トッシャ・ザイデルはアウアー門下のロシアの提琴弾きである。ブラームス好きの僕にとっては、フィードラーと同じ理由でザイデルを聴く。ピアノはレッサーという顔合わせである。
その昔、ザイデルといえばブラームスと言われた時代があった。フィードラーとはまた違った質の、佳き時代のブラームスに触れる喜びがある。ブラームスの切ないメロディーをこのうえなく切なく歌いあげるのが僕は好きだ。音色も、それに合った控えめだが品のよい柔らかさがあって心地よい。
ピアノはアーサー・レッサーで、どちらかというとピアノが勝っているやうな録音になっている。しかし、僕としては、レッサーのピアノにも大いに興味があって、これでいいと思って聴いている。
ダイナミックスをはっきりとさせ、弱音は貧しい録音からもさぞや美しい音色だったろうと想像させるに十分だ。2回目には、是非、ピアノに耳を傾けてほしい。提琴とピアノのためのソナタだということに気づくはずだ。間違っても「伴奏」ではないのだ。控えめな提琴と豪快なピアノのコラボレーションが楽しい。コルトオやホロヴィッツの「詩人の恋」を思い起こさせる。
レッサーの録音は、確か、デスマーのLPで聴いた記憶がある。CD化はされていないのだろうか。時間があれば、探してみようと思っている。
盤は、Pavilion Records社の復刻CD GEMM0059。
その昔、ザイデルといえばブラームスと言われた時代があった。フィードラーとはまた違った質の、佳き時代のブラームスに触れる喜びがある。ブラームスの切ないメロディーをこのうえなく切なく歌いあげるのが僕は好きだ。音色も、それに合った控えめだが品のよい柔らかさがあって心地よい。
ピアノはアーサー・レッサーで、どちらかというとピアノが勝っているやうな録音になっている。しかし、僕としては、レッサーのピアノにも大いに興味があって、これでいいと思って聴いている。
ダイナミックスをはっきりとさせ、弱音は貧しい録音からもさぞや美しい音色だったろうと想像させるに十分だ。2回目には、是非、ピアノに耳を傾けてほしい。提琴とピアノのためのソナタだということに気づくはずだ。間違っても「伴奏」ではないのだ。控えめな提琴と豪快なピアノのコラボレーションが楽しい。コルトオやホロヴィッツの「詩人の恋」を思い起こさせる。
レッサーの録音は、確か、デスマーのLPで聴いた記憶がある。CD化はされていないのだろうか。時間があれば、探してみようと思っている。
盤は、Pavilion Records社の復刻CD GEMM0059。