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アジア・アフリカの旅日記と、ネパールの孤児院(おしん)日記。現在は日本での日常生活を書いてます。

とろけるビエンチャン

2004-05-20 23:22:19 | Laos
 ラオスの首都ビエンチャンへ。昨日の夜行列車でタイの首都・バンコクを発ち、朝にはラオスとの国境の街ノーンカーイ着いた。窓の外から吹き込む風が快適で、ぐっすり眠れた。駅からでトツクトツクで国境へ向かう。途中の写真屋でビザ申請用の写真を撮った。越境の手続きはスムーズで、何のトラブルもなかった。バスはあっさりとフレンドシップビレッジを渡っていった。国境を越えると、バスを乗り変えて首都ビエンチャンに向かう。生まれて初めての陸路での国境超えはあっさりしていた。


「ラオスに行くと、とろけちゃうよ」と聞いていた。それは本当だった。モーニングマーケット近くの銀行のお姉さんの笑顔にまずとろけた。大歓迎smile。尋常じゃない、この優しさ。


 その後、僕はラオスの至るところでとろけた。宿探しの途中でジュースを買っただけなのに、お昼をごちそうしようとするお店のおじさんとその家族親類たちにとろけた(丁度お昼時で大勢でご飯を食べていた)。メコン側沿いのレストランを経営する家族の優しさにとろけた。メコン川から吹く風があまりにも心地好くてとろけた。凱旋門(フランスの植民地時代に築かれたもの)の下で、目の合った僕にあまりにも純粋ににっこり微笑む女子高生の微笑みにとろけた。ゲストハウスで会ったバックパッカーのみんなも優しかった。万事こんな具合である。みんな昔タイで感じた感覚だった。アジアの優しさ。心地良い。


 別に何があるわけでもない。首都なのに、音が少ない。客引きも強引さがない。静かな街。だけどそんなビエンチャンがすっかり気にいってしまったラオス第一日目だった。


ネパールの子どもたちと孤児院

2004-05-19 23:18:47 | Nepal 1
 ネパールではどこにでも沢山の子ども達がいる。沢山の子ども達がストリートで遊んでいる。みんな本当に仲が良い。大きい子ども達は小さい子ども達の面倒を良く見ている。ほんとに小さな女の子でもあかちゃんをおぶっている。そんな素敵な光景がどんなところでも見られた。


 孤児院は沢山作られているが、様々な問題もある。まず虐待。残念ながらこれはほとんの孤児院で起きているようだ。特に現地スタッフだけで運営されている孤児院。LFNも他の孤児院でボランティアをしていたドイツ人が、虐待のひどい現状を見かねて、子ども達を連れて出ていき、新しく立てられたものである。


 そして汚職。状況はバングラデシュと同じだ。欧米資本で運営されている孤児院も、実際の運営は現知人スタッフに委ねられていることが多い。お金は届いているはずなのに、子ども達が穴のあいた靴を履きつづけていたり、机やいすが壊れたままになったりしている(子ども達は大して気にしていないみたいだけど)。それなのにスタッフは携帯を使い、仕事用にと買ったバイクを私用でがんがん使うといったありさま。こういったことも残念ながらよくある状況のようだ。普段は自分の国から金銭の支援だけをしている欧米人ドナーは、現地に住む他の欧米人にまずお金を送り、その人が現状をチェックしながら必要なお金だけを渡したりするなどの工夫をしている。


 もちろんそんな人ばかりではない。真剣に貧しい人々のために働く人も沢山いる。こういう人と話していると嬉しくなる。

 子ども達はどんなことを考えているのかな?将来の夢は何だろう?今度聞いてみよう。



オルファナイズⅢ (offer)

2004-05-18 23:27:51 | Nepal 1
 (オルファナイズⅡからの続き)
 子ども達がベッドに入った後、別紙でスタッフの一人と語る。彼はここに泊まっている。会話の中で彼は友達が運営する孤児院の話を始めた。この孤児院はドナーがいるので経済的に安定しているが、友達が運営する孤児院はドナーがおらず、経済的に苦しい状態にあること。「今日の子どものおやつがない」といって、彼のところによく来るらしい。これからその孤児院のホームページを作るから、それを使って何とか寄付してくれる人を見つけてくれないかとの相談だった。僕は実際にその孤児院を見てみないと何とも言えないと答えた。

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 ポカラ(ヒマラヤの麓の街)でトレッキングに行った時のこと。ある山の中の街道沿いを一人で歩いていたら、"CHILD CARE CENTER"と書かれたコンクリートの建物が目に入った。ふらっと入っていった僕を女性の教師と数人の子ども達が歓迎してくれた。中には黒板と数冊の教科書、そしてハンモックが一つあるだけだった。見事なくらい何もない。子ども達は明らかに小学校に入る前の子ども達だった。彼らの面倒をみてくれるお兄さんやお姉さんが学校に行っている時間、彼らはここに預けられているのだろう。若い女性の教師はあまり英語が得意ではなかったが、ふらっと訪ねた訪問者を喜んで歓迎してくれた。子ども達はすぐに、でもちょっと照れ臭そうに僕の周りを囲んだ。言葉は全く分からないけれど、喜んでいるのが分かる。


 女の先生がノートを持ってきた。その一ページ目には「ここには子ども達が遊ぶ遊具もありません。子ども達を助けてください」という趣旨の文章が英語が書かれていた。ページをめくると、寄付した人の名前と金額を書くページがあった。英語もあんまり通じなかったので、ここが今どんな状況にあるのかははっきりは分からなかったけれど、僕も小額の寄付をして、名前をノートに書きつけた。ノートを見ると、ここに立ちより、寄付をしていく旅行者はそれなりにいるようだった。


 ここにたどり着く前にも、同じ街道沿いで一つの公立小学校を見学していた。教室が3つと事務室があるだけの、平屋のおんぼろだった。こっそり授業を覗こうと思ったら、たちまち女の先生に見つかって、教室の中に招きいれられた。「ナマステ!(こんにちは)」の元気な声が響く。みんなが僕を見つめている。英語で自己紹介をした。授業は英語の授業だった。小さな子ども達が先生の後について元気よく「apple!」「monkey!」と言う。しばらく授業を見た後、事務室で別の先生と話をした。ここにもドネーションノート(勝手に僕が名付けただけ)があった。確かに、教室には机がなかった。政府はほとんど何もしてくれないので、自分たちでなんとかするしかないのだと言う。


 詳しい状況は分からない。残念ながらネパールも汚職がひどい国である。山でガイドをしてくれたネパール人は「自分の子どもは公立の学校に入れたくない。公立学校の先生は授業の手を抜いて、家庭教師のアルバイトなどに精をだすからだ」と言っていた。先生が学校にやってこず、授業が行われない日もあると聞いた。


 残念ながら、孤児院などでの汚職の話も沢山知っている。お金を出せばいいと言うものではない。ネパールのことをほとんど知らない今の自分には何も言えないし、出来ることも少ない。ただ、知りたいとは思う。そして、考えたいことも沢山ある。豊富に物がある教室で育つ日本のこども達と、ここで育っていく子ども達。どっちが良いと言うのではない。そこにどんな教育があったのかは実は問題ではないと思う。その子がどんな人間に育っていくかである。僕も多少は教育に関わる仕事をしていた人間だから、教育には関心を持っている。何が理想の教育なのか?この次に始まる大きな旅の中で、少しは答えが見えてくるのだろうか?大きな子ども達があたりまえのように(本当にここではあたりまえなのだろうと思う)小さな子ども達の面倒をみる。微笑みあい、いつも一緒に行動する子ども達同士の情は自然に深く、暖かい。そんな子ども達を見て、日本の子ども達のことをいろいろと考え始めたネパールの旅である。

オルファナイズⅡ (poem)

2004-05-18 17:02:11 | Nepal 1
  今日は一人でLFN(孤児院)に向かう。我がホテルLUCKY STARで今日も自転車を借りた。Oさんに連れられて1回来ただけだったので、少し道に迷った。院に行く前に近くの店でチャー(チャイ)を飲んだ。実はここに来る前にストリートチルドレンの施設を見学、難民キャンプにいったりしていて、一日中をチャリこぎっぱなしである。

 
 ちょうど勉強の時間だった。邪魔したくなかったので、そっと勉強中のノートを覗いていたが、やっぱりみんな気が散ってしまうので、部屋の外で待つことにした。男の子が一人やってきて「僕はもう終わったんだ」と胸を張って言った。相変わらず人なつっこい子たちである。


 男の子の勉強部屋と女の子の勉強部屋は分かれている。続いて女の子のお部屋を訪問。行くことを知らせていなかったので、みんな驚いていた。けれどしばらくするとちゃんと勉強を続けるあたりが男の子と違うところである。さすが。


 前回来た時は勉強の時間を見なかったので分からなかったのだが、英語の教育水準は相当に高かった。ドナーであるドイツ人夫婦の意向で、子ども達は立派な学校に通っているようだった。驚いたことに理科の教科書も英語で書かれていた。算数のドリルも英語。小学校3年生くらいの子の英語の教科書にも、かなりの長文が載っている。こりゃ日本の子は勝てないわと思った。どうりでみんな英語が話せるわけである。これは驚き以外の何物でもなかった。ここの子ども達に限らず、ネパールには英語が話せる人が多い。語学が出来ることは、仕事口が増えることにつながる。どだいモチベーションが違う。そして教え方も日本とは随分違うのだろうと思う。

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 勉強の時間が終わって、外に遊びに出た。今日はまず女の子たちと近くの空き地で鬼ごっこ。30分後には死んでいるんだろうなあと思いつつ走る。でも楽しい。男の子たちとは僕の乗ってきた自転車で遊んだ。サドルが高すぎて乗れないくせに、みんな無理して乗ろうとするのでこけまくり。後ろに子どもを乗せて何度も空き地を往復する。
今日も7時頃になると建物の中に入り、お祈りをして、その後食事をした。もちろんダルバート。本当にみんなダルバートが大好きだ!お代わりの声があちこちから聞こえる。

沢山の子ども達が手紙をくれた。たった2日来ただけなのに。みんな詩が大好きなようで、全部の手紙に詩がついていた。教科書に載っている詩である。僕がいいなあと思ったのはこれ。

Some like goldship
Some like silvership
But I like one ship
That is a friendship

絵が書いてあったり、日本語が書いてあったり、ホッチキスで封がしてあったりする。純粋な思いで人に愛されることは本当に幸せなことだと思った。そんな素敵な一日だった。


 

ストリートチルドレン

2004-05-17 23:14:27 | Nepal 1
   ストリートチルドレン。最近頭から離れない単語だった。夜のカトマンズの街を一人で歩く。繁華街を歩く沢山の外国人をターゲットに、物乞いや麻薬の売人、物売りの商人の声が響く。


 シャッターを下ろした商店の軒下に、粗末な身なりの少年が寝ていた。仲間の少年がやってきて彼を蹴飛ばして起こそうとしていた。彼は起きない。数回けっとばされてやっと起きたかと思うと、面倒臭そうに起こしにきた仲間の少年に何か言ってまた眠りについた。もうすぐ雨季が来る。彼らはどうするのだろう?きっと適当な場所を見つけ眠るのだろうが。


 同じストリートにいた物乞いの女の子にお金をあげた。この前Oさんがやっていたように、声をかけてみた。「学校には行っているの?」。僕の言葉が分からないようだったけど、真剣に耳を傾けて、微笑んだ。いい笑顔。なんていい顔するんだろう。Oさんが声をかけている子は、学校に行ったり行かなかったりしているようで、「ちゃんと学校に行きなさい」と声を掛けるそうだ。「あの子はいつも『明日行くよ』とかいうんだけどね」とOさんが言ったいた。

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 「一番の苦しみは食べ物がないことではなくて、孤独で誰にも愛されないこと」。有名なマザーテレサの言葉である。ネパールでストリートで暮らす人々に何回かお金をあげたが、あげる時になるべく何か声を掛けるようにした。言葉が通じなければ笑いかけた。ニューロードの近くにいた物乞いの親子は、素敵な笑顔を作って手を振ってくれた。


 悲しい老婆もいた。小さな赤ん坊を背負って、「もっとお金をくれ」「ミルクを買いたいから60ルピーくれ」と言った。必死だった。既に一度お金をあげていたのであげなかったが、この人は一体誰に心を開くのだろうと思うと悲しかった。

 ストリートには様々な人生が渦巻いている。まだまだ知らないことが沢山ある。


☆ストリートチルドレンについてはシャプラニールのページを見てね。

ついにポカラへ

2004-05-14 23:20:25 | Nepal 1
  ついにヒマラヤの麓の街、ポカラへ。途中の景色が興味深く、6時間のバスもまったく退屈しなかった。バスを降りた後の客引きはすごかった。感動さえした。カトマンズのバスターミナルで予約してしまったゲストハウスのにいちゃんが、僕の名前の書いたプラカードを持って立っていた。


 ザックを下ろし、いつも通り街を歩く。ネットカフェや両替屋、外国人向けのレストラン。やっぱり観光地。いきなりスコールに出会う。アジアは雨季の始まりなのである。近くのカフェにかけ込み、コーヒーを飲みながら「アフリカを食べる」を読んだ。アフリカの食べ物にまつわる話なのだけれど、そこから植民地支配から現在の内戦に至るまでのアフリカの歴史と現状が紐解かれていく。ゴミ処理場に着いたばかりのトラックに群がる人々。南アフリカの農場で射殺されることに脅えて、家の周りにバリケードを貼り巡らす白人。内戦が続いている国が多い分、アジアよりも状況はひどく感じる。読みごたえのある本だった。お薦め。


 ゲストハウスに帰って、みんなと一緒に食事をする。ゲストハウスのにいちゃんが「今日はごちそうするから8時に帰ってこい」というのである。食事はもちろんダルバート。ゲストハウス”POKARA MOUNT RESORT”は何故か日本人だけ5人が泊まっている。会社も学校も休みでないこの時期に旅行しているのは、長期旅行者の強者が多い。話が面白いし、熱い。でもドラッグは止めなさい、みんな。

パシュパティナート

2004-05-13 20:00:08 | Nepal 1
  今日はローカルバスに乗って、パシュパティナートに行った。ホテルからオールドバスターミナルと呼ばれる大きなバスターミナルまで、地球の歩き方を片手に歩く。ターミナルに着いたが、呪文のようなネパール文字は全く読めないので、何十台も止まっているバスの中からお目当てのバスを見つけるのが大変だった。バス関係者に聞いてもよく分かっていなくて、何度かバスをたらい回しにされた。やっとバスに乗り込んだが、もちろんいつ出発するかは分からない。僕以外の乗客はみんなローカルの人々の小さなおんぼろバス。車掌さんに行き先を告げ、着いたら教えてくださいと頼んだ。


  パシュパティナートは、ガンガー(ガンジス川)支流のヒンズー教寺院である。かの有名なガンガーでの火葬を、ネパールで見るとは思ってもいなかった。川沿いに石で出来た火葬台がいくつかあり、遺体が焼かれていた。火葬台はカーストによっていくつかに分かれており、王族の火葬台が一番上流にある。ネパールのカースト制もとても厳しい。火葬場は24時間体制であり、ひっきりなしに遺体が焼かれているようだ。ヒンズー式、仏教式と火葬のための儀式も違う。白布をかけられた遺体の上に木や草を置き、家族が火をつける。火をつける人も決まっている。しばらくその様子を眺めていた。
 

 その後敷地内のヒンズーの像を観察。日本と同じくヤオロズの神である。「これが庶民に人気のある~という神で~」などと説明を受ける。サドウー(ヒンズーの修行僧)のおじさんとも話をした。やたらとヨガを薦めてくる。やっぱりみんな英語がしゃべれるのである。「フォト?」と聞いてきて、写真撮影料を取ろうとするサドウーには心からうんざりした。顔も怖い。優しくない。さっきまでそこで寝てたじゃん、お前!

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 その後タメルに戻り、Oさんとチベット料理屋に行く。食べたかったチベット料理を食べる。うまい!うますぎ!Oさんチベットにも行ってきたそうで、チベットの話も聞いた。聞きたいことは沢山あったので、沢山語った。特に子供や孤児院のこと、ネパールの現状。どんな暮らしをしていたのか。苦労話もたくさん聞いた。続きはまたいつか。


オルファナイズⅠ (LFN)

2004-05-12 18:49:35 | Nepal 1
 いよいよオルファナイズ(日本の孤児院に当たるもの)へ。Oさんと無事再会。苦労した、ここまで。僕が泊まっているホテルのロビーまで迎えに来てくれた。ここから30分かけて歩いていくという。途中でモモというチベット料理を売る店に入る。激うま。地元のひとにも大人気の店らしい。お客さんは全て男の人である。

 LFN(Light For Nepal Children)到着。4階建てのしっかりしたコンクリートの建物である。スタッフの方々に簡単に挨拶をして、いろんな説明をしてもらった。ドイツ人の夫婦が経済的にサポートしている。ベッド、シャワー、机や椅子等の設備も整っている。 屋上からしばらく子供達が遊ぶのを眺めていたら、「あの子たちあなたが気になって仕方がないのよ」という。隣の空き地で子どもたちと遊ぶ。鬼ごっこ、腕相撲、サッカー等。日暮れまで遊ぶ。全員で25人くらいだろうか。みんなとっても人なつっこい。手をつないで、寄り添ってくる。

 オルファナイズは日本の孤児院とは違う。片親、もしくは両親がいる子どもが多い。経済的な理由等で村からこの首都カトマンズに出てきて勉強している子どもたちだ。朝早く学校に行き、夕方戻ってくる。通学はスクールバスである。今日はストライキで学校が休みだったようだ。

 だんだん空が暗くなってきて、19時。中に入る。お祈りの時間である。子どもたちはヒンズー教徒とクリスチャンが半々くらいらしい。歌をみんなで歌う。内容は全く分からないが、歌に合わせて代表の子ども2名が踊っていた。歌をリードする子供が別に一人いる。その後各自でお祈りをする。僕も祈る。

その後は夜ご飯。屋上へ向かう。ネパールの一般家庭の台所は屋上にあることが多いそうで、ご飯も屋上で食べた。ダルバートというネパールの庶民料理。豆カレー、ご飯、トルカリ(野菜)という構成。ネパール人はダルバートが大好きだ。ゴザの上に座って、子どもたちと並んで食べる。

 その後屋上でLFNのスタッフの方々と談笑。気さくな人達だ。子どもたちは勉強の時間である。帰り際に子どもたちにさよならを言う。「明日は来るの?」と子どもたちの声。明日は来れないんだ、ごめんね。みんな本当にかわいい。子供達の素直な愛情を沢山感じて、幸せな気分だった。

 Oさん途中まで送ってもらい、ホテルに戻る。親元を離れていて、親がいなくて寂しい時ももちろんあるはずだ。子供達が自分にしてくれたことを思い出して、子どもたちにとって自分はどんな存在なのだろうと考えながら眠りに着いた。

.kuriのお奨め本

2004-05-06 19:29:00 | Books
本当はコメントをつけようと思ったけど、とりあえず。詳細を手っ取り早く知りたい人は、amazon.co.jpや、
セブンエンドワイ
などで、書名を入れて検索してください。内容の紹介が見れます。★は特にお勧めのものです。


【国際協力関連】
・やってみよ!国際ボランティア( 長谷川まり子/双葉社/2001)
★NGOとは何か 現場からの声(伊勢崎賢治/著、藤原書店、1997) - 青年海外協力隊に興味がある人も読んでおきましょう。
・ストリートチルドレン メキシコシティの路上に生きる(工藤律子/著、岩波書店、2003)
・地球の歩き方 成功する留学N 海外ボランティアガイド
2000~2001年版(地球の歩き方編集室/ダイヤモンド社、1999)
★世界と地球の困った現実(日本国際飢餓対策機構・編 みなみ ななみ・まんが 明石書店、2004)
・ネパールの山よ緑になれ (安倍泰夫/著、春秋社、2002)
★ 裏道国際派 (米坂浩昭/著、新潮社、2000)- 国際協力関係機関への就職に興味がある人へ。
★ ルワンダ中央銀行総裁日記 (服部正也/著、中央公論社、1978)
★ 世界を不幸にしたグローバリズムの正体(ジョセフ・E.スティグリッツ/著、徳間書店、2002)
・エチオピアで井戸を掘る (諸石和生/著 、草思社 、1991)
・続入門社会開発~PLA:住民主体の学習と行動による開発 (プロジェクトPLA編)★1000万人が反グローバリズムで自給・自立できるわけ スローライフ大国キューバ・リポート (吉田太郎/著、築地書館、2004)
・200万都市が有機野菜で自給できるわけ 都市農業大国キューバ・リポート(吉田太郎/著、築地書館、2002)
★アフリカを食べる(松本仁一/著、朝日新聞社、1998)
・ アフリカ21世紀 内戦・越境・隔離の果てに (NHK「アフリカ」プロジェクト/著、日本放送出版協会、2002)
・愛してるって、どう言うの? 生きる意味を探す旅の途中で(高遠菜穂子/著、文芸社、2002)
・国際協力ガイド2006 (国際開発ジャーナル社 、2004)- 国際協力関係機関への就職に興味がある人へ。


【クリスチャン】
★新約聖書入門 心の糧を求める人へ(三浦綾子/著、光文社)
・レフトビハインド (ティム ラヘイ /著、いのちのことば社、2002)
★ちいろば先生物語 (三浦綾子/著 、朝日新聞社 、1987)


【その他】
★ 時の止まった赤ん坊 上下巻(曽野綾子/著、新潮社、1988)
★ マザー・テレサ日々のことば(マザー・テレサ/著 いなますみかこ/訳、女子パウロ会、2000)
★ 塩狩峠(三浦綾子/著、新潮社、1988)
・世界は希望に満ちている 「友情と博愛」を紡ぐ23のストーリー ( クリスチャン・ド・ボワルドン/著 ロイク・ド・ロザンボ/著 ニコラ・ド・フージュルー/著 藤田真利子/訳 山本規雄/訳、バジリコ、2004)
・かみさまへのてがみ (谷川 俊太郎 訳、サンリオ、1994)
・竜馬がゆく(司馬 遼太郎/著、文藝春秋)
・太郎物語 大学編 (曽野綾子/著 、新潮社 、1987)
・誰のために愛するか (曽野 綾子 /著、角川文庫、1977)



【旅行関連】

・沖縄ナンクル読本 (下川裕治・篠原章/編著、講談社、2002)
・南へ (野田知佑/著、文芸春秋、2000)
・鍋釜天幕団フライパン戦記 あやしい探検隊青春篇 (椎名誠/編、本の雑誌社、1996)
・旅のグ (グレゴリ青山/著 、旅行人 、1996) - 漫画。バックパッカーの生活を知りたい人へ。
・バックパッカー・パラダイス 2 (さいとう夫婦/著 、旅行人 、1998) - 漫画。バックパッカーの生活を知りたい人へ。


【就職関連・自己啓発等】

・ 絶対内定 2005 (杉村太郎/著、ダイヤモンド社、2003)
・ブレイン・スタイル よりよい人間関係をつくる「4つの脳」 (著者/訳者名 マーレーン・ミラー/著 加藤諦三/訳 、講談社 、1998)
★ ザ・ゴール 2 (エリヤフ・ゴールドラット/著 三本木亮/訳 、ダイヤモンド社 、2002)
・ユダヤ人大富豪の教え 幸せな金持ちになる17の秘訣 (本田健/著 、大和書房 、2003)


【教育関連】
・子どもへのまなざし (佐々木正美/著、福音館書店、1998)
★夜回り先生 (水谷修/著、サンクチュアリ・パブリッシング)
★一年一組せんせいあのね (鹿島和夫/編、理論社、1994)
★兎の眼 (灰谷健次郎/著、角川書店、1998)
★子どもプラス(雑誌/ 雲母書房 )



【心理等】
・大人はわかってくれない(梶原千遠/著 知恵の森文庫)
・感じない子ども こころを扱えない大人(裳岩奈々/著 集英社新書)
・生きづらい<私>たち(香山リカ/著 講談社現代新書)