峰猫屋敷

覚え書と自己満足の場所

天袋から来客

2010年07月20日 23時37分39秒 | 動物や昆虫など生き物の話
先ほど20時くらいのこと。
ココが妙に押し入れの上の天袋を気にしていました。
近寄った次男が、「なんか…いる!」

キィキィ聞こえたから昆虫じゃないか、というのですが、なんでそんなところに。
しかも大きめ昆虫?

脚立を持ってきて、開けてみました。すると…





ぎゃあああ
コウモリだ~~~

次男がビニール手袋をして、捕獲。
靴の箱に入れました。


   



長男と三男にも見せてから、今、ふたを開けて外に出してあります。
弱ってるようだから、生きてどこかへ飛んでいけるかどうか。


それにしてもなぜ、コウモリが。
どこかの隙間から天井裏に入り込んだのでしょうけど。

なお、天井裏に通じる板は、かなりズレてました。
前にココが入ったことがあって、その時にちゃんと閉めなかったのかな?

閉めたはずなのに、あんなに開いてたとしたら、恐い。
きっと他にも、なんかいる。




      7月21日am8:40追記      

今朝6時ごろ、外に出した箱を見てみたら、空でした。 元気に帰っていったのでしょう。


鳥の朝ごはんになったんじゃありませんように。

風神の待った!

2010年07月12日 20時35分34秒 | そら
三男の足首にヒビが入りました。
今朝、整形外科に行ってから学校に行くため、遅刻届を三男の友だちに持って行ってもらいました。
その帰りに、ふと空を見たら、気になる雲があったので、携帯電話のカメラで撮りました。





線を入れてみました。



風神が「待った!」してるように見えませんか?

(画像をクリックすると、別ウインドウで大きくなります)



         追 記         

「バラを抱く手」 は、どうでしょう。





              7/18 追記               

七海さんのコメントにヒント得て、もうひとつ見えました。
題して、 「そのおでん、よこせ」
お団子頭のおばちゃんが、少年からおでんを奪おうとしています。


(クリックすると大きくなります)


西大助 著・『巷説・逆流の人生』2

2010年07月11日 09時28分31秒 | BOOK
著者、西大助は、少年の頃に蟻の生態に興味を抱いて、蟻の観察を続けたことがあるそうです。
蟻は同種類であっても巣が違うと戦争をする。そして、よく見ると、巣が違うと身体の光沢もチョッピリ違うそうです。

蟻を戦わせるには、巣Aと巣Bの蟻の行動範囲を見て、
AとBの蟻の双方が最も近づく場所に砂糖を二ヶ所やや離して置く。

(略)
蟻Aと蟻Bとは、次には砂糖の置かれている地点を中心にして、もっと砂糖を見付けようと、円形に行動範囲を拡げ、
蟻Aは蟻Bの砂糖に、BはAの砂糖に必ず到着する。
と、双方の蟻たちは入りまじってしまい、お互いに砂糖A砂糖Bを自分たちが見付けたものだと思い込んで、争いになる。


ひどいやっちゃな~。 と、思いつつ、
このまま原文を引用します。

援軍がABの巣から次々と繰り出されると、両軍は対峙の状態になって戦争になる。
蟻の戦争の仕方は、まず一匹同士が相手を自分の巣に近いほうに引っぱり込もうとする。
力の弱いほうは、引っぱられて、敵の陣中に引きずり込まれる。
それに八匹の敵が六本の手足と二本の触角に取り付いて、八方に引っぱって殺傷する。
ちょうど、地面に磔(はりつけ)られた恰好で敵陣中に残るのである。
向かいあった戦線から、敵を味方の陣中に引っぱり入れて、その敵陣の空間に次に控えていた第二線の蟻が突入して、
敵の次の蟻と引っぱりっこをする。
つまり、引っぱっては進み、引っぱっては進んで、やがて、敵の前戦を包囲するようになると、
包囲されかけたほうは、総崩れとなって自分の巣に向かって敗走する。
戦死者や負傷者は敵軍の中に放置されたままになる。
仮に、A蟻軍を勝ちとすると、お互いの巣が比較的近ければ、A軍はB巣の中にまで侵入して、Bの蛹(さなぎ)と卵をA巣の中に運び入れる。
以上は私の観察に基づくものであるが、この蛹や卵は、昆虫学者の本によると、A蟻国の奴隷(どれい)にされてしまうのだそうである。

少年の私は、何度もこのようにして蟻の国の戦争の仕掛人になった。
蟻たちは、人である私の意思による戦争だとは露ほども気付かず、自分たちの正義の戦を続けていた。
私は、同じABの蟻を二年間にわたり(冬は勿論、休戦)戦わせたところ、三年目にはAB両国共に滅んだのであった。

こうして私は「神」を知った。
蟻にとって私は神であった。
神である私は、彼らにさとられずに、食物を与え、戦わせ、国を滅ぼした。
人間も蟻と同じで、何か得体の知れない、見えないものの意思によって操られているのではないだろうか。
現に俺が、蟻たちにとっては、その見えない意思の担いてなのだったから。


(略)

この世から戦争という馬鹿々々しい騒ぎを一掃するには、戦争仕掛人である何者か(神?)の心を、
私が現在、多くの蟻たちを殺傷し、その国を滅亡させた少年の日の罪を悔いているように、悔い改めさせなければならない。
それには、人間がまず、砂糖にたかる習性を改めなければならない。
砂糖にだまされて、二年間の夏を、戦争に明け暮れて、溶けて消えない食糧を蓄える時間と労力を失ったとき、
蟻の国は二つ共に滅び去ったのである。

人間が砂糖の甘さを忘れなければ、神は人間もまた蟻のように滅ぼすであろう。
私は、過去の一時、蟻の神になった経験の持主なので、神の心が解るのである。
神は、慈悲の塊ではない。
人が、神以上の慈悲心を持ったときに、神もまた心が動いて慈愛の者となるのである。

私だって、蟻たちが私に向かって手を合わせ「戦争を起こさないでください」と、願ってさえくれたら、
蟻戦争の仕掛人になることを恥じたであろうからである。





「神を恥じさせる」 という考え方は、面白いと思います。

以上、ずいぶん前から紹介したいと思っていた本を、やっとしました。
うまく纏まらなくて、著者がぼやいてそうだけど。


西大助 著・『巷説・逆流の人生』1

2010年07月10日 19時17分45秒 | BOOK
(長くてメンドクサイと思われる方は、どうぞスルーでお願いします。)


    


昭和62年(1987年)発行の本の話です。

この本の著者、西大助(1921年-1998年)は、昭和初期~中期頃に流行ったらしい西式健康法の創始者の三男として生まれました。
父、西勝造の没後は、当時としては莫大な借金を背負って西式健康法普及団体である西会を継ぎました。
本書は西会岐阜支部で発行していた冊子に連載していた随筆をまとめたものです。

著者は子供の頃から成績が悪く、劣等感の強い人間だったようです。
後年、人から「あなたはしっかり者」と言われたときに、相手に言った話として、
私は子供の頃から、だめな人間で、勉強はできないし、掃除当番になってもサボッて逃げるし、ということで、先生に怒られどうし。
軍隊でも毎日殴られていました。
それで、父が亡くなって、いろいろな人から、いろいろと説教され、ああしろ、こうしろと言われましたが、
そういう説教されたり、叱られたりすることには、お蔭さまで子供の頃から慣らされておりましたので、堪えていくことができただけなんです。
少年時代に秀才と言われ、褒められて育っていたら、とても堪えられなかったでしょう。
(P158「破局物」も天の声として受け止めよ から)
とあります。
つまり、そういう人だったんですね。


さて、タイトルの 『巷説・逆流の人生』 ですが、まず「巷説」ですが、
「ちまたで言われていること」と、いうほどの意味で「小説」とか「巷談」のことである。
小説は、今日では「全くの作り話」を指すようになり、巷談は「講談」になって、これも作り話ということに今の人は受け取るようになったので、
いろいろと考えて、やや古めかしいが「巷説」として、少しは嘘が入るかも知れないことを、あらかじめお断りしたつもりである。

(P83 地獄が無ければ地獄をつくれ から)

また、「逆流の人生」については、下記の通りです。(長文ですみません)
私の人生は今のところ六十一年間の歳月を閲(けみ)しているわけだが、
これは今の時点に立って過去を眺めて書いていくわけだから、私の時間は逆に流れているわけで、
あと十年もたつと、その時点から再び逆流する。 
十年ごとに「一昔たった」と逆流してもよいけれども、一時間ずつ、一分間ずつ、一秒間ずつ、瞬間ずつの逆流でも同じことである。
と、すると、百年たって過去を振り返るのも、一刹那(いっせつな)ごとに振り返るのも同じことで、
人間なんてものは、京に上る途中の峠で、立ち上がった蛙と同じで、通ってきた風景しか見えはしないのである。
蛙が立つと眼がうしろにつくから 「なんだ。京も同じ風景じゃないか」と、がっかりしたわけだが、
人間の目玉も後ろ向きに付いていて、通ってきた道しか見えはしない。
と、すると、自分は未来に向かって歩んでいるつもりであるが、
実は、積み重なっていく過去の堆積(たいせき)物によって、たんに推し進められているだけなのではないか?
そんなふうにも考えられる。 
と、すれば、人間、ダイヤモンドの糞をたれては、その堆積の上に乗っていれば、自然に天に届く。
が、汚穢(おわい)の垂れ流しだと、金剛座が出来ずに、天まで台座が保てない、どころか汚穢の中に沈んでしまう。
そこで、人間の、天国まで行けるか行けないか。また地獄に堕ちるか堕ちないか。
その運命は、自分が垂れた糞の質によって決まるのである。
つまり、自分では前に向かって進み、また向上しているつもりであるが、実は一歩も動いちゃいない。
過去という時間が、自分を押し上げているだけのことで、橋の上から川の流れにゴミを捨てれば汚い川。花を投げれば美しい川になる。
それで「逆に流れる人生」と言ったので、読む人はこのことを知られた上で、ご自分の一生を美しい人生として眺め、
死ぬときに「なんてきれいな世界だろう」と、極楽浄土に往って戴きたい。
極楽浄土は、峠の向こうに在ると、思っとったが、また、それでよいのだが、本当は後ろにあったんじゃ。

(P84 地獄が無ければ地獄をつくれ から)

ふーん。どうなんだろ。なんだかなあ…。という気もしないでもないですが、
とりあえず、タイトルの説明だけ。

私が一番面白いと思ったところは、著者が庭で蟻を戦わせた話でした。

長くなったので、その話は次回に。



私、まとめるのが下手だなあ…。

久しぶりにお銀とにゃ吉・まごころクッキング

2010年07月02日 09時00分00秒 | お銀とにゃ吉
※ 昨日の記事の続きです。

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お銀  「さあさあ、こうしちゃいられない。 これから暑くなるからね。 タコセンセイがバテないように、秘伝の料理をご馳走しなきゃ

にゃ吉 「姐御~。 材料、集めてきやしたー」

お銀  「ごくろうさん。 ねえねえ、にゃ吉。 これ持って行ったら、タコセンセイ喜んでくれるかなあ。

にゃ吉 「泣いて喜ぶと思いやすよ」

お銀  「そうかな。 うふっ。

にゃ吉 「嬉しすぎて気絶するかも…」

お銀  「やだよう。 気絶したら、食べられないじゃないか。 あっ、そのときは、にゃ吉が口移しで食べさせればいいねっ。」

にゃ吉 「なんで、あっしが。 姐御がやればいいじゃありやせんか」

お銀  「そんな恥ずかしいこと、あたいにできるわけないじゃないか。 もうっ にゃ吉、お願い~

にゃ吉 「お断り申し上げます」





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章魚庵さん

作品展に向けて、ご自愛ください。


                  峰猫 拝

久しぶりに、お銀と にゃ吉・見つかった葉書

2010年07月01日 19時02分56秒 | お銀とにゃ吉



お銀  「にゃ吉、ちょっとこれ見て。 峰猫の机の上に、こんな葉書が」

にゃ吉 「にゃに にゃに… こりゃもしかして、タコの旦那の作品展ですかい?」


(クリックすると、章魚庵さんのブログ記事にジャンプします)


お銀  「たいへんだ。 7月30日からというと、あと一月弱じゃないか。 最近、忍術修行にかまけて、タコセンセイのストーカーをさぽっていたから知らなかった」

にゃ吉 「またタライ舟に乗ってタコの旦那の追っかけなんて、あっしは二度と御免こうむりやすよ。 2年前に散々な目に遭ってやすからね」

お銀  「なに言ってんだい、よくごらん。 今度は海外じゃあないよ。 銀座だよ」

にゃ吉 「都会の荒波ねえ…」

お銀  「こうしちゃ、いられない。 あたい、頑張るよっ。 にゃ吉、急いで支度しな!」

にゃ吉 「なんの?」


      -------- つづく --------




峰猫屋敷の屋根裏に、無断で無料で棲みついている、自称くの一のお銀ちゃんとにゃ吉。
2年ぶりの登場です。


【参考】
2007年02月09日  新キャラ お銀とにゃ吉 

2007年02月10日 お銀・にゃ吉の 『あまい囁き』
  
2007年08月30日 お銀とにゃ吉の 『18才の彼』 1

2007年08月31日 お銀 にゃ吉の 『18才の彼』 2

2008年04月30日 お銀とにゃ吉・今いづこ



※ 続きは明日9時に予約投稿しています。