昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
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「猿田彦神社」の参拝で見た不思議な八角形

2009年09月27日 | 近畿地方の旅
「月讀宮」から内宮方面に国道23号を約1Kmの「猿田彦神社」へ参拝しました。

内宮の大きな駐車場と、国道23号を挟んで西隣にあります。



「猿田彦神社」の参道口です。

参道口は、アスファルト舗装で、やや興ざめですが、鳥居付近から向こうは細かな砂利が敷き詰められ、さすがに拝殿前は神域の雰囲気が感じられます。

「猿田彦神社」は、当初「猿田彦大神」の子孫とする伊勢神宮の宮司「宇治土公[うじのつちぎみ]氏」が、邸内で祖神を祀る私的な神社だったようです。

江戸時代末期に火災があり、明治11年の社殿再建で正式な神社となったと言われています。

■頂いた神社の資料を転記します。
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猿田彦神社御神徳略記
主神  猿田彦大神
相殿  大  田  命
御  由  緒
猿田彦大神[さるたひこおおかみ]は天孫降臨[てんそんこうりん]の時、天八衝[あめのやちまた]に待ち迎えて、啓行[みちひらき]をされ、天孫を高千穂[たかちほ]へと導かれてから、天宇受売命[あめのうずめのみこと]に送られて、伊勢の五十鈴[いすず]の川上に来られ、こゝを中心に広く国土を開拓指導された地主の神で、皇大神宮がこの地に鎮座されたのは天上からの幽契[ちかい]によると古書に伝えられて居ります。
垂仁[すいにん]天皇の御代に皇女倭姫命[やまとひめのみこと]が神宮鎮祭の地を求めて諸国を巡歴された時に、猿田彦大神の御裔[みすえ]の大田命[おおたのみこと]がお迎えして、大神以来守護して来た五十鈴の川上の霊域を献上して、伊勢の神宮を創建申し上げました。大神と大田命との子孫は宇治土公[うぢのつちぎみ]と云い以来永く玉串大内人と云う特殊な職承に任ぜられて代々奉仕して来ました。
御神徳高い大神は佐田大神、千勝大神、白鬚大神、導祖神、さいの神、庚申さま等々として津々浦々にお祀りされますが、日本書紀にも伝えられている通り、大神本拠の地であり大神の末孫宇治土公[うぢとこ]家の累代奉祀する最も特色ある本社であります。
大神は古来物事のはじめに災害を祓い、万事最も善い方へみちびき給うとされ、特に地祭[じまつり]方除、災除、建築、移転、開業、商工業の繁栄、豊産、豊漁、開運の御祈祷を全国から出願されます。

境内社佐瑠女神社
俳優[わざおき]、神楽[かぐら]、技芸、鎮魂[ちましづめ]の祖神[おやがみ]と仰がれる、天宇受売命[あめのうずめのみこと]を奉祀。天照大御神が天岩窟[あめのいわや]に籠[こも]られ世の中が乱れたとき、天宇受元命がその前で神楽をされ、そこに集った八百萬の神々が喜び笑い、天照大御神再び現れて平和な世になったと伝えられます。
また天孫降臨に際して待ち迎えた猿田彦大神と最初に対面し、高千穂の峯に至る道を開かれ、その後本拠の地に赴[おもむ]かれる大神と共に伊勢に来られ、その功により「媛女君[さるめのきみ]」と称号を受けられました。
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鳥居の前から拝殿方向を見た写真です。

よく見ると、鳥居や、灯篭の柱が八角形でした。

参道口の手水舎の柱も八角形ですようで、何やら特別な理由がありそうです。



拝殿前に「古殿地」の文字と、古来の方位が刻まれた「方位石」と呼ばれる石柱が柵に囲まれ、建っていました。

「古殿地」の意味は、江戸時代末期の火災前に神殿が建っていた場所ということでしょうか。

この「方位石」に刻まれた「星回り図」の八角形が、各所に使われている柱の八角形の元になっているものと思われます。

これは、方位除け、厄除けの祈祷をPRする目的か、拝殿正面に極めて目立っていました。(神社も厳しい生残り競争の時代でしょうか)

神社や、お寺の祈祷では生れ年で決まる「九星※」が、その年の星回りで凶方に位置する場合に行われるようです。

※九星の星回り
一白水星、二黒土星、三碧木星、四緑木星、五黄土星、六白金星、七赤金星、八白土星、九紫火星

ちなみに「六白金星」の私は、今年が厄年で、お正月に近くの神社で厄払いをして頂きました。



「猿田彦神社」の拝殿です。

「猿田彦神社」の祭神は、「猿田彦大神」その末裔「大田命」です。

建物正面中央は、独特の建築様式「二重破風 妻入造」で、ツノのように突き出した「千木」も美しさを引き立てているようです。



拝殿後方の神殿を横から垣根越しに仰ぎ見た写真です。

全体的に美しさを感じる建物で、「千木」の先端は、内宮と同じ内削ぎになっていました。



境内にもうひとつ「佐瑠女神社」[さるめじんじゃ]の簡素な社殿がありました。

参道口を入ったすぐ脇に、本殿側に向いて建っています。

祭神は、猿田彦と夫婦の神様「天宇受売命」[アメノウズメノミコト]です。

■置かれていたパンフレットを転記します。
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縁むすび御守
さるめ神社
人と物が様々に出合い結ばれる
ことによって新しい形が生まれ、
またそれぞれが成長していきます。
天岩戸開きを誘い、猿田彦大神様と
豊かな道をひらかれた天宇受売命
(アメノウズメノミコト)様の御守です。
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社殿の裏手に「御神田」と刻まれた大きな石碑と、水田がありました。

左右と突当りは、木々が茂った林になっています。

社殿横の通路に「御神田」と矢印が書かれた立て札があり、案内に従ってたどり着いたものです。

右手の林の中に不思議な建物が、かすかに見えています。(下段に紹介しています)



休憩所に掲示されていた御田祭[おみた]のポスターです。

ここを訪れたのが5月4日、御田祭の開催日前日でした。

この女性がかぶっているのは平安時代からの市女笠[いちめがさ]のようですが、縁がフラットで、初めて見る形です。

平安時代の市女笠として見たものは、縁が下に曲がり、顔が少し隠れるものでしたが、市女笠にも時代や、用途による違いがあったのでしょうか。



田植えの準備が整った水田の右手から左奥を見た景色です。

水田の奥に藤棚と、その下にサツキが見え、花が開き始めていました。

右手の奥のテントの下に注連縄で囲まれた場所が作られ、「御田祭」の神事が行われたものと思われます。



水田の右手奥に得体のしれない建物がありました、

建物の前に小さな立て札があり、「猿田彦土中神社 ご自由に中にお入りください 内部観覧時間 午前9時~午後5時・・・」と書かれていました。

写真も吊り下げられています。

見学したのは朝8時過ぎで、残念ながら鍵が閉まっていました。



石段の上に不思議な建物があり、その前に小さく「猿田彦土中神社」の立て札があります。

入口は極めて小さく、茶室の入口のような大きさです。



横から見た「猿田彦土中神社」の建物です。

この建物は、「猿田彦神社」の各所に見られる八角形柱でした。

気になって「猿田彦土中神社」を検索すると、美術家の鈴木寅二啓之氏の作品を制作し、この建物と合わせて奉納するまでを「猿田彦土中神社」の名称でドキュメンタリー映画にしたようです。(2009年8月公開)

鈴木寅二啓之氏が、墨で描いた絵を土に埋め、バクテリアなどの作用で変化させ完成品とするもので、実に風変わりな技法のようです。


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