二人のわたしがいる。
一人は自分の好きなことだけをしたいワタシ。
もう一つの私は、喜びを共有したいと感じつつ、自分が愉しいと感じることにいそしむ私。
「いそしむ」を漢字にすると「勤しむ」だ。
最初のきっかけ(就職)が、「暮らしを営むための稼ぎ」だったとしても、その「仕事」を通じて、その作業の中に、自らの喜びを感じることが出来ればいいのだが・・・・。
しかし、そこには「ゆとり」という、気持ちや気分、感じ方を膨らます、コンクリートにすらある「隙間」が必要だ。つまり、息抜きだ。
公の私、私の私と二人の私・・・。切り替えの時間やそれを可能にする周囲との関係。
今回の電通の事件は、単なる「過労自殺」ではない。
人の心を殺し、命を奪った「殺人」と私は思う。
だがしかし、戦場での兵士のごとく、自分の心を殺し、半ばムクロの人生を強いられていることの多さよ。
嘆かずにはおられない。
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