意思による楽観のための読書日記

無縁・公界・楽 網野善彦 ****

筆者が高校教師をしていたときに回答できなかった質問が二つあったという。
1. 日本の天皇家は滅びそうになったことがたびたびあるが、滅びることがなかった、なぜか。
2. 平安から鎌倉時代に集中して偉大な宗教家が出現した理由はなにか。
本書はその2つの疑問に対する回答の一部である試案であるという。

記述の最初は「エンガチョ」、汚れたものに触れたりや悪いことをすると「エーンガチョ、エーンガチョ」とみんなに囃しかけられるという遊び、関東地方以外にもあるのだろうか、関西にはない。あるタイミングで「エンガチョの指切った」という合図でこの遊びは終了する。汚いこと、悪いことと縁が切れる、ということであろう。この「縁が切れる」というところに筆者は着目する。歴史上にも、社会のしがらみを切る、貸し借りをチャラにする、中立状態になるなどの存在があったという。それをタイトルの無縁・公界・楽として解説する。

江戸時代にはあった縁切り寺、駆け込み寺、無縁所などがあり、夫と離縁したい女性、罪を犯したとされた人が逃げ込むなどの特殊な場所が寺の中にはあった。これを公界(クガイ)という。

自治が守られた町もいくつかあった。伊勢地方の桑名、宇治、山田、大湊などである。こうした町には時の権力者の力が及ばないというケースがあったという。堺の町も自由都市として有名だった。伊勢志摩地方に多くいた海の民には天皇に供物を貢ぐ一族がいた。こうした貢ぎ物は時の権力者への年貢とは別で、権力者の力が及ばないとされていた。農民や商売人のように定着せず、諸国を動きながら生活する人たちにはこうした権力から義務を免除されるという共通する性格があったという。「道々の者」と呼ばれた人たちで、海人、山人、鍛冶・番匠・鋳物師などの手工業者、獅子舞。猿楽・遊女・白拍子などの芸能人である楽人・舞人、陰陽師・歌人・能書・算道などの知識人、博打打ち・囲碁打ちなどの勝負師、巫女・勧進聖・説教師などの宗教人などと分類される。

こうした道々の者たちが関係した場所が無縁・公界・楽、その人や場所に共通する特徴はつぎの通り。
1. 不入権。理不尽なる権力介入をさせない。
2. 諸役免除。
3. 自由通行権。
4. 敵味方に分かれることはない平和権。
5. 私的隷属からの解放。
6. 貸借関係の消滅。
7. 連座制の否定。
8. 自治組織「老若」の存在。

本書の記述には反対論も多いという。この増補版ではそうした批判も掲載して、筆者なりにさらに補足している。隆慶一郎の愛読者なら、こうした「道々の者」が登場して活躍する物語を知っているだろう。・と呼ばれた被差別民もこうした道々の者たちの一部もしくはなれの果てかもしれないが、道々の者たちには手に職があり芸に秀でていたという違いがある。こうした芸能の技や職により得たものを天皇に貢ぐ、このことでその時々の権力者からの搾取を免れていた、というが定住しないため年貢として召し上げる手段がなかったのかもしれない。

今まで読んできた日本史にはあまり登場することがなかった人たちであり、登場したがこうした切り口で解説されてこなかった新たな見方である。

無縁・公界・楽―日本中世の自由と平和 (平凡社ライブラリー (150))
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