今から3か月も前の、5月の最終土曜日。
小学校からの同級生に「吉祥寺で飲もう!」と呼ばれて行って来ました。
ただ、待ち合わせの1時間半も前に着いたので、吉祥寺の南と北をぶら~りと、散策してから行って来ました。
待ち合わせの19時に駅前で友達2人と出くわして、既に先遣隊が陣取っていた居酒屋へ(電話誘導されて)移動。
それから、飲み語らうこと、実に・・・・・・7時間!。
途中、私も含めて省エネモードになったのと、結構日にちが立っている上に、一度書いた原稿も消え失せてしまっていたので、細かいことはよく覚えていませんが(^^ゞ...
とにかく、面白かった!ことだけは、間違いありません。
また、居心地がよく、杯を重ねて箸が進んだ割には、1人頭6,000円程度と、お得に済みました(きっと)。
ただ、問題はこの後。
宴の終わりは夜中の2時過ぎだったので、もう、エネルギーの尽きた者やこの日「仕事」というツワモノは、近所ということもあって、タクシーに分乗して帰路に着きました。
しかし、私はそういうわけには行かず,真夜中なので電車は勿論走っていないので帰る術が無いので、漫喫かネカフェにでも探して始発まで待とう・・・と考えていたら、残っていた1人から、思わぬ提案が。
それが...
「田無まで歩いて行こう」
...というものでした。
この、思っても見ない展開に、心の中でキターーーーー!って叫んでました。
何せ、こっちの方が、私の構想より断然お得で面白そうですから。
しかし、この時残っていた男4:女1の誰かが反対するかもしれず、この案が通るよう、さりげな支持していましたが、案に相違して,誰一人反対せずにすんなりと決して、吉祥寺駅から田無まで,提案者に道案内に随って、歩いて向かうことになりました。
時刻は夜中の2時半頃。
アーケード街を抜け、吉祥寺東急の脇に道を入ると、そこはもう閑静な住宅街。
途中行き交う人は誰一人居らず、新聞配達のカブのエンジン音だけが、そこかしこから聞こえていましたが、私たちはそれに負けないほどの音量で会話しながら、道一杯に広がって、さながら“学校帰り”の様に歩いてました。
いや、確かに「迷惑だろうな...」とは思ってましたが、話し出すと可笑しくて可笑しくて(^^ゞ
私は転校生だったので、みんなとは実質2年半しか一緒に居らず、しかも、小学校卒業と同時に今住んでいるところへ引っ越したので、(みんなとは)結構な空白期間があるのですが、その間の話も頻繁に出てきたので、興味深くて面白かったです。
尤も、真っ当なオトナなら、決してこんなことはしないでしょうが...。
みなさんも、もし終電を逃してしまったら、騙された!と思ってやってみください。
いざしてみると、その当時(学生気分)にトランスした感覚になれて面白いですよ。
現に、最後の最後まで、会話も体力も尽きることがありませんでしたから。
けど、あとは知りません。
また、オススメはしましたが、これに関する一切の苦情はお受けしませんので、悪しからず(笑)
但し、これだけは言えるかもしれません。
気の置けない仲間に出会え、今更ながらありがたくて嬉しくて、恵まれてるな・・・と。
この日歩いた総距離は、およそ10km。
夜が白んできた4時過ぎに田無市街に入り、友達(女性)の住む家まで送ってから、田無駅へ。
20年も経って様変わりしてしまった駅前の【松屋】で早朝食を済ませてから、始発に乗ろう・・・と思ったら、これが5時13分(しかも準急)と、この時から30分以上もあったので、せっかくだから・・・と、卒業した小学校へ行って来ました。
ここへ足を運ぶのは、卒業以来実に19年ぶり。
当時住んでいたのは、駅と学校の間,市役所(現西東京市役所田無庁舎)の直ぐ近くだったので、慣れ親しんだ通学路を歩いて向かいました。
それこそ、20年ぶりに...。
この時一緒にいた友達の1人とは、当時途中まで行き帰りが同じだったので、余計に感慨深く、その時を懐かしみながら話してました。
通学路(の途中)は市街化調整区域なのか、家こそ多くは成りましたが、まだまだ畑も多く残っていて、当時の面影はあまりかわっていませんでした。
それが、余計に海馬を揺り動かし、当時の記憶を鮮明に蘇らせました。
ただ、小学生には幾分遠く感じた学校までの道程も、(一応)大人になって歩いてみると、あっと言う間に着く距離だったことには、驚きと同時に、なぜか寂しさが去来しました。
そして、20年ぶりにやってきた懐かしき学び舎は、門が閉まっていましたので、さすがに中へ入って隈なく見て周ることは出来ませんでしたが、外から見る限り、通っていた当時のまま、何一つ変わってはいませんでした。
加えて、学校の周りも雰囲気も当時のままで、自分がその場へタイムスリップでもしたかのような錯覚を感じました。
ここで、吉祥寺から一緒に来た男連中とは別れて、私は独り田無駅へと向かいました。
けど、まだ始発までには時間があったので、来た道とは違う、学校の東側の道を通って向かいました。
この沿道にも、まぁ、よく遊んだ友達が住んでいたりしたので、その当時を思い出し、懐かしみながら歩いていきました。
そして、これでもまだ時間に余裕があったので、当時住んでいた家(街区)へ、序に立ち寄ってみました。
この辺もまた当時のまま、狭くて凸凹の舗装路を進んで行くと、見覚えのある名字の表札があって、とっても懐かしくなりました。
しかし...
住んでいた家は無くなっていて、その跡地には2世帯だけ住める小奇麗なアパートに建て変わっていました。
当時から随分と古かったですから...。
住んでいた家から歩いて3分くらいのところに小規模な商店街があって、当時はよく、そこに在った豆腐屋さんや雑貨屋さんへお使いに行っていたのですが、朝早いということもあるのでしょうが、シャッターが下りていて、商っている雰囲気は感じられませんでした。
これも、時代の流れ,月日が経った証拠・・・ですね。
こうして...
吉祥寺から田無まで歩いて来て、更にここで懐かしいところを巡ってから、始発に乗って帰りました。
北口は様変わりしていましたが、南口は当時の雰囲気そのままだったので、小学校以来の友達と再会をしたので、田無の街にもこれから幾度か来ることがあるかもしれませんが、真っ先に、より行きたくなりました。
いや、それよりも...
機会あれば、住んでみたいと思いました。
「西東京市」という市名でなければ(爆)
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小学校からの同級生に「吉祥寺で飲もう!」と呼ばれて行って来ました。
ただ、待ち合わせの1時間半も前に着いたので、吉祥寺の南と北をぶら~りと、散策してから行って来ました。
待ち合わせの19時に駅前で友達2人と出くわして、既に先遣隊が陣取っていた居酒屋へ(電話誘導されて)移動。
それから、飲み語らうこと、実に・・・・・・7時間!。
途中、私も含めて省エネモードになったのと、結構日にちが立っている上に、一度書いた原稿も消え失せてしまっていたので、細かいことはよく覚えていませんが(^^ゞ...
とにかく、面白かった!ことだけは、間違いありません。
また、居心地がよく、杯を重ねて箸が進んだ割には、1人頭6,000円程度と、お得に済みました(きっと)。
ただ、問題はこの後。
宴の終わりは夜中の2時過ぎだったので、もう、エネルギーの尽きた者やこの日「仕事」というツワモノは、近所ということもあって、タクシーに分乗して帰路に着きました。
しかし、私はそういうわけには行かず,真夜中なので電車は勿論走っていないので帰る術が無いので、漫喫かネカフェにでも探して始発まで待とう・・・と考えていたら、残っていた1人から、思わぬ提案が。
それが...
「田無まで歩いて行こう」
...というものでした。
この、思っても見ない展開に、心の中でキターーーーー!って叫んでました。
何せ、こっちの方が、私の構想より断然お得で面白そうですから。
しかし、この時残っていた男4:女1の誰かが反対するかもしれず、この案が通るよう、さりげな支持していましたが、案に相違して,誰一人反対せずにすんなりと決して、吉祥寺駅から田無まで,提案者に道案内に随って、歩いて向かうことになりました。
時刻は夜中の2時半頃。
アーケード街を抜け、吉祥寺東急の脇に道を入ると、そこはもう閑静な住宅街。
途中行き交う人は誰一人居らず、新聞配達のカブのエンジン音だけが、そこかしこから聞こえていましたが、私たちはそれに負けないほどの音量で会話しながら、道一杯に広がって、さながら“学校帰り”の様に歩いてました。
いや、確かに「迷惑だろうな...」とは思ってましたが、話し出すと可笑しくて可笑しくて(^^ゞ
私は転校生だったので、みんなとは実質2年半しか一緒に居らず、しかも、小学校卒業と同時に今住んでいるところへ引っ越したので、(みんなとは)結構な空白期間があるのですが、その間の話も頻繁に出てきたので、興味深くて面白かったです。
尤も、真っ当なオトナなら、決してこんなことはしないでしょうが...。
みなさんも、もし終電を逃してしまったら、騙された!と思ってやってみください。
いざしてみると、その当時(学生気分)にトランスした感覚になれて面白いですよ。
現に、最後の最後まで、会話も体力も尽きることがありませんでしたから。
けど、あとは知りません。
また、オススメはしましたが、これに関する一切の苦情はお受けしませんので、悪しからず(笑)
但し、これだけは言えるかもしれません。
気の置けない仲間に出会え、今更ながらありがたくて嬉しくて、恵まれてるな・・・と。
この日歩いた総距離は、およそ10km。
夜が白んできた4時過ぎに田無市街に入り、友達(女性)の住む家まで送ってから、田無駅へ。
20年も経って様変わりしてしまった駅前の【松屋】で早朝食を済ませてから、始発に乗ろう・・・と思ったら、これが5時13分(しかも準急)と、この時から30分以上もあったので、せっかくだから・・・と、卒業した小学校へ行って来ました。
ここへ足を運ぶのは、卒業以来実に19年ぶり。
当時住んでいたのは、駅と学校の間,市役所(現西東京市役所田無庁舎)の直ぐ近くだったので、慣れ親しんだ通学路を歩いて向かいました。
それこそ、20年ぶりに...。
この時一緒にいた友達の1人とは、当時途中まで行き帰りが同じだったので、余計に感慨深く、その時を懐かしみながら話してました。
通学路(の途中)は市街化調整区域なのか、家こそ多くは成りましたが、まだまだ畑も多く残っていて、当時の面影はあまりかわっていませんでした。
それが、余計に海馬を揺り動かし、当時の記憶を鮮明に蘇らせました。
ただ、小学生には幾分遠く感じた学校までの道程も、(一応)大人になって歩いてみると、あっと言う間に着く距離だったことには、驚きと同時に、なぜか寂しさが去来しました。
そして、20年ぶりにやってきた懐かしき学び舎は、門が閉まっていましたので、さすがに中へ入って隈なく見て周ることは出来ませんでしたが、外から見る限り、通っていた当時のまま、何一つ変わってはいませんでした。
加えて、学校の周りも雰囲気も当時のままで、自分がその場へタイムスリップでもしたかのような錯覚を感じました。
ここで、吉祥寺から一緒に来た男連中とは別れて、私は独り田無駅へと向かいました。
けど、まだ始発までには時間があったので、来た道とは違う、学校の東側の道を通って向かいました。
この沿道にも、まぁ、よく遊んだ友達が住んでいたりしたので、その当時を思い出し、懐かしみながら歩いていきました。
そして、これでもまだ時間に余裕があったので、当時住んでいた家(街区)へ、序に立ち寄ってみました。
この辺もまた当時のまま、狭くて凸凹の舗装路を進んで行くと、見覚えのある名字の表札があって、とっても懐かしくなりました。
しかし...
住んでいた家は無くなっていて、その跡地には2世帯だけ住める小奇麗なアパートに建て変わっていました。
当時から随分と古かったですから...。
住んでいた家から歩いて3分くらいのところに小規模な商店街があって、当時はよく、そこに在った豆腐屋さんや雑貨屋さんへお使いに行っていたのですが、朝早いということもあるのでしょうが、シャッターが下りていて、商っている雰囲気は感じられませんでした。
これも、時代の流れ,月日が経った証拠・・・ですね。
こうして...
吉祥寺から田無まで歩いて来て、更にここで懐かしいところを巡ってから、始発に乗って帰りました。
北口は様変わりしていましたが、南口は当時の雰囲気そのままだったので、小学校以来の友達と再会をしたので、田無の街にもこれから幾度か来ることがあるかもしれませんが、真っ先に、より行きたくなりました。
いや、それよりも...
機会あれば、住んでみたいと思いました。
「西東京市」という市名でなければ(爆)
そういえば、吉祥寺って一回もいかずに帰ってきちゃった・・・。
なんかあたしのイメージは古いんだけど、「幻魔大戦」だったりして・・w
コメントありがとうございます。
誰も、良識あるオトナなら、吉祥寺から田無まで歩こうなだんて、思いませんよね、きっと(爆)
けど、あの時は半ばボーっとしてて思考回路が若干麻痺してたか、みんな二つ返事で応じてましたから。
田無って、地味だけど、結構便が良いんですよ。
新宿まで、急行だと20分もあれば行けます。
始発電車だってあるし。
けど、その割には、昔は随分と静かな街だったんですよ。
それが様変わりして、ビックリしましたよ。
>吉祥寺
もう、平和でオシャレな街ですよ(笑)
あーなんだかとっても似たことをやらかしている記憶が・・・
不思議なことに、飲んだ帰りに仲間と歩く距離はそんなに遠いと思わないですね。
丁度いい酔い冷ましくらいなものかと。
なんだかちょっと、青春時代に立ち返ったような・・・・
・・・・あ、失礼小学校のご友人でしたね(爆)
コメントありがとございます。
吉利さんにも覚えありますか?!
テクテク歩き(笑)
歩くのはかなり好きな性質なので、全然苦ではなかったです。
しかも、ほろ酔いならば尚のことですね。
夜風が心地よくてよかったですよ。
>青春時代
ええ、青春の準備段階ですから(爆)