昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
何気ないものに意外な歴史を見つけるのも
旅の楽しみです。 妻の油絵もご覧下さい。

「日吉大社」東本宮の参道で見た奇妙な岩

2009年02月20日 | 近畿地方の旅
昨年11月1日~2日の滋賀旅行の思い出です。

堅田を後にして湖岸を南下、比叡山の麓、坂本にある日吉大社に向かいました。

日吉神社独特の鳥居(鳥居の天辺に三角飾りが付く)を見たいと、参拝に来ました。



駐車場から「日吉神社」の東本宮の参道へ向かう道です。

古い家並みがあり、古い石垣の下には水路が見えます。

向こうに「ゆどうふ」とだけ書かれた看板があり、なぜか気になります。



自然の石を並べて造った水路にきれいな水が勢いよく流れ、小さな水車がまわっていました。

青竹の花差しにススキが差してあります。



こちらの水車の前にはコスモスが差してあります。

三つの水車が、元気にまわる様は、何とも可愛らしいものです。

誰が何のためにこの水車や、花を飾っているのかちょっとした謎です。



東本宮の参道入口にかなり古そうな石橋がありました。

この橋は「二宮橋」と言い、日吉大社の境内にある「日吉三橋」の一つで、国重要文化財です。

神社の説明文では「日吉三橋」は、江戸時代の初め頃の寛文九年(1669)に花崗岩で造られた橋です。

豊臣秀吉が寄進したと言われる木の橋を、石橋に掛け替えたようです。

橋の両側にある擬宝珠[ぎぼし]には、この石橋の長い歴史を感じます。

頑丈そうな橋ですが、通行禁止になっています。



比叡山から流れ出た大宮川の清流に架かる「二宮橋」です。

メガネ橋のような石積みの橋とはまったく違う構造です。

まるで木製の橋を石材に代えて造ったような形です。

西本宮の参道近くには「日吉三橋」の「大宮橋」「走井橋」があります。

この「二宮橋」の名称から考えると「東本宮」は、№2の「二宮」のようです。



東本宮の参道入口にある料金所の小屋です。

壁に貼られ日吉大社のポスターには、11月1日(参拝当日)から12月7日まで「もみじ祭」の開催となっていました。

紅葉にはまだまだ早いようで、このような早い日程の案内に誘われ、何度も失敗した体験を思い出します。



緑に囲まれた道の両脇に小さな祠があり、参道の向こうに東本宮の楼門が見えて来ました。

向って右の石灯籠の脇にある祠は「八柱社」だそうです。

日本書紀では、素戔鳴尊が、高天原にいる天照大御神へ会いに行き、誓約[うけい]を行って生まれた五男三女の八柱の神様です。

左手の道の脇にある祠は「氏神神社」、左端の祠は「氏永社」です。



楼門が近づくにつれて木陰で暗くなり、神秘的な雰囲気を感じてきます。

右手に二つの大きな岩がありました。



手前の岩は、「猿の霊石」と呼ばれているようです。

なんとなく猿に見えて来ました。

しめ縄の上に丸く付いた白いコケが目に見え、しめ縄の下に鼻とアゴに見えます。

このしめ縄の位置が、何とも締まらない猿の顔にしているようです。

日吉大社の神様のお使いは、「猿」と言われています。

織田信長による比叡山の焼き打ちで焼失した社殿の再建には豊臣秀吉の大きな支援があったようです。

幼名を「日吉丸」と言い、あだ名が「猿」だった秀吉は、この日吉大社に特別な思いを感じていたのかも知れません。



二つ目の岩「夢妙幢岩」と、摂社「巌瀧社」です。

「夢妙幢岩」は、いい夢を叶え、悪い夢を消してくれるとされています。

地蔵菩薩の別名が、妙幢[みょうどう]菩薩ですが、言いかえて「夢地蔵菩薩岩」とすると何となく馴染みのある名前になるかも知れません。

摂社「巌瀧社」の祭神は、市杵島姫[いちきしまひめ]神、湍津姫[たぎつひめ]神だそうです。

この二柱の神様は、宗像三女神で、なぜか田心姫[たごりひめ]神だけが祀られていません。

そう言えば、最初の祠「八柱社」の八柱の神様の内、三女神は、この宗像三女神で、二度目の登場です。



東本宮の楼門です。

広い石段の下の中央にある平たい岩は、以前にどこかで見たような気もしますが、何のために置かれているのでしょうか。

楼門入口のお店で、サルのお守りが目にとまり、母への土産に買いました。


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