでいただろう。

 金子賢は視聴率稼ぎになっている。よく所が相手を引き受けたが、これも所が初戦で負けたのがいけない。しかし、しっかり地力の差を見せ付けた。アキラ兄ぃもあいさつに来た金子を無碍に返さず、「自分にあったアマチュアの大会から実績を積んで来いっ」と語ったようだ。それはそのとおりだ。

 ドン・フライ、アントニオ・シウバなどの試合は、まるでPRIDE創生期の試合を見ているようだった。今は昔のカルロス・ニュートンと石澤の試合も気になっていたが放映されず。でも同じような雰囲気が漂っていたかもしれない。

 KIDに開始4秒でKOされた宮田は、あのイアン・シャファーにKO勝ちしたが、この試合までカットされていたのは残念だ。

セナの面影

2006年10月08日 | 高木虎之介
 F1の皇帝Mシュー引退、自分が淋しさを感じるのはセナを知る最後の生き証人的なところがあるからだろう、セナの最後の勇姿を後ろから見守った人物として・・・

 セナが亡くなった1994年、レースファンをやめようと思った。レース観戦から引退しようと思った。けど、そのときに鮮烈な登場をしたのが高木虎之介だった。いまだに虎を応援し続けている。世間は今スーパーアグリの琢磨君を日本代表のように言うが、自分の中ではいまだに虎が一番だ。

 同じく1994年、モナコGPフジテレビのインタビューに応えるMシューの姿は昨日のことのように覚えている。「何度でも言うよ、セナはボクのアイドルだった」虎の追いかけが始まると同時に、Mシューも同時に見守ってきた。彼のレース人生をおこがましくも看取らないとと思ってあれから12年・・・。2000年のモンツァでセナの通算勝利に肩を並べるMシュー。レース後のベスト3ドライバインタビューでそのことを言われ思わず泣き崩れるMシューは印象的で、なおさら見守る気持ちが強くなった。

 センチメンタルになりつつも最後の鈴鹿、ちょっとだけノスタルジーに浸ってみよう。鈴鹿、最初の思い出と言えば1988年、セナ初めてのワールドチャンピオン獲得だ。スタートでエンストしたけど下りのホームストレートが幸いして復活、その後11台を抜いて鮮烈に優勝した。1989年も鮮明に覚えている。シケインで強引にインをこじあけたセナにプロストが幅寄せ。プロストリタイヤ、セナ失格でプロストがワールドチャンピオン。プロスト、最初で最後の幅寄せだった。1990年鈴鹿はセナ・プロ、オープニングラップ1コーナー事件。二人がいきなり1コーナーで消えた。その裏ではマンちゃんクルマ壊すし、ピケ―モレノ苦労人1―2フィニッシュ、そのときの3位がアグリさんだったけど、おまけだった。1993年はセナがもっともセナとして光った年、それを象徴するかのような雨の中の優勝だった。1990年以降、Mシュー、ビルヌーブ、ヒル、そしてハッキネンがいた。虎も弱小チームだったがマネーでなく力でドライバーズシートを勝ち取った。

 ところで、Mシューは1991年F1デビュー、スピード違反で捕まったアンドレ・デ・チェザリスが警察に捕まった時催涙スプレーして禁固刑となったことにより代役、スパフランコルシャンからだった。若いときはよくオーバーレブさせてエンジン壊していた。デビュー戦も7UPの緑のクルマをオープニングでいきなり壊してましたね。

 Mシュー、最後の鈴鹿、まさかのリタイヤ。ディフェンディングチャンピオンであるアロンソの逆転優勝で幕を閉じた20年目の鈴鹿。何かひとつの時代が終わったかの結末に一抹の寂しさを感じざるを得ない。新人も多く出てきた年だった。クビサ、リウィツィ、スピードの走りも良かったし、琢磨君の走りも素晴らしかった。けど、アロンソの走りはひとつの上の走りと唸ったのは事実だ。

 そう言えば、セナの最後の鈴鹿もリタイヤだった。セナはS字を抜けたダンロップカーブでエンジンブローしデグナーへたどり着くまでもなくコース脇に車を止めた。Mシューはその後を引き継ぐように、デブナーの進入でエンジンブロー、ヘアピンにたどり着くまでもなくコース脇に車を止めだ。時代は受け継がれていく。

 たんたんと優勝に向かって突き進むアロンソを見て「ああ、次の時代へF1も進むんだなあ」と溜息が出た。セナを愛した古舘アナの「F1ターミネーター」は彗星のように1991年に登場したMシューに向けた代名詞。あの頃は笑顔、憂い目、そして涙もろいセナが人間的、Mシューが機械的に見えたけど、今はそのMシューが人間的、アロンソが機械的に見えるから不思議なものだ。

 Mシューは引退する。虎もフォーミュラの世界からいなくなったら、きっと自分はレース観戦から引退だ、と思う。(でも、またセナがなくなったときに虎が出たように、そんな鮮烈なドライバが出ればわかりませんけどね)