爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
日常は「系列作品」から
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当人相応の要求(25)

2007年06月27日 | 当人相応の要求
当人相応の要求(25)

例えば、こうである。
 何気ない日常の一瞬。誰もが、忙しさにかまけて忘れてしまうような一コマ。眠っている間に行われている、地球の裏側の、ある人の微笑や嫉妬の表情。ネガティブとポジティブ。
その貴重な瞬間を、四隅をつけて、半永久的に残す人たち。四角い、黒いものを持つ手。真ん中にはレンズの光。
 写真を通して、言葉での説明が省けることがある。逆に、もっと、多くの言葉が、その四角い写真を通じて、脳裏を駆け巡ることもある。カメラがあって、生まれた世代。現在は、ビデオやもっと高性能のものが普及しているのかもしれないが、人生にとってカメラぐらいが妥当ではないのだろうか?
 もし、落ち込んだときに、古い写真を見返すことが画になったとしても、自分の幼いときの映像を見返すというような行為があったとしたら、それは、いくらか病的にみえる。
 その日常のさり気ない場面をのこすことの名手に、彼は触れる。名手たちの手には、当然のように武器が。
 1913年、ライカの前身をオスカー・バルナックという人が作り上げる。当然のように、改良と技術の革新と、工学的な発明とがあいまって、良く出来た装置が作り上げられる。
 その使い手。アンリ・カルティエ=ブレッソン。この物語に顔を出す彼は、さまざまな芸術のとりこになっていく。ある日のこと、勤勉に働いて疲れた夕方、雑誌をめくっていると、近くで写真展が行われていることを知る。その紹介されている小さなモノクロの写真が彼を捉える。そして、こう考える。「行ってみよう」
 その飾られている部屋に入ると、沈黙が彼を襲う。世界をこういう形で捕らえることもできるのだ。こうした愛情ある優しい目で眺めることも可能なのだと。そして、さらに貴重な一瞬を、自分で記憶することだけではなく、写真という形式に納めて、人を慰めたり、活発なこころの原動力になることもあるのだと。
 知識が知識を呼ぶ。さらに、もっと、吸引力を呼び寄せる。
 1913年、ブタペストに生まれたフリードマンという男の子。スペイン内戦で、「崩れ落ちる兵士」という写真で颯爽と、名前が知れ渡っていく。デビューという名の響き。ロバート・キャパという名前になっているその写真家は、ノルマンディー上陸作戦でも、さらに一層名をあげる。でも、あれは名写真なのだろうか? 彼は、疑う気持ちが出る。あまりにもポスター的なきれいさに、慣れきってしまった目。しかし、見続けると分かってくるものもある。
 写真を撮ることか? それとも自分の人生をクリエイトさせる方が人間として、相応しいのだろうか? 1954年、インドシナ戦争を取材するために現地に向かうカメラマン。そして、40年という若さでこの世から去る。自分の劇的な作品が追いかけてくるように、その写真家も不吉な予言から離れられないように最後を迎える。
 そして、ベトナムにいる日本人。懸命な、生きる意欲と動機をむしりとられてしまうような人たちを撮った沢田教一という写真家。29歳で、ベトナムの町をうろつきまわる。どういう心境なのか、彼には分からない。その大国の腕力の誇示のような戦争の中で、一体誰と誰が犠牲者なのだろう? しかし、あの混沌としたカオスがなければロック・ミュージックの成熟などなかったのだろうか? 彼にとっては、それも困るような一面をもっていた。
 あまりにも、リアル過ぎる写真たち。束の間でも良いので、幸せになってほしい、というささやかな希望。彼は、その撮影した側の人物像をテレビで知る。もちろん、その時には、この日本にも、また世界のどこにもいなくなってしまっている人。1970年。カンボジア・プノンペンで殺害される。世界の中の一人の男性の死。その記録。ベトナムでの、苦しむ人の記録。その反対に、記憶にも、誰かの口にのぼることもない無数の人々の無意味な死。それと、無意味ではないロック・ミュージック。
 彼もある日、カメラを手にしている。多くの日本人の一人のように。決定的な瞬間も、おぼれる人の命がけの救出も、世界の大事件の目撃者として名をあげることもないだろう。だが、大切な人の笑顔だけでも、切に残したいとは思っている。


当人相応の要求(24)

2007年06月18日 | 当人相応の要求
当人相応の要求(24)

例えば、こうである。
それが、なくてはならない世界の情景。たいらな地平線に屹立する建築物。もし、それらのものがなかったら? 食卓に塩や胡椒がないようなものだろうか?
1852年に生まれた、アントニオ・ガウディという人物。70年代後半には、建築の仕事をぼちぼち始め、先行きの不安になったサグラダ・ファミリアの二代目建築家として、その仕事に没頭していく。
 彼は、知らない。スペインの風土と気候を。人間のもつ優雅な想像力を。そして、優雅でもなく、ときにはエキセントリックに、ときには悲愴的に踊られたり、語られたりするダンスを。
 しかし、知ることもある。いや、自分もそのような境遇に起きたいという希望を。
 一つの建築物のことだけに、頭を占領され、そのこと以外には興味がなくなっていく、人間の心の意向を憧れたりもする。その建物は、縦に100メートルほどあるそうだ。成功すれば、(なにに? 建築の伝承の成果があがれば)その倍近い高さになる予定になるとのことだ。
 一人の人間の頭のなかにあるものが、世界に語りかけること。
 フランスの王制が終わりを告げ、100年も経った頃、万国博覧会というものが開かれる。それを記念して、ある高い建築物が表れる。その前には、地上に痕跡すらなかったもの。しかし、いまでは誰もがあって当たり前と認める記念の塔。
 建築した人は、実際には違うらしいが、建てることに尽力した、ギュスターブ・エッフェルという人の名前と切っても切れない関係になっている。
 およそ高さ320メートルほどの、世界に対する人間の知恵の確かな証拠。モーパッサンという作家は、その建物を毛嫌いしたらしいが、ずっとそんな気持ちだったのだろうか?
 彼も、その地を歩くことを夢想する。遠いところから、方向を間違えないための目印として。また、近くまで近寄り、痛くなるほど首を傾げた姿勢で、上空を見上げる。ジーンズのうしろのポケットには、モーパッサンの文庫でも入れながら。
 ビッグ・ベンという愛称が、とても似合うイギリスの時計塔。高さ、およそ95メートル。その世界に時を知らせる時計は1858年に完成しているそうだ。
 工事の責任を持ち、建設に力を貸したのは、ベンジャミンという人物。その名前。
 だが、それからの人間社会は忙しくなり、時間を知るのには、時計の塔を眺めたり、鐘を鳴るのを気にするほどの余裕はなくなってしまうのかもしれない。それぞれの腕に、管理という名のときが、それぞれの所有者を無限にしばる。
 トーマス・ハーディという人間の悲劇を垣間見せてくれる小説家を、彼は好きであった。その悲しいまでに真っ直ぐなジュードという人物。環境の犠牲者でありつづける人間。その物語の主人公に夢中になっていた彼は、その付近のウェストミンスター寺院などを歩いた気でいる。いずれ、行くことにもなるだろう。与えられた環境に挑み、おびえないこころの奥の闘志があれば。
 東京にも美しい塔がある。赤と白のバランス。前田久吉という大阪の新聞王でもある人の強い願いで、世界一の塔が建つ。世界に実力を証明しなければならなかった回復途中の日本。
 テレビというものが持つ強み。だれもが、時代の目撃者。いっぱしの評論家気取り。
 電波を浴び続ける人類。新しいものを追い求める衝動。古くなるもの、廃れていくもの。
 ここもいずれ、必要なくなるのかもしれない。テレビは、なくならないにしても。
 新しく東京に建つ、タワー。江戸から続く東京の花の名所の近くで。
 彼は、こころのなかで永井荷風という作家を思い浮かべている。寂しい都会を放浪する男。景色や風景の一部に成り果てること。彼も颯爽と、なにごともこの地上に生きた痕跡をのこさないで生きられたら、と思っている。永井荷風という人物が、もしかしたら成し遂げたのではないのかと期待を膨らませて。
 このように、もうそれらのものが無かった世界を思い出すことが出来ない人類。当然のように、現存してから後に生まれてきた彼。世界は、いずれ数回塗り替えられるだろう。
 彼の心は、簡単に塗り変わってしまうのだろうか? それとも、あるこころの奥の、懐かしさの表現のように、それらの建物がなくなってしまったとしても、はっきりとリアルに伝えられるのか。

当人相応の要求(23)

2007年06月12日 | 当人相応の要求
当人相応の要求(23)

例えば、こうである。
安い賃金でこき使われてしまうこと。人生を無駄に浪費されてしまう悲しさ。その反面、手を汚さずに、収入と微笑を手に入れることが出来る人々。
過去に行われていた、歴史の事実。そして、グローバル化などと言いながらも、相変わらず変化を遂げない世の中。
奴隷制、という言葉をここで持ち出す。もうなくなってしまった言葉なら良いのにという数々の期待をこめて。産業が変われば、数字で表される人口も流入があったり、移動を余儀なくさせられたり。職と日々の糧があれば、それを最前列にあげて暮らす人類。
産業革命。という歴史の教科書の中に埋もれているキーワード。同じ製品を同じ品質で大量に作り出す世の中。そのためには、劣悪な環境で歯を食いしばって生きなければならない人が出てくる。好むと好まざるとに関係もなく。古い映画の中で、真っ黒な顔で這い出してくる炭鉱で働く人。もっとデフォルメされた、機械の一部にでもなったようなチャップリンの映画。もしかしたら、人類の遠い記憶との不一致。こんなはずではなかったのに?
一つのイメージを彼は持つ。ニューヨークという都会の音楽、華々しいジャズを聴く。でも、その洗練されたジャズマンたちが、ブルースを奏でると、綿花畑でトラックにでも乗り、その道路をのろのろと遅いスピードで行き過ぎるような心象風景を感じてしまう。そのための、民衆のためのブルース。やりきれない根源的なかたちを肉付けされた曲たち。
ブラジルという国を考える。歴史を調べると、1888年に奴隷制という悪意の臭いをただよわす形あるものが廃止されている。もちろん、それ以前にはまかり通っていたもの。廃止されたからといって、直ぐに打ち切られたり、なくなったりするものではないかもしれない。だが、一般的にはなくなったとされている。その後、日本人も流入し、奴隷制というカテゴリーではないのかもしれないが、多くはそれと似たような境遇なのかもしれない。金銭的な繁栄の元で暮らす彼には、実際的な手がかりなどないので判断もつきにくいが。勤勉な労働者というものは、働かす側には、とても好都合だろう。
そこで、肌の色で判断されてしまう人々たち。遠い地の記憶。それを忘れさせてくれそうなカリプソのような開放的な音楽。ソニー・ロリンズやホレス・シルバーという音楽家の体内に濃密に流れる、原始的なリズム。
そして、世界をとりこにするペレというサッカー選手。
あまりにも陳腐な想像力で思い描くイメージが、彼の頭の中から消えない。舗装もされていない道路で、ボールという形も呈していない丸い物体を裸足の足で蹴る子供たち。この地域からの解放としてのサッカー選手。もうそんなイメージを感じさせないヨーロッパでの一流クラブに身を沈めるサッカー選手。だが、その陳腐なストーリーこそ、彼の涙腺を熱くする。
しかし、その状況を変えなければいけないと立ち上がる人たち。二つの出口。彼の心を魅了する二人のリーダー。建前上の、1862年。リンカーンによる奴隷解放宣言。
一人は、ガンジー的な非暴力で。1955年アラバマ。疲れた女性はバスの空いている座席に自由には座れない。そのことで逮捕される。そのリーダーのとる行動は、バスをボイコットするということだ。そこには、当然のように数々の生きている人間の犠牲がともなう。おれだけは別にその約束を破ってもよいのではないか? いや、いけないのか? それぞれの人生の岐路。非暴力的な人は、ノーベル賞をもらいながらも、暴力的な結末で命を終える。地上でのキングではない牧師。
もう一つの出口。やられたら、ある程度はやりかえしてもいいのではないか? まったくのある時代の東京の都会的な考え方でもある。自分の権利こそが最上等のものと思っている人々。
虐げられた記憶。その集団が発する力。カシアス・クレイという将来のチャンピオンも広告塔なのか? 数々の勢いと失望を組織に感じ(大体の組織というものは、そういう結論に至る)メッカに行く。アフリカに帰ろうというスローガン。しかし、それは実際的な発言なのだろうか? もう、どこにも戻れない人類たち。
その相対的な揺れの中を彼は、判断も出来ずに考え、とどまっている。自分が、圧制される側なのか、世界的な観点にたてば恵まれている境遇なのか解決できない気持ちを持って。 

当人相応の要求(22)

2007年06月11日 | 当人相応の要求
当人相応の要求(22)

例えば、こうである。
新しい土地を追い求めること。地上に住む人間にとっては、身近な引越しという作業。もっと大きく捉えれば国を変える。知らない場所に移住すること。
見果てぬ冒険の地。金が眠っている土地。新大陸。さらには、頭の中に芽生える楽園のような場所。
ドヴォルザークが残した「新世界より」という音楽。その音楽家は一応は名声も勝ち得、1892年から3年間、アメリカで過ごし、黒人のもっているリズムと、尊く伝承されている音楽と、自分の過去と故郷での音楽体験を融合させ、新たな音楽を作っていく。それは、実際のある場所より、もっと遠くの遥か彼方の土地に流れる音楽のように、幻想的な旋律になっている。
1845年、アイルランドではジャガイモの飢餓を発端にアメリカへ渡る人が増えたそうだ。その後、開発を待っているカリフォルニアの土地には、勤勉なアジアの人間がそこに渡り開墾していく。新天地を求めて。
そして、寓話的なカフカの「アメリカ」という小説。それも傑作の部類に入る。彼は、それを熱心に読む。本当の作者は、その土地に一歩も足を踏み入れなかった事実も知らずに。しかし、空想力のある、書き手と読み手にとっては、そんなものは一切、問題にならないわけだが。
その作者は、どこにも行けない人間も書き、(もちろん、部屋の中で動き回ることのない虫が主人公の)また、このように快活に、理想の場所を歩き回る人間も登場させることが出来る。
チェコという場所が世界の片隅にある。そこから思いを溯ること。オーストリア・ハンガリー帝国。一部の人間の名誉のために、流れ続ける歴史。そこから逃げ、もしかしたら人間のそれぞれの腕に、栄誉が取り戻せるのではないかという幻想の場所。
かたや、日本にも滑稽感が含まれる冒険者がいる。鯨のなかにかくれたピノキオのような話。ジョン万次郎。1841年。船で遭難した14歳の少年は、無人島に漂着。そこで、捕鯨船の乗組員に助けられ、ハワイへ。そして、民衆の政治というものにじかに触れ、10年間の放浪の末、日本に戻ってくる。危険人物と見られたのだろうか? それとも、直ぐにこの人間は使える、との烙印を押されたのだろうか? 結局は、通訳などで活躍するが、もっと作戦的に作為的に、西洋文化を取り入れようという明治の代になると、その八方破れ的な教育では追いつかなくなる。それは、その人の持っている能力とは、まったく別物と理解して。トータル的な視野の広さが必要になっていく時代なのだ。
と、しながらも、1908年にはブラジルに日本人が移住する。当人たちにしか分からない筆舌に尽くしがたい経験。そのように南米を理想の土地にしようと思い立つ人たちもいる。
1934年、熊本からペルーに渡った日本人がいる。その両親には、4年後に子供が産まれ、その子は勉強ができたのだろうか? フランスやアメリカにその後、留学をし、数々の経歴を踏まえて、その国の大統領選に出馬し、見事当確。その日系人は、地球の反対側の人たちを驚かす。このようなスポットライトを浴びる人も、出てくるのだと。アジア人の顔を有して。
彼も、1990年、テレビを見ながら、アイデンティティのことについて考えている。また、民族で一緒にくくる感情を恐れてもいる。しかし、ニュースを見るうちに、マリオ・バルガス=リョサという世界的な大作家が対抗馬として、それも落選していたことを知る。彼は、本を読む。リフティングが一回でも多く出来るようになりたいサッカー少年のような執念で、本のページを、また一ページめくる。英米、さらにフランスやドイツの作家にも目を通し、次は南米にも、その熟したバナナのようなイメージを与える土地にも本物の作家がいるのか知りたく思っていた頃だ。
もちろん、どんな政治も恒久的な解決など見つけられないのかもしれないが、彼は、もしかしてある本の、あるページには、理想の一行があり、その鍵をもてば、なにかが解決できるのではないかと空想している。理想の場所を探したい。未開の土地を、歩くことができた過去の人間たち。それを、もう数社の旅行のガイドブックでただいたずらに眺めることしかできない現代人。
彼は、眼をつぶる。ドヴォルザークの音楽が、過去とも未来とも判別できない幻想のような場所に連れて行ってくれると夢想して。それは、たまには成功し、ときたまには失敗し、でも、こころのどこかで、ある悩みのなくなっている人たちの一員になっている場面が浮かぶ。

当人相応の要求(21)

2007年06月04日 | 当人相応の要求
当人相応の要求(21)

例えば、こうである。
スピードボールへの憧れ。一瞬で消え去ってしまうことの潔さ。それにしても、その儚い輝きのために、ひとのこころに留まってしまう執着心。
ヤクルトにいた、伊藤智仁というピッチャーのことを、彼は思い出す。スポーツ選手らしからぬ、意地とか土臭い匂いがしない、その投手の表情。彼は、テレビで見るともなく、見ている。まあ、良い投手の部類だろうな、とはっきりしない曖昧な判断で。そして、継続して試合に出て、揉まれればそこそこの投手ぐらいになるのではないか? との適当な答えに到達しようとしている。しかし、その浅はかな考えは、大いに間違っていることを、当然のようにいまの彼は知っている。200勝という、エポックてきな記録には程遠くても、毎年、当然のように優勝を勝ち取るチームにいようがいまいが、その投手の記憶が彼の頭の中から消えない。そして、ある場合には、それがどんどん大きくなってしまっていることを感じる。数年ぶりに見たいとこの成長を知るように。
日本にもいれば、やはり野球の国にもいる。
シカゴに現れた右腕の豪快な動かし方。明日のことなど考えなく、打者のことも視線に入っていないような、自分の最高のプレーだけが生きがいのような投法。
ケリー・ウッド。1998年5月6日。20個の三振。野球には27しかアウトがないのに。
しかし、彼は知る。この投球では、いずれ故障をするのもやむを得ないのではないかと。そして、やはりというか、そのスピードに追いつかない身体は悲鳴をあげ、スタメンからもはずれる日々。
でも、どうだろう? あの一瞬の輝きがあるならば、その閃光のようなときのために人間は頑張るのではないだろうか。
当然なのか、偶然なのか、現在でも残している成績は大したものではない。だが、だらだら流れるテレビ・ドラマではなく、数十秒で人々の購買力を誘うコマーシャルのように、出来不出来は関係なく、強く印象に残るなにかがある。
キューバで約束が保障されるのは、どういうものだろう?
そこからドミニカに逃げる若者。その投手を欲しがるアメリカの野球機構。キューバからそう遠くないマイアミにいる投手。
フロリダ・マーリンズでシーズン中は9勝。しかし、与えた印象は、そのような一桁の数字だけでは片付けられない。ある意味で、世界のすべてのマイノリティーの期待を背負っているような見えない圧力を、東洋の彼は、まさしくテレビの前で見ている。重圧を引き受けることの偉大さとやりきれなさ。だが、ものの見事に、その歴史のないチームを世界一に導く。
だが、そのようなスピード投手のインパクトのある陰で、彼がいつも思い出すのは、アトランタのあの三人。いや、四人。
スモルツ。グラビン。マダックス。
一人は、年間に55ものセーブを上げる。そのような数字は、不可能ではないのか?
左の一人は、アウトコースの球の出し入れというものだけで、テレビの前の彼を驚かす。あんなものは、やまを張ればそう難しいこと(打ち崩すこと)ではないのではないだろうか? と素人ながらにも彼は、思っていた。
もう一人は、世界最高峰のピッチャー。精密機械と呼ばれた男。
歯医者の寸分間違わない治療のように、その機械と言われた男が投げるボールは、思ったとおりの場所にはまる。すべての軌道をなぞらえ、ボールと空気抵抗を知り尽くしているように。
300勝と3000奪三振という記録も残している。
それらの大投手を抑えて最多勝利をつかんだネイグルという男。オリンピックで世界が知った街で。そこの、最高のガンマンのような男たち。
こうして並べてみると、印象に残るには、一瞬で消えてしまったスピード投手か、数百という金字塔のような勝利を並べた不屈の人々か。
彼は、考える。人間がどうしても正しく生きるのは、一瞬の輝きを残すほうではないのかと。
だが、彼はスポーツ選手であるわけでもないが、一瞬のきらめきすら残していない。