遺す言葉

つぶやき日記

遺す言葉(360) 小説 荒れた海辺(4) 他 禅五題

2021-08-29 12:22:00 | つぶやき
         禅五題(2020.5月)


 坐禅の意味
 坐禅は坐って 心を空にする
 心を空にする訓練 その  
 空になった心を 日常 生活の中に 活かし
 何事にも捉われない心 空 無 の 心で
 物事に対処し 処理をする
 何事にも捉われない心で その場 その場 での
 真実の道を探す 日常生活に於ける
 仕事 家事 交際 様々な面に於いて
 世間 一般的な 道徳 風習に 捉われる事なく
 人が人として生きる為の 最高 最善の道を
 その時 その時 その場で 見極め 対処
 処理をする その 空の心 それを
 養う為の訓練が 坐禅 坐っただけで
 体験を日常に活かす事がなければ
 いくら坐っても 無意味 意味が無い
 禅家 白隠の言う
 " 老いぼれ狸が 穴の中で居眠りをしているようなもの " に
 なってしまう

 目覚めた意識での真実の修行(仕事)に取り組む事は不断の坐禅ーー白隠

 農民は畑仕事 大工は大工仕事 女性は機織り仕事 それぞれ
 目覚めた意識で努力すれば それが直ちに 深い禅定ーー白隠

 生産の仕事は総て 真実の道と 相違するものではないーー法華経

 禅に於いては 知的解釈 概念的理解 は
 虚偽
 禅は 体験的理解 直感的理解 のみを
 真実とする ーー悟る 
 悟りのみを 真実とする





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          荒れた海辺(4)

 
 二階建ての木造家屋の小ぶりな旅館は、海からの風をいっぱいに取り入れて、窓という窓が開け放たれてあった。
 < 白浪荘 > と金色の文字で書かれた一枚ガラスの引き戸は開いたままになっていた。
 八月の陽射しに馴れた斎木の眼には、建物の内部は暗くて見えなかった。
「ごめん下さい」
 斎木は玄関先から暗い奥に向かって声を掛けた。
 静まり返った家の中からは返事がなかった。
 斎木は更に、二度、三度と声を掛けた。
「はあい、只今」
 ようやく返事があった。
 家の中の暗さに馴れた眼に、奥に向かって真っ直ぐに延びた廊下が見えた。
 若い女性が、その廊下を小走りに走って来た。
 女性は玄関先に立つ斎木を見ると、一瞬、虚を突かれたように足を止めた。
「あのう・・・、部屋は空いてますか」
 斎木は女性が、ちょうど自分と同じ歳ごろに見える事に少しの戸惑いと気恥ずかしさを覚えながら、それと共に、自身の身なりの貧しさを恥じる気持ちでしどろもどろに聞いていた。
「はい」
 女性はそう答えたが、なおも信じ難いものを見るような眼で斎木を見つめていた。それからようやく、自分の立場を思い出したらしく、
「ちょっとお待ち下さい。女将さんが参りますから」
 と言うと、逃げるようにして再び、廊下の奥へ走って行った。

 若い女性の取り次ぎを受けて姿を見せた女将は、田舎宿の女将とは思えない品の良さを備えていた。
 その女将の斎木に向けた視線にも、やはり、若い女性が見せたのと同じような一瞬のたじろぎの色が見て取れた。
 斎木は膝の抜けた長ズボンに、汗の染み付いた白の開襟シャツを着ていた。手には布製のボストンバッグがあった。踵のすり減った古靴は埃にまみれて汚れていた。
 額に汗を浮かべて、暗い表情を宿したそんな若者に宿の女性達は、不吉な予感を抱いたのに違いなかった。
「お泊りでいらっしゃいますか ?」
 ようやく問い掛けた女将の言葉には戸惑いの色があった。
「はい」 
 斎木は自分が歓迎されていない事を意識した。
 自ずと声が小さくなっていた。
「でも、うちは、お泊りには予約を戴く事になっておりますので、突然のお客様はお断りしているので御座いますよ。突然のお客様ですと、お出しするものを揃える事が出来ませんので」
 女将の口調にはそれでも、得体の知れない若者を気遣うかのような柔らかさがあった。
 斎木はその口調の柔らかさに救われる思いを抱くと共に、微かな期待をも繋いでいだ。
「ただ、泊めて貰えるだけでいいんですけど」
 と、おずおずと言った。
 女将はなお、戸惑いの表情を見せていたが、強い否定色までは読み取れなかった。
「お一人でいらっしゃいますか ?」
 何かを警戒する気分は払拭出来ない様子のままに女将は、それでも静かに聞いた。
「はい」
 斎木は女将の静かな口調にすがる思いで素直に答えた。
 女将のためらいは依然、消えないようだったが、やがて気持ちを固めたように、
「何もお出しする事が出来ませんが、宜しいでしょうか」
 と言った。

 その日の朝、斎木は東京を発って総武本線を走る汽車に乗っていた。
 海の季節も終わりに近い八月下旬は、海水浴場へ向かう人の姿もなくて、下りの列車は空いていた。
 斎木には何時もの事で、当てなどなかった。工場の機械の入れ替えで、思い掛けない三連休になっていた。心の中の鬱屈した思いに押し出されるように斎木はアパートの部屋を出ていた。
 昔のままに見える、しなびた佇まいに惹かれて降りた小さな横芝駅は、屋根の無いホームが夏の陽射しを浴びて、ひっそりとして静まりかえっていた。斎木は汽車が発車したあと、線路の上を渡って改札口へ向かった。
 荒い玉砂利の敷かれた駅前広場には、数少ない乗客を乗せたバスが発車の時刻を待っていた。
 「木戸浜方面」と書かれた字幕を見て斎木はそのまま、訳もなく乗り込んでいた。
「木戸浜へお出での方はここで降りて下さい」
 若い女性車掌の声に促されるように斎木はバスを降りた。
 駅からは二十分程の行程だった。海辺へ出るにはそれからまた、一キロ程の砂利道を歩かなければならなかった。
 最初から、海へ行くという予定のあった訳ではなかった。行き当たりばったりの行動だった。
 舗装もされていない、砂利を敷いただけの県道は、八月の陽射しの中で埃っぽく、白く続いていた。自分が何処へ行くのかも分からないままに斎木は、ただ、その乾いた道を当てもなく歩き続けていた。
 荒い砂利石が靴底に当って痛かった。周囲には田圃や畑だけが続く景色が開けていた。その合い間、合い間に時折り、槙塀に囲まれた家々が姿を見せた。
 遠く開けた田園風景は東京にはない景色で、斎木の眼を和ませたがそれはまた、幼い頃の斎木がそこで育った景色にも似ていた。
 やがて前方に海の広がりを予感させて、空の明るさが見えて来た。粗い松林の中に人家が点在していた。
 その向こうに砂浜が見えて来た。更に歩いて行くと、時折り、白く砕ける波を遠く彼方に見せて、海の一部が見えて来た。
 斎木は人家が点在する松林の間の道を通って、砂浜の方へ歩いて行った。
 松林を抜けると眼の前に広々とした砂浜と、その向こうに開けた海が見えた。
 海は荒々しく砕ける波を幾重にも幾重にも連ねて沖合いに続いていた。夏の陽射しの中で、深い海の青と砕ける波の白とが眩しく眼に映った。
 砂浜は二百メートルに近い広がりを見せて、渚に続いていた。
 その砂浜を歩いて行くと、砂にめり込む靴の中に砂が入り込んで来て熱かった。
 砂浜を抜けて辿り着いた渚には人影一つなかった。八月の焼け付くような陽射しの中で海はただ、飽きる事の無い波の繰り返しを続けていた。
 斎木は暫くは熱砂に熱くなった靴の底を冷やすように、砕けた波の寄せては退いて行く渚を、遠く開けた視界に眼を向けながら歩いた。
 砂の白一色の砂浜は、所々に風で吹き寄せられた小さな砂丘を幾つも作って、浜昼顔を群生させながら、やがて、八月の陽射しが描き出す陽炎の中に溶け込んで見えなくなっていた。
 靴の底が濡れて来て不快感を覚えると斎木は、ようやく渚を後にした。
 再び、砂浜に戻ると砂の中を浜昼顔の群生する小高い砂丘へ向かって歩いた。
 浜昼顔の群生が砂の熱気をさえぎるその場所に腰を降ろすと斎木は初めて、強烈な陽射しの中に身をさらしていた事の微かな疲労感を覚えて、ボストンバッグから手拭を取り出し、汗に濡れた顔や首筋、胸などを拭った。
 依然として砂浜には、人の影一つ見えなかった。見渡す限りの海と砂の広がる景色だけが何処までも続いていて、やがてそれは、陽炎の中にかすんで見えなくなっていた。
 そして、そんな無人の景色は何故か、斎木の心を和ませた。今日まで自分が抱き締めて来た孤独感とその景色が完全に溶け合い、斎木自身と同化する思いだった。砂の上に坐っている、それだけで心が満たされた。
 斎木がようやくその砂の丘から腰を上げた時には、既に午後三時を過ぎていた。   
 斎木は当てもないままに松林の間の道を戻った。
 小さな十字路へ出た時、来る時は気付かなかった左側、向こう角に雑貨店がある事に初めて気が付いた。炎天下の中、何も飲まず、食べもせずにいた事の、のどの渇きと空腹とを途端に意識して、アンパンとサイダーを求めた。それを口にしながら再び、当てもないまま歩き続けた。自分が何処へ行くのかも分からなかった。
 いつの間にか、川岸近くに来ていた。その時、< 旅館 白浪荘 >と書かれた白塗りの看板が橋の袂近くにあるのが眼に入って来た。咄嗟に斎木は、なんの思いも無く、今夜はここに泊まろう、と考えていた。


          三


 二階の部屋からは松林越しに海が見えた。





          ---------------





          桂蓮様

          有難う御座います
          桂蓮様も大分 御苦労なされた御様子
          でも、現在の桂蓮様からはそんな御様子は
          微塵も見えて来ません 韓国 日本 アメリカ
          三ヶ国語を自在に繰る 見事な現在のお姿では
          ありませんか 敬服致します それに現在が
          御幸せとの事 なによりそれが一番です
          今がよければ それで良し それに越した事はない
          どうぞ 良き理解者でいらっしゃるらしい御主人様と
          これからも末永く 御幸せでいらっしゃいますよう
          今と時を大事にして下さい
           体性知覚
           自分の肉体がそれを悟った時 それは自然に
          出来るようになる そんなものではないでしょうか
           今回の御文章 誰もが感じる事がそのまま表現されて
          います 誰もが そうだ そうだ と
          思うのではないでしょうか 共感出来る御文章です
           今回も苦労しながら 辞書片手 英文も拝読
          致しました 楽しい時間でした
           何時もお眼をお通し戴き 有難う御座います



          takeziisan様

          有難う御座います
          それにしても 猛暑の中 よく
          お歩きですね どうぞ 熱中症にはくれぐれも
          御用心を もっとも よく歩くからこそ 楽しく
          美しい写真が撮れるのでしょうけれども
           遠くへゆきたい 懐かしい言葉の響きですが
          実はわたくしは この番組 一度も見ていないんです
          ですが当時から 永六輔初め、出演者の名前は知って   
          いました 人気番組でしたから それにしても
          当時の出演者の多くが亡くなっていますね この間も
          中島弘子さんが亡くなって 総てが遠い昔の事
          そんな感じですね
           アッチッチ 面白い写真 状況がよく分かります
          それにしても昆虫の元気な事 驚くばかりです
          先だっても小さな虫を見ながら こんな虫には
          熱中症は無いんだろうか などと詰まらない事を
          考えていたばかりです
           ニラは性が強いですね 屋上菜園でもひと夏に何度も
          収穫出来ます 
           北陸 山村言葉 美しいです それに優しい
          概して東北方面 北の言葉には優しい響きが
          感じられます それに比して 関東 海辺の言葉は
          粗っぽい つくづく思います わたくしは何故か
          東北地方の総てに惹かれます 或いは 無いものねだり   
          なのかも知れません
           見るたび羨ましく思う自然写真の数々 眼の保養です
           何時も 有難う御座います
          
 
 

 
 
 


遺す言葉(359) 小説 荒れた海辺(3) 他 雑感 六題

2021-08-22 11:32:06 | つぶやき
          雑感五題(2021.5~6月作)


 1 幸福とは 心の充実度を言う
   どんな環境にいても 心が満たされている時 人は
   幸福感を抱く事が出来る
   辺境に生きる人達を 単純に不幸だ などと言う事は出来ない
   そこには現代的生活がないから 不便であり それを知らないから
   不幸だと見るのは そう見る者達の思い上がりであり
   思い込みでしかない 物が有っても無くても
   幸福そのものには変わりはない
   認識されないものは無だ それを知らなければ
   それが有っても無くても 関係ない

 2 冒険家が独り 極地や広い海原を横断する事を 単純に
   孤独だ などとは言えない
   新聞社やテレビ局 或いは諸々の
   マスコミ関係者の眼が向けられている限り 孤独とは
   言えない
   絶対的孤独とは 都会の真ん中に居ても
   絶え間のない人々の行き交いの中に居ても生まれ 誰にも
   心の内を理解されない時に言う言葉だ

 3 時代の流れの速度と 人間の焦燥感の度合いは
   比例する
   人は常に時代の波に乗り 時代に追い掛けられている 故に
   それに抗するには 自己の立ち位置を明確にする事
   自己の確立されていない人間は
   時代の波に翻弄されるだけだ

 4 芸術に於ける 反社会的とも思える行動は
   人間社会に新しい何かを付加し得た時にのみ 許容される
   凡百の愚行愚作が批難を浴びるのは仕方のない事だ

 5 芸術とは 感動に繋がるものである
   美しいものがそのまま 芸術になるとは限らない
   感動とは 意思に繋がるものである
   ある意思の下に創出されたものは 醜悪に見えても
   人の心に働き掛ける力を持つ限り 芸術に なり得る
   意思とは人間及び 人間社会を肯定し
   人間社会に働き掛ける力だ 

 6 神と一人の人間の命と
   どちらが大切か ?
   一人の人間の命である
   一人の人間の命を守れない存在など
   神と呼ぶ事は出来ない



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           荒れた海辺(3)


 それが白塗りの看板だという事はすぐに分かった。
 松の木の幹に寄せ掛けるようにして放置されていた。
 斎木は、ズボンに絡み付く茨などを手で払い除けながら、松林の中へ入って行った。
 看板のそばへ歩み寄ると奈津子を振り返った。
「やっぱり、ここに間違いないよ」
< 白浪荘 > と書かれた黒い文字が薄れかけて読めた。
 奈津子も松林に入って来た。
「何 ? 看板じゃない」
 斎木のそばに来ると言った。
「そうだよ。門の脇に掛かっていた宿の看板だよ」
 斎木は看板に眼を落としたままで言った。
「じゃあ、旅館はやっぱり、ここにあったという事 ?」
 奈津子は言った。
「ここじゃないよ。道路の向こう側にあったんだ。俺はこの松林の中を通って海辺へ行った記憶があるんだから」
「今、畑になっている所 ?」
「うん」
「それにしても、随分、この看板もボロボロね。何年ぐらい前に旅館はなくなったのかしら ?」 
「相当前に壊されたんだな。この腐り具合からみると」
 斎木が靴の先で少し力を加えると看板はぼろぼろと崩れ落ちた。
「畑の方へ行ってみれば、旅館が建っていた跡が分かるかしら ?」
 松林の間から透かし見るようにして奈津子は言った。
「どうだろう。行ってみようか」
 斎木もその気になった。
 奈津子は先に県道に戻ると、道路際まで耕されてある畑のあちこちに視線を向けてしきりにそれらしい跡を探っていた。
「すっかり耕されていて、何も分からないわ」
 斎木がそばへ行くと奈津子は言った。
 斎木も奈津子に習ってあちこち、それらしい跡を探したが、やはり、何も記憶に通じるものは探し出せなかった。
「だけど、昔、ここに旅館があったにしても、こんな人気のない所で、よく、経営が出来たわね」
 奈津子は不思議そうに言った。
「釣り客が来たんだ。それで営業出来たらしいよ」
 斎木はそう答えながら、その事を教えてくれた老人の板前を思い浮かべていた。
「今は、川の水もあんなに汚くなっているけど、昔はもっとずっときれいで透き通っていたんだ。川口ではいろんな魚が釣れたらしい」
 奈津子は斎木の言葉に無言のまま頷いていた。
 斎木は更に、老人が、自分も女将も、毎朝、墓参を欠かさないのだ、と言った言葉を懐かしく思い出していた。
 あの墓地は今、どうなっているんだろう ?
 改めてその事が気になって斎木は、ひと目、その墓地を見てみたいという衝動に突き動かされた。或いは、そこへ行けば、女将や老人の消息も何か、手掛かりが得られるのではないか・・・・
「銚子まで行くのに、時間はまだ、大丈夫だろう」
 奈津子に訊ねた。
「ええ、時間は大丈夫だけど、まだ、見る所があるの ?」
 奈津子は何もないこの場の風景の中で不思議そうに聞いた。
「この松林の向こうに墓地があるんだ。そこへ行ってみたいんだ」
「墓地 ?」
  奈津子は怪訝な顔をして斎木を見詰めた。
「うん」
「墓地なんか見て、どうするの ?」
 奈津子は言った。
「いや、昔、女将の家の墓地があったんだ」
 斎木は言葉少なにそれだけを言った。



          二



 昭和三十三年の事であった。
 斎木は東京へ出て来てから三年目を過ごしていた。
 深川にあった木造アパートの四畳半の部屋に住みながら、近くの町工場で働いていた。 
 斎木にとっては毎日が、暗く、孤独な日々であった。
 工場では使い走りが斎木の主な仕事だった。
 機械の金型を造る五人の工員達は皆、四十代から五十代の男性ばかりだった。斎木は話し相手もないままに、工場とアパートを往復するだけの毎日を過ごしていた。
 斎木の実家は山形県にあった。中学を卒業すると斎木は逃げるようにして、その実家を出ていた。継母との折り合いが悪かったせいだった。実母は斎木が四歳の時に亡くなっていた。
 父は大きな農家の長男だったが、頼りにならない人間だった。斎木の前でも気の強い継母に、何かに付けて遣り込められていた。
 継母は実母の三回忌が済むと半年後に父の元へ来た。
 その半年後に男の子を出産した。
 それから一年おきに二人の子供が生まれた。
 斎木は弟や妹が生まれる度に、露骨に邪魔者扱いをされるようになっていた。斎木の心に人間への嫌悪と不信感を植え付けたのは、この継母だった。父は継母の前では斎木を擁護する事さえ出来なかった。
 斎木はそんな父を憎んだ。心に凍えたものを抱え込んだまま斎木は、次第に孤独の中に閉じこもるようになっていた。
 学校でも斎木は友達をつくる事が出来なかった。自分から進んで友達から離れるように距離を取っていた。中学を卒業したら、誰も知る人のいない東京へ行くんだ、それが斎木に取っての唯一の希望だった。斎木の学力を惜しんで、しきりに進学を勧める先生達の言葉にも斎木は耳を貸さなかった。
 そうして上京し、始めた東京での生活だったが、しかし、それ程、容易いものではなかった。暗い性格の無口な少年は、工場でも可愛がられる事がなかった。真面目だけが取り得で邪険にされるという事こそなかったが、押し付けられるのは雑用ばかりだった。午前八時から午後九時の残業が終わるまでの間、煙草を買いに走り、汗まみれのシャッやタオルを選択させられて息をつく暇もなかった。眠るためだけにアパートへ帰るという毎日だった。
 そんな斎木に取って、日曜日に映画を観る、その事だけが唯一の楽しみとなっていた。また、心の慰めにもなっていた。それでも、その日曜日の夕刻がまた、斎木に取っては、耐えられない程の苦痛に満ちた哀しく、切ない時間でもあった。一日の終わりが近付く夕刻時、繁華街には灯りが点り、人々の動きも一際、華やいで見える中で斎木が抱き締めるのは何時も、自身の孤独だけだった。自分の周りを取り囲む周囲の華やぎも、笑いさざめきも、斎木に取っては無縁の、遠い世界のものだった。斎木を見て、声を掛けてくれる人は誰もいない。自分の周囲を取り囲む人の数が多い分だけ、街の華やぎの増す分だけ、斎木の孤独は一層、深まった。そして斎木は何時からか、その寂しさから逃れるように、当てもなく放浪の旅に出るようになっていた。自分の落ち着き場所を探すかのように、都会の雑踏を離れて見知らぬ寂れた場所を歩いている時、斎木の心は休まった。そこでは、自分の孤独があぶり出される事もなく、周囲の寂しい景色の中に溶け込んでゆく事が出来た。と同時にそんな時、斎木の心に深く寄り添っていたのは、何時も、死への思いだった。この寂しい景色の中では自分の望みのままに心の中の死の意識が同化出来る、という思いがあった。そしてそれは斎木に取っては、一つの救いになっていた。

 <白浪荘>は、八月も終わりの午後の陽射しの中で、ひっそりとした佇まいを見せていた。
 槙の塀に囲まれた屋敷の門を入ると、芝生の庭を縁取って、真っ赤なサルビアが見事な花を咲かせていた。
 斎木は強烈な色彩のその鮮やかさに眼を見張りながら、芝生の庭を踏み石づたいに玄関へ向かって歩いた。





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          桂蓮様

          有難う御座います
          蚊にやられっぱなし
          笑い声と共に拝見しました
          蚊はやっぱり殺さないと・・・
          わたくしもなるべく 生き物は殺さないよう
          気を付けていますが でも植物を食い荒らす
          人に危害を加える 殺さないわけにはゆきません
          わたくしの所では 最近 蚊の発生が少ない気が
          します 蚊取り線香なども今は不要で
          この猛暑の中 ボウフラも発生しないのでは
          と思ったりなどしています
           体の真実
          体の真実は体でしか証明出来ない
          まったくその通りですね ドリンク剤など
          わたくしも信用していません ただし
          栄養には充分 気を付けています
           体に奇跡はない 良い言葉です
          何事も理屈よりはまず実行 これが大切なのでは
          ないでしょうか 最近の御文章 とても砕けた感じで
          面白く拝見させて戴いております 素顔が垣間見えて
          好感が持てます いつも 楽しい御文章共々
          有難う御座います



          takeziisan様

          有難う御座います
           シオカラトンボ 全く同じ景色でした
          当時が鮮やかに甦ります
          郷愁かも知れませんが 当時は貧しくても
          心豊かな時代だったような気がします
          現在のように毎日毎日 追い立てられているような
          慌しさがなかった気がします
           終戦の日 この日の事はわたくしも文章にして
          このブログにも掲載しました 何時まで経っても
          記憶から消え去る事のない日です
           運動会等 当時は今より 確かに活発 荒々しかった     
          気がします それでも大過なく過ごせたのは
          何故でしょう 今は全体的にこの国は
          ひ弱になっているような気がします
           遅すぎる事はない 今を生きる この心
          大事な事だと思います 禅などでもしきりに
          その事を言っています 捉われるな 今を生きる
           これだけの畑仕事が出来るのは御丈夫な証拠では
          ないのでしょうか どうか御無理をせず何時までも
          楽しいブログ報告 お寄せ下さい
           数々の写真 川柳 相変わらず楽しませて
          戴きました 有難う御座います 
           
 
   
   
   
   


遺す言葉(358) 小説 荒れた海辺(2) 他 指導者

2021-08-15 12:06:27 | つぶやき
          指導者(2021.5.21日作)


 この世界は総て
 大衆の働き 動きの上に
 成り立っている
 大衆の働き 動きを抑えてしまえば
 この世界は 死んだ世界になる
 良き指導者とは その大衆の働き 動きを
 最高 最善の形で 引き出せる人を言う
 自身が先頭に立つ必要はない
 他者の力を引き出し その力を
 働かせる その事の出来る人 それが
 真に優れた指導者

          ---------ー

 人は
 知性だけでは
 生きてはゆけない
 感情だけでも
 生きてはゆけない
 知性と感情 その二つが
 調和して 初めて 人は
 真の生を生きられる




          ------------------



          荒れた海辺(2)


 周囲には田圃や畑が果てしなく開けた景色が続いていた。
「この辺りへ来ると、東京などから比べてずっと空が明るいわね」
 奈津子は車のハンドルを握りながら、いかにも心地よげに言った。
「うん、空気がまったく違うものな」
 斎木もその心地よさを感じながら奈津子の言葉に応じた。
 すれ違う車の影はほとんどなかった。
 奈津子は快調に車を飛ばした。
「海岸通りへ出てしばらく行くと、栗山川っていう川があるはずだから、そこで少しスピードを落としてくれないか」
 奈津子が快調に車を走らせるのを見て斎木は言った。
「栗山川 ?」
 奈津子は問い返した。
「うん」
「見たいっていうのはその川 ?」
「うん。その川のそばに旅館があったんだ」
「今でもあるの ?」
「分からない」
 斎木自身、今でもその旅館があるのかどうかは分からなかった。
 あの当時、女将は四十代半ばの年頃に見えた。
 板前は老人で七十歳を越えていると言っていた。
 あれから長い歳月が経過していた。女将や板前が現在でもあの当時のままに居るとは考えられなかったが、何かの手掛かりだけは得られるのではないか ?
 女将には身寄りがなくて、近所の十七、八歳の娘が一人、手伝いに来ていた。
 車は町中へ入って海岸通りへ出た。
「この道を左へ行けばいいのね」
 奈津子は言った。
 家並みが続く町中を過ぎると、また、田圃や畠の広がる景色が開けて来た。
 空の一層の明るさに海の近さが感じられた。
 海はまだ見えなかった。
「あら、あの川かしら ?」
 突然、奈津子が前方を見詰めたままで言った。
 斎木がその声につられて眼を上げと小さな川が見えた。
 だが、それは斎木の目差す川ではなかった。
「いや、あんな川じゃないよ。もっと大きな川だよ。なにしろ川口には漁船が繋がれていたんだから」
 眼の前に見えるのは雑草に覆われた小さな堤防の川だった。
「そう」
 奈津子はそう言ってから、
「それなら分かり易いわね」
 と言った。
 車はそれからまた、暫く走った。
 再び、小さな川が見えて来た。
 今度は奈津子も何も言わなかった。
 周囲には相変わらず田圃や畑の広がる田園風景だけがあった。
 そんな景色の中をしばらく走ると、やがて、あちこちに点在する松林や、槇塀に囲まれた人家がポツリ、ポツリと見えるようになって来た。海辺の土地らしく、庭先に網などの漁具の干してある家々もあった。
「あれっ、あれじゃないかしら、ほら !」
 奈津子が突然、力を込めた声で言った。
 周囲を走り去る景色に気を奪われていた斎木はその声で、我に返ったように前方に眼を向けた。
 奈津子が見付けたのは、人家の間から途切れ途切れに見えて来る、曲がりくねった大きな堤防だった。
「ああ、そうだな。あれだな、きっと」
 斎木も声を弾ませて言った。
 しかし、堤防は斎木が想像していたよりは思いの外、小さく見えた。
 奈津子は車の速度をゆるめると、まるで慎重を期すかのようにゆっくりとその堤防に近付いて行った。
 眼の前に木製の古びた橋が見えて来た。斎木は橋の名前を確認しようと思って車窓のガラスを開き、首を出して見たが、欄干には名前など記されてはいなかった。
 奈津子がゆっくりと運転する車は橋の上にかかった。
 橋の上から見る川面は流れを感じさせない静けさで薄茶色に澱んでいた。川幅の半分ほどを覆って両岸に、葦の繁みが丈高く繁茂していた。
 斎木は自分が想像していた記憶の中の川とは余りに異なる川の姿に愕然とする思いだった。
「この川 ?」
 奈津子が意外感を滲ませた声で聞いた。
「うん、この川だと思うが」
 斎木はなぜか、現実を受け容れかねない思いで憮然として言った。
「車を停めて、降りてみる ?」
 奈津子が言った。
「うん、そうだな」
 奈津子は小さな橋を渡り切ると松林のそばで車を停めた。
 斎木は一足先に車を降りて橋の方へ戻って行った。
 辺りには旅館らしいものは何も見えなかった。
 道路を挟んで海側には松林が続いていた。
 反対側には、何かの作物の収穫を済ませた畑がくろぐろとした土の色を見せて、見渡す限りに開けていた。所々に点在して、人家や松林が見えていた。
 川口は松林に遮られて見えなかった。
 両岸に葦が繁茂する川には、かつて漁船が繋がれていた面影は見られなかった。
 奈津子も車を降りて来た。
「この川に間違いない ?」
 斎木の何処となく納得しかねる様子に気付いたように奈津子は言った。
「そうだと思うけど、俺が覚えている川の様子とはまったく違う」
 斎木は言った。
「旅館もないみたいね」
 奈津子は周囲を見廻して言った。
「うん」
「あそこにあるのは何かしら ?」
 車の置かれた前方に見える樹木の繁みを差して奈津子は言った。
「あれはただの藪だよ」
 斎木は言った。
「じゃあ、ここではないんじゃない ?」
 奈津子は言った。
「そうかも知れないな」
 斎木も自信を失くしていた。
 橋の上から車の置いてある松林の方へ戻って行った。
 斎木はふと、眼を凝らして立ち止まった。
 芒や萱の繁茂している仄暗い松林の中に、無造作に放り出されてある、木片が眼に入って来た。





           ----------------



           桂蓮様

           御励まし 有難う御座います
           日本は猛暑 そちらは寒い日もあるとの事
           世界はいろいろ多様ですね
            でも 日本でもこの二 三日 天候が悪くて
           薄ら寒い日が続いています
            わたくしは横文字にはまったく疎い人間ですので
           英文辞書の定義などという難しい事は分かりませんが
           英文と日本文を 比較しながら 難しい単語を
           辞書で引いてみる ただ それだけで限りなく
           楽しい一時が過ごせるのです でも ここに取れる
           時間はそう長くありませんので ポツリ ポツリ と
           いった感じで楽しませて戴いております
            マップ この時代には今のようにカーナビなど
           という便利なものがなかった時代ですのでーー
            わたくしはどうしても古い時代に生きた人間ですの   
           で現代とは少しずれが生じてしまうようです
           ですが 人間の本質はそう変わるものではなく 
           その変わらない部分をわたくしが認識した人間観 
           世界観として表現して見ようと思っている次第です 
            体の中心点 気力のポイント
            気力を出せ 無理強い かえって悪い結果に繋がる
           大切な事はその人の気持ちを汲んであげる事 
           この一言ですね 自分だけが正しい そう思っている
           人間には この気持ちは分かりません 
            体にハマル バレーの練習も坐る事も一緒ですね
           体得する その時が本物 身に付いたものに
           なるのですね 概念 観念だけでは世の中 
           動いてはゆきません
            今回戴いたコメント とても楽しく拝見させて
           戴きました ブログには見られない生の桂蓮様の
           お姿が垣間見え 人間としての生の感覚が
           伝わって来ます ブログでもこんな気軽なお姿を
           是非 綴って下さい 
            何時も 応援 有難う御座います



           takeziisan様

           何時も お眼をお通し戴き
           有難う御座います
            今回も様々なブログ 楽しませて戴きました
           海の日 山の日 休日ばかりが多く お言葉通り
           混乱した一人です
            唐松岳写真 迫力満点 良い写真ですね
           ライチョウ 実際にご覧になったのでしょうか
           キチョウです
            紫御殿 他 珍しい花々に驚いています
           それにしても花が豊富です 羨ましい限りです
            元の木阿弥 思わず笑いました 雑草の
           なんという逞しさ 実際 プランター栽培でも
           驚くばかりです
            サクラランにも舞台序列があるんですかね
            ハワイアン 以前にも書いたと思いますが
           懐かしさ一杯です 今 改めて聞いても
           いいものはいいですね 
            夏の思い出  ラジオ歌謡が思い出されます
           朝と夕方 2回の放送があり 夏の朝 庭でこの
           歌を聴いた思い出が改めて甦ります
           素直にその世界へ溶け込んでゆけた
           あの頃が懐かしいですね
            三平峠写真 いいですねえ ほのぼのとして 
           懐かしいのではないですか それにしても
           よく山をお歩きでした 想い出も一杯なのでは
           ないでしょうか
            川柳 皆さん上手いです 笑えるところがいい
            何時も 有難う御座います
           
            
 
 


 

遺す言葉(357) 小説 荒れた海辺(1) 他 なんという暑さ

2021-08-08 12:29:42 | つぶやき
          なんという暑さ(2012.8.31日作)
  
              ほぼ十年前に書いた文章です。
              当時の夏も三十三度、三十四度と猛暑
              だったようですが、今、現在程、身体への
              打撃を嘆いていないのは、年齢の為でしょか。
              あるいは、気温自体が今よりもっと、穏やか
              だったのでしょうか。今年、現在、この国各地
              の気温は三十五度以上を連日、記録する。この
              暑さがやはり、当時と比べても異常な暑さ、と
              言えるのでしょうか。とにかく暑い !
              確実に地球温暖化への道を進んでいるようです
 

 なんという暑さ
 気温は連日 摂氏三十三度 三十四度 
 時には三十五度に及ぶ
 平成二十四年 2012年八月三十一日現在
 千葉県市川市大洲
 七十四歳を四ヶ月過ぎた夏の終わり
 さすがに この暑さに辟易
 疲労を覚える
 それでも夏バテはしていない
 まだ 暑さと闘う気力は衰えていない
 心は夏の真っ盛り
 秋の訪れ 穏やかな時を待ち望み
 やがて来る冬に備える気分は まだ ない
 失われた時間 人との係わりの中
 過ぎ去りし時と共に歩んで来た 自身の
 過去 空白の時間
 今 訪れた 一人の時間が その空白
 過去を解き放ち 
 失われた時間を埋めるべく
 心がせがむ
 七十四歳と四ヶ月
 一人の時間 自身の今を生きる歓喜が
 この身を包む
 
 ギラギラ燃える太陽
 心は夏の真っ盛り
 夏バテしている暇はない





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          荒れた海辺
            (続 海辺の宿)


          一

 大学三年生の信子が斎木夫妻にこう切り出したのは六月、日曜日の夜だった。
「お父さんとお母さん、今年、結婚二十五周年でしょう ?」
「そうよ」
 妻の奈津子は夕食後のお茶を手にしたまま答えた。
「じゃあ、銀婚式ってわけか ?」
 長男の高志が口を挟んだ。
「え ? もう、結婚して二十五年になるのか ?」
 斎木は迂闊にも初めてその事に気付いて言った。
「九月二十六日が二十五回目の結婚記念日よ」
 奈津子は改まった感慨もないのか、事も無げに言った。平穏無事に過ぎてゆく日々に満足しているようだった。
「お祝いはどうするの ?」
 信子がそんな母親の顔を見て言った。
 奈津子は期待もしていなかった事を聞かれて、ちょっと戸惑った風だった。
「お父さん、銀婚式のお祝いはどうするかって ?」
 斎木の顔を悪戯っぽく見て言った。
「別に。考えてもいなかったよ。そんな事、初めて気が付いたんだから」
 斎木はテレビのニュース番組に眼を向けたまま、気のない返事をした。
「二人で旅行でもしてくればいいじゃないか」
 高志が言った。
「あなたがお金を出してくれる ?」
 奈津子は就職して二年目の高志をからかった。
「そうよ、お兄ちゃんに出して貰えばいいわよ。もうじき、ボーナスが出るんだから」
 信子が言った。
「駄目だよ。俺にはそんな余裕なんてないよ」
 高志は信子に向かって口をとがらせた。
「なんだ、おまえが言い出したんじゃないか」
 斎木も信子に加勢してからかった。
「わたしのお友達に実家が銚子で旅館をやっている子がいるの。その子に頼んであげるから、そこへ行って二、三日、二人でゆっくりしてくればいいじゃない。お父さんはお魚が好きなんだから、銚子へ行けば好きなものがいっぱい食べられるわよ」
 信子がまんざら冗談でもない口振りで言った。
「あら、いいわね。あなたのお友達にそんな人がいるの ?」
 奈津子が気乗りした様子で言った。
「うん、テニス部で一緒なの」
「その友達に頼んで安くして貰えばいいよ」
 高志が言った。
「その代わり、お兄ちゃんがお金を出してよ」
「おまえも少しは出せよ。お祝いなんだから」
「わたしは学生でお金なんてないもの」
「アルバイトをした金があるだろう」
「そんなのもう、使っちゃったわよ。それにわたしはその分、旅館代を安くしてくれるように頼むもん」
 信子は澄ました顔で言った。

 夕食後の雑談が思い掛けなく本物になっていた。
 信子がすっかり手配をしてくれた。
 斎木は奈津子が運転する車で九月後半、三連休初日の朝八時に東京、中野の家を出た。地図を片手の銚子までのドライブの旅だった。
 千葉県に入ると国道一二六号線は混んでいた。
「三連休のせいかしら、ずいぶん混んでるわ。これじゃあ、銚子まで行くのにどれだけ掛かるのか分からないわ」
 奈津子は数珠繋ぎの車の列を見て、うんざりした様子で言った。
「うん。でも、朝早く出て来てよかったよ」
 車の運転の出来ない斎木は、奈津子のイライラする様子を見て慰めるようにして言った。
 奈津子は渋滞の中でドライブマップを開くと、熱心に抜け道を探し始めていた。
「東金という所で海岸通りへ出られるわ。少し遠回りになるみたいだけど、そっちへ行ってみましょうか」
 ドライブマップを見詰めたまま奈津子は言った。
「海の方へ降りるのか 」
 斎木は奈津子の言葉に独り言のよう呟いた。
「そうね。九十九里浜の海岸線に沿って道路が走ってるから」
 奈津子が斎木の呟きに答えるように言った。
 程なくして渋滞が解けて、少しずつながらに車が動き出した。
 奈津子はマップを膝の上に置くと、ハンドルを握って前方を見詰めた。
 斎木は九十九里浜と聞いて、思い掛けない懐かしさに捉われた。思わず、奈津子の膝の上にあるマップを手に取ると、それを開いて見た。
 雄大な海の広がりを示す青一色と、網の目のように道路の書き込まれた図形が眼に入って来た。
 斎木は熱心にその図形に見入った。と同時に頭の中では懸命に当時の記憶を辿りながら、一つの場所を探していた。
 だが、既に何十年も前になる昔の記憶は大方が薄れてしまっていて、明確な思いに辿り着く事は出来なかった。地名さえも浮かんで来なかった。
< 確か、宿の傍に川があって、木の橋が掛かっていたはずだ >
 その微かな記憶を頼りに川を探した。
 川口近くに何艘かの小型漁船が停泊していた記憶がふと、甦った。
 青い文字で書かれた小さな川の名前が眼に入った。
「栗山川」
 記憶にはなかったが、何故とはなしに確信的にそれが、探している川だ、という気がした。
「ようやく順調に走れるようになって来たわ。このまま、この道を行っちゃいましょうか」
 奈津子が安堵したように言った。
「いや、ちょっと、海岸通りの方へ行ってみてくれないか。少し、見てみたい所があるんだ」
 斎木は言った。
「何処を見るの。海 ?」
「いゃ、そうじゃない。ずっと昔に一度、この海辺に来た事があって、泊まった旅館があると思うんだ」
「泳ぎに来たの ?」
「いや、あの頃は、そんな余裕などなかった」
 斎木はふと込み上げて来る悲しみと共に言った。
「働きに来たの ?」
「いや」
 と言って斎木は言葉を濁した。
 斎木に取っては誰にも話していないし、話したくない過去でもあった。
 奈津子はその重苦しげな斎木の様子に気付いて、それ以上は訊ねなかった。
「ええと、こっちが一二八号線へ入るんだから、ここで左側へ行けばいいのね」 
 奈津子は独り言を言いながら道路標識に眼を配っていた。
「地図を見てみようか」
 斎木は奈津子を助けるつもりで言った。
「そうね。見てくれる」
 斎木は手にしたマップを開いた。
「そうだ。左へ行くんだ。そうすると片貝という所へ出る道がある」
「じゃあ、その道を行ってみましょうか」
 しばらく走ると、「ああ、ここね」と奈津子は言った。
 車は国道を出て県道に入った。





          ----------------



          桂蓮様

          毎回の励まし 有難う御座います
          今回も新しい記事が見当たりませんでしたので
          旧作を再読させて戴きました と言っても
          義理やお付き合いで 読ませて戴いている訳では
          ありません 辞書を引きながらの英文との
          読み合わせが楽しいのと 初回には分からなかった 
          再発見のある面白さがあっての事で 
          どうか義理で無理矢理 読んでいるとは
          思わないで下さい
           今回の再読は 2020年難世を生きて です
          来年になってコロナが根っこから消滅するのを
          願っている そう簡単には終わらないでしょう
           お言葉通り 日本では今現在 日増しに状況が
          悪化するばかりです いつ終わるやら
           それにしてもこの記事の中で 普段の桂蓮様とは 
          思えない弱気の姿が映し出されていて 思わず
          含み笑いをしてしまいました 何時も前向きに思える
          桂蓮様でもこんな事があるのかと 
          どうぞこれからもこのような真実の姿を
          このブログで発信し続けて下さい
          楽しみにしております
           有難う御座いました



          takeziisan様

          有難う御座います
          猛暑の中 写真撮影も大変なのでは
          ないでしょうか
          今回 カルガモ親子楽しませて戴きました
          田舎に居た頃から カルガモは親しい存在だった
          のですが こうしてじっくり見るのは初めてです
          なんの動物に限らず 親子の姿は微笑ましいものです
          必死にわが子を守ろうとする姿勢がどの動物にも
          感じられます
           方言はいいですね 優しさが感じ取れます
          こういう言葉もいろいろボタン一つで言葉が発信
          出来るようになると だんだん失われてしまうのでは
          ないでしょうか 世の中 便利になるのと共に  
          失われてゆくものへの寂しさも感じます
           それにしてもよく日記をお持ちです
          貴重な記録ですね わたくしなど ほとんど
          書いた記憶がありません 後に東京へ出てから
          多少 書きましたが長続きはしませんでした
           鶏頭にもいろいろあるんですね
          俳句 病院へ行って不整脈を発症していては
          困ったものです
           何時も お眼をお通し戴き 有難う御座います
 
             

遺す言葉(356) 小説 優子の愛(完) 他 人生の日々

2021-08-01 13:09:48 | つぶやき
          人生の日々(2020.8,10日作)

 
 人生の日々 二十四時間 は
 同じように 過ぎて逝く しかし
 人生の日々 二十四時間 に
 同じ時間は 一日 一時間たりとも 無い 
 人生に 退屈している 暇はない
 人生は退屈だ そんなあなたは
 自身を 生きていない
 人は 眼を 持つ 耳を 持つ 心を 持つ
 その眼 その耳 その心は
 日々 二十四時間
 動いて いるか ? 働いて いるか ?
 人は日々 二十四時間 育ち 老い て 逝く
 退屈している 暇はない
 光陰 矢の如し



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          優子の愛(完)


「わたくし お金の事も含めて、いろいろ考えたんです。わたくし、恐かったんです。沖津さんと結婚するのが恐かった、というのではなくて、沖津さんへの愛にのめり込んでゆくのが恐かったんです。わたくし、愛というものを信じる事が出来なかったんです。愛を遠いところから、客観的に見る事しか出来なくなっていたんです。沖津さんを愛していながら、心はいつも揺れ動いていました。わたくし、ずっと前のいつか、父が他所に女性をつくって家に帰らなくなった事をお話しした事があったと思うんです。そして、母が過労のために肺炎を悪化させて死んだ事なども。幼いわたしの心の中にはそんな事が深い傷を残していたんです。母は小さくて、まだ、愛が何かも分からないわたしに、一冊のアルバムをめくりながらよく言いました。
" 愛なんて、こんなに頼り無いものはないわね。これを見て。昔のお父さんはこんなにもお母さんを愛していたのよ "
 分厚いアルバムの半分以上が四季、折々の、様々な場所を背景に愛を信じ切った笑顔で肩を寄せ合う、父と母の写真で埋まっていました。 
" この頃が、あなたとお父さんとお母さんの三人で、一番、幸せな時代だったわね "
 母はわたしが三歳の時のひな祭りの写真を指差しながら、遠いところを見るような眼差しで言いました。
 そんな母には、しばらくは、父が他所に女をつくった事が本当だとは、信じられなかったようなんです。でも、現実には、父は他の女性の所に住み着くようになっていて、家へ帰る事はなくなっていたのです。最後まで父の愛を信じていた母もとうとう、これが現実なのだ、と納得したようでした。そして、それと共に、母の心からも、表情からも、次第に色艶が失われ、やつれの色が目立つようになって来ました。
 父は一年程が過ぎると、月々の生活費も送って来なくなりました。母は仕方なく、働きに出るようになったのです。
 母は優しい人でした。苦しい生活の中でも、わたしに辛く当るような事はまったくありませんでした。それだけにわたしは、幼心にも母の憔悴し切った姿を見るのがたまらなく辛かったのです。
 わたしは父を憎みました。母を苦しめる父が許せなかったのです。 
 母はそんな哀しみの中で亡くなりました。
 わたしは母の兄の元へ引き取られ、そこでは母に似た優しい伯父夫婦の庇護の下、母といた頃よりはずっと恵まれた、幸せな日々を過ごす事が出来ました。でも、この時には既にわたしの心の中には癒し難い、不信という観念が植え付けられてしまっていたのです。現実の総てがわたしには、裏を持った、ただの幻にしか過ぎないもののように思えてならなかったのです」
 優子はそこまで話すと、ふと、俯き加減でいた眼を上げて、
「分かって下さいます ?」
 と言った。
 沖津は優子の話しを何処か遠い所の物語を聞くような思いで、だが、それが優子自身の身の上の事なのだという認識だけはしっかりと持ったまま聞いていた。
 優子は沖津が返事を返す前に言葉を続けていた。
「わたくしが沖津さんから逃れるように結婚したのも、そんな事の訳で、決して、お金だけが目当ての結婚ではなかったのです。なんだか月並みな、メロドラマのような言葉になりますけど、わたくし、沖津さんが好きだったのです。本当に心から愛していました。ですからわたし、その愛を大切にしたかったのです。沖津さんとの間で壊れる愛の幻を見たくなかった。幼い頃の心に植えつけられた総ての物事に対する不信感、わたくしの心の中からはどうしてもその感覚が抜け切れなくて、わたくし、沖津さんに寄り添ってゆく事が出来なかったのです。恐かったのです。初めから愛のない結婚なら、たとえそれが破綻したとしても、苦しむ事はない。愛の壊れるのを恐れる必要もない。そういう訳でわたし、伯父がお金持ちとの結婚話しをして、冗談のように、一生、金に困る事はないぞ、と言った時、それが一番、確かなものに思えたのです。お金なら裏切る事はない。無論、愛情を抱いての結婚ではありませんでした。でも、愛情のない結婚程、虚しいものはありません。どんなに贅沢が出来たとしても、心の中の空虚はお金や贅沢で埋められるものではありません。一年程すると心の中の索莫としたものに耐えられなくなって、わたくし、沖津さんの子供を生みたいと考えるようになったのです。わたくし自身が心から愛した人の確かな証拠が自分の人生に欲しい。幸いと言っていいのかどうか、それまでの間に夫との間には子供は恵まれませんでした。それでわたし、漠然と考えるようになっていたのです。沖津さんとの子供を産む事によって、沖津さんへの愛も永遠のものとなる。わたし自身のこの心の空虚、索莫とした心の内も、その子供にそそぐ愛情によって救われるだろう。日々、日常、沖津さんとの愛がその子を見る事によって確認出来る。ーーですからわたくし、今日までずっと幸せでした。夫のいない事を淋しく思う事もありませんでした。夫は年齢もわたくしより倍近くも上なんですから、結婚した当初から未亡人としての生活が長くなる事は覚悟していました」
「でも、一人になってこれからは ?」
 沖津は優子の孤独を思って痛む心で聞いた。
「これからは、一人になった事ですし、気ままに暮らしてゆきます。幸い、二、三の親しい奥様友達もいますので、いろいろな所を旅したり、お芝居なんかに誘ったりして」
 優子はなぜか晴れ晴れした静かな微笑で言って、
「もう、沖津さんにお電話を差し上げる事も御座いません。無論、わたくしが死んだ時にも、沖津さんにお知らせする事もないはずです。娘は何も知りませんので」

 優子とその喫茶店で過ごしたのは長い時間ではなかった。優子の方から沖津を促すように帰りを急いだ。
 優子は別れ際に言った。
「どうぞ、奥様や御家庭を大切になさって、御幸せな日々をお送り下さい」
 沖津はタクシーに乗り、一人になると座席の背もたれに深く体を沈めて眼をつぶった。
 自ずと今、別れて来たばかりの優子の姿が眼に浮かんで来た。
 相変わらずその美貌に衰えはないと思った。
 だが、沖津の心に揺らぎの生まれる事はなかった。昔からの親しい優子という存在だったが、今の沖津に取っては、遥かなもの、遠いものとしての感覚でしか掴み取る事が出来なかった。妻の道代、そして子供達、その家庭とが沖津に取っての総てだった。「実はあなたの子供だったのです」驚きの中で聞いたその言葉もなぜか今の沖津には他人事のように思えた。実感を抱く事が出来なかった。これから後、この言葉が自分の気持ちの中でどのように作用をして来るのか、今の沖津には分かり兼ねたが、それでも沖津は確固とした思いで、現在の充実した日々の揺らぐ事はない、と自身の胸の内で確信出来た。今のこの充実した日々、沖津に取ってはそれが総てだった。それが沖津に取っての幸福だった。現実だった。それ以外は総て遠い感覚の中の幻でしかない、と沖津は思った。





          完





         ------------------



         takeziisan様

         コメント 有難う御座います
          お母様の生い立ち 一生を書き留めたい
         との事 是非 書いて下さい 何も難しく
         改まった言葉で書く必要はないのではないでしょうか
         子供や孫に語り継ぐ そんな軽い気持ちで向き合っては
         如何でしょう 九十歳の詩人 柴田とよさんの詩など
         難しい言葉は何一つありません 普段の言葉使いで
         たんたんと日常を描写しています それでいて
         多くの人人の共感を得る 是非 普段どおりの言葉で
         備忘録を書くようなつもりで書いて見て下さい
         もし 文字にして残さなければ その事実を知る人間が   
         居なくなった時には 総てのものが失われ 消えて
         しまいます 是非 お孫さんにでも語り聞かせるように
         御自身の言葉で お書きとめ下さい
         「私にとってのブログ」 全面的に共感 人生アルバム
         良いのではないでしょうか
         「夏の日の恋」懐かしいですね それにしてもあの頃は
         良い楽団が多かったですね その他 様々に懐かしい
         良い音楽が思い出されます
          「幻燈」進んでいましたね わたくし等の居た地方より  
         はるかに進歩的です
          田舎言葉 温かいです それにしても こういう
         記事を見る度に 前にも書いたと思いますが 真の
         豊かさとは何か 考えさせられます
          その他 セミの声 ゴーヤのジャム ブルーベリー
         の記事 数々の写真 今回も楽しませて戴きました
          大盤振る舞い 利益ゼロ
         孫にでもですかね ついつい・・・・
          いずこも同じ 秋の空 
         あまり長くなりますのも と思い  この辺で
          有難う御座いました

          

        

         桂蓮様

         コメント 有難う御座います
          人には人それぞれ いろいろな人生がありますが
         人間 今が幸せ それが一番 良い事ではないでしょうか
          桂蓮様もいろいろ複雑な過去をお持ちのように
         御推察しますが でも 御主人様との御幸せそうな記事を   
         拝見しますとなんだか自然に笑みが洩れて来ます
          最悪 最低の気分 笑いました これが生きている
         人間なのですね 嬉しくなりました それでも気分は
         今が青春 そんな雰囲気です
         「老化に立ち向かう」 以前にも拝見した記憶が
         ありますが 改めて面白さに気付きました
         ピグリーナ  この自虐 いいですね 面白い
         笑えます 御主人との場面が眼に浮かびます 
          加齢への戦術 箇条書き面白い それでも人間
         最後は心の持ち方一つではないでしょうか 気持ちが   
         老け込むとどうしても物事に消極的になりますから
          何時も有難う御座います 様々な事への挑戦 遠く
         日本から密かに応援を お送り致します