歌人・辰巳泰子の公式ブログ

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(編集中)鬼さん考 六(心に棲む鬼)

2024-05-26 | 月鞠の会
(6)心に棲む鬼――怨霊と「心の鬼」の違い

平安時代の文学には、「心の鬼」という言葉が出てきます。一般の古語辞典に「心の鬼」の項目があり、この言葉は、連語として意味を成します。良心の呵責、こころのやましさ、疑心暗鬼といった訳語が当てられ、用例は『蜻蛉日記』(974年頃)、『枕草子』(1001年頃)、『源氏物語』(1008年頃)、『紫式部集』(晩年の自選歌集)、『浜松中納言物語』(1052年頃)など(※成立年代は、「ベネッセ全訳古語辞典」による)。

古語辞典の用例をヒントに、原文に当たっていきましょう。


  〈心の鬼は、もし、ここ近きところに障りありて、帰されてやあらむと思ふに、人はさりげなけれど、うちとけずこそ思ひ明かしつれ。〉(『蜻蛉日記』新潮日本古典集成)


大意 疑心暗鬼で思うことには、もし、(いま突然訪ねてきたあの人が)、ここに近い別な女に通って、何か障りがあって帰されて私のところに寄ったのかしらと思うと、あの人はしれっとしていても、私はこだわりが解けずに考えこんで朝になってしまった。

「あの人」とは通い婚の夫、兼家。夫が別な女性に心を移して、すっかり離れたかと思ったら、戻ってきたりもして、疑心暗鬼のつのるさまを、「心の鬼」と表現しまた。夫の不実に苦しめられ、大晦日の鬼やらいなど円満な家庭の人びとのすることだわとため息をつき、『蜻蛉日記』の作者は、石山寺に、熱心に参籠するなどします。

「心の鬼」が、死後の世界観とかかわるのは、『紫式部集』の次のくだりでしょう。


  〈絵に、物の怪つきたる女のみにくきかたかきたるうしろに、鬼になりたるもとの妻を、小法師のしばりたるかたかきて、男は経読みて物の怪せめたるところを見て
  亡き人に かごとをかけて わずらふも おのが心の 鬼にやはあらぬ〉
    返し
  ことわりや君が心の闇なれば鬼の影とはしるく見ゆらむ〉(『紫式部集』新潮日本古典集成)


大意   絵に、物の怪のついた今の妻の醜い姿を書いた背後に、鬼の姿になった前の妻を小法師が縛っているさまを描いて、男はお経を読んで、物の怪を退散させようとしているのを見て
今の妻についた物の怪を亡くなった前の妻のせいにして、苦しめられているというのも、結局は、自分自身の疑心暗鬼に苦しめられているということではないかしら。
  返し
もっともです。あなたさまのお心が闇でいらっしゃるから、その鬼の姿を、しかとお認めになられるのでしょう。

道教的な死霊の祟りを信じる人が、絵に描かれています。式部は、その絵を指しつつ、死んだ人が祟ることを否定しています。そして、祟られたと思いこむ人の疑心暗鬼によるものだろうと見込みます。この歌には返しがつき、山本利達氏の校注によると、侍女からの返しであろうとのことですが、その返しの内容は、他人の心に鬼をみる人の心が闇でしょうと、宮中の女たちが心の世界に自覚的なことに驚かされます。ここからわかることは、「心の鬼」がメルヘンではないことです。実人生に根ざした苦悩を生きている人の面差しが、言葉の背後に浮かびます。

『岩波仏教辞典 第三版』によると、怨霊のうち、政治的に非業の死をとげた人の怨霊を「御霊」といい、863年に京都の神泉苑で御霊会が開かれました。物の怪は、承和年間(834~848年)から頻発するようになり、加持祈祷が盛んにおこなわれたそうです。たとえば、御霊となった菅原道真は、天変地異とセットの国家案件でした。一般の人に取り憑く霊的存在を「物の怪」と呼び、「御霊」とは区別したようです。そして、怨霊もまた鬼の類とされ、物の怪は、鬼と重ねられることも多いといった存在でした。

ところで、御霊は、政治的に非業の死をとげているのですから、言うまでもなく死霊として祟るのですが、物の怪は、生霊であることが多く、実際に信じられていたのは、生霊に取り憑かれて病気になることでした。
『紫式部集』と同じ作者が『源氏物語』のなかで、六条御息所の生霊に取り憑かれて、光源氏の正妻、葵の上の苦しむさまを描いています。


  〈里におはするほどなりければ、忍びて見たまひて、ほのめかしたる気色を心の鬼にしるく見たまひて、さればよと思すもいといみじ。〉(『源氏物語』新編古典文学全集)

大意 御息所は私邸にいらっしゃるときだったので、(源氏からのやんわりお断りのお手紙を)こっそりご覧になって、その本意を、(生霊となった)心のやましさゆえにはっきりとご理解になられて、そうだろうなあとお思いになるのも、まことに情けない。

六条御息所は、光源氏の正妻、葵の上に取り憑いて苦しめ、愛人ゆえの屈辱を晴らそうとしました。そして、ここにも「心の鬼」という言葉が出てきます。ここでは、良心の呵責の意味です。

『枕草子』「故殿の御ために」では、気の置けない日常会話で「心の鬼」が使われました。「(身内びいきをしたくないのに)あまり親密な間柄になったら、あなたのことを人前で褒めるのに心の鬼がとがめる」というのです。良心の呵責でしょうか、作者の言葉です。

このように、平安時代の「心の鬼」が、怨霊、もののけ、つまり霊的存在を指すのかといえば、全く違います。平安時代、「心の鬼」は、霊体でも、その一部でもなく、人間の、ある種の思考そのものを指していました。
仏教語の辞典にもありませんでした。
ですので、「心の鬼」は、仏典に由来する言葉ではなく、宮仕えの人々のあいだで、醸成された表現だったようです。

ここに挙げた『蜻蛉日記』の、「心の鬼」の例は、『伊勢物語』の原形成立、もしくは『古今和歌集』の成立から50年は経っていますが、100年は経ちません。しかし、このあいだに「鬼」は、心のなかにひそむものという考えが、一般に、広く示されるようになったようです。

では、平安時代の人々は、何を見て、どのように、人の心のなかに鬼のひそむのを、見るようになったのでしょうか。

そうなった仔細を見るためにも、次に、平安時代末期の仏教説話集である『今昔物語集』をとらえます。

紫式部が絵を見て歌にしたように、人々が、怨霊、物の怪の頻発を受けて、加持祈祷を盛んにしたことが背景にあったはず。『蜻蛉日記』の作者だけでなく、紫式部もまた、石山寺に身を寄せていますし、清少納言は、鞍馬寺に参詣したことを『枕草子』にしたためています。日頃に目にしていた加持祈祷のありさまや、日常的におこなっていた寺社への参詣・参籠の事実は、人々の、仏教(密教)との結びつきの濃さを示しています。

「心の鬼」は、仏教語でないとしても、やはり人々が、仏教と接点を持ったがゆえに自らを内観し、醸成された言葉ではないかと、見当をつけるからです。




(7)心に棲む鬼――『今昔物語集』、本朝部における思想性の分類


『今昔物語集』(新日本古典文学大系)の本朝の部の、鬼が登場する記事、全体で43例が、まず、どういった具体物に関係しているかを、次のように仕分けしました。この仕分けを、予備調査とします。

死、葬式、冥途に関係する鬼…13件/疫病に関係する鬼…2件/廃屋、古寺、橋など場所に関係する鬼…10件/光る鬼…2件/雷、蛇に関関係する鬼…1件/百鬼夜行など集団の鬼…3件/人間の内面が表象したと思しき化け物の鬼…8件。魄。…1件/その他…9件

疫病に関係する鬼の例が意外に少ないのは、これまでにも述べてきたように、病気をもたらす超自然的存在の多くは物の怪として認識され、鬼と重ねられることも多かったが、鬼と呼ばれないこともまた多かったためかと拝察しました。
そして、予備調査を意識しながら、43例について、その思想性を次のように分類しました。
「20-15」とあるとき、「巻20第15語」であることを意味します。

●…超自然現象の有無にかかわらず、「慈悲」などの仏教語、仏典の強調など、仏教的脚色があるか、因果応報の示唆があるなどし、仏教的示唆が意図されているといえるもの。非仏教との習合は、これを除外しない。
〇超自然現象が含まれるが、おおむね非仏教であるもの。道教、陰陽道、修験道などの影響の強いもの。
※…人為的な事件として説明がつき、超自然現象については「認識の相違」などとして排除しうるもの。
×…超自然現象であること、もしくは鬼の仕業であることを説話本文で否定しているもの。

●…18例
内訳…12-28、14-35、14-42、14-43、15-4、15-46、16-36、17-6、17-25、17-26、17-42、17-43、17-47、19-28、20-15、20-19、20-37、31-27

〇…13例
内訳 16-32、20-7、20-18、24-16、24-24、27-13、27-17、27-18、27-19、27-22、27-23、27-35、27-36

※…7例(●との重複あり)
内訳 20-37(●との重複)、27-7、27-8、27-9、27-12、27-15、27-16

×…5例
内訳 27-44、28-28、28-29、28-35、28-44

欠文につき不明…27-14

【●及び〇についての注記】
分類にあたって、登場する鬼のうち、冥途使いとしての鬼、疫病神については、おおむね道教的、中国仏教的であることに気づかされました。百鬼夜行の鬼も、陰陽道と関係するところが深いように思います。
このことは、同書の校注者、小峯和明氏による同書解説「冥界への旅」から次のような部分を引用させていただくことで、説明に代えていいように思います。


  〈中国では道教がひろまり、仏法と拮抗しあい、融合しあう長い歴史があった。日本の神仏習合と隔離の動向にも近い。道教独自の冥界や他界があった。〉
  〈仏教に道教の冥界観を習合ないし従属させようとした仏法優位の論理をみるべきであろう。〉


このように複雑な習合の歴史から、「心の鬼」につながるものを探す手順として、不純物を取り除くやり方が適していないことは自明です。私はここで、中国思想や修験道、陰陽道と混ざっていようとも、予備調査の段階で、人間の内面が表象したと思しき化け物の鬼とした8件と、思想性を分類した段階で仏教的とした18例の重なるところを、まず、見ていけばよいと思いました。


(以降、編集中)


すると、17-6、17-42、17-43といった毘沙門天にかかる鬼説話のうち、17-6「地蔵菩薩、値火難自堂語」や17-43「籠鞍馬寺遁羅刹鬼難僧語」の鬼に、「心の鬼」につながりつつ、日本仏教的なるものを見てとれるのではないでしょうか。

17-6「地蔵菩薩、値火難自堂語」では、毘沙門天像が踏みつけている天邪鬼がわざわざ取り上げられます。毘沙門天は地蔵菩薩とともに小僧に変化し、この鬼を踏むのをやめて、村人たちに火の手が迫ることを触れ回っていたというのです。心の中にいる天邪鬼は、火難の恐ろしさに比べれば、なんということはないのでしょう。

仏説毘沙門天王功徳経の本文


しかし、17-43「籠鞍馬寺遁羅刹鬼難僧語」で登場する女の鬼は、17-6の天邪鬼とは、恐怖の度合いが違います。修行僧が鞍馬寺に籠っていると、女の羅刹鬼が襲ってき、激しい攻防ののち、修行僧は毘沙門天に救いを求めました。すると、鬼の上に木が倒れてき、翌朝、鬼は、倒木で死んでいることが確認されます。次の日に死体を確認できたということは、この鬼はもとは人間で、生きながら心の中の鬼が羅刹になったのでしょう。

この二つの説話の、鬼の像からいえることは、もとは生きた人間の心の中の鬼であったということです。

その意味では、20-7「染殿后、為天宮被嬈乱語」の鬼は、金剛山の聖人が、生前の愛欲を果たすために自ら命を絶って鬼となるのですから、まさしく「心の中の鬼」でしょう。
そもそも、日本の古典には、『源氏物語』に見られるように、生きた人の霊が、相手を殺めるまでに取り憑く姿が、しばしば描かれます。その恐ろしさや邪悪さに程度の差こそあれ、生きた人の、心の中の鬼は、そのままの姿で現代につながると思いました。


【※についての注記】
27-12「於朱雀院、被取袋菓子語」は、入れ物にいれた菓子を預かったのに、中身だけを知らないあいだに抜き取られていたという話です。その話は、初めから何も入っていなければ、中身だけを取られたりしないでしょうし、27-15「産女行南山科、値鬼逃語」は、宮仕えをしていた女が老婆に匿われ人知れず子を産みますが、その老婆を鬼と疑って逃げ出す話です。しかし、女が疑っただけで、鬼らしい犯行が見当たらず、追い詰められた状況のなかで出てきたものを鬼と思い込んだ可能性を捨てられません。27-16「正親大夫、□若時値鬼語」は、ひとけのない場所で、逢瀬の最中に出てきたものを鬼と思ったことと、その後、女が病気になったこととの因果関係がつかめません。ですので、これらを「※」として分類しました。

他方、バラバラ殺人についてです。

20-37(●との重複)「耽財、娘為鬼被噉悔語」(相手が鬼と思わず結婚をゆるし、その初夜に襲われ、女が頭と指一つだけを残す)、27-7「在原業平中将女被噉鬼語」(雷から倉に避難している女が襲われ、頭だけを残す)、27-8「於内裏松原、鬼、成人形噉女語」(恋の語らいに引き入れた女が『襲われ、足と手をバラバラに離して残す)、27-9「参官朝庁弁、為鬼被噉語」(官吏が早朝の出仕中に襲われ、頭と持ち物だけを残す)、これらはすべて、バラバラ殺人ですが、超自然的な現象を含みません。

27-7の源泉が、『伊勢物語』第6段「芥川」。そこでの描写は「鬼はや一口に食ひてけり。」、バラバラ殺人ではありません。「昔男」(在原業平)の駆け落ちした女(宮仕えの前の二条后)を取り戻した人々のメタファーとして「鬼」が登場しました。なぜ「鬼」と記されたのか。それは、状況が、鬼の出現にふさわしいものだったからでありましょう。駆け落ちした女を、雷鳴のもと倉に閉じ込めるという非日常の状況下で、女を奪うxがあるとしたら、そのxには、「鬼」があてはまるということです。『今昔物語集』の編纂者は、ここでの「鬼」が人物のメタファーであることを知っていたはずなのに、女の頭部だけが残されていたとして、バラバラ殺人の具体を付け加え、本物の鬼のしわざ(超自然現象)であるかのように、演出しました。

バラバラ殺人の犯行には、たいてい、理由付けができます。よほどの怨みを買っていたり、貴人や権力者が死体愛好者であったり、漢方薬として贓物を求めていたり、あるいは、暗殺不履行の見せかけ工作に、殺害証拠としての代替死体(部分)を必要とするなど。つまり、バラバラ殺人だからといって、超自然現象とは限らないのです。人間のしわざであるところまで、超自然現象と見せかける、このような演出は、説話と実社会とのかかわりを希薄にします。

超自然現象としか思われない、不可思議なことほど、原話が存在するはずです。なぜなら、もととなる実話なくして、貴族の宮廷生活の平穏を破るようなバラバラ殺人のストーリーを考えついても、おなじ貴族である周囲の人々に受け入れさせることが困難だからです。
たとえば、『伊勢物語』第6段が書かれたのと年代の近そうな27-8「於内裏松原、鬼、成人形噉女語」(887年)の出典は、『日本三代実録』の仁和三年(887年)。
27-9「参官朝庁弁、為鬼被噉語」は出典未詳ですが、今昔によると、清和天皇の頃。このどちらか、あるいは両方が実話として実存して、のちに、『伊勢物語』第6段が「鬼」の表現を伴って書かれたと推察すれば、自然なように思われます。
宮廷生活のバラバラ殺人ではありませんが、20-37「耽財、娘為鬼被噉悔語」については、因果応報が示されており、仏教説話であるといえます。出典は『日本霊異記』の中巻33縁。霊異記の中巻33縁に示されているわざ歌が、今昔の20-37には除外されており、このできごとへの解釈が違ってきます。出典では前述したように、殺害された娘が主体となって、娘の「過去の怨」を報としますが、その因果関係については記されていません。今昔では、娘ではなく、題名に「たからにふけりて、むすめをおにのためにくはれてくいること」となっているように、親の物欲が原因となって娘を殺害されるという、親が主体の因果応報です。
超自然の現象についてですが、この説話で超自然的に感じられるのは、財物が獣骨に変わり果てていたくだりです。しかし、翌朝まで車に乗せたままだったのだから、よく見ていなかったことがわかります。つまり、犯人は、初めから獣骨だったのを、見せかけていたととらえられます。
つまり、今昔20-37、霊異記中巻33縁、ともに、本説話を仏教説話と仕立てながらも、超自然による現象としてその因果関係を説明しきることに、つまずいているのです。





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