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雑感録

福岡なるほどフシギ発見~おまけ32~ 望東尼女史が流された姫島へ

 
乙丑の獄で我らが平尾探検隊名誉隊長・野村望東尼女史が流されていた姫島へ。
望東尼女史については今さら言うまでもないけど、幕末の勤王歌人で平尾山荘の主。
長州藩内の過激尊攘派から逃れてきた高杉晋作を山荘に匿ったこともある。
福岡藩の勤王党弾圧で慶応元(1865)年10月に姫島に流された。

その姫島は、糸島半島の北西4km。
今でも人口210人程度の小さな島だ。

渡船は「ひめしま号」が岐志漁港から1日4往復出ているが、乗るのはほとんど釣り客。釣り道具を持ってないのはオイラか住民ぐらいのものだ。
外海なので、波が荒い。その波の上を跳ねるように船は進む。
島の路地。ほとんど車がいないので、こんな細い道ばっかし。





「魔のカーブ」も自転車やバイクが対象。
集落の端っこに「野村望東尼之旧蹟」の入口が!当時はよっぽど寂しいところやったんやろう。
以前は4畳の獄舎が復元されていたらしいが、今は「御堂」が立っている。格子はあくまで御堂の格子戸。獄舎の檻ではない。


御堂の中を覗くと望東尼人形が!ちょっと怖いぞ…。
御堂の正面に立つ望東尼像。
資料展示コーナー?

帰りの船にはまだまだ時間があるので、島の鎮守の神様・姫島神社へ。「鳥居様」はなぜか路地とずれたところに。
「あいさつで楽しい一日明るい姫島」。いや、姫島の人は子どもも大人もオッサン以外はよくあいさつしてくれました。





島の高台にある姫島神社。祭神は豊玉姫命。島の北端には豊玉姫命が生まれたという「産の穴」という奇勝があるらしい。
境内からの眺め。境内は津波の際の避難場所になっている。


慶応2(1866)年9月、望東尼女史は高杉晋作の指揮によって救出され、晩年は下関、三田尻(防府)で過ごした。

おまけ
平尾望東尼の胸像比べ
望東尼女史の胸像は平尾山荘跡(福岡市)、姫島(糸島市)、防府天満宮境内(防府市)と僕が知る限り3つあるけど、どれがいちばんお美しいか、並べてみましょう。
平尾姫島防府


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