米沢の「川中島合戦」に参戦すべく、前日入りした私。
今回の旅の目的は、敬慕する元徳院殿様(上杉治憲公)の軌跡を辿ることにあったので福島口から入り、板谷(ついでに峠)、関根と巡ってきました。
そして、この次に目指したのが、米沢の南端、会津口に在る白布温泉です。
・・・が、その途中で「直江石堤」なる看板を発見!
気になったので、ちょっと立寄ってきました。
関根から白布へ行く途中、最上川に掛かる海老ヶ沢橋近くに残るこれは、その名の通り、上杉家執政の直江山城守兼続が指揮して築いたもので、地の名をとって谷地河原堤防もしくは川除と呼ばれています。
工法は「玉石の空積み」というもので、しっかりとした土台を築いた上に、(大きな)石を隙間なく敷き詰めて築かれているそうです。
遺構は現在は1.4kmほどあり、修復や改修された形跡のあるところもあるようです。
いま、その一部は公園となっていて、川原ではBBQをしている人たちがいました。
ガイドブックなどに載っていたので気になってはいましたが、偶然思わぬ遺構に出くわして得した気分です。
ちょい寄り道しましたが、再び白布とへ向かって行きました。
関根から白布までは車で30分ほど。
西吾妻スカイバレーへと繋がる山道をくねくねと登っていった先に、そこは在ります。
白布は開湯以来700年余の歴史有る温泉。
上杉領となった当初は、執政の直江山城が近江国友と和泉堺から鉄砲鍛治を集めて武備充実を図った地でもありますが...
予てから行って見たい!泊まってみたい!!と思っていたんですが、今回は、日帰り湯で訪れました。
到着は時刻は14時過ぎ。
最初に入ったのは、白布の老舗中の老舗【東屋旅館】。
花園院の御世、正和元年(1312)に開湯して以来湯守を務めていた、由緒有る湯屋です。
種々のガイドブックやJR東日本(びゅう)の「地・温泉」を見て 、以前から気になっていたんですが...
見知っていた印象とは違って、古き趣はなく、真新しい湯宿になっていました。
囲炉裏の印象が強かったので、若干拍子抜けした感はありますが(^^ゞ
まぁ、まずは受付で入湯料の500円を払っていざ!湯場へ。
湯場は、内湯と打たせ湯、露天の3つで、然程広くはありません。
泉質は「含硫黄・カルシウム・硫黄塩泉」で、確かに舐めると若干塩味がありましたが、湯場の中で硫黄の匂いは然程感じませんでした。
湯量は豊富で、湯温はちょい熱めでしたで、湯の中には無数の湯ノ花が舞っていました。
内湯は底が幾分深く、足長胴短の私が入ると、鼻下まで浸かってしまいました(笑)
内湯と打たせ湯をそれぞれ堪能し、続いては露天へ入ったら・・・敷石に気が付かずに向う脛を打ち、傷を作ってしまいました(^^ゞ
けど、白布の効能の中には擦傷の治癒も含まれているので、早速、身を以って体感した・・・というところでしょうか。
確かに、傷口のヒリヒリ感が全くなく、じわじわと治っていく気が・・・しました。
玄関では、いまだストーブが働いていました。
その向こうで、GWということもあってか、引っ切り無しに到着するお客さんを、従業員の方たちが端座して出迎えていました。こういうところに、久しく泊まってません...。独りじゃねぇ...(苦笑)
東屋の湯を30分ほど堪能してから、幾分湯冷ましをし、次に向かおうと思ったのが新高湯温泉。
白布より更に1km、山道を上がったところにあるんですが・・・無念なことに、ガソリンがちょい心もとなく、はや、15時近くになっていたので、その口、天元台のロープウェーまで行ったところで踵を返し、再び白布へ戻りました。
5月だというのに、スキーやボーダー客が引っ切り無しに降りてくる光景は、摩訶不思議でした。
天元台に至る道の途中、残雪ある山道を少し分け入って、木々の中にひっそりと佇む西国三十三観音に詣でました。
すぐ側を、勢いよく流れる小川の音が、とても心地よかったです。
天元台口より白布へ戻り、次に訪れたのが【西屋旅館】です。
茅葺入母屋造りの構えが実に見事だったので、最初は「今度来た時にでも」と思ったんですが、やっぱり、訪れてみました。
向かいの駐車場に止めて、屋内に入って日帰り湯を申し出ると、そのまま真直ぐ、中庭を抜けて湯場へと案内されました。
古びた湯場の脱衣所の外には湯樋があって、湯が豊富に勢いよく溢れ出ていました。
また、湯場からも溢れ出た湯が、湯場と廊下を仕切る戸の下の隙間から表へと流れ出ています。
初めて見る不思議な光景でした。。。
泉質や湯場の構造は、東屋とほぼ同じですが、ここには露天がありません。
また、加水をしているので、湯温が若干低く、長くじっくりと浸かれました。
けど、やっぱり湯舟の底はちょい深かったです(^^ゞ
立寄り湯の終わりが迫っている為か、東屋と比べてとても空いていたので、湯を、東屋以上に堪能できました。
湯から上がり、ちょい、館内を見てみましたが、実に見事!
茅葺入母屋造りの重厚な佇まいと、中の柔らかな造りは、日頃のいやなことを一気に吹き飛ばしてくれると思います。
あーぁ、うらやましい......。
後ろ髪惹かれる思いでここを後にして、次に向かったのが白布大瀧。
【西屋】から少し上がったところに入口があるので、車を駐車場に止めたまま向かいましたが、予想以上の急峻な山道(^^ゞ
しかも残雪がありましたが、そこを越えて・・・見上げた大瀧は、実に見事!!でした。
今冬、雪が多かったからか、水量はとても多く感じて、迫力は満点でした。
暫し佇み、マイナスイオンをありったけ浴びてきました(笑)
寝坊しなければ、昼頃からゆっくりとしたかったんですが...
約1時間程度、駆け足で巡った初の白布。
まぁ、それなりに堪能しました!
そしていよいよ、米沢市街へ・・・行く前に、もう一箇所、笹野観音堂(長命山幸徳院笹野寺)へ立寄りました。
開基には、かの、征夷大将軍坂上田村麻呂が関わっているという由緒在る寺院。
歴代の米沢領主(伊達、上杉等)の篤い信仰と縁があり、領主の諸願諸事を執り行ったり、改築普請を受けたことも度々あります。
治憲公も、安永8年(1779)に観音堂の再建を行いましたが、残念ながら、55年後の天保4年(1834)に焼失。
今に伝わる堂于は、治憲公の3代後の弾正大弼斉憲公の時に再建されたものだそうです。
しかし、立派な茅葺屋根を関した堂于は、実に見事!です。
堂于の右側には、天保3年に豪商渡部伊右衛門が建立した露座の延命地蔵様がおわします。
その向かい、寺縁の前には、名物の笹野一刀彫りの石造がありました。
木製の名物でさえ幾重にも彫られた羽が見事!と思うのに、石造もまた、名物と同じく造られていて、圧巻でした。
山門の仁王門前には、枝垂れ桜がきれいに咲いていました。
治憲公の軌跡を辿る旅。
まだまだ足を伸ばして行きたいところはありますが、日没が迫り、この後で上杉まつりの前夜祭である“武示帝式”(ぶていしき)の時刻も迫っていたので、今日のところはこの辺で。
本陣へと向かって行きました。
いざ、米沢!の前に→関根宿 <<<◇>>> いざ、米沢!!→武示帝式
今回の旅の目的は、敬慕する元徳院殿様(上杉治憲公)の軌跡を辿ることにあったので福島口から入り、板谷(ついでに峠)、関根と巡ってきました。
そして、この次に目指したのが、米沢の南端、会津口に在る白布温泉です。
・・・が、その途中で「直江石堤」なる看板を発見!
気になったので、ちょっと立寄ってきました。
関根から白布へ行く途中、最上川に掛かる海老ヶ沢橋近くに残るこれは、その名の通り、上杉家執政の直江山城守兼続が指揮して築いたもので、地の名をとって谷地河原堤防もしくは川除と呼ばれています。
工法は「玉石の空積み」というもので、しっかりとした土台を築いた上に、(大きな)石を隙間なく敷き詰めて築かれているそうです。
遺構は現在は1.4kmほどあり、修復や改修された形跡のあるところもあるようです。
いま、その一部は公園となっていて、川原ではBBQをしている人たちがいました。
ガイドブックなどに載っていたので気になってはいましたが、偶然思わぬ遺構に出くわして得した気分です。
ちょい寄り道しましたが、再び白布とへ向かって行きました。
関根から白布までは車で30分ほど。
西吾妻スカイバレーへと繋がる山道をくねくねと登っていった先に、そこは在ります。
白布は開湯以来700年余の歴史有る温泉。
上杉領となった当初は、執政の直江山城が近江国友と和泉堺から鉄砲鍛治を集めて武備充実を図った地でもありますが...
予てから行って見たい!泊まってみたい!!と思っていたんですが、今回は、日帰り湯で訪れました。
到着は時刻は14時過ぎ。
最初に入ったのは、白布の老舗中の老舗【東屋旅館】。
花園院の御世、正和元年(1312)に開湯して以来湯守を務めていた、由緒有る湯屋です。
種々のガイドブックやJR東日本(びゅう)の「地・温泉」を見て 、以前から気になっていたんですが...
見知っていた印象とは違って、古き趣はなく、真新しい湯宿になっていました。
囲炉裏の印象が強かったので、若干拍子抜けした感はありますが(^^ゞ
まぁ、まずは受付で入湯料の500円を払っていざ!湯場へ。
湯場は、内湯と打たせ湯、露天の3つで、然程広くはありません。
泉質は「含硫黄・カルシウム・硫黄塩泉」で、確かに舐めると若干塩味がありましたが、湯場の中で硫黄の匂いは然程感じませんでした。
湯量は豊富で、湯温はちょい熱めでしたで、湯の中には無数の湯ノ花が舞っていました。
内湯は底が幾分深く、足長胴短の私が入ると、鼻下まで浸かってしまいました(笑)
内湯と打たせ湯をそれぞれ堪能し、続いては露天へ入ったら・・・敷石に気が付かずに向う脛を打ち、傷を作ってしまいました(^^ゞ
けど、白布の効能の中には擦傷の治癒も含まれているので、早速、身を以って体感した・・・というところでしょうか。
確かに、傷口のヒリヒリ感が全くなく、じわじわと治っていく気が・・・しました。
玄関では、いまだストーブが働いていました。
その向こうで、GWということもあってか、引っ切り無しに到着するお客さんを、従業員の方たちが端座して出迎えていました。こういうところに、久しく泊まってません...。独りじゃねぇ...(苦笑)
東屋の湯を30分ほど堪能してから、幾分湯冷ましをし、次に向かおうと思ったのが新高湯温泉。
白布より更に1km、山道を上がったところにあるんですが・・・無念なことに、ガソリンがちょい心もとなく、はや、15時近くになっていたので、その口、天元台のロープウェーまで行ったところで踵を返し、再び白布へ戻りました。
5月だというのに、スキーやボーダー客が引っ切り無しに降りてくる光景は、摩訶不思議でした。
天元台に至る道の途中、残雪ある山道を少し分け入って、木々の中にひっそりと佇む西国三十三観音に詣でました。
すぐ側を、勢いよく流れる小川の音が、とても心地よかったです。
天元台口より白布へ戻り、次に訪れたのが【西屋旅館】です。
茅葺入母屋造りの構えが実に見事だったので、最初は「今度来た時にでも」と思ったんですが、やっぱり、訪れてみました。
向かいの駐車場に止めて、屋内に入って日帰り湯を申し出ると、そのまま真直ぐ、中庭を抜けて湯場へと案内されました。
古びた湯場の脱衣所の外には湯樋があって、湯が豊富に勢いよく溢れ出ていました。
また、湯場からも溢れ出た湯が、湯場と廊下を仕切る戸の下の隙間から表へと流れ出ています。
初めて見る不思議な光景でした。。。
泉質や湯場の構造は、東屋とほぼ同じですが、ここには露天がありません。
また、加水をしているので、湯温が若干低く、長くじっくりと浸かれました。
けど、やっぱり湯舟の底はちょい深かったです(^^ゞ
立寄り湯の終わりが迫っている為か、東屋と比べてとても空いていたので、湯を、東屋以上に堪能できました。
湯から上がり、ちょい、館内を見てみましたが、実に見事!
茅葺入母屋造りの重厚な佇まいと、中の柔らかな造りは、日頃のいやなことを一気に吹き飛ばしてくれると思います。
あーぁ、うらやましい......。
後ろ髪惹かれる思いでここを後にして、次に向かったのが白布大瀧。
【西屋】から少し上がったところに入口があるので、車を駐車場に止めたまま向かいましたが、予想以上の急峻な山道(^^ゞ
しかも残雪がありましたが、そこを越えて・・・見上げた大瀧は、実に見事!!でした。
今冬、雪が多かったからか、水量はとても多く感じて、迫力は満点でした。
暫し佇み、マイナスイオンをありったけ浴びてきました(笑)
寝坊しなければ、昼頃からゆっくりとしたかったんですが...
約1時間程度、駆け足で巡った初の白布。
まぁ、それなりに堪能しました!
そしていよいよ、米沢市街へ・・・行く前に、もう一箇所、笹野観音堂(長命山幸徳院笹野寺)へ立寄りました。
開基には、かの、征夷大将軍坂上田村麻呂が関わっているという由緒在る寺院。
歴代の米沢領主(伊達、上杉等)の篤い信仰と縁があり、領主の諸願諸事を執り行ったり、改築普請を受けたことも度々あります。
治憲公も、安永8年(1779)に観音堂の再建を行いましたが、残念ながら、55年後の天保4年(1834)に焼失。
今に伝わる堂于は、治憲公の3代後の弾正大弼斉憲公の時に再建されたものだそうです。
しかし、立派な茅葺屋根を関した堂于は、実に見事!です。
堂于の右側には、天保3年に豪商渡部伊右衛門が建立した露座の延命地蔵様がおわします。
その向かい、寺縁の前には、名物の笹野一刀彫りの石造がありました。
木製の名物でさえ幾重にも彫られた羽が見事!と思うのに、石造もまた、名物と同じく造られていて、圧巻でした。
山門の仁王門前には、枝垂れ桜がきれいに咲いていました。
治憲公の軌跡を辿る旅。
まだまだ足を伸ばして行きたいところはありますが、日没が迫り、この後で上杉まつりの前夜祭である“武示帝式”(ぶていしき)の時刻も迫っていたので、今日のところはこの辺で。
本陣へと向かって行きました。
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