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最後の火花 5

2014年12月11日 | 最後の火花
最後の火花 5

 台風のニュースがラジオから聞こえる。役所もそれに遅れて、同じ内容を地域限定でアナウンスしていた。質の悪い機器が伝えるべき音を割ってしまうが、その所為か、臨場感が増した。災難は近付きつつあるのだ。

 母は小さな庭の物干し台を倉庫と家の中にそれぞれ入れた。山形さんは最後に家の周囲を歩き、頑丈であるかどうか壁や扉をたたいて点検した。空はどんよりと濁っていた。雲が動くスピードは速まっている。災難は近付き、通り抜けるのを待つだけだった。母は家事を済ませ、ぼくら三人は身を寄せ合うようにしてご飯を食べていた。夕飯の時刻はいつもより早かった。ラジオは明日の台風の予定も伝えるが、ぼくは未来を予測する偉大な能力をもつ博士が、国家に監禁され、才能が外部に漏出しないように見守られている姿を想像した。外の世界に出れば高待遇が待っている。ぼくは、山形さんがなにかのときに話した内容を思い出していた。囚われるというむなしい恐怖を。

 強い風で電気が停まってしまった。母は数本のローソクを床に並べた。とっくに家事も終えており、家のなかで動く必要もなかった。母は横になり、日々の疲れがどっと出たように(姿は若くて麗しかったが)タンスに向かって眠ってしまった。ぼくは山形さんが話す物語を、この日もねだった。

「あるひとが、今日みたいな天気の悪い日が来ることを伝えられ、もっと、もっと雨がつづいて地面も見えなくなっちゃうぐらいに降りつづいて、生き残るために船を作るよう命じられるんだ」
「船って簡単につくれるの?」

「イカダぐらいなら作れるかもしれないけどな」と言って、山形さんはその形状を説明して、今度、作る約束をさせられる。
「もっと大きなもの?」
「ずっと、大きい。大きいものは、きちんと設計図がないと上手くいかないものなんだよ。だから、そういう分野のことを将来、勉強するのもいいかもしれないな」

 ぼくはイメージする。見取り図や設計図や地図の類いを。だが、正確で詳細なものが与えられたとしても、読み取る、読み解く方法がなければ、どんな意味ももたらさないのではないだろうか。ぼくは母の手を握っている。ある暑い日に、母は小さな地図を見ながら、どちらにすすめばよいか迷っていた。額をやわらなか素材のハンカチで拭いていた。ぼくの帽子も汗ばんでいく。道を訊くにも人通りもなく、似通った背丈のものは赤いポストしか周辺にはなかった。ぼくはそのような疑問を母の部分は省いて質問した。

「同じような勉強をした同士は、分かるもんなんだよ。免許もくれるし。そういうやり取りを仕事と呼ぶんだ」

 山形さんは共通認識の素晴らしさを教えてくれた。その為には、相手に通じる言語や記号が必要であった。そして、彼の話し方はぼくのこころに響いていた。

「雨は、どんどん降りつづいた。船は、大きな船はもう完成している。自分の家族を乗せ、動物たちもオスとメスを一組ずつ、尻を叩くようにしてむりやりに乗せた。動物はせまいところを厭がるからな」
「動物たちも乗せるの?」
「全滅すると、困るからな」
「全滅するの?」

「悪いことが、はびこっていたから」
「じゃあ、この台風も悪いことをした所為?」
「これは、違うよ。悪い子もいるだろうけど、気圧とか海の温度とかさまざまな要因が組み合わさっているんだよ」
「おじさん、どこで勉強したの?」
「いろいろなところだよ。学校に行っている間は、どんどん吸収しないと損だぞ。得たいと思っても、たくさんのお金を払って、やっと教えてくれるというものが大体だから」

 母は地図に頼ることもなく、また迷う不安もなく、すやすやと静かに寝ていた。
「それから、どうなったの?」

「何日も、何日も雨が降って、船は漂流した。設計図が良かったんだろうな。雨が浸みこんでくることもなく、充分、耐えた」
「ご飯はどうしたの? 動物のフンは?」
「どうしたんだろうな。詳しく話さないのが物語の良いところでもあるしな。きっと、備蓄があったんだろう。動物を食べちゃうわけにもいかないし」

「雨は?」
「やっと、止んだ。まだ下船するのは心配だから、空を飛べる鳥を放った。直ぐに戻ってきたり、葉っぱを加えて帰ってきた。しかし、何度か目にはとうとう戻ってこなかったので、船長は地面が渇いたと思って、船を開けた」
「動物はどうなったの?」

 木造の家のすき間から風が忍び込んで、ローソクを揺らした。それを合図に山形さんは母に毛布をかけた。
「いまも、山にも、遠い国にも、動物園にもたくさんいるぐらいだから、生き延びたんだろう。そのときの動物が祖先で、いまの動物は子孫。代々、受け継ぐのが命の重要さだよ」
「絶滅しなかったんだ。全滅しなかったんだ」

「こうして、ここに人間もいるんだから。さあ、もう、寝よう。明日は台風も過ぎ去って、海にはいろいろなガラクタが打ち上げられているだろうな」

 ぼくは目をつぶった。ガタガタと物音がする。壁にはなにかが当たった音もする。だが、ぼくはいつの間にか寝てしまう。母も山形さんが持ち上げて、布団のなかに運ばれた。夢のなかで、ぼくは必死に羊の群れを自分の家の中に入れようとしていたが、しかし、彼らの安楽を一匹の犬の導きによって阻まれ、ぼくの努力は報われなかった。



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