今日も朝から雨が降っている。 僕はいつも雨が降ると窓の格子枠から庭を眺めていた。 雨の日は悲しいぐらい静かだ。 僕の脳裏には雨音に合わせて童唄が哀調を帯びて聴こえてくる。 昭和18年頃の中国・北京での雨の日の出来事である。
いまでは、雨の降る日にも想い出すことは全くなくなったと言ってよい。 70年以上も月日が流れてしまったのだから・・・。
それが、今、梅雨の時期を迎え、母が亡くなった折に実家から寒椿の傍らに持ってきた小さな灯篭に降る雨を観ていた。
いつもと変わらない日常の朝の風景だ。
。だが、今朝はいつもともと違う。
すらすらと、あの歌詞が口から流れでた。合っているか否かも分からないだけでなく、童唄なのかすら分からない。子ども頃と感情は今も変わらなかったが、懐かしさをもって口からこぼれでた。
雨がふります 雨がふる
遊びにゆきたし 傘はなし
紅緒の 木履も 緒が切れた
何処で耳にしたのだろうか。不思議でならなかった。乳幼児の頃、母の胸に抱かれ子守唄として聴かされていたのかも知れない。母に聞いた記憶がない。
本当にこんな童唄があるのか・・・そして歌詞は記憶のままなのか・・。真実を知りたい。そして、調べてみた。
「あった」!!」感動した。
題名は「雨」 童謡・作詞:北原白秋とあった。 続いて2番の歌詞は
雨がふります 雨がふる
いやでもお家で遊びましょう
千代紙折りましょう たたみましょう
この2番までを覚えていたのだ。 記憶のとおりだった。
軍歌全盛の時代のなかで触れたこども心にも安らぎを感じさせた童唄があったのですね。 何故か悲しい調べだが何故か母の匂いを感じさせる唄でもあった。また、当時の貧しいこどもを唄った哀しい調べだったかも知れない。
しとしとと降る哀調を帯びた「雨」は心を和ませてくれて好きだった。
その後、時折寝酒代わりに森繁久彌さんが唄う「さすらいの唄」をイヤーフォンから聴いていると、その冒頭に森繁節で北原白秋を語る詞がある。
悲しいけれども わしゃ男
いやでも お酒を探しましょう
赤いシェリーもないならば 飲んだふりして休みましょう
みすぎ よすぎの歌唄い北原白秋
何かが心が動かされ心を癒されます。
こどもの頃に出会った想い出は年月と共に、いつしか消え去るものと思考していた。しかし、感情豊かに鮮明に心に残るものなのですね。
昨今、親が我が子を殺める記事を読み心が痛みます。労わり優しさなどに心が動かされないと言うことは心が病むでいるのでしょうか。 悲しい事です。
終わり