いきけんこう!

生き健康、意気兼行、粋健康、意気軒昂
などを当て字にしたいボケ封じ観音様と
元気印シニアとの対話。

老枝垂れ桜の生きがい

2006-04-01 15:50:43 | Weblog
桜が満開になる時期と日曜日が重なり、今年の花見は絶好調だ。
昨年は1週間以上も開花が遅れて、佐倉城址公園散策の日取りを決めるのに苦労し
ていた。今では、懐かしい思い出だ。

家から自転車で20分位のところに福星寺(ふくしょうじ)がある。その寺の境内で
”360余年前から咲いている”との由来がある桜が、写真の枝垂れ桜。

権僧郡宥照(ごんのそう・すゆうしょう)が元和(げんな)2年(1616年)に福星
寺を創設した時に、親寺である金光院(こんこういん)本堂の前にあった枝垂れ桜
から株分けした桜である、とも言い伝えられている。

御成街道(おなりかいどう)を四街道(よつかいどう)方面へ向かって北上すると
金光院から福星寺までは、歩いて半刻(はんとき・1時間)ぐらいで行ける。

大坂の役で豊臣一族を討伐しながら、安房の里見氏の動静を探る腹積もりから、家
康は鷹狩りを東金辺でやる意向を土井勝利に伝えた。佐倉城主だった利勝が主君の
鷹狩りをする道路に造成したのが御成街道で、その街道沿いに金光院がある。
そこから東金方向へ10分位歩くと、総勢100余人の鷹狩り一行が休憩・宿泊し
た「お茶屋御殿」の跡がある。

元和元年11月15日東金辺の鷹狩りをするため江戸城を発った家康は、16日金
光院へ立ち寄った。本堂前の枝垂れ桜を観て、家康は”珍しい桜だ”と讃え、しば
しの間桜の木に手をかけていた。それから、金光院の檀家の人達から「お手かけの
桜」と呼ばれるようになったが、今は観る事ができない。
本堂前にある枝垂れ桜は、お手かけの桜を伐採した後に植えたものです、と住職が
話してくれた。

金光院は正応(しょうおう)2年(1289:鎌倉時代)に創建しているが、天文(て
んぶん)20年(1551)に火災で喪失したので、20町歩の山林を原胤清(たねき
よ)から寄進を受け、現在地に移転し再建されている。

山林の伐採と整地に2年、建物の建立に10年と想定すると、現在ある金光院は文
禄(ぶんろく)6年(1563)足利義輝が将軍の安土桃山時代に完成している。
お手かけの桜は、再建された金光院の竣工記念に植樹された可能性は高く、家康が
鷹狩りの途中で観た時は、樹齢53年目を迎えていた。

これからの話も、独断と偏見で進めたい。

人生50年時代に、家康は天下統一を目指し、信長、秀吉と熾烈な戦を繰り広げ、
勝利者となった。家康が生まれたのは天文11年(1542)だから、金光院の枝垂れ
桜に出会ったのは73歳。晩秋も過ぎ冬支度をして春を待っている老木にお手かけ
をした真意を忖度できないだろうか?

徳川譜代の重臣大久保忠隣(ただちか)は、馬場八左衛門の進言、幕府に対する謀
反を密かに企んでいると訴えられて、家康に改易された。家康から信望が厚かった
忠隣を改易することで、本多正信らとの政権争いに決着をつける。

その8ヶ月後、忠隣と縁戚関係にあることを言い掛かりにして、里見一族を伯耆国
(ほうきのくに・鳥取県倉吉市)に国換えした。江戸のお膝元に刺さっていた棘の
始末もした。

徳川長期政権を確立する前に立ち塞さがっている障害が、忠隣と里見一族の存在だ
った。その邪魔者を追い払い、長期安定政権樹立への地固めを成し遂げた。
徳川300年の幕開けには、ふたつの犠牲は不可避だった、と心の葛藤を金光院本
堂の前に佇む老木に告白し、人間として肩にのしかかっていた重荷を降ろしたのだ
ろう。

「戦国の乱世を治めるために理不尽なことも数多くやってきたが、天下泰平の世に
 向かう兆しが見え始めている。あと一押しではないか。この老桜は、来年54歳に
 なっても、その次も、またその次の年も、春になると花を咲かせるのだ」
 

ホトギスが鳴くまで辛抱強く待って、勝機が訪れるのをじぃ~っと窺う家康が、天
下統一の夢を追い続け、一歩手前まで辿り着いた家康の生き様には、血生臭い戦の
臭いが染み付いている。でも、無言で春を待つ晩秋の枝垂れ桜には、それがない。

だから、家康は、金光院本堂前でじぃ~っと春を待つ老桜に”綺麗ごとだけでは天
下は治められない”と本音を告げて、挫けそうになる自分を奮い立たせていたのだ
ろう。

しかし、家康は、金光院でお手かけした老桜に出会った翌年、元和2年4月15日
74歳で他界し、久能山に葬られた。

もう解りましたね。郡宥照は、家康と福星寺との間に潜んでいる不可思議な縁起を
担いで、金光院の親桜から、私を株分けしたのです。

「福星寺のシダレザクラについて」

看板の説明書きを読んでいると、樹齢360有余年の老木は、親桜と縁の深い家康
との絆を嬉々路と語りかけてくる。

私の親桜は、お手かけした家康に、
「私は上総(かずさ)の片隅でひっそりと暮らしています。春になると私の姿を観
 てみんなが喜んでくれるんです。それだけが生甲斐。毎年花を咲かせるのが楽し
 いんです。
 家康公さま、あなたは、去年1月7日に私と逢いましたが、忠隣と里見氏との処理
 対策に頭がいっぱいで、心の余裕がありませんでした。だから、私に眼もくれず
 お茶屋御殿へ急ぎましたネ。
 今年は、大公さまにとってゲンの善い東金での鷹狩りを堪能して、江戸へ帰って
 ください。冬来たりなば春遠からじです」
 
と、激励したんです。

「自分の信念に向かって老体に鞭打ち、懸命に働く家康公を最後まで見届けられた
 こと、家康公がお手かけしてくれたことを誇りにして、私の親桜は、それを語り
 継いできました。だから、福星寺に株分けされた私も、家康公との絆を語り継い
 だ親桜の心意気を受け継ぎ、今も誇らしく語り伝えているのです」
 

私は、満開の花を観て歓喜する金光院の檀家人たちや、お手かけしてくれた親桜と
家康との良縁に支えられ、、福星寺で360有余年生きながらえてきました。
そして、これからも、ずう~と風雪に耐え、春になると家族や故郷の歴史の語リ部
として生き続けるんです。

「元気印さん、シニアの生活には、夢が溢れているんですよ」

淡い桃色の花に包み込まれて、春を謳歌している老枝垂れ桜に精気を貰ったエープ
リル・フールだった。

 



コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

村岡元長官が流した、悔し涙

2006-04-01 08:53:14 | Weblog
今晩、桜をたのしまれては

東京地裁は、1億円ヤミ献金裁判に対して、無罪の判決を下した。
川口裁判長は、判決理由を朗読してから、村岡被告に向かって語りかけた。

「長い間、ご苦労様でした。(中略)今、ちょうど桜がよく咲いています。これか
 ら先どうなるか分りませんが、せめて今日一晩ぐらいは平穏な気持ちで、桜を楽
 しまれたらいかがでしょうか」(産経新聞より)

法曹界を知っているコメンテイターは、某TV局の番組で”このようなことは極めて
珍しい”と解説していた。

「長い間、ご苦労様でした」
から始まる言葉を掛けられ、ハンケチで眼頭をぬぐった村岡元長官の心中は、

「悪さを働いた奴は、ほかにいる。それが証明され、肩の荷が下りた」

ボケ封じ観音さまも、無罪判決を下した語りに籠めた裁判長の憤怒の念を忖度した。

「この裁判を審議してきた裁判長は、村岡被告が本事件ではトカゲの尻尾切りにさ
 れているとことを語りの方式で公表しています。裁判長としてではなく、一人の
 人間としての語りかけでしょう。そう感じません、元気印さん」

「これから先、どうなるかわかりませんが。意味深な語りかけだと云いたいんでし
 ょう、観音さま。判決がおりて検察は直ちに控訴したからネ。そんなことは、ち
 ゃんと心得ての無罪判決でしょう。毎度お馴染みの政治献金にまつわる闇疑惑は
 もういい加減にして、襟を正しなさい。反省もせずに魔女狩りの魔女探しで事件
 を終わらせる厚顔な政治家達に嫌気がさし、それを訴えた無罪判決なんだ」  

「村岡元長官は記者会見で、平成研究会(橋本派)は、政治資金を管理・運営の決
 断をしているのが、元総理経験者と議員を辞めた長老だと公言していた」

花見酒で顔を赤く染めた名無し羅漢が、話に割り込んでくる。

「1億円の献金を受けた記憶がない。とんでもない話だ。引退した長老は自叙伝も
 どきを出版しているんだぜ。自分に都合の悪いことを覚えているから、都合のい
 い働きを選択して強調する。こんなの、常識だろう」

「献金を受領した面会に同席したもう一人は、彼の国へノコノコ出向いている。商
 工関係者を引き連れてだよ。挙句の果て、日本の指導者が靖国参拝を止めると国
 交を回復する。こんな太く長い釘、5寸釘を打ち込まれたまま帰国した」

「元総理経験者は、帰国してから、靖国参拝に関して中止するよう”なんだかん
 だ”と屁理屈を、あたかも助言するような体を装い、派閥運営に彼の国の意向を
 反映させる。自民党の政治判断におよぼす影響の方が有害で恐ろしい。親中派と
 呼ばれる政治屋に打ち込まれた5寸釘は、そう簡単に抜けない」

ボケ封じ観音さまは、名無し羅漢の話を黙って聴いている。

「剣道を嗜む剣士だったら、靖国神社がなんなのか、を彼の国の指導者とキチント
 した議論を戦わせ理解させられるのに、それもやっていない。だから、彼の国へ
 出かける暇があったら、日歯連から受けた献金の領収書を発行しないように決断
 したのは、誰かをハッキリさせる。それが先だァ~。武士道魂を忘れるなァ~」

「名無し羅漢さま。花見酒を呑み過ぎて、悪酔いしてるんだから」
「なにを~。この野郎。酔いなんか、とっくの昔に醒めてらァ~。貴様は、元気印
 とかなんていって のんびり構えてるが・・・」
「おっと・・・。ああ、寝てしまった」

名無し羅漢さまは、千鳥歩きで床に寝込み、静かになった。
ボケ封じ観音さまも、名無し羅漢の心情を察してか、微笑んでいる。

「まだある。そもそも、靖国を参拝した元総理経験者、心ある有識者から、靖国参
 拝を政治問題化したのは貴方です、と名指しされている張本人が、彼の国の指導
 者と面談した際に、しっかりと5寸釘を打ち込まれているんだよ」

「風見鶏の真骨頂、と言いたいんでしょう」
「そうだァ~。自分の厚顔を覆う分厚い面の皮が、疲労困憊してブヨブヨにたるん
 でいることを忘れおって、この野郎。ウイィ~っと。酔いが回ってきた。観音さ
 ん、元気印、おやすみィ~」

「彼の国で指導者と面談した元総理経験者二人が、自分に打ち込まれた釘をどのよ
 うに抜いたかは、殆ど報道されていません。視聴者が知りたいのは、そのことで
 すから」

憤懣やるかたない、ボケ封じ観音さま。

「多分、自主規制して編集して流しているんでしょう、観音さま。靖国参拝を政治
 問題化した張本人を番組に招いて、凝いもせずに、彼の国で打ち込まれた釘につ
 いて、ご高説を伺っている。マスコミが持っているジャーナリズム精神が泣いて
 いる。村岡被告の流した悔し涙をブッカケてやりたい」

「元気印さん、そんなに興奮しないで。今日は土曜日ですょ。天気も快晴です。愛
 する奥さんと一緒に、染井吉野でも観て、心を落ちつかせ、明日に備えることで
 す」

徳川家康の”お手かけ”といわれた金光院(こんこういん)の枝垂れ桜から株分け
されて、元気で見事な枝振りを毎年楽しませてくれる福星寺(ふくしょうじ)の”
親子枝垂れ桜”を観て来よう。

「小言半兵衛に篭ってしまうと、白髪が増えるだけです。元気印のシニアさん」



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする