くない鑑

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江戸の「象徴」

2007年01月02日 | 知識補給
新春恒例,箱根駅伝往路の日。
曇天で無風,体感的には寒かったこの日、両国の江戸東京博物館にてこの日から始まった特別企画展「江戸城」を、たかゆさんと観て来ました。
両国駅西口に11時半に待ち合わせ、まずはだめもとで,両国橋近くにある【まる玉】なる、美味いと評判のラーメン屋へ行ったのですが...
予想通り,4日頃まで休みだったので、(仕方なく)博物館へと向かいました。

矢印に従って辿り着いた1階受付カウンターには、信じられないほどの長蛇の列。
その、一巡せんとする列の最後尾に付いて15分ほどか,漸くチケット(共通)を買って、企画展示室へと向かいました。
しかし...
その入口から大混雑,押し合い圧し合って、漸く展示ケースに辿り着くほど。
通常、こうした混雑は得てして入口付近のみなのですが、この日ここでは違っていて、それが最後まで続いていたことにまた驚かされました。
正月2日なので空いている・・・と思ったのですが、案に相違しての大混雑。
世間が暇なのか、それとも、“江戸”への関心が高いのか...。

ところで、その展示内容についてなのですが...
これが実に素晴らしい!!
まず最初に“出迎え”てくれるのは、江戸城を今から550年前の長禄元年(1457)に築いた、太田道灌(備中守資長)の坐像(複製)。
そして、衣冠束帯姿の神君徳川家康公。
以後,6章構成からなる企画展の第1章は、江戸城の成り立ちに関する、太田道灌や後北条家の史料。
そして、意外にも江戸城近辺から発掘された“古代の遺跡”
思えば、江戸城近辺は海ないし低湿地帯だったので、これらが見つかるのもナルホド納得できます。

続いて第2章では、「天下人と城」と題して、戦国から江戸初期に掛けての種々史料を展示。
その中で特に目を引いたのは、“天下布武”押印の書状で、これは初期の段階ものとして近年発見されたものとか。
他にも...
神君家康公が愛用していた“歯朶具足”(重文)や“征夷大将軍宣旨”,戦国末期の小判など。
中には、ポスターにも載っていた“太閤分銅金”もここにありましたが、それが意外にも小さかったのにも、ちょい驚きまたガッカリしました。。。
また、興味深かったのが、出土品からの見た安土城(安土文化)と大阪城(桃山文化)との違い。
例えば、前者の瓦,意匠部分の凹面に金箔が施され、凸面には無かったのですが、後者にはその逆だったというのです。

続いて第3章では、「徳川将軍の城」と題して、築城から完成後までに纏わる種々史料が展示されていました。
その中で、私的に注目したのは「家忠日記」。
これは、深溝流松平家忠が記した日記で、私が学生時分,授業で取り扱った史料なのです。
この他にも...
まず、この中で一番度肝を抜かれたのが、50分の1で再現された江戸城と松本城。
その規模の違いたるや、ただただ感嘆に尽きます...が、実はこれが3度も建替えられていたという事実には、もはや驚嘆するばかりです。
また、明暦の大火(明暦3.1,1657)で威風荘厳な天守閣諸共焼失した江戸城ですが、以後も、“火事と喧嘩は江戸の華”と言われるほどに火事は多く、幾度と無く江戸城は焼失しています。
今回の展示内には、そうした折に採られた種々儀式や、資金集めに関する史料,または、普請方と作事方との業務分担図などの史料もあって、中々面白かったです。
特に、再建に向けた“寄付金”(上納金)集めに際しては、大名の“格”によって違う金額や、支払いに対する受取証の発行などが、興味をそそりました。

次,第4章は「登城」について。
江戸時代は、礼儀三百威儀三千と言われるほどに先格,格式などの“面目”に拘る風潮にあり、それらは一朝一夕では修められぬほどの煩雑さがあったとか。
諸侯諸士の登城路から刻限,城内での控室、広間での座り位置などは「畳縁から指幾つの所」などと、細かく定められていたとか。
そうした小難しく煩雑な先格の“公儀指南役”として最前線にあった「奏者番」という御役目に関する史料が、幾点もあったのが興味深かったです。
奏者番は、幕閣への登竜門でもあったのですが、史料を見る限り,如何にこの御役目が大変であったかを垣間見ることが出来ました。。。
一方、これを指南される諸侯側の史料にも、気苦労の後を垣間見れて面白かったです。
そしてもう一つ,或る意味、この日一番興味深かったのが江戸っ子の“遊び心”。
その代表格が“双六”のようで、なんでもかんでも双六化されていて、例えば,「御大名出世―」では幕府の役職が,「官位須具呂久」では(朝廷の)官職が双六化されていて、前者は閣僚級にまで昇ると“隠居”に,後者は一部官職に“停職”なる目があったりして、中々容易には上れない仕組みにもなっていて、いまやっても結構面白く(勉強も兼ねて)盛り上がれそうでした。
ただ、後者の仕組みは中々難解そうで、よくよく見ても、容易には上れそうには無かったです。
なお、この後にも“大奥双六”やら(常設展示では)科目履修双六などもあって、これが遊びの範疇を幾分出て、どうやら“勉強道具”の一つだったようにも思いました。

さて、続いて第5章「礼儀-政治の舞台-」では、前章に引き続いて種々儀礼に纏わる史料があり、(こうした展示ではお馴染み?!な)朝鮮国王国書と(源)綱吉公返書なども展示されていました。
この中で一風変っていたのが、虎屋文庫が所蔵する「嘉定私記」と、それから再現された菓子類(嘉定菓子)。
これは、「嘉定の祝」に際して登城した諸侯諸士に対して振舞う菓子について等を記した文献で、その菓子類がサンプルとしてあわせて展示されていました。
ただ、その中で知っているのは羊羹くらい...あとは、見たことも味わったことも無いものばかりで、これを気に,是非に虎屋で復活させて欲しい!(・・・と、思ったら(あるみたい?!)
ちなみにこの「嘉祥の祝」とは6月16日に行われた平安時代からの宮中行事で、現在ではこれにちなんでこの日を“和菓子の日”としているそうです。
なお、菓子に関連してもう一つ,同じく宮中行事からの江戸城中での年中行事として10月朔日に行われたのが「玄猪の祝」。
子孫繁栄などを祈念して催されるこの祝では、登城した諸侯諸士へ鳥の子餅が振舞われました。

そして第6章「大奥と将軍のくらし」では、将軍と大奥の日常を垣間見ることが出来、面白かったです。
その中で興味深かったのが、「江戸城本丸炎上女中衆焼死者一覧」なる史料。
これは、天保15年5月に起きた火災についての記録で、公儀宛か,備に綴られた文献からその被害の大きさと、大奥の規模の大きさを実感しました。

そして最後,展示室を出たところには、江戸城と現代との写真による対比がありました。
幕府瓦解後、京より帝が遷座され宮城となっても、数多の天災人災に苛まされてきた“江戸城”の、その往時を偲ぶことが若干でもあることが、(佐幕な私にとっては)何と無く嬉しく思いました。

ちなみに...
日本近世史の大家,竹内誠江戸東京博物館館長や一部のNPO法人などが、見所の少ない東京の目玉として“江戸城再建”を計画しているとのことです。
実現までには、“天下の王城”ゆえに莫大な資金と歳月が掛かることでしょうが、是非とも成功させて欲しい!計画でもあります。


なお、この機会にとばかりに常設展へも強行突入しましたが、その模様は長くなるので別項にて。

おまけに...
途中,江戸城をリアルに再現したCGを上映していたので見たのですが、まず,その(CGの)精巧さにまず圧巻。
続いて、「なぜ、大広間はL字構造なのか?!」と言う長らくの疑問が解けたのが、嬉しかったです。
ちなみにその答えは、L字の横部分に控える諸侯諸士が、下段の間まで降りて来た将軍と謁見する間だったのです。
ただし、それもほんの僅かな時間ではありますが。。。

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