我が街の晩春の風物詩となったこの祭も、今年で9回目。
その初めの頃は「なんだこれ?!」と思ったものですが((笑))、気付けば4年ほど続けて観に行っています。
それも、初めの頃は中旬,“石和”と同じ日に執り行われていたので観ることが出来なかったのですが、いつの間にか最後の日曜日に移動していたのでそれも可能になりました。
ただ、今年は2月からJR東日本と千葉県各市町村とが組んで展開する観光プレゼン「ちばデスティネーションキャンペーン」の為に、旧みどりの日の振替休日となった30日(月)に,このトリを務めるべく開かれました!
そしてまた,今年も遠方より兵友が参陣すると言うこともあって観に行ってきました。
参陣の衆が拠点としている旧堀田邸に着いたのは11時半頃。
印旛支庁の駐車場に関係者を装って止め、市道を正攻法で行くのには遠回りなので、裏手の獣道から登って行きました。
その着いた先は旧堀田邸の裏手にあたる「さくら庭園」という、芝生敷きの伸びやかな日本庭園。
そこには、様々な(時代)装束を身に纏った人々が大勢集まっていました。
その中から...
久方ぶりにお会いする織部正殿や鯉狂殿,七夕的な再開の虎之助殿とご挨拶を交わしました。
そして、ここ佐倉で毎年総大将を務められる克殿にご挨拶をすべく探していると・・・!
煌びやかな立烏帽子兜に鎧,陣羽織という、前田利家張りの伊達な井出達の克殿を発見しました。
う~む、なんだか不思議な光景です...(笑)
金仕立なので眩く目立つので......。
しかし、そのお隣には見たことのある甲冑を身に纏った御仁が・・・・・・?!
もう少し近付いて見ると、疑問は確信へと変りました!!
内々の話ではありますが一瞥以来の鈴木繁友殿,その方だったのです!
もう、びつくりしました。まさか・・・・・・でしたから。
しかも、更に聞いてびつくり!!
甲冑のまま電車(京成)に乗ってやってきたそうです...。
むかし、日野の新選組祭ではよく、ダンダラや浪人姿で巡覧する方々に着いてご一緒したことはありますが、それでも街全体が“お祭”なので違和感は無かったのですが...。
全く関係の無い地から着甲して来る繁友殿には、さずがに脱帽級でした。
そんなこんなしているうちに、参陣の御一同に対して集合駈足!の号令が。
時刻ははや12時半頃,全軍出発の30分前となっていました。
まず、出発に際して庭園にご一同を会して出発式が執り行われました。
商人に扮した商工会長や、2年ぶりに御殿を務められる小出義雄佐倉アスリート倶楽部現場監督のご挨拶を得てから、堀田家御当主や市議などに見送られ、小出御殿の勝鬨の後,諸軍整列して出発!しました。
ただ・・・この式典にて一点,我慢なら無かったのが市長。
五月晴れで陽射しが強かったこの日に、長々と,巻物風に用意した挨拶文を延々と朗読しだして...。
如何に新市長で慣れぬ場所,緊張もしていたとは言え、斯程に場の空気が読めぬ御仁だったとは。。。
ままっ,そんな愚痴はこの辺までにして...
全軍は馬上の人となった小出義雄御殿を先頭に賑々しく,旧堀田邸より市中へと進軍して行きました。
今年は、恒例の鎧武者や新選組と官軍,町娘などに加えて、ちばDC関係でか南房総から手作り甲冑隊が参加。
更には、幕末に活躍した“佐倉の三太郎”なる三人衆に、なぜか韓国(李氏朝鮮)の衆も参加していました。
見事な装束には目を奪われたのですが、一体全体どんな関係があって参じたのかは・・・不明でした。
さて、市中沿道には今年も多くの人が,十重二十重と詰め掛けていて、それはそれは大変な賑わい!
後日の広報誌によると、約7万人ほどの観衆があったそうです。
ただ、毎年市立美術館と麻賀多社手前の新町交差点との間は、行軍すらも覚束無いほどに人が詰め掛けているのですが、今年は意外とすっきりと,滞り無く進めました。
そんな中を、私は(今年も)専属従軍カメラマンとして、時折沿道の観客から怪訝に思われながらも(笑)、皆様からお預かりしたビデオやカメラを携えて参りました。
旧堀田邸を13時頃に出発した行列は、途中,佐倉の鎮守様麻賀多社へと向かう稚児行列を合わせて、勇壮な太鼓や大勢の観衆に迎えられて、それに克殿の号令一下,鎧武者衆の勝鬨!と鉄砲隊の号砲が応えながら、一時間半ほど掛けて旧印旛支庁跡(市立駐車場)のイベント会場へと入りました。
ここで一時間ほどまったりと...鳶衆の巧技に感嘆したり、新選組と官軍との寸劇を遠くから何と無く眺めつつ、我々はここを抜け出して屋台でカキ氷など買って食べていました。
今のカキ氷って、シロップかけ放題!なんですよ。だから、メロンとレモンとコーラを、思いっきしかき氷に投入してきました。そんなに違和感無くて美味しかったですよ,ホントに。
イベント会場での諸式が終わった後、例年ですとここで解散してバラバラと陣所の旧堀田邸へと御一同向かうのですが、今年はまたここから復路の行軍が!
陽射しは強かったですが、湿度が低くカラッとした気持ちの良い天気ではありましたが、諸士の足取りは幾分重く、覇気が無かったように・・・・・・感じられました。
皆さん,しっかり!(爆)
さくら庭園にて解散式を終えて後、旧堀田邸玄関にて鎧武者衆で記念撮影をし、(身支度を整えられた後)印旛支庁の直ぐ近くのジョナサンへ,皆様方と討ち入りました(笑)
そして・・・気付けばここで2時間半ほど大いに語らって、終始抱腹絶倒していました。
いやもう、その内容をここで語ることが出来ませんが...兎に角、久しぶりに腹の底から笑いました!!
他のお客さんに白い目で見られないように呪文を掛けています(爆)
ジョナサンを出たのは19時半近く,織部正殿と鯉狂殿はそれぞれ東関道方面へと向かわれて帰路に着かれ、私は克殿と繁友殿をお乗せして,まずは繁友殿を隣市の勝田台駅まで、克殿をご自宅までお送りして私は帰路に着きました。
久方ぶりにお会いできた兵友な皆様のお蔭で、存分楽しき一日でした!!
またの機会に是非!そしてまた来年も、我が街佐倉へ!!
その初めの頃は「なんだこれ?!」と思ったものですが((笑))、気付けば4年ほど続けて観に行っています。
それも、初めの頃は中旬,“石和”と同じ日に執り行われていたので観ることが出来なかったのですが、いつの間にか最後の日曜日に移動していたのでそれも可能になりました。
ただ、今年は2月からJR東日本と千葉県各市町村とが組んで展開する観光プレゼン「ちばデスティネーションキャンペーン」の為に、旧みどりの日の振替休日となった30日(月)に,このトリを務めるべく開かれました!
そしてまた,今年も遠方より兵友が参陣すると言うこともあって観に行ってきました。
参陣の衆が拠点としている旧堀田邸に着いたのは11時半頃。
印旛支庁の駐車場に関係者を装って止め、市道を正攻法で行くのには遠回りなので、裏手の獣道から登って行きました。
その着いた先は旧堀田邸の裏手にあたる「さくら庭園」という、芝生敷きの伸びやかな日本庭園。
そこには、様々な(時代)装束を身に纏った人々が大勢集まっていました。
その中から...
久方ぶりにお会いする織部正殿や鯉狂殿,七夕的な再開の虎之助殿とご挨拶を交わしました。
そして、ここ佐倉で毎年総大将を務められる克殿にご挨拶をすべく探していると・・・!
煌びやかな立烏帽子兜に鎧,陣羽織という、前田利家張りの伊達な井出達の克殿を発見しました。
う~む、なんだか不思議な光景です...(笑)
金仕立なので眩く目立つので......。
しかし、そのお隣には見たことのある甲冑を身に纏った御仁が・・・・・・?!
もう少し近付いて見ると、疑問は確信へと変りました!!
内々の話ではありますが一瞥以来の鈴木繁友殿,その方だったのです!
もう、びつくりしました。まさか・・・・・・でしたから。
しかも、更に聞いてびつくり!!
甲冑のまま電車(京成)に乗ってやってきたそうです...。
むかし、日野の新選組祭ではよく、ダンダラや浪人姿で巡覧する方々に着いてご一緒したことはありますが、それでも街全体が“お祭”なので違和感は無かったのですが...。
全く関係の無い地から着甲して来る繁友殿には、さずがに脱帽級でした。
そんなこんなしているうちに、参陣の御一同に対して集合駈足!の号令が。
時刻ははや12時半頃,全軍出発の30分前となっていました。
まず、出発に際して庭園にご一同を会して出発式が執り行われました。
商人に扮した商工会長や、2年ぶりに御殿を務められる小出義雄佐倉アスリート倶楽部現場監督のご挨拶を得てから、堀田家御当主や市議などに見送られ、小出御殿の勝鬨の後,諸軍整列して出発!しました。
ただ・・・この式典にて一点,我慢なら無かったのが市長。
五月晴れで陽射しが強かったこの日に、長々と,巻物風に用意した挨拶文を延々と朗読しだして...。
如何に新市長で慣れぬ場所,緊張もしていたとは言え、斯程に場の空気が読めぬ御仁だったとは。。。
ままっ,そんな愚痴はこの辺までにして...
全軍は馬上の人となった小出義雄御殿を先頭に賑々しく,旧堀田邸より市中へと進軍して行きました。
今年は、恒例の鎧武者や新選組と官軍,町娘などに加えて、ちばDC関係でか南房総から手作り甲冑隊が参加。
更には、幕末に活躍した“佐倉の三太郎”なる三人衆に、なぜか韓国(李氏朝鮮)の衆も参加していました。
見事な装束には目を奪われたのですが、一体全体どんな関係があって参じたのかは・・・不明でした。
さて、市中沿道には今年も多くの人が,十重二十重と詰め掛けていて、それはそれは大変な賑わい!
後日の広報誌によると、約7万人ほどの観衆があったそうです。
ただ、毎年市立美術館と麻賀多社手前の新町交差点との間は、行軍すらも覚束無いほどに人が詰め掛けているのですが、今年は意外とすっきりと,滞り無く進めました。
そんな中を、私は(今年も)専属従軍カメラマンとして、時折沿道の観客から怪訝に思われながらも(笑)、皆様からお預かりしたビデオやカメラを携えて参りました。
旧堀田邸を13時頃に出発した行列は、途中,佐倉の鎮守様麻賀多社へと向かう稚児行列を合わせて、勇壮な太鼓や大勢の観衆に迎えられて、それに克殿の号令一下,鎧武者衆の勝鬨!と鉄砲隊の号砲が応えながら、一時間半ほど掛けて旧印旛支庁跡(市立駐車場)のイベント会場へと入りました。
ここで一時間ほどまったりと...鳶衆の巧技に感嘆したり、新選組と官軍との寸劇を遠くから何と無く眺めつつ、我々はここを抜け出して屋台でカキ氷など買って食べていました。
今のカキ氷って、シロップかけ放題!なんですよ。だから、メロンとレモンとコーラを、思いっきしかき氷に投入してきました。そんなに違和感無くて美味しかったですよ,ホントに。
イベント会場での諸式が終わった後、例年ですとここで解散してバラバラと陣所の旧堀田邸へと御一同向かうのですが、今年はまたここから復路の行軍が!
陽射しは強かったですが、湿度が低くカラッとした気持ちの良い天気ではありましたが、諸士の足取りは幾分重く、覇気が無かったように・・・・・・感じられました。
皆さん,しっかり!(爆)
さくら庭園にて解散式を終えて後、旧堀田邸玄関にて鎧武者衆で記念撮影をし、(身支度を整えられた後)印旛支庁の直ぐ近くのジョナサンへ,皆様方と討ち入りました(笑)
そして・・・気付けばここで2時間半ほど大いに語らって、終始抱腹絶倒していました。
いやもう、その内容をここで語ることが出来ませんが...兎に角、久しぶりに腹の底から笑いました!!
他のお客さんに白い目で見られないように呪文を掛けています(爆)
ジョナサンを出たのは19時半近く,織部正殿と鯉狂殿はそれぞれ東関道方面へと向かわれて帰路に着かれ、私は克殿と繁友殿をお乗せして,まずは繁友殿を隣市の勝田台駅まで、克殿をご自宅までお送りして私は帰路に着きました。
久方ぶりにお会いできた兵友な皆様のお蔭で、存分楽しき一日でした!!
またの機会に是非!そしてまた来年も、我が街佐倉へ!!
こちらの日記を読むと、やっぱり行きたかったなあと改めて思いました。
行軍って、こんなに大変なんですねぇ。
いつも1箇所で眺めるだけなので、感心してしまいましたよ!
今年は、小出監督の出馬にいつもと違った装束の方々もいて観応えはありましたよ。
ただ、観衆の多さと様々な装束衆,パフォーマンスが集まると、中々進まなくなるもので......
来年こそは是非,行列衆の一人としてご参加を!