意思による楽観のための読書日記

江戸の訴訟 ー御宿村一件顛末 ****

江戸時代の殺人事件、その結果村が抱えてしまった幕府勘定奉行からの訴訟呼び出し、村の名主や事件の被害者、事件の舞台となった村人達が江戸に呼び出され、200日余りの江戸滞在を余儀なくされた顛末を、名主が残していた日記と出費を記した出納帳メモから辿った。江戸時代の中央政府たる幕府の役人、地方の村民とコネを頼った訴訟に対する働きかけ、それに伴う接待と贈り物(贈収賄)が、現実の出費としてどの程度のものであったか、克明にたどっている。

事件は1849年8月に御殿場の先にある御宿村でおこった。8月21日の早朝、面体を隠した数人の無宿人が、村人の源右衛門のところに客分として滞在していた無宿人の惣蔵を殺したというもの。源右衛門は、無宿人の惣蔵を泊めていたことが露見するのを恐れて惣蔵の市街を役場に無断で寺の墓地に埋葬した。公事方御定書によれば、無断の死体処理は、当人は罰金五貫文、五人組三貫文、名主五貫文である。源右衛門はそれよりも、無宿人であった惣蔵との出入り付き合いの露見を恐れたのであった。村としては問題拡大をおそれ源右衛門を出奔したとしてお尋ねとし、無宿人扱いにした。

この時代の無宿人、村を離れた人間がいて、村役人が帳面から削除し申告すればその人間は無宿人である。江戸では捕らえたものが無宿人であり、引取人がいなければ門前払いとされた。無宿人の収容所としては石川島人足寄場があったが例外的な場所であったという。無宿人はいわば犯罪者予備軍であるが、この時代、こうした無宿人を隔離、矯正を加えることはなく放置していた。

事件は村役人として幕府取り調べ方から江戸に呼び出された名主の甚平(52歳)、吟右衛門(43歳)、組頭栄助(35歳)、百姓代市左衛門(44歳)である。合計三回に及ぶ江戸呼び出しの中心には吟右衛門があたった。吟右衛門は豪農であった渡辺家の三男として生まれ、兄はその能力を買われて領主に仕える江戸詰め役人となっていた。吟右衛門は事件に関し書き留めた記録は合計15冊、日記、諸入り記帳、判決書の写し、公事方御定書の写し、その他届書、訴訟書きなどである。

江戸の町、1662年には674町、1713年には933町、1744年には1678町を数えた。武家の土地は全体の7割を占め、寺社地が12.4%、町人地は10%程度に過ぎなかった。江戸の町の境界線は、南が品川より長峰六間茶屋、西が代々木村、上落合村、板橋、北は下板橋、王子、尾久、東は木下川村川、中川通り八郎右衛門新田までとされた。吟右衛門たちが訴訟のために滞在したのは馬喰町二丁目の公事宿山城屋、領主の大久保長門守紀義の上屋敷があったのが麻布市兵衛町、勘定奉行は江戸城近くの神田橋門外、吟右衛門の兄が住んでいたのが本郷丹後守屋敷のあった雉子橋小川町、いずれも江戸府中であった。馬喰町から勘定奉行までは2.5Km位で徒歩30分程度、雉子橋小川町の屋敷までは3Km、徒歩で45分程度かかったであろう。領主の屋敷までは6.5Km、1時間半はかかった。この移動のための時間と籠代だけでも大変な掛かりであった。

宿代が一人2.8匁、奉行所への付き添いへの酒食、下代への小遣いなどで合計6両、奉行所の腰掛け茶屋に2両2分、帰村の際には宿の主人に2分、番頭に1分、下男下女、飯炊きにも100-200文の祝儀を振舞っている。近世日本社会では贈答儀礼と贈賄の区別は難しかった。

吟右衛門の兄、渡辺楷助は本郷泰固という旗本に仕えていた。百姓から侍の身分へ取り立てられたことになる。このような身分移動は比較的自由に行われていたようだ。楷助は弟の吟右衛門の江戸上京を歓迎、訴訟の相談にのる一方で、江戸の町の観光にも一方ならぬ世話を焼いた。訴訟のための滞在には大いに自由な時間があったためである。楷助が仕えていた本郷泰固は御側御用取次という要職であり、将軍に近く仕える立場であったため、諸藩の江戸詰め用人から見れば決して遠ざけるような存在ではなかった。この兄の立場を活用しない手はなかった。しかし、最後に判決が言い渡されたときには多くの謝礼を支払うことになった。勘定奉行への工作を依頼した堀石見守の用人柳田東助にお肴代5両、勘定奉行の用人には10両の菓子代と5両のお料理箱詰めを支払っている。これらは贈答なのか賄賂なのか、難しいところである。社会通念としては大金であるが、近世日本社会では贈答や官官接待が人間関係や社会をスムーズに運営するためには必須であった。これが今の日本でもその残像を引きずっている事を考えると、文化というものの奥深さを感じる。

19世紀中ころの江戸の町の人口は町人だけでも56万人、うち15万人は他国出生のものだった。御宿村から出奔したという源右衛門は江戸にいたのである。そして、吟右衛門も江戸の源右衛門を訪問している。訴訟の取り調べ方には行方不明としている人間は、いわば指名手配の犯罪人である。建前と実態はかけ離れていたのであろうか。

江戸時代の観光や役人の暮らし、江戸の町の様子がよくわかる解説本である。筆者は当時の観光絵図や大名図鑑である武鑑、双六、料亭ランキングなどを調べ上げて、吟右衛門の江戸での動きを追っている、ミステリーのような気分にもなる。実に面白かった。
江戸の訴訟―御宿村一件顛末 (岩波新書)
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