こんにちは、わたくしキャリアディベロップメント推進室の山田です。
本日は私からキャリア論について少し話をしたいと思っています。
論文調の表現なので、丁寧語になっていませんが、
ご容赦いただければと思います。
以下、論じます。
「なんの為に働いているのか」
その答えは個人的にそれぞれ違うもので一慨には言えない。
しかしながら、社会全体の観点から見れば、
労働の目的は、歴史を通して常に変化していることが分かる。
まずは、遠い昔の話から。
中央集権的な国家が成立する古代以前の社会において
人々は、村落などの『地域共同体』の繁栄と秩序の為に働いていた。
村の為に働かないものは、村八分として排除されてしまう。
次に中央集権的な国家が成立し始めると、納税、勤労、教育という
国民という義務が生じ、『国家』の為に働くことが求められてきた。
その『国家』の為に働くことを求められていた最も象徴的な時代は、
明治維新から1945年の終戦までの時代であろう。
『御国の為』の大号令の元、命を賭してまで国家の為に働いた。
終戦後、「国民の義務」自体は無くならないものの、高度成長期には、
国家以上に恩恵を与えてくれる『企業』が現れた。
人々の社会的価値観は、その『企業』の為に働くことに変化した。
『企業』が想像以上の家庭や個人に豊かさを与えることを条件に、
社員に対しては、ライフスタイルも含めた上での「労働力」を求めた。
中には、企業戦士となって汚職の罪を被る社員や過労死の社員もでてきた。
それでも人は、目の前の豊かさを甘受し、『企業』に依存を求め続けていた。
しかしバブル崩壊後、その『企業』や『国家』の神話にも陰りが見え始める。
『企業』のライフサイクルは、10年を切り、大手企業の倒産が相次ぐ。
結果、人々の働く意義は『企業』も『国家』に依存しない『個人』主義に変化する。
いわばキャリア思考の発想となる。
その詳細については、弊社の著書『でき若』にも書いてあるので割愛する。
ただ付随するならば、この『個人』主義やキャリア主義は日本に留まらず、
アジアの労働市場にも似たような症状が見られるということ。
韓国や中国も、未だ知識偏重の学歴主義の傾向にあり、実践を伴わない
キャリア選択の傾向が強い。
また、アジアでは給与上昇の為に各種専門性のキャリアを目指す人も現れた。
インドのIT志望は、旧制度カーストによる脱出と豊かさの追求によるものである。
結果、アジア全体での大学卒業者や各種専門家が画一的に急増し、
各種類の人材の価値がかえって、大幅に薄まってしまう現象を引き起こした。
そして、それは時代の変化に適応できない人を多量を生み出すこととなる。
その結果、現在アジアは人が多く存在しながらも人財不足に悩ませれている。
個人主義、キャリア主義の限界が来ていることをいよいよ深く認識する必要がある。
もう一度振り返ると、
働く上での社会的価値観は、
『地域共同体』 ⇒ 『国家』 ⇒ 『企業』 ⇒ 『個人』
と変遷していった。
ちなみに『家族』という価値観のあるのではと思う方もいるので補足する。
『家族』という価値観は、全ての時代において存在しており、
社会的価値観ではなく、人間の内面にある本質的価値観の部分に近い。
人々は『家族』を守る為に時代に合わせたの社会的価値観を変化させている。
では、次の時代に求められている社会的価値観とは何か。
それは『ネットワーク』である。
なぜ『ネットワーク』なのか。
その理由は2つある。
まず一つ目が、「複雑性」の対応である。
現在、ヒト、モノ、カネ、情報が、国を超えて異常な速さで
かつ大量に移動するようになった。
経済的変数が急激に増え、将来の経済予測を誰もができなくなった。
国という経済空間でしか論ずることのできないケインズ経済学の理論は、
通用しない時代になった。
現代は、「複雑性」の時代へと変貌している。
その「複雑性」の時代においては、『国』や『企業』といった
固定的な組織形態だけでは、通用しなくなった。
経済的変数を敏感に察知し、迅速に行動できる新たな組織体の必要性がある。
それが『ネットワーク』である。
この『ネットワーク』という言葉は、近現代と現代では、
質のまったく違うものになった。
インターネットの普及、またそれに伴う先進的なアプリケーションの誕生により、
世界のヒト、モノ、カネ、情報を瞬時に把握し、決断できるようになった。
また以前以上に海外渡航が容易になり、世界中の人達とバーチャルでもリアル
でも交流が可能になった為だ。
今後は、世界規模での良質な『ネットワーク』をいかに創るかによって、
ビジネスの正しい意思決定ができ、生き残れるかどうかが決まってしまう。
2つ目は「絆」である。
いままでの働く上での社会的価値観であった『地域共同体』『国』『企業』は、
その存在そのものが、コミュニティであり、「絆」の集合体であった。
しかし『個』が重視された価値観になってからそれらの「絆」の集合体は崩壊。
大家族から核家族化が進み、限られた人間関係だけで形成されるようになった。
また物質的豊かさは、絆の断絶を助長させた。
その反動からか、現代人は新たな「絆」の集合体を求めるようになった。
高度成長期時代では、都市化する東京で多くの新興宗教が勃興することになる。
最近では、スピリチュアルなどという言葉にも表れるように、
なにか抽象的なものとつながることを幸せと感じる人が多くなってきた。
SNSの急激な広がりもまさにそうである。Facebook利用者は、既に5億人を超える。
世界とつながっているのだという理想主義を掲げる「SNS教」が勃興したといえる。
それらが本当の意味での「絆」になり得るのか。
その点については、また別の機会に言及したいところではあるが、
少なくとも、現代ほど「絆」を求められている時代はないと強く感じる。
2つの理由から
今後、『ネットワーク』の必要性がさらに高まるであろう。
それと同時に、『ネットワーク』を駆使したキャリア戦略こそが求められる時代と感じる。
社内、社外は当然のことながら、国内、国外を超えたネットワークをつくり、
フォーマルなネットワークではなく、インフォーマルなそれも加味し、
社会が真に求めているニーズに合わせ、てその都度価値を創造していく必要がある。
私も今は、社内に留まらず一流の人達と交流を積極的に行動し始めた。
私自身も、新たなビジネスモデルと新たな価値を創造する為の戦略を練っている。
そのことについては、また別の機会で話したいと思う。
以上。
。。。。
大変長文となってすいません。。。
それではまた、お会いしましょう^0^
キャリアディベロップメント推進室
山田正勝
本日は私からキャリア論について少し話をしたいと思っています。
論文調の表現なので、丁寧語になっていませんが、
ご容赦いただければと思います。
以下、論じます。
「なんの為に働いているのか」
その答えは個人的にそれぞれ違うもので一慨には言えない。
しかしながら、社会全体の観点から見れば、
労働の目的は、歴史を通して常に変化していることが分かる。
まずは、遠い昔の話から。
中央集権的な国家が成立する古代以前の社会において
人々は、村落などの『地域共同体』の繁栄と秩序の為に働いていた。
村の為に働かないものは、村八分として排除されてしまう。
次に中央集権的な国家が成立し始めると、納税、勤労、教育という
国民という義務が生じ、『国家』の為に働くことが求められてきた。
その『国家』の為に働くことを求められていた最も象徴的な時代は、
明治維新から1945年の終戦までの時代であろう。
『御国の為』の大号令の元、命を賭してまで国家の為に働いた。
終戦後、「国民の義務」自体は無くならないものの、高度成長期には、
国家以上に恩恵を与えてくれる『企業』が現れた。
人々の社会的価値観は、その『企業』の為に働くことに変化した。
『企業』が想像以上の家庭や個人に豊かさを与えることを条件に、
社員に対しては、ライフスタイルも含めた上での「労働力」を求めた。
中には、企業戦士となって汚職の罪を被る社員や過労死の社員もでてきた。
それでも人は、目の前の豊かさを甘受し、『企業』に依存を求め続けていた。
しかしバブル崩壊後、その『企業』や『国家』の神話にも陰りが見え始める。
『企業』のライフサイクルは、10年を切り、大手企業の倒産が相次ぐ。
結果、人々の働く意義は『企業』も『国家』に依存しない『個人』主義に変化する。
いわばキャリア思考の発想となる。
その詳細については、弊社の著書『でき若』にも書いてあるので割愛する。
ただ付随するならば、この『個人』主義やキャリア主義は日本に留まらず、
アジアの労働市場にも似たような症状が見られるということ。
韓国や中国も、未だ知識偏重の学歴主義の傾向にあり、実践を伴わない
キャリア選択の傾向が強い。
また、アジアでは給与上昇の為に各種専門性のキャリアを目指す人も現れた。
インドのIT志望は、旧制度カーストによる脱出と豊かさの追求によるものである。
結果、アジア全体での大学卒業者や各種専門家が画一的に急増し、
各種類の人材の価値がかえって、大幅に薄まってしまう現象を引き起こした。
そして、それは時代の変化に適応できない人を多量を生み出すこととなる。
その結果、現在アジアは人が多く存在しながらも人財不足に悩ませれている。
個人主義、キャリア主義の限界が来ていることをいよいよ深く認識する必要がある。
もう一度振り返ると、
働く上での社会的価値観は、
『地域共同体』 ⇒ 『国家』 ⇒ 『企業』 ⇒ 『個人』
と変遷していった。
ちなみに『家族』という価値観のあるのではと思う方もいるので補足する。
『家族』という価値観は、全ての時代において存在しており、
社会的価値観ではなく、人間の内面にある本質的価値観の部分に近い。
人々は『家族』を守る為に時代に合わせたの社会的価値観を変化させている。
では、次の時代に求められている社会的価値観とは何か。
それは『ネットワーク』である。
なぜ『ネットワーク』なのか。
その理由は2つある。
まず一つ目が、「複雑性」の対応である。
現在、ヒト、モノ、カネ、情報が、国を超えて異常な速さで
かつ大量に移動するようになった。
経済的変数が急激に増え、将来の経済予測を誰もができなくなった。
国という経済空間でしか論ずることのできないケインズ経済学の理論は、
通用しない時代になった。
現代は、「複雑性」の時代へと変貌している。
その「複雑性」の時代においては、『国』や『企業』といった
固定的な組織形態だけでは、通用しなくなった。
経済的変数を敏感に察知し、迅速に行動できる新たな組織体の必要性がある。
それが『ネットワーク』である。
この『ネットワーク』という言葉は、近現代と現代では、
質のまったく違うものになった。
インターネットの普及、またそれに伴う先進的なアプリケーションの誕生により、
世界のヒト、モノ、カネ、情報を瞬時に把握し、決断できるようになった。
また以前以上に海外渡航が容易になり、世界中の人達とバーチャルでもリアル
でも交流が可能になった為だ。
今後は、世界規模での良質な『ネットワーク』をいかに創るかによって、
ビジネスの正しい意思決定ができ、生き残れるかどうかが決まってしまう。
2つ目は「絆」である。
いままでの働く上での社会的価値観であった『地域共同体』『国』『企業』は、
その存在そのものが、コミュニティであり、「絆」の集合体であった。
しかし『個』が重視された価値観になってからそれらの「絆」の集合体は崩壊。
大家族から核家族化が進み、限られた人間関係だけで形成されるようになった。
また物質的豊かさは、絆の断絶を助長させた。
その反動からか、現代人は新たな「絆」の集合体を求めるようになった。
高度成長期時代では、都市化する東京で多くの新興宗教が勃興することになる。
最近では、スピリチュアルなどという言葉にも表れるように、
なにか抽象的なものとつながることを幸せと感じる人が多くなってきた。
SNSの急激な広がりもまさにそうである。Facebook利用者は、既に5億人を超える。
世界とつながっているのだという理想主義を掲げる「SNS教」が勃興したといえる。
それらが本当の意味での「絆」になり得るのか。
その点については、また別の機会に言及したいところではあるが、
少なくとも、現代ほど「絆」を求められている時代はないと強く感じる。
2つの理由から
今後、『ネットワーク』の必要性がさらに高まるであろう。
それと同時に、『ネットワーク』を駆使したキャリア戦略こそが求められる時代と感じる。
社内、社外は当然のことながら、国内、国外を超えたネットワークをつくり、
フォーマルなネットワークではなく、インフォーマルなそれも加味し、
社会が真に求めているニーズに合わせ、てその都度価値を創造していく必要がある。
私も今は、社内に留まらず一流の人達と交流を積極的に行動し始めた。
私自身も、新たなビジネスモデルと新たな価値を創造する為の戦略を練っている。
そのことについては、また別の機会で話したいと思う。
以上。
。。。。
大変長文となってすいません。。。
それではまた、お会いしましょう^0^
キャリアディベロップメント推進室
山田正勝