社会人コーチ

コーチ&スーパーバイザーが
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プロジェクト(事業)の成功の要因は?

2007-05-29 23:01:41 | Weblog


こんばんわ。

先の石仏、いまひとつご紹介しますね。

ところで今朝、合宿にお付き合いいただいた小林博士から
仲間みんなにメールが入りました。

その中に、はっとする文章がありました。
それを是非、ご紹介したいと思います。

「プロジェクトに(メンバーから)積極的な協力を得られるか否かは、
主宰者の人間力と事業の崇高度の問題です。」

「主宰者の人間力」

「事業の崇高度」

「主宰者の人間力」というのはリーダーの人間的な力、でしょうか?

今夜、10:00 NHKで「プロフェッショナル」という番組、
ご覧になりましたか?
坂本幸雄社長 鈴木敏夫プロデューサー 南場智子社長
そのほかにも何人かのリーダーが出演されていました。
そしてGoogleのCEOエリック・シュミットさん

それらのリーダーが語られたのは
「信頼する力」だったのではないでしょうか?

キーワードは「聴く」でした。
人間力、集約すると「聴く」に尽きるのかもしれません。

「事業の崇高度」
事業の目的のレベルの高さ
そしてその具体化された言葉

先のリーダーの方々は
「仕事の内容に高い信頼性を獲得する」ために仕事をする
そういうような内容のことを同じように言っておられます。

「利他」を思う
「利他」を目標にする
そういう言葉も出てきていました。

青臭い、と言わせない
それが、今、到っている時代なのではないかと思います。

小林博士の一文に
忘れがちなことをゴツンとやられました。

今日は良い睡眠ができそうです。

おやすみなさい。



潜在意識を浄化する

2007-05-27 22:39:53 | Weblog




昨日から今朝まで
南伊豆にある小林恵智博士が経営される菜根譚農場の中にある
禅堂で、合宿に取り組んできました。
写真はその農場にあった石仏群です

会した人たちは
「四行日記を普及する活動」を推進する人たちです。

四行日記
ご存知ですか?

6年位前に出会いました。
3ヶ月くらいでしょうか
毎日、四行日記を書き、それを小林博士にチェックしていただく
そんな訓練をやりました。

そして、人間が変わりました。
人生が変わりました。

四行日記は
■事実と思考作業をはっきりと分けて取り扱う
■否定語を使わない
■目標状況が既にできているという宣言を作る
ということを原則として作る日記です。

もちろん、四行で書きます。

■事実
◆気づき、発見
●教訓
★宣言(Iメッセージ+属性=ライフ・ロール)

この四行で書きます。

事実と考察の峻別は
論理思考の用件です。
四行日記を続けると
論理的な思考が身につきます。

「宣言」は潜在意識に落とし込む言葉です
宣言から否定語を排除することで
潜在意識の中から否定語が排除されます。

潜在意識に否定語がないということは
日常の行動がアクティブになるということが
実現します。

悩みがなくなる
停滞がなくなる

すごいでしょう?
四行日記を支援者の力を借りて
50日続けると潜在意識が浄化されます。

■(事実)  会う
◆(気づき) 力をくれる人が居る
●(教訓)  力強く生きる
★(宣言)  私は力強く生きている人間です

こんなふうに書きます。
自己流でやらないこと
コーチングをうけること
が、必要です。

「宣言」を繰り返し繰り替えに音読します。
そのことで潜在意識に宣言が定着します。

潜在意識が変わることで
人生に変化が起きます。

いかがですか?
あなたも始めてみませんか?
ご希望があればコメントに書き添えてください。


成果主義、育成主義

2007-05-26 09:35:15 | Weblog
昨日は3つの会社へ伺い
違った話を聴きました

が、共通した話もありました
それが職務機能の分担についての話

その話の前に
以前聴いた話をします

10数年前、組織のリストラクチャリングが流行った
流行ったというのは正確ではない
多くの企業がそれをやることで力を再生した
そんな時期があった

その結果
スパン・オブ・コントロールという原則が
なくなった

組織が平坦になり
役職者が減った

多くの中間管理者がプレーイング・マネージャーになった
そしてそれらの人々がプレーを中心に仕事をするようになった

結果、マネジメントは不在になり
人が育たなくなった

先端を行く企業のいくつかが
気がついた
「人を育てないと継続した成長はない」

役職者の機能の見直しが始められた
プレーではなくマネジメントを!

成果を出すことに重点化した人と
人材育成に重点化した人を分化をはっきりさせようと。

昨日の話
目の前の成果を出すことに精一杯で
先のことを考える余裕がないので
成果が毎月振れるのです、と。
じゃあ、分担しよう、来月のことを考える人、4ヶ月先のことを考える人を。

人間って一人で完全なことはできないのか?
そんなことはないのでは。
「完全」ができるからうれしい。
「完全」ができると思うからやる気も出る

組織がそれを期待しないのだ
気長に!

求める質を高めよう
そうすれば応えてくれるはずでは。

成果も上げて、人も育てて!
やってみましょうよ、先輩!!

教育3法 雑考

2007-05-23 13:23:25 | Weblog
今日、サンデー毎日を見たのです。

教育3法の国会成立に関する記事があり
ちょっと興味を引きました。

明日、人材開発部の方々とミーティングがあるのです。
その準備を兼ねて、
そして教育3法も兼ねて考えてみることにして
「人事評価」について
考えてみることにします。

評価、
まずは目的は何?
でしょうか。

1)処遇(給与・仕事・その他)を決める
2)キャリアを考える
3)配置・役割を決める
4)能力開発の課題を見つける

これらに使うデータ(情報)とする
というのが一般的でしょうか。

1)の「処遇」は
「処遇を決める基準」が先行する必要があります。

成果の大小で決める
成果を創り出す「プロセス」の実践のうまさで決める
日常的な執務態度で決める
経験年数で決める
年齢で決める
家柄で決める(馬鹿バカしい)
学歴で決める(馬鹿バカしい)
容貌で決める(馬鹿バカしい)

評価制度を決めなくてはならないのは最初の3つだけ
成果の大小も制度を別に作る必要はない

「プロセス実践の上手さ」というのは「発揮した職務能力」のレベル

ここにスポットを当てると
「どのプロセスで評価するか」(評価業務項目ですね)
「その職務能力で評価するか」(評価要素といいます)
「どういう評価区分で評価するか」(評価レベル或いは区分です)
これを決めれば
評価制度の形が出来上がります。

評価要素を多くすると
各人の強み弱みが出てくる可能性は高くなります
が、評価する側から見ると複雑になります。
評価の手間はかかる様になります。

少なくすると「ラッキーな人」と「アンラッキーな人」が生まれます。
が、シップルでわかりやすい制度になります。

中間案
毎年評価要素を変更して
3年で万遍なく評価できるようにする

実務的に手がかかるのは
「言葉の定義」です。

関係した話へ飛びます
教育3法が国会を通過する感じになってきました。
「教育基本法」と「教育委員会の権限に関する」ものと
「教員の免許更新制」

僕は中小企業診断士ですが「更新」制で
その費用も結構かかります。
中小企業診断しごときが更新制ですから
人間の価値観を変えることもある教員は
当然、更新制。

今日「サンデー毎日」を医院で読んでたら
評価を気にして、ユニークな先生がいなくなる
と書かれていた。
サンデー毎日の論理性
面白いですね。

教育熱心な先生がマイナス点が付けられる
評価制度は、評価制度に問題がある
ということですが。

さてさて、話は尽きないので
ここまで。

評価制度の骨格は整理できたのでは。

ではでは・・・・。



ラポールを一瞬にとる方法

2007-05-20 16:38:36 | Weblog



久しぶりの投稿になりました。
最近、新しい気づきを深める余裕がなく
生活しているようです

写真は昨日、参加した勉強会のいつもの看板
僕の手書きです。

最近をこれを使っていません。
使わなくても良い場所でやっているからです。

さてさて、
昨日の勉強会でH氏が教えてくれたこと
紹介しましょう

二人の人が挨拶する
普通は1.5mから2mは離れている
それが心の近さでもあるというのです

「握手をしてもらっていいですか」

「ほら、だいぶ近くなりましたよね」
「ほとんどの組が右手で握手していますね」

「では、左手でも握手してみてください」

「さっきよりもっと近くなっていませんか」

「今、両手で握手しています。どんな形をしていますか?」

『インフィニティ・リング』
『メビウスの帯』

「ふたりのもっていらっしゃる気がぐるぐる廻って
 同調し、パワーアップしていませんか?」

これは『ラポール』を深める技を教えてもらったシーンです。

ラポールは人と人が信頼関係を作り上げるとき
極めて大事なことです。

信頼関係を一瞬で作り出す
これが大事だと思います。

その上で、建設的な協働作業を進めるのです。

昨日の勉強会で「オープン・コーチング」に挑戦していただきました。
みんなが一つのセッションを観察して
いろいろな意見を出しました。

価値観が違うこと
それぞれを受け入れる力を持たなくてはいけないのだ
昨日はこのことを十分に味わいました。

これが僕の2007年5月の一つのエピソードですね。

ところで最近思うこと
人に話をするとき
自分のエピソードから入るか
相手の状況を承認することから入るか
この二つは効果的だと思っています。

そして、自分のエピソードを集めておきたいと
考えてもいます。

今一度、このブログを使って
エピソードつくりをしようと思っています。
近いうちにはじめます。
ご一緒に楽しんでください。

ではでは
今日は昨日の報告で
ジ・エンド。


「偉い人」の続き

2007-05-12 18:09:04 | Weblog
今日、すごい言葉に出会いました。
シンクロニシティでしょうか?

「私たちは偉大なことはできません。
 偉大な愛で小さなことをするのです」
        (マザー・テレサ)

何日か前の「偉い人になる」論
「私は偉い人なんかなりたくありません」
とおっしゃった大学教授は
この言葉にまだ出会っておいででない。

「偉大な愛」
すごい響きですね

「偉大なこと」
これは、例えばピラミッドを立てるとか
ラスベガスのような街を作るとか

そんなことでしょうか

文明を作り出すと同時に
環境の破壊をしたこと
これが偉大なこと

マザー・テレサが作り出した運動と
感動は
私たちに伝わって、私たちの行動を変えています。

僕は秋田の会社(サービス企業)の新入社員に
毎年、マザー・テレサの本を読んでもらって
感想文を書いてもらっています。

毎年、毎年、
何人もの若者が「感動」を書きます。

マザー・テレサは私たちに「文化」を創り出し
伝えてくれたのです

これが偉大でなくてなんでしょうか

ということで
やはり、もう一度言うことになります。

みんなで偉大なことに挑戦しよう。


ちなみにマザー・テレサの言葉に会ったのは
浜口隆則著「戦わない経営」(かんき出版)です。


昨日の続き

2007-05-10 21:55:13 | Weblog
昨日のブログを見て
友人がこんな情報を提供してくれました。
以下がそのメールの情報部分です。


P.F.ドラッガーの「現代の経営」で、
彼が下記のように唱えていたことを思い出しました。

-----------------------
今日の産業社会において、
一人ひとりの人間が、
まさに仕事の中に彼らの創造的衝動の充足を求めている。

そこに経済を超えた満足を求め、
誇りや自尊心や自負の対象を求めるようになっている。

従って
経営管理者の育成とは、
仕事や産業を生計の手段以上のものにするという、
マネジメントに課された責任の遂行そのものである。

すなわち企業は、
一人ひとりの経営管理者に対し、

彼らの能力を完全に発揮することの出来る挑戦の機会を与え、

そうすることによって、

産業における仕事を一つの生き方にまで高めるという、
社会的な責任を果たさなければならない。
--------------------------------------------

(ここからは僕意見)
この本は1954年に書かれたということです。
そのときに既に書かれていたのか
1982年の改訂で書き加えられているのか
わからないけど

すごい!!
僕達はドラッガー先生の英知を
活かさないといけない

と思う。

今日、ある上場企業の新しい人事部門の責任者と打合せをしました。
その中で話たこと

人をどのように見るか
評価をどのような基準でするか

思想です。

「成果」で見る
「成果を生み出すプロセスの実践度」で見る
「能力」で見る(これは論理的な表現ではありません)
「組織の結束への貢献度」で見る

これも思想です。

更に
「給与で報いる」
「仕事で報いる」
「休暇等で報いる」
これも思想です。

人事問題って思想ですよね。

ここで障害になるのが
「マスコミ」の意見。
困るよね、これが。

多くの人がマスコミが言うのは正しいと
思ったりする。

頼りは「良心」です。

頑張ろうよ、皆!!

キャリアの目標

2007-05-09 21:50:37 | Weblog
時々やりますが
毎月仕事のクライエントに送っているレター
今月号ができました。

これまでのブログと重複しますが
のっけます。



学校で行われる進路指導は
カタカナにするとキャリア・ガイダンスになろうかと思います。

ここでのキャリアを
「将来経験することになる仕事生活の体系」と
定義しておくことにします。

すると、
キャリア・ガイダンスは
「将来のキャリアを想定し、そこにいたる生活の有り様を考える」
ことになろうと思います。

その手順を
これまで多くの方は
次のように考えておられたのではないかと思います。

「自分の特性を知る」
「その特性が発揮できそうな職業をリストアップする」
「それらの職業の現実を調べ上げる」
「将来の進路を選択する」

(マッチング理論っていうのでしょうか)

これらの手順は
「自分にあった職業を選定する」
という考え方で作られていることがわかります。

アメリカのカウンセリング心理学のサニィ・ハンセン先生は
「カウンセラー(先生)は、
クライエント(生徒)がバランスのとれた人生を実現し、
その選択や決定を通して

『社会に積極的な変化をもたらす人』に
なるように手助けする役割を担っている。」

そして、
個人の満足を充たす仕事選びをするのではなく、
社会の変化に貢献するための仕事選びをすることが
21世紀には必要なのだと言っています。

キャリアの目標を
もっと高い視点で作りなさいというお話です。

一人ひとりの人間は
もっと社会性の高い使命を持って
生まれてきているのだ、
と考えたとき日々の指導に
生かす必要があるように思われます。


ご意見をお寄せ願います。


「偉い人」雑考

2007-05-08 10:46:45 | Weblog
「偉い人」の続きを試みます。
お付き合いください。

L.サニー・ハンセンという人の理論について
書かれた本を斜め読みしていました。
こんな文章に出会いました。

「彼がバランスのとれた人生を実現し、
その選択や決定を通して
社会に積極的な変化をもたらす人
となるよう
手助けする」

カウンセラーは彼(クライエント)に対して何をするか
という文章なのです。

人間の存在は
より大きな社会、コミニティへの貢献に向かって
あるのです
ということですね

自分一人がうまく生きる、だけでは不十分
自分の家族がうまく生きる。だけでは不十分
自分の職場がうまく運ぶ、だけでは不十分
より大きな社会、コミュニティに貢献しようぜ

アドラーの「共同体感覚」を思い出します。

「偉い人」というのは
より大きな社会に貢献できた人
のことでしょう

「より大きな」がキーワードですよね。
今より大きな、です。
それは無限を意味したりしますよね。

ちなみにハンセンさんって女性です。
ぼくらも「偉い人」目指しましょう。

どうでしょうか?


子どものしつけ雑考

2007-05-06 21:47:59 | Weblog
昨日の続きみたいな感じでしょうか

今日は日曜日
久しぶりにTVの日曜番組をいくつか見ました
その中に「国家の品格」の藤原先生が
出演されている番組がありました。

子どもを「きびしくしつける」
「理屈なしのことを身につけさせる」
という話をされていました。

同席されてる中曽根元総理大臣も
賛同されていました。

僕は乱暴な番組のつくりだと思いました。

「子ども」って誰のことですか?
40歳の人でも親から見たら子供。

そんな話ではないでしょう。
しかし「子ども」で一くくりしてしまうと乱暴です。

10歳以下ぐらいの子どもには
藤原先生の流儀でいいのかもしれません。
が、前提は「愛している」ことがあります。

今問題なのは
子どもを「愛していない」親が
たくさんいるということではないでしょうか。

「そんなことはない」
その論拠はなんでしょうか?
「人間誰だって子どもを愛しているよ」
その論拠はなんでしょうか?

子どもを自分の玩具にしていませんか?
子どもを自分の商売のねたにしていませんか?
子どもを自分の地位の確立に使っていませんか?


このことを取り上げて欲しいのです。

何故「愛していない人」が多いのか?
仮説的答えの一つが
愛されたことがないからかもしれません。

不思議なことではありません。
ドン・ボスコという教育者が昔、
(子どもが)「愛されているということが判るほど愛しなさい」
という教育理念を作られています。

ということは、ほっておけば、人間そうなるのでしょう
だから「愛しなさい」ということを
大人に教えることからはじめるといいということになります。

愛玩するのではなく
愛する

僕は昨日の続きですが
「尊重する」ことだと思います。

僕の発言力は十分ではありません
是非皆さんもご支援ください。

「愛されていると感じられるコミュニケーションの方法」
をみんなで身につけましょう。

勿論、身についている人は問題ありません。
感謝です。

どうすればいいの?
僕や僕の仲間に声を掛けてください。
一生懸命、お伝えします。

もう一つ。
関口さんの番組
千石先生の高校生の意識調査を取り上げておられて
「偉くなりたい」という高校生の比率が問題になっていました。
韓国、中国、アメリカの高校生に比べ
日本の高校生は「偉くなんかなりたくない」という意識が多い
と。

コメンテーター曰く
「私もえらくはなりたくはない。
社長になった人や有名人が偉いのではない」
「世界に貢献したい人ならなりたい」

スミマセン
偉いとは偉大だということではないのですか?
単純な言葉に定義が要るのですか

偉大というのは
多くの人に貢献した人でしょう
他にあるのでしょうか
僕はそう考えていたのに・・・・。

ということで
結論
「やっぱりマスコミの番組は意味が少ない」

ここで止まるね、思考が。
ぼくもかなりの馬鹿だね。

でも、頑張ります。
応援よろしく御願いします。