2016年7月・・・・・28日(木)先日の1ヶ月振りの診察の日からjijは急遽入院をして、一日目です。
入院をしたのですが・・週末に今月は三男家族と旅行へ行くのを楽しみにして居るので主治医さんにお願いをしてみました。
J先生は「う~ん・・」と考えてられたけど、薬などの準備をして下さって行ける様に外泊許可を出して下さる事になりました。
・・・・・・・・・・・・29日(金)入院二日目・・・jijは、あまり体調は回復していませんが、明日から三男家族と一泊旅行へ行くのを楽しみにしています。
「もし、俺が行けなかっても自分は行ったりよ!」と弱気な事を言ってましたが・・行けるように頑張っていました。
・・・・・・・・・・・・30日(土)入院三日目ですが、外泊許可を頂いて三男家族と一泊旅行へ出発します。
病室へみんなで迎えに行くと、看護師さんが薬の準備をして、もしも体調が悪くなった時に旅行先でもちゃんと治療を受けられる様に・・
主治医さんは、jijの治療のデータと紹介状を準備して下さってました。
先月と違い、旅行は車いすで出かけました。
・・・・・・・・・・・・31日(日)jijは、やはり先月の旅行の時より体調は良くありませんが、両日とも、お天気も良かったし・・・
みんなの嬉しそうで、楽しいそうな顔をみて「良かったなぁ」とjijも嬉しかった様です。
それでも、これ以上疲れさせてはいけないと思い、お昼過ぎに病院へ戻りました。
2016年8月・・・・・・1日(月)jijは、今日からまた入院生活が続きます。そしてbrbaも入院するので、次男が送って来てくれました。
何年振りかな・・入院生活が始まりました。
・・・・・・・・・・・・・2日(火)五日目・・
次男は、毎日仕事を早く終わらせて病院へ来てくれます。
・・・・・・・・・・・・・3日(水)六日目・・退院の調整をするK井さんがjijの所へ寄ってくれて・・
jijが「昨夜は息苦しくなって一時的に酸素吸入した。」と言ってたとか。
そして、「先生が最後まで診てくれるって言うてはった。」jijはI藤J先生の病院なら転院しても良いみたいに言ってたって様です。
・・・・・・・・・・・・・4日(木)七日目・・息子達は大変でしょう・・・両親揃って入院中(二人とも延命治療やし・・申し訳ないわ)
・・・・・・・・・・・・・5日(金)八日目・・今夜からbrbaは、明日のお盆のお参りの為に外泊許可をもらって帰ります。
「お盆の準備して、お参りに来てもらって来るわ」「頼むわな」今日も、次男が来てくれるのを待って一緒に帰ってきました。
・・・・・・・・・・・・・6日(土)九日目・・brbaはお参りをお願いしてるので家に居ますが・・次男は今日もjijの様子を看に病院へ寄ってくれてます。
「jijと一緒に花火を見てます。」今夜は神戸港は花火大会です。病棟のエレベーターホールからよく見えたそうです。
次男が行ってやってくれて良かった・・・いい思い出が出来たし、寂しくなかったでしょう。
お寺さんに、お参りに来て頂いただいたので自宅へ帰って居たので
「これなら咽ごしがいいかも?明日持って行ってあげよう・・」「そうですね。」と買って来ました。
・・・・・・・・・・・・・7日(日)十日目・・午前中に病院から電話が・・昨夜、jijの呼吸と脈が速くなって酸素吸入など治療をしていると連絡が
急いで次男家族と病院へ・・三男にも次男が連絡をしたので家族揃って駆けつけてくれました。
みんなが顔を見せて手を握って声を掛けます。
momoはjijに励ましの手紙を書いて来てくれました。
・・・・・・・・・・・・・8日(月)十一日目・・brbaは放射線治療を済ませjijの所へ寄ります。
今日のjijは酸素吸入をし自力で痰が出し難いのにチューブで取られるのが嫌で無理をして出そうと頑張っています。
日に日に良かったり悪かったりするこの状態で、転院が可能か心配です。
明日は、介護認定の方がjijの病室へ来てくれる予定です。
・・・・・・・・・・・・・9日(火)十二日目・・今日もbrbaは放射線治療を済ませてjijの所へプチトマトや水を買って届けます。
今日のjijは酸素マスクも外れて少し楽な様です。午前中に、介護認定の方が来られたので、brbaが同席します。
「K野さん、お名前をフルネームでお願いします。」「K野Y昌・・」「今日は何日解りますか?」「8月9日かです。」
「生年月日を教えて下さい。」「昭和17年〇月〇日です。」いろいろ質問を受けましたが、正しく答えてました。
認定まで1ヵ月ほど掛かるとか・・・(確り会話は出来てるけど・・大丈夫かな?)
「明日の晩にT郎が来てくれたら帰って11日にお墓参りして来るわ」「頼むわな」「大丈夫か?」「大丈夫や」と、言って居たのですが・・
・・・・・・・・・・・・10日(水)十三日目・・jijの病室を個室にしてあげようと予約をした事など三男へLINEを・・
「了解しました。明日か明後日、顔を見に行きます。」と返事が・・
jijは<誤飲>をしやすくなって居るので、水分にトロミをつける補助食品を使ってました。
・・・・・・・・・・・・11日(木)十四日目・・山の日で祝日です。brbaの治療はお休みでなので、少し早めにjijの所へ
Nちゃんは仕事なので、次男は朝早くにta君とryoと一緒に、お墓参りを済ませて病院へ来てくれました。
「T郎と子供達がお墓参り行ってくれたって・・」「(うんうん)」うなずいてくれてます。
やっと個室が空いたのでナースステーションの前の部屋へ移りました。
三男からLINEが「体調大丈夫ですか?お父さんは、前よりは元気と聞きました。日曜日に行こうと思います。」
今日は、ベットをエアーベットに変えてもらいました。「見た目どない?」(何を気にしてるんや?)「フカフカしてて・・ええ感じやわ」
満足した様です。
・・・・・・・・・・・・12日(金)十五日目・・jijは、明け方に脈が速くなり呼吸も苦しくなったので、『病室へ来てください』とbrbaの病棟へ連絡が・・
急いで7階へ・・酸素を鼻からしていますが、少し安定していました。
J先生から「これからは、こんな事があるかも知れないので、奥さんは外泊をせずに病院に居て下さい。」と言われました。
次男家族も三男家族も駆けつけてくれました。
jijは、ずっとマラソンをしている程の脈拍と呼吸で頑張っています。
・・・・・・・・・・・・13日(土)十六日目・・今日は主治医のJ先生から「今日は、残れる方は帰らずに居て下さい。」と言われました。
いよいよ覚悟をしなければいけなくなったのでしょうか・・みんなが、jijに声を掛けながら見守りました。
・・・・・・・・・・・・14日(日)十七日目・・朝の6時を待って次男へ電話があったそうで
「jijの呼吸がしんどそうで、脈が速くなって血圧が下がってきたって・・直ぐに向かうからjijの所へ行って転ばないようにね」
同時にjijの病棟からbrbaの病棟へも連絡が来て・・jijの病室へ駆けつけました。
jijの部屋はクーラーを強くしていても「熱い」と布団も掛けず・・
パジャマのズボンも脱いでお腹に小さなタオルケットを掛けてベットの側で小さな扇風機を回して寝ています。
看護師さんが「ずっとマラソンをしてるのと同じですね。こんなに涼しくしてても汗が・・」「そうなんですねぇ」
jijは、<悪性胸膜中皮腫>と言う<アスベスト>が原因の病気を発症してから何度も入退院を繰り返しながら治療を頑張っておりましたが・・
今日の午後8時47分に家族9人に見守られて・・皆の手を握ながら73歳の生涯を終えました。
先生からの説明があるとか・・3人の先生方がタックを組んでjijの治療をして下さって居たので、
最初から診て下さって居たJ先生が到着するのを待って病気を発症してからの経緯の説明を受けて、
これからの医療の御役に立てるのならと考え病理解剖をお願いしました。
brbaと次男と三男は病院でjijに語り掛けながら・・霊安室で待ちます。
NちゃんとCちゃんと子供たちは、近くのホテルへ泊まりに行ってもらって・・
「brba・・大丈夫か?」「大丈夫やで」「無理せんとき・・病室で寝とき」「そうし送って行くわ」三男に送ってもらい病室で退院の支度をして
少しベットに座って居ると「消灯時間なので電気を・・」天井の電気にして横になると寝てしまってました。
明日の朝は、放射線治療最終日だし退院だしjijの病理解剖を待つので忙しくなります。
・・・・・・・・・・・・15日(月)jijは明日、信頼しているJ先生の出向先の病院へ転院させていただく予定でしたが
それも叶わず9時からの病理解剖が済むのを待って、主治医さんから、今解かっている結果の説明を聞いて
「採らせて頂いた所をこれから細かく調べて、今までにご説明をさせて頂いた事の他に何か見付かりましたら連絡をさせて頂きますので・・」
と説明を聞いて先生と看護師さんに見送られて退院しました。
I藤J先生・I藤M先生・H林R先生・・多くの看護師さんや皆さんにお世話になりました。
感謝しております。
brbaのブログには書ききれないほど、最後までjijは頑張りました。
これからも、時々は家族の思い出の中に登場すると思います・・
今までbrbaのつたないブログに遊びに来て下さっていた皆様。
どうぞjijを忘れないで居てやって下さいね。
入院をしたのですが・・週末に今月は三男家族と旅行へ行くのを楽しみにして居るので主治医さんにお願いをしてみました。
J先生は「う~ん・・」と考えてられたけど、薬などの準備をして下さって行ける様に外泊許可を出して下さる事になりました。
・・・・・・・・・・・・29日(金)入院二日目・・・jijは、あまり体調は回復していませんが、明日から三男家族と一泊旅行へ行くのを楽しみにしています。
「もし、俺が行けなかっても自分は行ったりよ!」と弱気な事を言ってましたが・・行けるように頑張っていました。
・・・・・・・・・・・・30日(土)入院三日目ですが、外泊許可を頂いて三男家族と一泊旅行へ出発します。
病室へみんなで迎えに行くと、看護師さんが薬の準備をして、もしも体調が悪くなった時に旅行先でもちゃんと治療を受けられる様に・・
主治医さんは、jijの治療のデータと紹介状を準備して下さってました。
先月と違い、旅行は車いすで出かけました。
・・・・・・・・・・・・31日(日)jijは、やはり先月の旅行の時より体調は良くありませんが、両日とも、お天気も良かったし・・・
みんなの嬉しそうで、楽しいそうな顔をみて「良かったなぁ」とjijも嬉しかった様です。
それでも、これ以上疲れさせてはいけないと思い、お昼過ぎに病院へ戻りました。
2016年8月・・・・・・1日(月)jijは、今日からまた入院生活が続きます。そしてbrbaも入院するので、次男が送って来てくれました。
何年振りかな・・入院生活が始まりました。
・・・・・・・・・・・・・2日(火)五日目・・
次男は、毎日仕事を早く終わらせて病院へ来てくれます。
・・・・・・・・・・・・・3日(水)六日目・・退院の調整をするK井さんがjijの所へ寄ってくれて・・
jijが「昨夜は息苦しくなって一時的に酸素吸入した。」と言ってたとか。
そして、「先生が最後まで診てくれるって言うてはった。」jijはI藤J先生の病院なら転院しても良いみたいに言ってたって様です。
・・・・・・・・・・・・・4日(木)七日目・・息子達は大変でしょう・・・両親揃って入院中(二人とも延命治療やし・・申し訳ないわ)
・・・・・・・・・・・・・5日(金)八日目・・今夜からbrbaは、明日のお盆のお参りの為に外泊許可をもらって帰ります。
「お盆の準備して、お参りに来てもらって来るわ」「頼むわな」今日も、次男が来てくれるのを待って一緒に帰ってきました。
・・・・・・・・・・・・・6日(土)九日目・・brbaはお参りをお願いしてるので家に居ますが・・次男は今日もjijの様子を看に病院へ寄ってくれてます。
「jijと一緒に花火を見てます。」今夜は神戸港は花火大会です。病棟のエレベーターホールからよく見えたそうです。
次男が行ってやってくれて良かった・・・いい思い出が出来たし、寂しくなかったでしょう。
お寺さんに、お参りに来て頂いただいたので自宅へ帰って居たので
「これなら咽ごしがいいかも?明日持って行ってあげよう・・」「そうですね。」と買って来ました。
・・・・・・・・・・・・・7日(日)十日目・・午前中に病院から電話が・・昨夜、jijの呼吸と脈が速くなって酸素吸入など治療をしていると連絡が
急いで次男家族と病院へ・・三男にも次男が連絡をしたので家族揃って駆けつけてくれました。
みんなが顔を見せて手を握って声を掛けます。
momoはjijに励ましの手紙を書いて来てくれました。
・・・・・・・・・・・・・8日(月)十一日目・・brbaは放射線治療を済ませjijの所へ寄ります。
今日のjijは酸素吸入をし自力で痰が出し難いのにチューブで取られるのが嫌で無理をして出そうと頑張っています。
日に日に良かったり悪かったりするこの状態で、転院が可能か心配です。
明日は、介護認定の方がjijの病室へ来てくれる予定です。
・・・・・・・・・・・・・9日(火)十二日目・・今日もbrbaは放射線治療を済ませてjijの所へプチトマトや水を買って届けます。
今日のjijは酸素マスクも外れて少し楽な様です。午前中に、介護認定の方が来られたので、brbaが同席します。
「K野さん、お名前をフルネームでお願いします。」「K野Y昌・・」「今日は何日解りますか?」「8月9日かです。」
「生年月日を教えて下さい。」「昭和17年〇月〇日です。」いろいろ質問を受けましたが、正しく答えてました。
認定まで1ヵ月ほど掛かるとか・・・(確り会話は出来てるけど・・大丈夫かな?)
「明日の晩にT郎が来てくれたら帰って11日にお墓参りして来るわ」「頼むわな」「大丈夫か?」「大丈夫や」と、言って居たのですが・・
・・・・・・・・・・・・10日(水)十三日目・・jijの病室を個室にしてあげようと予約をした事など三男へLINEを・・
「了解しました。明日か明後日、顔を見に行きます。」と返事が・・
jijは<誤飲>をしやすくなって居るので、水分にトロミをつける補助食品を使ってました。
・・・・・・・・・・・・11日(木)十四日目・・山の日で祝日です。brbaの治療はお休みでなので、少し早めにjijの所へ
Nちゃんは仕事なので、次男は朝早くにta君とryoと一緒に、お墓参りを済ませて病院へ来てくれました。
「T郎と子供達がお墓参り行ってくれたって・・」「(うんうん)」うなずいてくれてます。
やっと個室が空いたのでナースステーションの前の部屋へ移りました。
三男からLINEが「体調大丈夫ですか?お父さんは、前よりは元気と聞きました。日曜日に行こうと思います。」
今日は、ベットをエアーベットに変えてもらいました。「見た目どない?」(何を気にしてるんや?)「フカフカしてて・・ええ感じやわ」
満足した様です。
・・・・・・・・・・・・12日(金)十五日目・・jijは、明け方に脈が速くなり呼吸も苦しくなったので、『病室へ来てください』とbrbaの病棟へ連絡が・・
急いで7階へ・・酸素を鼻からしていますが、少し安定していました。
J先生から「これからは、こんな事があるかも知れないので、奥さんは外泊をせずに病院に居て下さい。」と言われました。
次男家族も三男家族も駆けつけてくれました。
jijは、ずっとマラソンをしている程の脈拍と呼吸で頑張っています。
・・・・・・・・・・・・13日(土)十六日目・・今日は主治医のJ先生から「今日は、残れる方は帰らずに居て下さい。」と言われました。
いよいよ覚悟をしなければいけなくなったのでしょうか・・みんなが、jijに声を掛けながら見守りました。
・・・・・・・・・・・・14日(日)十七日目・・朝の6時を待って次男へ電話があったそうで
「jijの呼吸がしんどそうで、脈が速くなって血圧が下がってきたって・・直ぐに向かうからjijの所へ行って転ばないようにね」
同時にjijの病棟からbrbaの病棟へも連絡が来て・・jijの病室へ駆けつけました。
jijの部屋はクーラーを強くしていても「熱い」と布団も掛けず・・
パジャマのズボンも脱いでお腹に小さなタオルケットを掛けてベットの側で小さな扇風機を回して寝ています。
看護師さんが「ずっとマラソンをしてるのと同じですね。こんなに涼しくしてても汗が・・」「そうなんですねぇ」
jijは、<悪性胸膜中皮腫>と言う<アスベスト>が原因の病気を発症してから何度も入退院を繰り返しながら治療を頑張っておりましたが・・
今日の午後8時47分に家族9人に見守られて・・皆の手を握ながら73歳の生涯を終えました。
先生からの説明があるとか・・3人の先生方がタックを組んでjijの治療をして下さって居たので、
最初から診て下さって居たJ先生が到着するのを待って病気を発症してからの経緯の説明を受けて、
これからの医療の御役に立てるのならと考え病理解剖をお願いしました。
brbaと次男と三男は病院でjijに語り掛けながら・・霊安室で待ちます。
NちゃんとCちゃんと子供たちは、近くのホテルへ泊まりに行ってもらって・・
「brba・・大丈夫か?」「大丈夫やで」「無理せんとき・・病室で寝とき」「そうし送って行くわ」三男に送ってもらい病室で退院の支度をして
少しベットに座って居ると「消灯時間なので電気を・・」天井の電気にして横になると寝てしまってました。
明日の朝は、放射線治療最終日だし退院だしjijの病理解剖を待つので忙しくなります。
・・・・・・・・・・・・15日(月)jijは明日、信頼しているJ先生の出向先の病院へ転院させていただく予定でしたが
それも叶わず9時からの病理解剖が済むのを待って、主治医さんから、今解かっている結果の説明を聞いて
「採らせて頂いた所をこれから細かく調べて、今までにご説明をさせて頂いた事の他に何か見付かりましたら連絡をさせて頂きますので・・」
と説明を聞いて先生と看護師さんに見送られて退院しました。
I藤J先生・I藤M先生・H林R先生・・多くの看護師さんや皆さんにお世話になりました。
感謝しております。
brbaのブログには書ききれないほど、最後までjijは頑張りました。
これからも、時々は家族の思い出の中に登場すると思います・・
今までbrbaのつたないブログに遊びに来て下さっていた皆様。
どうぞjijを忘れないで居てやって下さいね。