講演会のNPO法人ザ・シチズンズカレッジ「現代的な決断力とは」7月26日(木) 羽生善治 将棋棋士 に東京大手町KDDIホールまで行ってきました。
黒のジャケットとパンツ、白いシャツにノータイのクールビズの井手達で登場された羽生三冠。昨日まで北海道で王位戦番勝負を戦われていたと微塵も感じさせないタフネスぶりはいつもながら感心させられます。
今回は将棋の対局になぞらえて講演を振り返ってみましょうぞ。
羽生三冠の講演会定跡はまず初手「普段は黙って指している棋士ですが~(^^)」から始まる。出足で聴講者を和ませる。飽きさせない演者の定跡中の定跡ですね。案外、この定跡をわかっていない講演者も多かったりしますが(^^;;
序盤から中盤にかけてはベストセラー「決断力」や「先を読む頭脳」など自身の著作内容にそったお話。
最初は梅田さんとの対談で話題となった「高速道路論」、如何に個性を出すかが重要だと。次に将棋界の歴史、実力制になり本筋から異筋の手も指されるようになった。昔1つのテーマを調べて得た知識がまったく役に立たなくなったこと。しかし、新しいテーマを学ぼうとする姿勢や理解へのプロセスの礎になった。
何手読むか?という棋士へのよくある質問。本講演では木村14世名人を引き合いに「一睨み2000手!」。ただプロ棋士は一手平均80通りの選択肢から77~78通りの選択肢を捨てる。この行為を含めば確かに1000手、10000手。ただ3手に絞ったとても10手先は3の10乗。とてつもない。自分は最善手、相手は自分にとって最悪手、なかなか想定通りに進まない。
この読みをカバーするのが大局観。若い時は読みや計算、記憶力があるのでそれに頼るが、年齢と経験を積むことで感性が磨かれる。アマとプロの差は何か?羅針盤の精度であったり、方向性や方針だろう。ただプロであってもノーミスは難しい。人間はミスするもの。ミスを限りなく少なくすることこそが重要だ。
ミス、取り戻そうとすれば平静が崩れる。メンタル面の強さも重要だ。大局感と同様に年齢、経験を重ねるとともに上昇すると語る。すなわちいくつかの引出しが備わるからだと。その功罪の罪側、無難にまとめることを無意識に身につけてしまうこと。冒険的に進めることで勢いやツキに恵まれることもある。難しい課題だ。
プレッシャーに打ち克つには?その人の器に依存。簡単にできることや、間違ってもできないことにプレッシャはない。そのできるかできないかにプレッシャーはかかる。スポーツでよく「楽しんで」という言葉が使われる。その裏には目的意識があってのことだと。目的意識ない楽しんでよりは、目的意識あるプレッシャーであり、目的意識あるプレッシャーより、目的意識ある楽しんで、が力を発揮できる。
講演も終盤、羽生三冠の新手がよく出るところ。
本講演では、羽生三冠が最近感心されたこと2点、「六次の隔たり」と「将棋と日本文化」。「六次の隔たり」とは、人は自分の知り合いを6人以上介すと世界中の人々と間接的な知り合いになれる、という仮説。比較して将棋界は狭い。でも相互に影響を及ぼすいいコミュティだ。「将棋と日本文化」では①駒の再利用、②小さくすること、を他国にない良さだと語る。
フィナーレ、『現代的な決断力とは?』自分に自信がもてるかということ。人間、良いことより悪いことの方が鮮烈な記憶として残る(第14期竜王挑決、木村当時五段戦での1手詰みについて面白おかしく語られた)。そのゆらぎの中でいかに確信を持てるかだと。
今日もありがたいお話、ありがとうございました。
黒のジャケットとパンツ、白いシャツにノータイのクールビズの井手達で登場された羽生三冠。昨日まで北海道で王位戦番勝負を戦われていたと微塵も感じさせないタフネスぶりはいつもながら感心させられます。
今回は将棋の対局になぞらえて講演を振り返ってみましょうぞ。
羽生三冠の講演会定跡はまず初手「普段は黙って指している棋士ですが~(^^)」から始まる。出足で聴講者を和ませる。飽きさせない演者の定跡中の定跡ですね。案外、この定跡をわかっていない講演者も多かったりしますが(^^;;
序盤から中盤にかけてはベストセラー「決断力」や「先を読む頭脳」など自身の著作内容にそったお話。
最初は梅田さんとの対談で話題となった「高速道路論」、如何に個性を出すかが重要だと。次に将棋界の歴史、実力制になり本筋から異筋の手も指されるようになった。昔1つのテーマを調べて得た知識がまったく役に立たなくなったこと。しかし、新しいテーマを学ぼうとする姿勢や理解へのプロセスの礎になった。
何手読むか?という棋士へのよくある質問。本講演では木村14世名人を引き合いに「一睨み2000手!」。ただプロ棋士は一手平均80通りの選択肢から77~78通りの選択肢を捨てる。この行為を含めば確かに1000手、10000手。ただ3手に絞ったとても10手先は3の10乗。とてつもない。自分は最善手、相手は自分にとって最悪手、なかなか想定通りに進まない。
この読みをカバーするのが大局観。若い時は読みや計算、記憶力があるのでそれに頼るが、年齢と経験を積むことで感性が磨かれる。アマとプロの差は何か?羅針盤の精度であったり、方向性や方針だろう。ただプロであってもノーミスは難しい。人間はミスするもの。ミスを限りなく少なくすることこそが重要だ。
ミス、取り戻そうとすれば平静が崩れる。メンタル面の強さも重要だ。大局感と同様に年齢、経験を重ねるとともに上昇すると語る。すなわちいくつかの引出しが備わるからだと。その功罪の罪側、無難にまとめることを無意識に身につけてしまうこと。冒険的に進めることで勢いやツキに恵まれることもある。難しい課題だ。
プレッシャーに打ち克つには?その人の器に依存。簡単にできることや、間違ってもできないことにプレッシャはない。そのできるかできないかにプレッシャーはかかる。スポーツでよく「楽しんで」という言葉が使われる。その裏には目的意識があってのことだと。目的意識ない楽しんでよりは、目的意識あるプレッシャーであり、目的意識あるプレッシャーより、目的意識ある楽しんで、が力を発揮できる。
講演も終盤、羽生三冠の新手がよく出るところ。
本講演では、羽生三冠が最近感心されたこと2点、「六次の隔たり」と「将棋と日本文化」。「六次の隔たり」とは、人は自分の知り合いを6人以上介すと世界中の人々と間接的な知り合いになれる、という仮説。比較して将棋界は狭い。でも相互に影響を及ぼすいいコミュティだ。「将棋と日本文化」では①駒の再利用、②小さくすること、を他国にない良さだと語る。
フィナーレ、『現代的な決断力とは?』自分に自信がもてるかということ。人間、良いことより悪いことの方が鮮烈な記憶として残る(第14期竜王挑決、木村当時五段戦での1手詰みについて面白おかしく語られた)。そのゆらぎの中でいかに確信を持てるかだと。
今日もありがたいお話、ありがとうございました。
先日は「修正をお願いします」という妙なコメントをして申し訳ありませんでした。
さて、小生も先週の土曜日名古屋経済大学でのサマーセミナーにて羽生「校長」の講演を聞いてきました。今回の内容をお聞きして名古屋の講演を懐かしく思い出しました。(ごく最近なので懐かしいは変かな?)
名古屋では「視覚から得る情報は、意外と身につかない」というお話しもされました。「我々は実にたくさんの情報を視覚から得てるわけですけど」という言葉に続く上記のコメントでしたので、一瞬理解が難しかったのですが、今の社会、インターネットの普及により「情報を得る」事自体は非常に容易くなっています。多分「あまり努力することなく手に入れた情報は結局あまり身につかない」という意味に解釈しました。
もし、今回の講演でもそういうお話しが出ておりましたら管理人さんの解釈をお聞かせいただければ、と思います。
例えばインターネット上で見ただけだったり本を読んだだけのものは、それが知識を問う話であり記憶力があれば有効かもしれないけど、それが膨大な量の暗記だったり英会話だったりプログラミングや将棋の対局など新たな想像力を有する場合には、多くの五感、言葉に出して反芻したり、手を動かして試してみる、などした方が身につくと解釈しています。
医学的にも多くの五感を使用した方が身につきやすいそうです。