TEX&SFSのてつ

TEX & the Sun Flower SeedのVocal、てつのブログ

電車のマナー

2016-04-09 22:39:45 | Weblog
今日Japonicus恒例の 「PACHAMAMA」が渋谷で行われた。昨年バルセロナで行われたエスペランサを共に闘った同志、トランペットのトミーとサックスのイッサも駆けつけてくれ、今年6月に決定しているバルセロナのビッグフェス、クラウニアでも共演が決まっているDoctor Pratsの天才ベース、ミキとの半年ぶりの再会で超ご機嫌な一夜。帰りは田園都市線の終電でした。電車に乗るやいなや、窓際に超調子に乗った20才台前〜中盤の、まあまあな体格のやつがメッチャでかい声で電話を始めました。これがまあマジでむかつく内容で、要するに気に入らない奴を血まみれにしてやったとかいう感じ。俺はすっげえイライラしてたんだけど、当然周りの人たちもおんなじで、その電話をしてる馬鹿の周りにいるいい感じのおしゃれな奴ら2人(30台中盤から後半くらい)と俺、何度も目が合って、もう目の会話で「こいつむかつく」ってなったんですよね。そんな感じの中、電話の馬鹿の隣にいたそのおしゃれな1人のナイスガイが「電車で電話は良くないと思うけど」って切り出したんで、すかさず俺は「マジでこんな混んでる電車の中で電話はダメだし、血まみれにしたとかって話、やめてくれねえかな」って言ってやった。言われた奴、そんな電話をしてるようなアホだからその後、超俺をにらみ付けてきていつでもこいっ!みたいな一触即発モード。「こりゃあ、もう次の駅降りて殴り合いだな」って感じがプンプンただよってたんだけど、そいつのマナーの悪さにむかついてたもう一人のおしゃれなガイが言葉は発さなかったんだけど、するどい睨みをきかせてくれた。そしたらそいつ、電話で「なんか怒られちゃったから電話切るわ」って言ってその場は収まった。周りにいた俺ら、いい感じで気が合いそうな三人(もちろん初対面、フェスとかで出会ったら絶対友達になるタイプ)が目配せだけでむかつくこいつを抑えられたことが、すごい重要だと思った。これが社会というものだと思った。
俺も若い時は、絶対周りから「うるせい!」って言われる輩だったと思う。でもうるさいのと人の気持ちを滅入らせるパワーは絶対違う。この電話の馬鹿のおかげで、俺は目だけでこんなに会話が出来るんだって知りました。電車を降りる際に、一言も俺とは会話をしてない一番始めに注意したナイスガイと握手をして電車を降りました。あの人絶対いい人!またそのうちに巡り会える事を願う。この大都会で、一瞬だけ同じ目的で気持ちを荒げた同志に感謝!!!そして世の中はみんなの気持ち次第で全然変わると気付かされた、最終電車に揺られた今日の俺でした。
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選挙での権力の干渉

2016-04-09 22:38:02 | Weblog
斎藤まさしさんの裁判を傍聴しに静岡地裁に行ってきました。昨年の静岡市長選挙で、選挙期間前にビラを撒いたことが公職選挙法違反ということです。政治活動(選挙活動ではなく)としてのビラまきはセーフなので、どんな候補でもやっている事なのに。これは明らかに喜納昌吉や山本太郎を国会に送り出したり、三宅洋平というヒーローを作り上げた斎藤まさしを恐れた権力側(警察・検察)の策略。捏造によって人を追い込む様を見せられた。でも斎藤さんの意見陳述は素晴らしかった。権力を前に一歩もひるまず闘う姿があった。涙ながらに闘っていた。意見陳述が終わった後の満席の傍聴席の鳴り止まない拍手が全てを物語っていました。裁判長が制するまで拍手は鳴り止みませんでした。この人を有罪にしてはいけない。絶対いけない。検察側は2年を求刑してます。こんな言われもないことで人生の2年間を塀の中で過ごさせては絶対いけない!執行猶予が付いたとしても選挙活動が止まってしまうから、求めるのは無罪のみ。
判決は2016年6月3日13時10分に言い渡されます。選挙直前。この判決でびびらせて、次の選挙でも本当のことを語る政治家を封じ込めるつもりなんだろうけど、そんなことは許しちゃいけないです。皆さん、この判決に注目して、こんな腐ったやり方を終わらせましょう!!
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僕の息子、二男のお言葉

2015-12-21 01:27:46 | Weblog
日常生活において、よく目の錯覚っぽい感じで「今のは幽霊なんじゃないか」みたいに見えたり、感じたりすることがある。これはきっと誰にでもあると思う。僕もよくあるし、僕の子供たちもよくあるらしい。そんな話をしていた時、すごい解決方法を聞いた。僕の息子、勇治はそのうっすら見えたところを凝視するらしい。しっかり見て何もないことを確認する。そして「やっぱり幽霊じゃなかった」という安堵感でホッとするらしい。
そこで俺が「もし凝視して本当に幽霊いたらどうすんの?」って質問したら、「その時は人生が終わる」とおっしゃっていました。
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不思議な水槽

2015-11-23 23:10:49 | Weblog
我が家の水槽で不思議なことが起こりました。メダカ(10匹)やドジョウ(1匹)を飼っているのですが、つい一週間くらい前、飼い始めて1年半くらいたつドジョウが水槽から姿を消しました。何処を探しても見当たりません。水槽から飛び跳ねて周りにいるかもかもと思い、周辺も探しましたがどこにもいません。丸二日位姿を消していたのですが、また急に姿を現しました。そして今日、水槽をよく見ると、そのドジョウの他に、子供のドジョウがいるではありませんか!子供を生むために砂の中に潜って子供を産んでたのかなあとか思ってドジョウの生態を調べたのですが、ドジョウは卵を産むそうで、いきなり子供が出てくることはありません。しかも1年半くらいドジョウは一匹だったので交尾も出来ないでしょう。じゃあこの子供はどこから・・・

思い当たる出来事としてはこれくらいしかないので書きますが、今から二週間くらい前、夜中に家の玄関でタバコを吸っていたら、タバコを吸っている間中ずっと、遠くの方に不思議な光が二つ飛び交っていました。もしやUFO?と思い、その手のプロ、友人の漫画家、石原まこちん氏にその報告をしました。氏に光の動きを説明した手書きの説明画を送った結果、「この動きはこの星の文明ではありませんね」とのこと。そう、僕の考えではドジョウはUFOに連れ去られ、強引に子供を作らされてまた戻ってきた・・

ちなみに写真左が消えて戻ってきたドジョウ、右が今日発見したドジョウの子供。宇宙ドジョウなのかなあ・・一応ネットで調べてみたら、ドジョウが消えたって言う報告が何件かありました(どれもその後の事が書かれていないので、どうなったのかは不明)。宇宙人、ドジョウに興味があるのかなあ・・柳川ナベが好きで繁殖の研究してたりして・・・

今後の宇宙ドジョウの生態を見守りたいと思います。
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悲しい数式

2014-12-01 22:44:52 | Weblog
今日の朝のこと。俺は電車に揺られていた。ヘッドフォンからは日本最高峰のレベルミュージックバンド、G-Freak Factoryの名曲「島生民」が大音量で流れている。この国の行く末やそこに生きる人々を憂い、果てはこの地球、人間の生きる道を指し示したメッセージソング。かつてヴォーカルの茂木君にTEXの3rdアルバムのコメントをお願いし、快諾してくれた時は本当にうれしかった。魂の名曲「島生民」を聞きながら、俺はまだまだこの人の足元にも及ばないなあ、でも負けねえぞ、いつか追いつけるように気合い入れ直そう!と朝から気持ちを奮い立たせていたその時、ふと電車の中の1人の女性に目がいった。年の頃20代中〜後半、少し明るめの髪にかわいい顔立ち、眩しいほどの真っ白いファー付きのジャケットを着たその女性は、真剣な顔つきで日経新聞を読み込んでいた。そのオシャレでかわいらしい女性からは想像出来ない「日本経済新聞」。このアイテムを持っているだけでポイントが2万点上がるのは俺だけではあるまい。その時だった。日経新聞など一発で吹き消すものが目に飛び込んできた。そいつの名は「陰毛」。その女子の肩に堂々と鎮座しているではないか!すごい存在感だった。何もかもを打ち消してしまった、いや打ち消すだけではなくすでにその女子は何者でもない、「陰毛を肩に乗せた女子」以外の何者でもなくなっていた。

最高の音楽 + オシャレでかわいい女子 + 日経新聞 < 1本の陰毛

悲しい数式。たった一本だけで・・あんなに体積の少ないウェーブくらいしか特徴のないたった一本のアイテムだけで全てが吹き飛ぶ現実。恐るべき負のパワー。俺のヘッドフォンからはリスペクトする茂木君の強烈なはずのシャウトが、むなしく響く・・・俺の目はただ一点だけを茫然と眺め続けた・・・

朝の電車の中での一幕でした。
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バンド人生の先輩

2014-04-10 23:40:42 | Weblog
俺がなんでバンドを始めたか。いろんな理由があるかもしれないけど、やっぱり強烈に残っているのは俺が中学生だったときのこの先輩の存在だった。野平(のひら)先輩。
小学生の時から野球とサッカーと釣りくらいしかやってなかった俺。尊敬するのはブルース・リーと松田優作と王貞治とアントニオ猪木とビートたけし(若干ジャッキー・チェン)。そんな当たり前の中学生だった俺の周りにもこんな年頃には当然いろんな奴が出てくる。クラスメイトにランボーの詩集を愛でる奴なんかも出てきたりして。ランボーなんか100%理解出来なかった俺は500%の力で罵倒してやった。そんな2億%体育会系の俺をかわいがってくれたのが、俺が中1の時に中3だった野平先輩。バンドマン。お互いが太子堂中学校に在学中はそれ程の接点はなかったんだけど、俺が中3になり野平先輩が近くのレンタルレコード屋でアルバイトを始めてからはもう毎日会ってるくらいだった。アルバイトが先輩一人しかいないんで、俺も常にカウンター内で店員モード。先輩が飯食いに行く時なんかは俺が店番&接客。中3のガキ1人しかいないレンタルレコード屋って!そんで先輩は店に置いてある全てのレコードを常に無償で俺に貸してくれた。大体1日に3〜5枚は借りていった。この時のレコードが今の俺にとってどれだけ肥やしになっているかって、もうホント。そんな野平先輩は先輩のお兄さんとメタルバンドをやっていた。お兄さんがドラム、先輩がベース。そりゃあもうかっこいいなんてもんじゃなかった。当時のメタルバンドは目黒の鹿鳴館って言うライブハウスでやれることがステータスだったんだけど、ここにいっつも出てた。とにかくダントツで光ってた。まぶしいなんてモンじゃなかった。しかも練習方法もすさまじくて俺の家はすっごい近所だったんだけど、家にドラムがあってガンガン叩いてて、ガッツリ聞こえてくるんだよね、毎日。周りからしたら近所迷惑なんてもんじゃなかったと思うよ、世田谷なのに。いい時代だったのかもね。

そんで当時よく徹マンに誘われて先輩の家で麻雀打ってたりしたんだけど、たまに「ちょっとたばこ買ってきて、バイク使っていいから」って言われて、一番下っ端の俺は淡島通りをたばこを買うためだけにJOGで疾走してた。気持ちよかったなあ!
そんな中3時代。人生で何が一番かっこいいか。そりゃあもうバンドでしょう、ってホントそれしかなかったんだよね。中3の時に取り憑かれ、今も取り憑かれ続けてるバンド人生。そういえば俺が初めて女の子と付き合ったのは中3だったんだけど、そのきっかけは野平先輩周りの先輩達(森先輩、田原先輩、田口先輩、佐野先輩、悪くて怖い人ばっかだったなあ・・皆さん今何してんだろう・・)に一週間以内に彼女を作れっていう命令に従ったんだよなあ。そんな事でもなければチキンな俺は告白なんて出来なかっただろうし。そんなバックボーンは知らなかったはずの僕の最初の彼女、Kさん。告白した気持ちは今でもハッキリと覚えてるけど、ウソはひとつもなかった!本当の気持ち!これを引き出してくれたんだね、あの先輩達が。でもゴメン、きっかけはそんな事だったんだよね・・・・

そんなわけで、かっこいい人。そんなものに中学生時代に触れることが出来て、いまだにそのかっこよさを追い続けてます、俺。今考えたらその当時の野平先輩は高2。俺はまだその高2の先輩に追いついてねえかもなあ、と思ったりして、2014、春。
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フェルミン・ムグルザ in フジロック2013

2013-08-14 02:06:33 | Weblog
2013年のフジロック、オレンジコート。土曜日のヘッドラーナー、フェルミン・ムグルザのステージで僕は感動的な一夜を味わった。

話は前日のクリスタル・パレスにさかのぼる。
僕はこの年、スペインから自治を獲得したバスクのスーパースター、フェルミン・ムグルザのステージを見るためにフジロックに遊びに来ていた。金曜日のクリスタルパレスでのフェルミンのステージは圧巻だった。僕らTEX & SUN FLOWER SEEDはレベル・ミュージック・シーンに身を埋めているが、フェルミン・ムグルザはまさにそのシーンの大ボス。スペインに統治されていたバスクを自治国にする一端を担い、この国で本当にリスペクトされているシンガー。レベル・ミュージックがなすべき事をやってのけるすごい人。去年僕らがスペイン・バスクツアーに行った際、6年ぶりに行われたフェルミンのライブは新聞の1〜3面を飾った(しかもフルカラー!)。日本でサザンが5年ぶりに復活と言ったってこんな扱いにはなんないっすよね。そんなスーパースターのライブはやっぱり本物だった。僕らはこれまで3度バスクツアーに行く機会を与えられて、2008年、2011年、2012年と立て続けに行かせてもらったのだが、その際にフェルミンの曲に日本語の詩をのせて歌ってきた。このライブの時に名も知られない僕らのライブのリハーサルにフェルミンは訪れてくれた。そして僕らのカヴァー曲を気に入ってくれた。こんなに感動的なことはなかった。
そんなこともあり、2013年のフジロック、クリスタルパレスのステージが終わった後、フェルミンの楽屋に挨拶に行ったのだが、その時に驚くべき事を言われた。「お前らが俺の曲に日本語の歌詞を付けてるLa Linea Del Frente、明日のオレンジコートで演奏するからお前もステージにあがれ!I'll waiting for you!!」と!!心臓がバクバクいった。心底憧れてるアーティストと同じステージに立てる。しかもフジロックという聖地で!

遊びに行っていたはずのフジロックで思わぬサプライズ。

翌日オレンジコートのトリを飾るフェルミンの舞台へ赴いたが、リハーサルもまったくないまま本当に僕がステージに上がるなんて事があるんだろうか、という疑問をいだきつつオレンジコートでうろうろしていた。
まもなく本番が始まろうとしている時に、前日僕のBIG BOSS、Japonicusのしょうごさんにステージ上でプロポーズされた盟友DJチャコが(この感動的なプロポーズは以下で!https://www.facebook.com/photo.php?v=401971109913417)この先どうしたらいいのか分からない俺に変わってBOSSしょうごさんへアプローチ、フェルミンからは僕が歌う部分は合図するからその場所を歌えと言う指示。どの部分を歌うのかも分からぬまま舞台袖へ。もうドキドキですよ!!人生でこんなドキドキはなかったと思います。なんせ歌う部分も分かんないんですから。でもこれがライブ!いろんなシュミレーションをしつつあがってきました、オレンジコート、ヘッドライナーのステージへ!結果、その曲の歌う部分全てに合図が出され、1曲丸ごと歌わせてもらったんです!!

心底リスペクトするアーティストと同じ舞台に立つ。これほど感動的な体験は今までありませんでした!フェルミンにしてもそんな大舞台でリハーサルも無しに僕なんかをステージに上げるのは相当なリスクだったでしょう。でもそれがレベル・ミュージックの中心にいる人の心意気なんだということをその時Big リスペクトと共に心が痛いほど感じました!フェルミン、そしてJaponicusしょうごさん、DJチャコ、本当に感動的な一夜をありがとうございました!!!


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JaponicusしょうごさんがDJチャコにプロポーズ!in Fuji Rock Festival!!

2013-08-14 01:57:28 | Weblog
これがBossしょうごさんからDJチャコへのプロポーズ動画!!超おめでとうございます!!!

https://www.facebook.com/photo.php?v=401971109913417

このめでたい動画ですが、実はここには映されていないドラマがあったんです。プロポーズをしたしょうごさんはDJチャコ(この先チャコと呼びます)に指輪をはめました。でも皆さん考えてみてください。サプライズだったこのプロポーズ劇なのに、なぜチャコの薬指に指輪がぴったりはまったのかを。この指輪を購入するにあたって、とっても重要な人物がいました。フジロック、オレンジコートのヘッドライナーを務めた、レベルミュージック界の重鎮フェルミン・ムグルザとその奥さんです。このプロポーズの4日前、フェルミンの家族(フェルミン本人以外の奥さんと息子と娘)が来日しました。しょうごさんはフェルミンの奥さんヨネに今回のサプライズプロポーズの事を相談し、ピッタリの指輪を買うためにチャコの左手の薬指に合うサイズを極秘裏に調べようと計画をたてました。そこで取ったミッション1はヨネの指輪をチャコにはめてみることでした。「これフェルミンに買ってもらった大事な指輪なの。チャコ、はめてみていいわよ」と、ヨネがすすめました。チャコは何も知らずにヨネの指輪をいくつもつけてみました。しかし!ヨネの指輪はチャコにフィットしませんでした。焦るヨネ。ここでヨネが機転をきかせます。ミッション2。「フェルミンにもらった私の大事な指輪を見せたんだから、チャコがしょうごに今までもらった指輪を見せてよ」と。チャコは何にも知らずに以前プレゼントでもらった指輪を持ってきました。「かわいい!付けてみて!」とヨネ(女優顔負けの演技)。そして現在のチャコの左手薬指にバッチリ合う指輪をチェックし、その後こっそりその指輪を拝借。ようやく現在のチャコの左手薬指のサイズを調べる事が出来たのです。しかしフジロック前の本当に慌ただしい時期。毎年恒例のフジロック前のビックイベント「Radical Music Network @ 渋谷club asia」の本番日、リハーサルの合間を縫ってフェルミン一家としょうごさんは渋谷に指輪を選びに繰り出しましたが、今回のこの指輪はとっても重要だということでなかなか決まりませんでした。そうこうしているうちにしょうごさんはタイムリミット、club asiaに戻らなければならなくなりました
。そしてあとはフェルミン一家に指輪の選択を託したのです!ワールドツアーからその日の前日に来日した疲れ気味のフェルミンでしたが、盟友しょうごさんのためと指輪を探し求めました。そしてようやくゲットしたのが、この動画ではめられることになった指輪なんであります!いや〜ドラマだなあ〜!長くなってすみませんが、これが愛ですなあ!!

そして最も大事な事は ジャポニクス及びラジカルミュージックネットワークは ツアーの時だけの仕事の関係ではなく、アーティストさんもDJさんもプロモーター側も 皆家族を巻き込んで仲良しで、人生の大切な相談も打ち明ける位深い関係で結ばれているという事。信頼関係が出来ているから、あたたかいイベントが出来るんだよーって事です。

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石巻に行って

2011-05-26 00:47:58 | Weblog
 5/17〜19まで、TEXのメンバー鉄観音とヒロキと僕の三人で被災地石巻にボランティア活動をやりにいった。震災から2ヶ月半、何かをしなければいけないという心のモヤモヤと、日常に忙殺される時間との狭間で、まったく平穏な時間はなかった様に思う。そんな中、5/20〜22に山中湖道志村で行われる春フェス「Natural High!」の出演が決まっていたのだが、このフェスは本当に「濃い」メンツの集まる所で、僕の様なモヤモヤを持ったままではステージに上がることは出来ない、との判断から強行軍で訪れることにした。

 準備としてまず区役所に行った。区役所に届けを出せば、被災地までの往復の高速道路代が無料になる。手続きも簡単。区役所の被害対策課(だったかな?)に行って10分くらいで書類をくれた。

 5/17、TEX&SFSのリハーサルが23:00に終わり、バタバタ準備をして、車で東京・下北沢24:00出発。目的地は石巻専修大学。ここに僕の兄貴分・南兵衛さん(アースガーデン代表)の仲間で、中村まなみさんという、ボランティアに来る人を統括している人がいるという話を聞いたので、頼っていくことにした。事前に電話で話を聞いていて、7:30に集合して仕事を振り分けていくと言うことだった。深夜に車での石巻は遠かったが、ようやく今までの心のモヤモヤが取れるかも知れないという思いもあったのか、眠気を吹っ飛ばし2回ほどSAに寄りつつ朝6:00に目的地到着、そのまま集合地へ。

ピースボートのボランティアの皆さんがラジオ体操をしている専修大学の校庭で中村さんと合流。今回の僕らのミッションは津波でヘドロまみれになっている神社をきれいにすること、と聞かされた。現場での僕らのリーダーは伊藤さんという東京から来ている、とっても人のいいおじさんだった。今回の震災で知人を何人か亡くされているということで、たまらず現地に赴いたらしい。一週間の予定だったが「現場を見ちゃったら帰れなくなっちゃってさあ」ということで現在4週間目、こんなんじゃ足りないって言っていた。胸が熱くなった。

 僕らは事前にAPバンクのHP(http://www.apbank.jp/fundforjapan/volunteers/)を見て装備を整えていった。装備を準備することが出来ない人には貸し出しもしてくれていた。僕らも用意していったつもりだったが、やはり現場にしたがい、いくつも借りた。ヘルメットやゴーグル、防塵マスク、長靴の下に敷く堅いインナー、レインコート、ゴム手袋。現地では油断した装備によって破傷風や肺炎などがあるらしい。だからそこのルールに従うことにした。


 いよいよ目的地の神社へ。まずは神社1階部分、浸食してしまい泥だらけになった家屋の泥をシャベルで土嚢袋に入れ外へ運び出す作業。泥を掻き出す間、震災前の平穏な生活が垣間見えてきて本当にきつかった。子ども達の絵本が痛々しく泥に埋まっていた。家屋内が相当な異臭を放っている。海水が腐った感じなんだろうか。家屋内の泥は割れたガラスなんかが混じっているので危険も伴う。きちんとした手袋を借りておいてよかったなあと思う。

 この現場には僕らの他に企業の(株)DENSOさんから派遣された60人程の方達もいた。なんでも社内で希望者を募って派遣されてくるらしい。とても良く働くナイスガイばかりだった。素敵で人間味のある、いい会社だなあと思った。

 泥まみれの家屋の家具でも洗えば使えるものもあるので、色んな家具をトラックに乗せて水洗い出来る港まで移動して、そこで水洗いしてまたトラックに乗せて戻す、という作業もあった。

 そうこうするうちにその日の作業は終了、僕らはメチャメチャ眠いし身体はくたくたなはずなのに、休みたくなくなっていた。たまたま鉄観音が見つけた情報で、ソウル・フラワー・ユニオンの中川さんが女川(石巻の隣。ここの被害も相当ひどかった・・)の避難所でライブをやる、という情報があったのでここはどうしても見ておきたかった。というのも今回僕らはミュージシャンという立場でありながら、あえて音楽活動ではなく肉体労働を選んだ。それは現地の本当の要望、ニーズが分かりもしないうちに音楽でもないだろう、と思ったから。そこに本当にたまたま、僕がもっとも敬愛するアーティスト中川敬がライブをするというのだから行かないわけにはいかない。今現地に音楽は必要なのか・・・

 冠水のため道路に海水が満ちて中々先に勧めない中、会場到着。

ソウル・フラワー・ユニオン withリクオ名義での三人がライブを始める。必要だった!!ここには音楽がとっても必要だった!!ただそれは単なる音楽ではない。中川敬が阪神大震災を始め、これまで築いてきた活動、その避難所にいる人たちへの思いやり、そんなものがぐわぁー!と押し寄せた。自分の為じゃないライブ・・僕は中川さんのライブに心底それを感じた。そんなきっかけもあって避難所の中も見ることが出来た。ひどい、本当に。プライバシーなんてあったもんじゃない。そんな窮屈な生活の中に響いたソウル・フラワー・ユニオン with リクオのライブ。音楽って偉大だなあと実感した。ライブ直後、中川さんに挨拶して帰ろうかなあと思って近寄っていったら、一人のおじさんが中川さんに握手を求めて泣いていた。感動したって言って。いままで君たちのことは知らなかったけど、今日は感動したって言って、泣いていた。中川さんの懐の深さが生み出したすっげえシーンを見せていただいた。感動のライブ!!


 感動しながら、宿泊地の石巻専修大学へ。校庭にテントを張った。くたくたで眠いはずなのに、僕ら三人は話し続けた。思ったこと、感じたことが多すぎたから、そのままでは眠れなかった。たっぷり話し合った後、久しぶりの睡眠へ・・・
昼間は夏日だったのだが、夜の冷え込みは厳しかった。僕は防寒ばっちりで熟睡したのだが、寒さで眠れなかったらしい鉄観音とヒロキ。翌日ヒロキが言った言葉が印象的だった。「被災された人たちのことを思ったら、こんな寒さ、なんでもないって思って眠ることにしたよ」。確かに。

 翌日も7:30集合。ラジオ体操にも参加。ここで一つ気がついた。ここでボランティアをやってる人たちがとっても明るいってこと。もしかしたらここにいるみんなも、僕と同じように心にモヤモヤがあって、やっとそれを追い出すことが出来て、良い心のテンションになってるのかなあ、なんて感じた。

 この日も同じ神社の清掃。なんでもこの神社は海や川で命を落とした方々を奉る所らしい。それを聞いてますます清掃に力が入る。ヒロキに「この何日間、本当にすげえ体験の連続だよなあ」と話しかけたら、「そうだね。でもこの特別な体験は俺らが特別だから経験出来た事じゃないよね。誰でもここに来れば体験出来るんだから」。確かに。ヒロキいい事言う様になったなあ。ヒロキだけじゃなく、鉄観音、僕も含めた三人とも色々なことに心を動かされ、考え、これからの生き方を考える様になっていたと思う。

 この何日間で色々と考えが変わった。僕の父がずっと言っていたことがある。「人様の為にやったことをいちいち周りに言う必要はない。そんなことを宣伝するくらいならやらない方がましだ。」だから僕は今回石巻を訪れたことをいちいち周りに言う必要はないと思っていた。でも今、このレポートを書いている。それは、もしこの文章を読んで被災地でお手伝いしようって思ってくれくれる人が一人でも増えればうれしいと思ったからだ。そんな思いから、本来石巻から山中湖に向かわなければならないところ、僕ら三人は身体は疲れていたが、もっと現地の状況を広く知ってもらう必要がある、と考え、被害状況をレポートするため壊滅した街を車で走った。

日和山から被害状況が一望出来る。


車は紙で出来てるかの様にぺちゃんこに。


魚が腐った匂いなのか、悪臭が立ちこめる。


後ろに見えるのはがれきの山。


車が三階の屋根に。津波の高さがうかがえる。


ビルが横倒しに・・


被災地を訪れて色々なことを感じた。人間は無力だ。だからこそ思った。今、東京を始め被害に遭っていない地域の自粛モードが何か違うと感じた。今だからこそ僕らはこれまで以上にもっともっと全力で生きて行かなくてはいけない。そういう時代がやってきたのだと。自粛ではなくて、全力で色々なことをやって助け合っていくべきだと。本気で生きる時代がやってきたのだと。

僕なんか、まだまだお手伝いが足りていない。今後益々力を入れたい。

P.S.
一緒に行ったギターのヒロキのレポートが写真もたっぷりあるし、超いい事書いてる。要チェック!
http://ameblo.jp/dub-h/





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自分と音楽

2011-02-16 00:42:34 | Weblog
 自分にとって音楽とは何なのか考えてみました。

 はじめてエレキギターを手にしたのが中3の時。アニキの影響が強かったけど、自分の学年の中でエレキを持ったのは自分が一番早かった。超Lowポジションにてドレミファソラシドが弾けるようになった直後、早速コピーし始めたのがVan Halenの「Hot For Teacher」。ライトハンド奏法の意味もやり方も知らぬままに、イントロの部分の超早弾きライトハンドの部分から手を付けてしまった。かぐや姫の神田川なんかをコピーするのに最適なポジション、ギターの一番Lowなポジションにて、TAB譜を入手したものの見方が分からない俺は、覚えたてのドレミを武器に一音一音探していった。エディが弾くと10秒くらいのイントロ、俺が弾くと3分くらいかかった。そりゃあそうだ、ライトハンド使ってないんだから。学年一番、開拓者のつらいところである。その次に手を付けたのが、ドラムは4拍子だけどギターは変拍子的な変態ナンバー、Led Zeppelinの「Black dog」のイントロ。でもこれは出来た。拍子がおかしいなどとは露とも気付かず、これまた神田川的な超Lowポジションで。何百回も弾いた。隣の部屋のアニキが「もうやめてくれ、その曲が俺の中でいつもまわってる!」と言っていた。今思えば「Black dog」がいつも頭の中に鳴ってたらちょっときつい。

 そうこうするうちに同級生7人でバンドを結成、名前は「H-Age(エッチエイジ)」ローマ字読みするとハゲ。そんな裏の意味がクールだった時代。編成がVo(俺)、G×2、B、Key、D、Saxの全員超どシロートなビックバンド。そりゃあひどい音だったが、たまに入るスタジオの楽しい事ったらなかった。最近入ってるスタジオの三千倍くらいのテンション。Sex PistolsとRolling Stonesのコピーをしていたが、曲の途中で絶対誰かが存在しないコーラスを歌い出す。しかも歌詞を付けて。その内容が、「ドラムのルイスは矢橋(中学生当時の人気女子)が好き〜♪消しゴムのケースを取ると名前が書いてある〜♪」的なものが大部分を占めていた。テンション高かったっす。結局このバンドは6年間続いたのちに、音楽性の相違によりあえなく解散(今思えば、全メンバー、音楽性など0.02ヘクトパスカルくらいしかなかったが・・)。

 その後、H-Ageのベースだったタカと共に打ち込みユニット結成。ずっと家で打ち込みばっかりしてた。なんかタカはいっつも俺の家にいた。一週間に8日間くらいいた。お互い風呂にも入らず。タカの他にも色んなやつらが来てた。タカの弟ケンジもいっつもいたんだが、打ち込みの最中はやることないもんだからエロ本などを眺めつつ「早くボリ行こうよう・・」などとたまにつぶやいていた。ボリというのは釣り堀のことで、打ち込みに飽きてくるとよく三軒茶屋の駅前の釣り堀に行った。自分らのことを「太子堂釣友会(たいしどうちょうゆうかい)」などと名乗り、みんなのその日釣った魚の数を手帳に記録し、「今日の釣率」を競ったりした。
打ち込みに飽きた時の別の暇つぶし、当時俺らの間で流行っていた「ギャグ将棋」をよく指した。ただ単に面白いことを言い合って勝負する、たったそれだけのシンプルなストロング・スタイル。スネークマンショーのジャンキー大山をまねて、人の名前の名字と下の名前の頭文字を入れ替えて面白いの作った奴が勝ちとか。例えば「研ナオコ」だったら「なん けおこ」、松田聖子なら「せつだ まいこ」になる。当時ダントツのチャンピオンだったのは松平健だ。「けつだいら まん」。いまだにこの名人を超す人物は現れていない。

 話が多少それてしまったので、音楽の話に戻す。その打ち込みの延長で、アニキの友人に赤ちゃんが生まれるからその記念にレゲエの曲を作ってくれ、歌詞はこれだ、と歌詞を手渡された。ボブ・マーリーをリスペクトするあまり、ジャマイカまで行ったりしてた俺は、快諾した。でも渡された歌詞を見た俺はとまどいを隠せなかった。
歌詞の冒頭「ウヒョ ウヒョ ・・・ ヒャホー ヒャホー ・・・」である。完全にアニキの悪ふざけだ。しかしそこは俺もRockers、受けて立ってやろうと思って曲にのせた。それが記念すべきTEX & Sun Flower Seedの1stアルバムの1曲目に納められている「GREEN」となった。どういうワケかことのほかこの曲の評判が良かったもんだから、もうレゲエでいっちゃおう、というあたりが俺のレゲエ路線の始まりです。

 その後、なんとなくタカとの打ち込みユニットは尻つぼみになり、代わりに俺はTEX & SFSをバンド化するべく動いた。2001年、代々木公園で行われた喜納昌吉さんを中心としたイベント「花の祭り」でのこと。俺はなんとなくスタッフみたいな事をしてたんだけど、そこにあやしい風貌の男が歩いていた。「うわっ、この人見た目ちょーレゲエ!!」と思った俺は、すっげー怖かったけど、勇気を出して話しかけた。「あの・・・ドラム、叩けますか?・・・」。なんと叩けたんである!!このレゲエな人こそ、現ドラマー佐藤けんじだ。今考えるとあの瞬間からTEX & SFSは転がりだしたんだと思う。その後メンバーはどんどん増殖していった。ピーク時は11人までになった。サッカーが出来てしまう人数だ。野球だったらベンチに控え選手2人置いておける。バスケなら2チーム!!対戦すら出来てしまう大所帯。寂しく打ち込みをしていた時代が嘘のようだ。

 なんか知らないうちにTEX & Sun Flower Seedというバンドが出来るまでのヒストリーになってしまった。読み返してみたら長いな〜!!ですのでひとまずここで筆を置きます。またそのうちに、今度こそもっと音楽の話を!!
ということで(つづく)!!
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