昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
何気ないものに意外な歴史を見つけるのも
旅の楽しみです。 妻の油絵もご覧下さい。

茅葺きの高床式建物「我部祖河の高倉」

2007年04月01日 | 沖縄の旅
 
9月3日雨上がりの朝、那覇のホテルを出発して名護市我部祖河(がぶそか)の高倉を見に行きました。

写真上段は、我部祖河の高倉で、沖縄県指定の有形民俗文化財となっています。
農家で穀物を貯蔵する湿気を防ぐ高床の木造建物で、床は板張りになっており、昔には沖縄のほとんどの「稲作農家」にあったようです。

写真左の奥に木に取付けたハンモツクが見えます。
木陰でのんびりと昼寝でもしているのでしょうか。

写真中段は、茅葺きの屋根の下に竹を編んだ壁「チヌブ」を貼り付け、中央には板の入口が取り付けられています。
入口に掛けられる梯子は、角材に段刻りした一本造りで、ねずみ対策のため通常は外されているようです。

写真下段は、国宝にもなっている香川県で発見された1世紀頃の袈裟襷文銅鐸(けさだすきもんどうたく)の絵で、高床の建物が線画で描かれています。

名護市の文化財を紹介したサイトに「香川県出土の銅鐸に描かれた高倉と同形で・・・」とあり、確認してみましたが、建物の構造が違っているようです。
線画の右下に一本造りのような梯子が描かれている点では共通点があるようです。

2004年出版された写真集「長江文明の探求」に「苗族(ミャオ族)村の高床式の米倉(広西壮族自治区融水県)」の写真に、「我部祖河の高倉」とそっくりで一本の木を階段状したハシゴがありました。

その本によると、中国には長江の中流域に世界では最も古い「長江文明」という稲作を中心とした農耕文明があったことが分かってきています。
城頭山遺跡には6300年前頃(気候の寒冷化が始まった時代)の城壁(直径360mの円形)や、6500年前の水田跡も発見されているようです。

少数民族「苗族」は、地球の寒冷化により南下した「黄河文明」の人々に土地を奪われ、周辺地域に逃げて行った「長江文明」の人々だったと考えられています。

長江流域の少数民族は、チガヤ(茅萱)を大切な祭祀に使っているそうです。
沖縄の魔よけ「ゲーン」(ススキの葉を輪結びにした)や、日本各地の神社で行われるチガヤの輪をくぐる神事、「備後風土記」の蘇民将来の伝説にある「茅の輪」などは同じ文化の源流を感じます。

沖縄神話にあるアマミキヨが開いた水田の話や、縄文時代から弥生時代への変化などと、「長江文明」との関係はたいへん興味をそそられるテーマです。


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