■重くてつらくて、でもしんしんと胸に沁みる映画を見ました。
■「神戸映画サークル」主催の「市民映画鑑賞会」で見た
「私を離さないで」 という映画です。たぶんアートシアター系で少し前に放映されたものではないかと思うのですが、この観賞会のおかげでこれほどの映画を見逃さなくて本当に良かったと思います。場所は神戸シネ・リーブルの9階にある朝日ホールです。
■樹立に囲まれた古い寄宿舎のようなところ・・・。子供たちがいます。沈んだ色合いの美しい画面です。どうも外界とは接触しなないように教えられているらしい・・・。
■美しい画面なのに、全体に流れる不思議な不安定感。何かおかしい・・・。
しばらく画面を追っているうちにハッと気がつきます。普通に遊び、普通におしゃべりをしたりイジワルをしてみたりしているこの子供たちは「クローン人間」なのです。なぜ?
■さらに時が経ち、成長してゆく子供たち。恋をしたり性に目覚めたりもしていきます。そしてやがて
「ドナー」になる日がやってきます。ドナー?。・・・・そう、彼らは人間の臓器移植のドナーになるため作られた子供たちなのです。
■人間とおなじ「心」を持つこの青年達の悲しみに、胸がしんしんと痛みます。もっとつらいのは、この青年たちのこれほどの悲しみが、「怒りや抗議」というものに発展はしないということです。
そのような感情を学習していないのです。
移植を一回、(それで死なない場合は)二回、三回と重ね、しだいに弱っていきます。、やがて最後の内臓を取り出された後、力尽きて心音計が「ツーー」と鳴るとき、会場にはあちこちからすすり泣きが聞こえてきました。
■映画前半、寄宿舎で「良い作品はギャラリーに展示してもらえるから」ということで子供たちに絵を描かせています。映画後半で青年になった子供たちは知ります。絵を描かされていたのは自分たちがどんな「感情」をもっているか調査するためだったと。でも、さらに後になって、すでに年老いた当時の校長から、更に悲しい言葉を聞いてしまいます。
絵を描かせたのは、「どんな感情をもっているか、ではなく、感情を持っているかどうか」だったと。
■原作はカズオ・イシグロさん。レオンは原作を読んでいないのでイシグロさんの本意は知りませんが、映画でレオンが理解したのは以下のようなことでした。
■人類に恩恵をおよぼす(と思いこんで)神の領域に手をのばしてしまう人間。その「恩恵」の見返りとしてどのようなしっぺ返しがあるのか、あるいはないのか。その覚悟はあるのか。この映画のように、クローンを作りだした人間ではなく、作りだされたクローンの方が
「どう逃れようもない深い悲しみ」という代償を払う、ということもあるのです。
■こんなに悲惨なストーリーなのに、この映画は決して醜くはなく、不思議に崇高な後味を残している。優れた作品はそう言うところが違うのだなあ、といまさらながら思うレオンでした。
★後日談です。後になってカズオ・イシグロさんへのインタビューをブログで見ました。それはこういうものでした。子供時代とは外界のことは何もわからずにいる時代であり、その「メタファー」としてこの映画にあるような状況を描いてみたそうです。なるほど・・。原作者の本意はまだ一回り大きかったのですね~。映画とは別の興味深い内容でした。⇒
「イシグロ氏へのインタビュー」