五行目の先に

日々の生活の余白に書きとめておきたいこと。

10月24日(土)曇りのち雨

2009-10-24 23:36:37 | Weblog

 8時起床。朝食はチーズトーストとおでん。卵の味がしみてうまい。

 今日も整骨院に行く。先生たちと武蔵村山のデエダラ祭りの話しをする。ゲストにアニマル浜口と浜口京子がやってくるそうだ。そんなところからプロレス話をひとしきり。維新軍団とかWARに上がっていたころの浜さんを知っている人はいないようだ。

 首から肩にかけての疲れがとれる。治療してもらうまでは頭が重たくてしょうがなかった。ずいぶんラクになった。本当なら毎日通いたいくらい。
 
 高田馬場へ。早稲田通りを歩いていく。早稲田松竹の番組を覗く。横浜聡子監督の「ジャーマン+雨」と「ウルトラミラクルラブストーリー」の2本立ては来週からか。「ジャーマン+雨」は観ていないので、ぜひ観たかったのだが。

 「メルシー」のラーメンを食べるつもりでいたが、西門通りを歩いていて「三品食堂」に切り替えた。カツ玉ミックスを食べる。久々に食べてうまかったが、810円というのは大学生の昼食としては高いかもしれない。僕が大学生のときは670円くらいだったような気がするのだが。もう15年も前のことだ。

 早稲田大学の中央図書館で資料収集。地下の研究書庫に入る。初めて閲覧個室を使わせてもらう。大学院生と教員のみが利用することができる。LANも使うことができて便利。落ち着ける狭さなのもよい。

 WINEで検索をして、個室でじっくりと目を通す。期待した以上の収穫があった。早速コピーする。土曜日の午後の書庫は利用者も少ない。一心にコピーする。国会図書館のように、コピーをしてもらうのはラクでいいが、やはり自分でコピーをすると、トレイに吐き出されるコピーだったり、めくっていくうちに目に飛び込んでくる情報が、いろいろな思いつきをもたらしてくれる。時間に余裕がある限りは、コピーは自分でするのがよい。

 17時過ぎまで作業をする。図書館の外に出ると雨が降っていた。本部キャンパスのなかを通る。雨のなか、灯りが点り始めた大隈講堂を眺める。こういった天気のときの姿もまた美しい。

 地下鉄で銀座に行き、「カフェカプシーオ・トーア」でコーヒーを飲む。地下道を通っていつもの理容室に行く。ほぼ2ヶ月にいっぺんのペースで髪を切ってもらっている。ここ以外で切ろうという気がしない。

 立川で青梅線の電車を1本逃してしまったので、駅構内のエキュートをぶらぶら歩きする。「船橋屋」の店があったので、葛餅をおみやげに買って帰る。

 夕食は鶏の唐揚げと伯母が作ってくれたけんちん汁。伯母は僕が帰ってくると知ってわざわざ作ってくれたのだそうだ。素朴だが、やさしい味を楽しんだ。

 夜のスポーツニュースで、ファイターズ-イーグルスのクライマックスシリーズの結果をみる。最後は両チームの選手が入り混じってのノムさんの胴上げ。なかなか感動的なシーンだった。とうとう名将もグラウンドを去るときがきた。来シーズンからはスポーツニュースをみるたびに、少し物足りなさを覚えるんだろうな。

 今日で日本シリーズの対決がファイターズ対ジャイアンツと決まった。パリーグファンとして、そして絶対なるアンチG党として、ファイターズを応援する。もっとも、今年は僕が応援すると負けるというジンクスがあったので、ひっそりとファイターズの日本一を願うことにする。


10月23日(金)晴れ(弘前)→晴れ(東京)

2009-10-24 23:30:39 | Weblog

 8時起床。朝食はイギリストーストとしょうが紅茶。すっきりと晴れていいお天気だ。

 大学に出る。学園祭初日ということで、賑わっているかと思ったら、案外そうでもない。今日は平日だから、明日・明後日が本番といったところだろうか。

 コーヒーを飲んで、男女共同参画推進室の委員会に出る。11時を過ぎたあたりから、少しずつ時間が気になりだす。予約してある新幹線に乗るためには、弘前バスターミナル11時55分発のバスに乗る必要がある。遅くとも11時半に会議が終了してくれないと間に合わない。だが結局正午過ぎまでかかった。

 仕方がないので、研究室に戻ってゆっくりと出発の準備をする。タクシーで弘前駅に行き、指定列車の変更をする。乗るつもりだった新幹線の盛岡出発時刻にはまだ時間があるから、次の列車に変更しても支障はない。こういうとき、「つがる」と「はやて」の移動より、「ヨーデル」と「はやて」のほうが便利だ。

 ドトールでサンドイッチとカフェラテを買い、バスに乗り込む。今日のヨーデル号も混んでいる。やはり「つがる」がない時間帯はバスが重宝されるようだ。前から2列目の席に座り、しばし前面展望を楽しむ。サンドイッチをつまんでからは盛岡までひと眠りする。

 盛岡では30分ほどの待ち時間がある。フェザンの1階にある立ち食いそば屋へ。ここは立ち食いながらメニューが充実していて、味もなかなか。だからいつも結構お客さんがいる。「かきそばはじめました」の貼り紙につられて、かきそばを食べる。大粒の牡蠣が6つほど。それにたっぷりととろろこんぶが載っている。牡蠣の出汁が出てうまかった。

 「はやて20号」の車内では、『新装版 続プロレススキャンダル事件史』(宝島文庫)を読む。剛竜馬のインタビューが泣ける。まだこのころは元気だったのになあ。

 途中からウトウトしだして、小山のあたりで目が覚める。東京に着くのは18時過ぎ。整骨院に行きたいが、拝島に着くのは19時半くらいになる。整骨院の終了時刻と同じだ。今日は諦めようか、と思ったが、大宮近くになって、ここで新幹線を降りることを思いついた。乗り換え回数は多くなるが、確かそのほうが早く着くはずだ。

 埼京線、武蔵野線、中央線、青梅線と4回乗り換えをしたが、19時に拝島着。悠々診療時間に間に合った。

 診察室では、パリーグクライマックスシリーズのファイターズ対イーグルス戦のラジオ中継が流れていた。いつものようにグリグリと揉んでもらいながら、野球話に花を咲かせる。ゆっくり治療してもらって、終わったのは20時半過ぎ。本当にいつもよくしてくださる。

 父に拝島駅まで迎えにきてもらい、帰宅。夕食はおでん。これぞうちのおでん、という味。おでんは好物なので、ときどきイトーヨーカドーで買ったりするのだが、いかんせん味が濃い。お湯で薄めるのだが、そうすると今度は味がなくなってしまう。やはり実家のおでんが一番だ。

 整体に行った後はどうも眠くなる。一番先に風呂に入らせてもらって、いつもより早く眠る。いろいろ仕事を持ち帰っているのだが、今日のところはお休みさせていただく。


10月22日(木)晴れのち曇り

2009-10-23 00:54:20 | Weblog
 9時起床。イギリストーストとしょうが紅茶の朝食。

 インターネットのニュースを覗いてみたら、「田原元騎手を逮捕」という文字が飛び込んできた。僕は現役時代の田原成貴の大ファンだった。トウカイテイオーを駆って制した有馬記念のときは中山競馬場にいて、涙ながらに「タバラ!タバラ!」と叫んだものだ。引退して調教師に転じた後も、その言動は変わることなく、田原は田原だ、と感心していたが、2001年の逮捕の後、競馬界を追われることになった。僕が競馬に対する関心を失ったのも、彼が去ったことが大きい。それにしても残念だ。

 今朝はジャケットの上にインナーを外したハーフコートを羽織って出かける。うん、これくらいでちょうどいいかもしれない。

 研究室に入ると、やはり冷える。だが窓を開けて空気を入れ換える。大学のなかでは、研究室は他者との接触を避けるためのシェルターのようになっている。ひたひたと新型インフルエンザ禍が忍び寄っている気がしてならない。

 人民食堂で昼食を摂っていると、月曜日に会った3人組のうちの2人に出くわす。今日は「あ、下ネタだ~」という。こら、「先生」くらい付けなさいって。誤解されるでしょうが。まあ誤解のもとは僕自身にあるのだから、偉そうなことはいえないのだが。

 3コマの授業の教室に向かう途中、「同好の士」である同僚の先生と、先日亡くなった剛竜馬選手のことについて話す。今年8月のユニオン後楽園大会に出場した際の映像をみたが、相当に体調が悪そうだった。アニマル浜口、将軍KYワカマツとからんだ「リングの魂」は面白かったなあ。またひとり、個性的なレスラーがこの世を去ってしまった。

 「比較社会学」は、社会調査の類型を説明した後、質的調査の魅力について語る。ちょうど見田宗介による「不幸の諸類型」を引き合いに出す。さまざまな不幸の要因を連関図としてまとめるなんていうのは、並大抵の人間にはできないなあ。せっかくなので、僕の不幸の連関を示すべく、「安月給」「独り身」「体力の衰え」なんていう要因を書きだしてみたが、図式化するだけの時間的余裕はなかった。残念。

 4コマの「公民演習」は、『21世紀家族へ』の3章を読む。このあたりは、産業構造の転換と家族をめぐる規範の力という2つの影響のもと、議論が展開する。こうした規範が今後も影響力を持ち得るか、というのが今日のひとつめの論点。それと、もし子ども手当の充実が図られる一方で、家族が負担する税金が増えた場合、結婚はせずに子どもは持つというライフスタイルが増加するのではないか、といった話しをした。経済的な合理性と、子どもを持つなら結婚するという規範のどちらが優勢となるのか、現時点ではまだわからない。

 夕方まで仕事をして、いったん帰宅。明日からの東京出張に備えて、大きな荷物を車で研究室に運んでおく。明日から学園祭がスタートするが、教育学部は工事で会場としてほとんど使用されないこともあってか、それほど準備に慌ただしいといった感じでもない。僕はこの時期は毎年東京に帰ってしまうので、うちの大学の学園祭をちゃんとみたことがない。

 今夜はゆっくり桃太郎温泉に浸かる。そろそろ露天風呂に出るときに、「ひゃあ」といいたくなるような、そんな空気の冷たさを感じる時期になってきた。

10月21日(水)晴れのち雨、夜曇り

2009-10-23 00:33:24 | Weblog
 9時起床。朝食はイギリストーストとしょうが紅茶。ここ数日と同様、何を着ていくか思案する。晴れているので、少し厚手のジャケットにする。だが少々寒い。自宅に戻るのも面倒なので、急ぎ足で大学に向かう。

 午前中は少々慌ただしく過ごす。ゼミのテキストを受け取りに行ったり、電話の応対をしたり、そして大学院ゼミの文献に目を通す。どうしても直前にもう1回読んでおかないと気分的に落ち着かない。

 11時半過ぎに人民食堂に行くと、おこげのせ鶏ゆずうどんが復活していた。迷わずこれを食べる。こちらの麺のメニューは、ラーメンは割と充実しているが、うどんとそばのバリエーションは少ない。そういえばここでそばを食べたことは一度もないなあ。何となく学食のそばはそばのように思えなくて(そのくせ駅そばは大好きなのだが)、ラーメンかうどんか、というチョイスになる。

 3コマの大学院「社会学演習」は『親米と反米』の第Ⅱ章を読む。マッカーサー、天皇、パンパンがこの章での主人公。マッカーサーと天皇という構図はよくある形だけれども、そこから一気にパンパンに流れるところが著者の著者たるゆえんか。何だか煙に巻かれているような感じがしないでもない。

 このゼミは、いつも雑談が面白い。台湾からの留学生がいるので、その辺の話題も多くなる。蒋介石は、日本では割と好意的なイメージで捉えられている話しなんかもした。教えてもらうことも多い。今日は台湾の人の姓の決め方を教えてもらった。長年疑問だった、郭李建夫(もうずいぶん昔の選手になってしまったんだなあ)はなぜ2文字の姓なのかについても、理由を説明してもらい、納得した。

 4コマはゼミ。35分の短縮版なので、僕のミニ講義。写真を使ったフィールドワークを後期もやってもらうことにした。その前に、『フォト・リテラシー』とからめてジャーナリストの仕事と社会学者の仕事の違いといった話しをした。

 ついでにゼミ生のなかで新聞を毎日読む習慣がある人がどれくらいいるか尋ねたら、1人しかいなかった。一人暮らしの学生もいるから仕方がない面もあるが、それにしても少ない。就職試験のために新聞を読んでおけ、なんていう時代ではないのかな。僕が学生のころには、4年になるとやたらと日経新聞の勧誘の電話がかかってきたもんだが。

 フィールドワークでは、ある「決定的瞬間」を撮影し、さらに写真の効果をトリミングによって増幅させる、という課題を出した。午前中に大急ぎで作った事例を提示してみる。

 コミカルなプロレスの攻防も、トリミングによってきわめてシリアスなシーンとして提示することができる。





 上の写真も下の写真も、L版写真の比率に基づいたサイズである。もうちょっと時間をかければ適切な例を出せたような気がするが(何しろ下の写真のトリミングはかなり乱暴だ)、ゼミ生たちはもっと面白いものを作ってくれるだろう。

 教授会に出る。改修工事で入口が大会議室の前方からになった。出欠は階段の途中でカウントしていた。3時間ほどで終わる。いつもより少し短かった。教授会が始まるころに降りだし、一時はかなり強く降っていた雨は、ちょうど終わるころに止んだ。

 研究室に戻ると、調査実習の学生たちが作業を続けていた。いろいろ面白いアイディアを思いついたようだ。置き手紙を用意していたところに僕が戻ったようで、メッセージと一緒にドーナツをもらった。お腹が空いていたので、ありがたくいただく。

 先週土曜日の秋田でのシンポジウムの参加報告書をまとめる。公的な文書ではなく、室員の皆さんに回覧するものなので、堅苦しくなく、また僕の所感をかなり多めに盛り込んで作成した。勢い込んで書いたので、明日もう一度ちゃんとチェックを入れてから室員のメーリングリストに流すことにする。

 昨日とほぼ同じ時間に帰宅の途につく。やはり寒い。両手はズボンのポケットに入れ、首をすくめて早足で歩く。週末の東京はさぞ暖かかろう。だがそれゆえに何を着ていこうか、迷うのである。

10月20日(火)晴れたり雨が降ったり

2009-10-22 01:22:29 | Weblog
 9時起床。食パンを切らしてしまったので、朝食は冷凍の肉まんひとつ。冷凍でもやはり中村屋の肉まんはうまい。

 弘前駅に行き、今度の東京出張の際にのる新幹線の列車変更をする。ついでにドトールでカフェラテを飲む。ひと息ついて、てくてくと大学まで歩く。自宅から大学までは徒歩10分ほど。ちょっと運動としては物足りない。駅から大学までは20分ほどかかるので、これくらいがちょうどいい。

 いいお天気のようだが、向こうのほうには重苦しい灰色の雲がみえる。今日も天気は目まぐるしく変わりそうだ。

 今日は授業がない。Tuesday実習も来週からスタートということで、何も仕事がない。期日が迫っている書類書きに充てる。

 昼休みが終わったところでスコーラムへ。ランチの紅白ハンバーグを食べる。創立60周年と大学祭を目前に控えてということで、お祝いの意味があるらしい。

 食後にコーヒーを飲みながら、安倍源基『昭和動乱の真相』(中公文庫BIBLO)を読み始める。特高部長、内相を歴任とした官僚による証言。謙虚な語り口のなかにも、彼の矜恃や独特の歴史観というものがにじんでいる。幣原協調外交に対する批判などは、特に舌鋒鋭い。安倍が特高部長時代に小林多喜二の虐殺が起き、彼はその責任者であるのだが、その点については言及されていない。歴史家のような文体でありながら、奥底に潜むおどろおどろしさを感じさせる。歴史書として読む限りにおいては、そうした雰囲気が面白くも思えてくる。

 昼食の前には勢いよく雨が降った。研究室に戻るころにはもう止んでいて、きれいな虹が出ていた。不思議と研究室の窓からたびたび虹を目にする。東京にいたときには、そう滅多にみられるもんじゃない、と思っていたのだけれど。



 午後から夕方にかけてもひたすら書類作成作業。丁寧に作っているつもりでも、たいてい何か所かミスがある。さあ完成した、と思ってプリントアウトしたものを眺めてみると、ボロボロと間違いがみつかる。どれだけ目を皿のようにしてチェックしても、パソコンのディスプレイ上だと見落としが生じる。やはりちゃんとしたチェックは紙でなければダメだ。最近は、自分の甘っちょろい性分がわかっているので、最初のプリントアウトには必ず裏紙を使う。3、4回繰り返して、ようやっとまっさらな紙にプリントする。

 何とか夜に完成させて、ファイルは予めメール添付で提出しておく。その後で提出用のプリントアウトを用意する。ふう、これでしばらく落ち着くかな。

 遅くなったので、今夜は自宅の風呂に入る。こちらでは『昭和史発掘』第4巻の陸軍士官学校事件を読む。昼間読んだ『昭和動乱の真相』と扱っている事件や時代が重なっているのだが、安倍源基と松本清張という、イデオロギーが正反対の著者のものを読み比べるのもまた一興だ。『昭和史発掘』は、自宅の風呂でしか読まないので、のろのろとした歩みで進んでいる。ようやく次の第5巻から二・二六事件に入る。

10月19日(月)晴れのち雨

2009-10-21 02:14:54 | Weblog
 9時起床。トーストとしょうが紅茶の朝食。

 この時期、着ていくものに迷う。これからお昼過ぎにかけては気温が上がるが、夜帰宅するころにはぐんと寒くなる。昼に合わせるか、それとも夜を想定するか。なかなか悩ましい。迷った挙げ句に今日は厚着で行く。

 いくつかメールに返信する。週明けはいろいろな連絡事項や問い合わせがまとまってやってくる。1週間の幕開けはたいていメールの処理になる。

 今日も11時半過ぎに人民食堂へ行く。塩ラーメンを頼んでできあがるのをベンチに座って待っていると、真正面から3人の女子学生がやってきた。元気な声で「こんにちは!」という。僕の知らない学生たちだが、おそらく1年生だろう。ちょっと面食らったが、「こんにちは」と返す。すると「下ネタの先生だ」といいながら去っていった。そんなあだ名がついているのか。ということは、彼女たちは地域生活専攻の学生だ。先日のゼミ説明会で「下ネタを真剣に学問できるのは社会学くらいなもんです」といったからなあ。

 3コマはその地域生活専攻の1年生対象の「地域生活調査方法論」。2週間前のガイダンスのときには、一番前の席が埋まっていたのに、今日は真ん中の列の真ん中あたりまで、がらんと空いている。それで後ろのほうは窮屈そうに座っている。昔の大学みたいに、居眠りをしていたってチョークを投げつけられたりすることなんかないんだから(今だったら大問題になってしまう)、そんなに固まらなくてもいいのになあ、と思う。

 この「地域生活調査方法論」は、昨年度から始まったので2年目だが、去年の学生と今年の学生とでは、ずいぶんと雰囲気が違うような気がする。去年の1年生(つまり今の2年生)は、割と人なつっこくて、気軽に話しかけてきたりする雰囲気があるが、今年の1年生には、どこか緊張感のようなものがある。もっとも、これから2月まで付き合ってみたらどう変化するかわからないのだが。

 今日から、60分を講義、残りの30分をグループ討論という体裁で授業を行う。グループ分けは名簿に基づいてランダムに行った。早速9つのグループに分かれてのディスカッションをさせる。僕は欠席者のいるグループに加わった。見回すと、各グループともになかなか活発にしゃべっている。滑り出しはまずまずだろうか。

 夕方から書類書き。今週中にまとめなければならない書類を、指折り数える。金曜日から東京なので、それまでに片づけなければならない。なかなか大変だ。ちゃんと終わるだろうか。終わらせる努力よりも前に、遅れたときの言い訳を考えたりする。もともとは割と締切を守るほうだと思っているが、それでも大学がもつルーズさというのが徐々に浸透してきてしまっている。

 帰宅しようと思ったら、急に雨が降り出した。厚着を承知で羽織ってきた、撥水仕様のハーフコートが役に立つ。自宅に帰るやいなや、ただちに健康温泉桃太郎に行く。

 いつも22時ごろに自宅を出る。するとジョッパルのところの交差点で、いつも東京に向かう夜行高速バスの一団と出会う。最近は3台くらいだが、多いときは増車分が加わって、6台ほどのバスが連なっていく。隊列をなして進んでいく高速バスの姿はなかなかりりしい。

 深夜には雷の音が大きく鳴り響く。平野にもかかわらず、この時期のお天気は実に変わりやすい。そして冬が近づいてくる。

10月18日(日)雨のち晴れ

2009-10-19 02:24:41 | Weblog
 8時起床。トースト1枚としょうが紅茶の朝食。小さな肩掛けカバンという、僕にしては珍しい軽装で弘前駅に向かう。

 8時48分弘前駅発の「リゾートしらかみ2号」に乗り込む。青森方面から到着した車両は「くまげら」編成。着席すると、展望ラウンジ手前の一番後ろの席だった。川部からはスイッチバックで五能線に入るので、一番前の席になる。その川部で運転手さんと車掌さんが移動している間に、車両の写真を撮る。



 五能線に入った途端、雨が降ってきた。もともと天気予報は雨だったのだが、青森の天気予報はよく外れる。都合のいいほうに外れることを期待していたのだが、ちょっと厳しそうだ。

 板柳までの区間は、りんご畑の間を走る。五所川原からは津軽三味線の生演奏がある。何しろ一番前の席だから、かぶりつきで聴くことができた。



 五能線は路盤が悪く、かなり揺れるのだが、そんなことはもろともせずに見事な演奏を聴かせてもらった。そして鰺ヶ沢駅に間もなく到着、というところできっちり終わって、拍手の中下車していく様も鮮やかだった。

 鯵ヶ沢を出ると、右手には海がみえてくる。そして急にいいお天気になってきた。千畳敷を減速しながら通過し、深浦に向かう。この辺が最も風景の美しい区間。車内では一斉にカメラのシャッター音が鳴り出す。







 深浦はいかにも港町といった風情だが、ウェスパ椿山に至ると、急にリゾート地っぽくなる。弘前と同じ青森県という感じがまったくしない。

 定刻通りに十二湖駅に到着。リゾートしらかみと路線バスの接続はよい。10分ほどでバスがやってきた。奥十二湖駐車場行きのバスの運転手さんは地元の方だそうで、とてもユニークな人だ。「このバスは路線バスなので、しゃべらなくてもいいんですが、勝手にガイドさせてもらいます」「聞きたくなかったら無視してください」なんていう調子で、沿道の湖の解説なんかをしてくれる。走っている間ずっとしゃべりっぱなしだ。これはうれしいサービスだ。

 七曲がりというくねくね道を上って、終点の奥十二湖駐車場へ。ここからお目当ての青池までは徒歩10分ほどだ。その手前にある鶏頭場の池に沿って歩く。紅葉の見頃はもうちょっと先だろうか。



 青池に着く。やはりここが一番の見どころだけあって、人が多い。展望用のウッドデッキがこしらえてある。下段のほうが水面に近いが、上段から眺めたほうが、青色がより美しくみえる。写真ではなかなかこの青の美しさが伝わらない。



 遊歩道はウッドチップが敷かれていて、歩きやすい。階段を上がったところの休憩所で、小休止。ここからブナの原生林を歩いていく。さっきまでたくさん人がいたのがウソのように、急にひっそりと静かになった。



 少しずつ雨が落ちてきた。折りたたみ傘を差して歩く。さらに奥の金山の池を目指して進む。だが急に頭上で雷が鳴り、猛烈な雨に変わった。傘を差して歩くのもやっとというくらいの雨。あっという間に靴もズボンも濡れてきた。

 それでも歩き続けていたら、運よく森のレストラン「アオゲラ」の前に出た。昼食のおにぎりはバッグに入っているが、体も冷えてきたので、ここで食べることにした。ログハウスの広々としたお店で、「おすすめセット」を注文する。鶏とポテトのホットサンドに、りんごの冷製スープ、サラダ、そしてコーヒーが付く。これがとてもおいしかった。熱いコーヒーを飲んで、体も温まった。



 僕がお店に入ったときは、お客さんは誰もいなかったのだが、雨を避けてハイキングをしていた人たちが続々とやってきた。

 雨の様子を眺めてみたが、すぐにはやみそうにない。どうせ足元もよくないので、湖沼めぐりはまたの機会にする。王池バス停までは歩いて20分ほどの距離だ。レストランの方が親切に道を教えてくれた。こちらの道は舗装道路なので、これ以上靴がびしょびしょになることもない。

 10分ほど待ってやってきたのは、さっきの運転手さんのバスだった。行きとは違った楽しいガイドを聞かせてもらう。本当は足を伸ばすつもりだった日本キャニオンがもっともよく眺められるポイントでは、わざわざバスを停めて、ドアを開けてくれた。車外に出て数枚写真を撮る。実に粋なサービスである。



 行きにみたときは白っぽくみえたのだが、雨に濡れたせいか、少しグレーがかってみえる。

 十二湖駅を通り過ぎて、アオーネ白神までバスに乗る。駅で他のお客さんが下りた後は、運転手さんとおしゃべりをする。

 アオーネ白神は、以前はサンタランドという名前だったが、つい最近改称したのだそうだ(その辺の経緯も運転手さんが教えてくれた)。小高い場所に広がるリゾート施設である。



 敷地をぶらぶら歩いていたら、空が晴れてきた。そして展望台がみえたので、上ってみる。

 木製の3階建ての展望台の一番上からの景色は素晴らしい。まさに360℃のパノラマだ。日本海の荒波も、そして白神岳も望むことができる。





 今年5月にオープンした温泉施設、アオーネの湯に浸かる。ここに足を運んだのは、とにかく温泉に入りたかったからである。リゾートしらかみ利用だと、半額の250円で入ることができる。雨に濡れて冷えた体もすっかり温まった。湯船はひとつで、それほど広くはないが、塩分の強いお湯で、上がってからもぽかぽかしている。

 売店でみやげものを物色して、無料バスで十二湖駅へ。このバスと列車の接続もいい。「リゾートしらかみ5号」に乗り込む。

 雨で計画変更を余儀なくされたが、さて、この列車の名物である、日本海に沈む夕陽はみられるか。また雲が厚くなって、夕焼けではあるけれども、おひさまの姿ははっきりとはみえない。

 ところが、思いがけず雲の切れ間から太陽が顔を出した。すると風景がいっぺんにオレンジ色に染まる。車内の人々が思わず揃って感嘆の声を挙げた。それくらい素晴らしい夕景だった。





 太陽がくっきりとみえていたのは、ものの10分くらい。水平線に沈む前に雲に包まれてしまった。それでもしっかりこの夕陽を拝めたのはラッキーだった。

 日が落ちてからはウトウト居眠りをするうちに川部に着いた。ここで進行方向が逆になったので目が覚めた。

 駅からの帰り道に夕食を摂り、帰宅。今日は十分に遊んだはずなのだが、ワーナーマイカルシネマズへ。「ヴィヨンの妻」を観る。

 先日うちの大学でも、監督さんを招いての上映会があったのだが、入場整理券を入手できず、観られなかった。

 それにしても、今年の太宰ブームはすごいもんだ。流れる予告編が、太宰、太宰、である。宮澤賢治のときにもいろいろ映画化がなされたが、それ以上の盛り上がりだ。どれも面白そうで、観られるだけ観てみたい。

 「ヴィヨンの妻」は、いくつかの太宰作品に登場する人物を組み合わせて、さらには太宰自身も投影しているような物語。その太宰のイメージが重なる作家大谷を浅野忠信が、妻佐知を松たか子が演じている。

 ストーリー自体は、予告編を何度もみていて、そこから予想される流れそのもので、劇的な展開があるわけではない。ただ劇中でそれぞれに「生きる」人々の姿が描かれているのみだ。だが、誰よりも「死にたい」と願いながら、その実人一倍生への執着が強いように思われる大谷とか、一見情熱的でありながら、どこか虚無を生きている佐知だとか、いろいろな「矛盾」が印象に残る。

 この作品に限っていえば、松たか子の演技が素晴らしい。いかにも常識を弁えていそうで、でもキップがよかったりする、何層にも重なった感情を持つ女性を見事に演じている。男性なら、こんな妻だったらさぞよかろう、といった感情をふと抱いたりしてしまうかもしれない。

 大谷をめぐる女性が数人登場するが、愛人役の広末涼子もいい。心中未遂の末、蘇生して、警察署で佐知とすれ違う際の勝ち誇ったような微笑などは、観る者にずいぶんとインパクトを与えるものだった。

 ストーリーそのものより、舞台となる昭和21年という時代相が僕には面白かった。戦後間もない時期で、小料理屋(というか居酒屋)に集う人は、何の肉だかわからないような煮込みを食べてはいるが、それでも中央線は多くの人を乗せて、しっかりと走っている(モハ63形と思しき電車が精緻にVFX化されているのには驚いた)。復興の気配はかすかに感じられても、まだ人々を勇気づけるには至っていない。

 そんな退廃的な世相のなかで生きること。佐知がラストシーンで大谷に語る「生きてさえいれば…」という科白も、こうした時代設定のもとでこそ生きてくるような気がした。

 やれやれ、今日は丸々一日遊んでしまいました。

10月17日(土)晴れのち雨

2009-10-18 23:51:44 | Weblog
 9時起床。トーストとコーヒーの朝食。ひととおり洗濯を済ませ、弘前駅に向かう。

 秋田行きの「かもしか2号」に乗る。純粋な国鉄型の485系に乗る。1段階でしか倒れないリクライニングシートも、今となっては貴重だ。

 ついこの間まで黄金色の穂が揺れていた津軽平野の景色も、稲刈りが終わって少し寒々しいものになっている。大鰐温泉を過ぎたあたりから、両脇の山がぐっと近寄ってきて、幅の狭い谷間を抜けて走る。県境を越えると、また視界が開けていく。

 格別特徴のある風景ではないが、日本海縦貫線の一部をなす奥羽本線の車窓からの眺めは結構気に入っている。途中、どのあたりから瓦葺きの屋根の家がみられるか、なんていうのに注目するのも楽しい。ちょうど2時間の旅程も、さほど長いとは感じなかった。

 秋田駅に下りて、西武百貨店の地下にある「佐藤養助」で稲庭うどんを食べる。ここではしょうが焼き定食にざるうどんが付いたセットをいつも(といっても3度目だけれど)注文する。

 西武百貨店のすぐお隣の秋田ビューホテルで開催される男女共同参画シンポジウム「ダイバーシティ尊重の風土醸成をめざして」に参加する。男女共同参画推進室の活動の一環としての出張である。

 隣県の取り組みがどのようなものか、またうちの大学より数年先んじて男女共同参画推進の委員会を立ち上げた秋田大学の実践がどうなっているのか、といったことに注目して聴いた。

 講演では、大学関係者だけでなく、企業での取り組みや苦労といった話しも聴けて有意義だった。もっとも、ちょっとびっくりするくらいレベルの低いプレゼンテーションがあったりもしたが。シンポジウムというのは難しいものだと痛感させられた。

 とはいえ、いろいろと収穫はあった。まずは先達に学びながら、われわれなりにできることを考え、実行していこう。

 帰りの電車まで時間があったので、スターバックスに入る。どうしても青森にはないスタバをみつけると、ついつい寄りたくなってしまう。もっと個性的なカフェなんかもあるんだろうけれど。

 秋田はとてもいい街だと思うのだが、不思議と滅多に足を運ぶことはない。同じ2時間(実際はもうちょっと短い)の距離だと、盛岡のほうに行ってしまう。

 「かもしか5号」で帰弘。日も落ちてしまっていたので、車窓風景は楽しめず。でも出張で行きも帰りも「かもしか」に乗れたのだから、よしとしよう。

 昼間はよく晴れていたのだが、弘前駅を出たら雨がぽつぽつと落ちてきた。自宅で夕食を摂り、健康温泉桃太郎へ。雨が降る中、露天風呂に浸かる。雨の日や雪の日の露天風呂も好きだ。電車に乗っているときには気づかなかったが、やはり4時間同じような座っていると、ところどころコチコチになっている。肩までしっかり浸かって存分に疲れを癒す。

10月16日(金)晴れ

2009-10-18 23:31:06 | Weblog
 8時半起床。朝食はトーストにインスタントのポタージュスープ。

 研究室で眠気覚ましのコーヒーを飲んでから、男女共同参画推進室の会議に赴く。いつもの本部棟の会議室ではなく、推進室での会議となった。スペース的に、全室員が集まるとなるとちょっと窮屈だ。ワーキンググループ単位なら十分なのだけれども。でも、間借りではなく占有スペースができたというだけでずいぶんと気分も変わってくるものだ。

 昼食はスコーラムで摂る。カレーにミニサラダとスープを付ける。食後にはコーヒーを飲む。

 戻りがけに特設の教科書販売所を覗く。「比較社会学」のテキストが結構売れ残っている。履修登録者数を把握したうえで発注しているのだが、どうしたことだろう。でも授業ではみんな持っていたから、別のルートで入手したのかな。

 「比較社会学」のように、ある程度内容が固まっていて、定評あるテキストを使う、と決めているような授業はいいのだけれど、ゼミや演習のテキストを選ぶ際には、内容だけでなくどうしても価格のほうも気にしてしまう。講義に関しては、僕はテキストを使って話すのがものすごく下手くそなので、極力使わないようにと心がけているのだが、ゼミや演習はテキストがなければ始まらない。だが、21世紀教育なんかでもテキストを使うものが結構あるようで、学生の出費も相当なものだと聞く。

 そりゃあ、学問のためなのだから、他のものを我慢してでも教科書を買え、といいたいところだが、それだけ強く出られない性分である。学生のころは、たとえば早稲田界隈には、教科書専門の古書店があった。僕は買ったこともあるし、売ったこともある。悲しいくらい安値で買い叩かれたが、しかし買うときにはそこそこきれいなものがまあまあ安く買えた。うちの大学の近辺には、そういった古書店はないし、また先輩からテキストをもらう、なんていう慣習もあんまりないようだ。

 おまけに、出版社としてはコンスタントに売れる商品なものだから、よく教科書を作りませんか、なんていう広告が入っていたりする。いろんな立場のいろんな事情がわかるような気がするので、ややこしい。

 夕方からF研に出る。金曜日に開催されるのが常の研究会なので、前期は1度も出られなかった。久しぶりに参加する。

 幅広い領域の研究者が集まって、充実した報告を聴き、自由闊達に議論をする。とても楽しかった。今年度中に、僕もまた報告ができればと思う。

 打ち上げは「ポアン・ルージュ」にて。研究会後の食事会の雰囲気もまた久々だ。ジンジャーエールがおいしくて、おかわりをした。お酒を飲めば体が温まるのだろうが、ノンアルコールの冷たいものでは体が冷える。会が開けて店の外に出ると、冷たい風が身にしみた。

10月15日(木)晴れ

2009-10-18 23:04:18 | Weblog
 9時起床。トーストとしょうが紅茶の朝食。昨日よりいくらか暖かいような気がする。すっきりとした秋晴れである。

 大学に着いたのは、ちょうど2コマの授業が始まろうというときだった。こういうとき、教室に向かう学生たちと顔を合わせるとちょっとバツが悪い。「裁量労働制」なのだから、授業がない以上、研究室にいなくても問題ないはずなのだが、せめてあと10分早く自宅を出ていれば、人目につかずに済んだのにな、と思う。

 ところで、学生によく「先生はなかなか研究室にいないですよね」といわれるのだが、もしそこに批判的なニュアンスがあるのだとしたら、ちょっとした誤解があるように思う。一応オフィス・アワーが設定されている(教員が自ら決める)のだが、その時間帯に訪れる学生というのは滅多にいない。本来はその時間に合わせて来るべきなのだ。それがサークルの教室使用許可の書類へのサインとか、いつでもおかまいなしにやってくる。わざわざ足を運んできたのだからと対応しているが、オフィス・アワーが有名無実になっていることの証左である。

 それとノックをすればドアを開けてもいいと考えている学生にもときどき出会う。これには厳しく注意することがある。研究室の電気が点いていればいつでも会えるというのは、うちの大学のよさといえばよさなのだけれども、最低限のマナーはちゃんと教えてあげないといけない。

 ちょっと困ってしまうのが、生協の方が来られるときで、ときにはゼミ中(ドアのところに「ゼミ中 ノック等ご遠慮ください」という赤いマグネットシートを掲示してある)でもノックをされることがある。それが本の配達であったりもして、普段からお世話になっているし、わざわざ出直してもらうのも恐縮なので、ついつい応対せざるを得ない。

 人民食堂で早めの昼食。最近は麺類に140円のセット(たいてい小さなご飯ものと小鉢1つ)を付けるのが多くなった。弁当の値段とほとんど変わらないのでいい。

 3コマは「比較社会学」。最初のときより少しばかり受講者が減っている。このコマには社会調査士の資格科目が2つ設定されている。ひとつはC科目で、もうひとつがこの「比較社会学」(B科目)。資格を取ろうという2年次以上の学生は、どちらかを選ばなければならない。それでC科目のほうに流れたというのが理由1。理由2は、そもそも社会調査士の資格取得を断念した学生が履修を取りやめたからで、前期のD科目の単位を落としたために資格そのものを諦めるケースがあると聞いた。

 うちのような小さなところでは、C科目やD科目を社会学以外の領域の先生(たとえば数学)にお願いしないとやっていけない。非常勤講師もお願いすることができない。よってどうも文系の学生には相当に厳しいようである。うちの学部に先んじて資格認定を受けた人文学部でも、やはり統計学がネックになっているそうだ。そう簡単に取れる資格でも困るのだけれど、十分な環境整備ができないところでやらざるを得ないというのがもどかしい。

 4コマは「公民演習」。今日はローテーションの関係で僕が文献の要約を担当した。レジュメは昨日のうちに作っておいたのだが、ごくごく簡潔に、A4で2ページに収まるようにまとめた。僕の提出した論点がわかりづらかったのか、どうも議論が低調である。2年生のいるゼミのほうが活気があるというのはよろしくない。

 後期になってから、割と規則正しい生活になっている。もちろん起きる時間なんかはとうてい健全とはいえないけれども、大学に遅くまで残るようなことはなくなった。それは健康温泉桃太郎に毎日通っているからで、9時半過ぎに大学を出て、10時ちょっと過ぎに風呂に入り、11時に帰宅というパターンが定着しているからである。何かひとつペースメークしてくれるものがあるといいようだ。

 車で銭湯に通ったほうが安上がりというくらい、うちのアパートのガス代は高いのである。もうちょっと値下がりしてくれるといいのだが。

10月14日(水)晴れ

2009-10-18 19:38:02 | Weblog
 9時起床。トーストとしょうが紅茶の朝食。トーストにはほんの少しのバターとイチゴジャムを塗る。どうもジャムだけでは物足りない。バターなりマーガリンなりがないとよろしくない。

 ここのところ昼食を早い時間に、軽く摂るようになった。だいたい11時半くらいに人民食堂に行って、麺類を食べる。それより遅い時間だと、学生がやってきて、一気に混雑する。

 生協の弁当の出店があったときには、こういった昼食のパターンはほとんどなかった。だが今はコンビニまで遠征しなければならない。昼休みに混雑するのは食堂もコンビニも同様で、どのみち11時半くらいには弁当を買いに行く必要がある。同じ時間に足を運ぶなら、コンビニより近く、かつ温かいものが食べられる食堂のほうがよい、ということになるのだ。

 正午から講座会議。たいていお昼休み丸々かかることが多いので、これがあるときには昼休みに昼食を摂ることはほぼ不可能である。とくに月~木曜日に3コマの授業が入っている僕の場合はなおさらである。

 3コマは大学院「社会学演習」。『親米と反米』の1章を読む。一応僕がこれまで研究対象としてきた戦前・戦時の話しなので、いつも以上に解説にも力が入る。

 4コマはゼミ。今日から『フォト・リテラシー』を読み始めた。前期に読んだギデンズの『社会学』よりも難しいという意見が多かった。新書ながら、わからないことばがたくさん出てくるという。そりゃそうだ。テキストだけ読んで一人できっちり理解できるのなら、わざわざゼミで読む必要もあるまい。あれこれ新奇な単語の意味を調べてきてこそ、「要約」をしたことになるのである。その点、まだまだうちのゼミは発展途上である。

 水曜・木曜の3・4コマは、いずれも総合教育棟での授業が連続であるので、間の休み時間に研究室に戻ることはない。かつての非常勤のときを思い出す。

 5コマは研究室で調査実習の打ち合わせ。グループ分けをして、それぞれが期日までに決められた作業をしてくることになった。3つのグループは、結果的にテープ起こしのときと同じ組み合わせになった。一度共同作業をやっているので、相互のコミュニケーションには不安はない。問題は、グループ間で連絡を取って、それぞれの進捗状況を把握しながら切磋琢磨していけるかだろう。3つのグループが蛸壺的に作業するだけでは、1つの報告としては完成しないはずだ。

 黒石市での発表会まであと2週間。今年はこれまでの2年間と比べて、かなり放任主義でやってきた。それがどう出るか、今の時点では不安半分、期待半分といったところだ。

10月13日(火)晴れ

2009-10-18 19:12:31 | Weblog
 9時起床。昨日盛岡で少々値の張るパンを買い込んできたので、しばらくイギリストーストはお休み。ただししょうが紅茶はしっかり飲む。

 大学に出る前に来週末の東京出張のきっぷを手配しに行く。大学生協でももちろんきっぷを買うことができるが、細かい席の指定とか、やはり駅で買ったほうが便利だ。しかも生協だとクレジットカードが生協のTuoカードしか使えない。今どき1種類のカードしか利用できないというのは甚だ不便なのである。

 ドトールでコーヒーを1杯飲んだ後、大学まで歩く。途中、ジョッパルの前を通りかかる。昨日で閉店したはずだが、まだ電気が点いていたりする。撤収のためかと思っていたら、18日まで延長して営業するようだ。ただし午後1時開店とのこと。それにしても、これだけ大きな店舗が、後利用の計画も立たずになくなってしまうのは残念だし、寂しい。

 メールボックスにたまっていた郵便物やらチラシやらを抱えて研究室へ。まだ10月も半ばというのに、底冷えがする。

 昼食はスコーラムで悠々と摂る。Tuesday実習のない火曜日は、気分的にものんびりできる。小林多喜二『近代日本の貧困』(祥伝社新書)を読みながらコーヒーを飲む。

 だが研究室に戻ってみると、そんな気分も一変。急な打ち合わせの要請がくる。幸い、夕方の会議までは空き時間だ。急いで指定された場所に行き、会合をもつ。思ったよりも長くかかった。

 研究室に戻るなり、すぐに次の会議へ。場所は把握していたのだが、改修工事による通行止めの場所のほうをちゃんと把握していなかった。4階まで上がって、会議の場所はもう目の前、というところに、工事用の仮設壁がある。それでまた1階まで下りて、別の階段を駆け上がって、会議にすべり込む。いやー、これはちゃんとわかっていないととても面倒だ。これから雪が降り出したらどうなるんだろう。

 注文していた『職業紹介』『職業紹介時報』(近現代資料刊行会)が届いていた。東大の社会科学研究所が所蔵している糸井文庫の復刻版(というより複製版か)である。大学院生のころ、目を皿のようにして目次を眺め、必要な記事を必死になってコピーをした。すでに紙質が劣化していたので、取り扱いにも苦労した覚えがある。大学院の研究室のコピー機は、参加した紙の細かな屑が、ガラス面の内側に落っこちてしまって、メンテナンスの人が苦労していたという話しも聞いた。

 今あらためて手にとって眺めてみると、懐かしい知り合いに会ったような気分になる。本当に懐かしい。でも、まっさらな紙にどこか違和感を覚えるし、当時の問題関心が薄れてしまった今となっては、ふつふつとした情熱が沸いてくるといったことはない。それだけ時間が経過したのだなあ、としみじみ思う。

10月12日(月)晴れ(東京)→曇り(弘前)

2009-10-16 05:16:28 | Weblog
 8時起床。すでに弟が実家に来ていた。クリームシチューとトーストの朝食。弟とは、今シーズンのライオンズと必要な補強について、あれこれしゃべる。やっぱりシーズンが終わってしまうと、ちょっぴり寂しい。

 弟の車で昭島に送ってもらい、国立へ。画廊 岳/ギャラリーコロンで開催されている増田常徳氏の個展「黒い微風」を観る。30分ほど鑑賞していたら、増田先生がやってこられた。

 今回の展覧会は、いつもより小さめの作品が中心。いずれの作品も、展覧会のテーマのとおり、先生の近作にみられる黒が用いられている。明るい、浅い黒から、文字通りの漆黒、深い黒まで、様々な黒がみられる。そこに咲く椿の花の赤とか、朝鮮アザミの青が美しく映える。

 コロンに展示されている作品群には、先生が新たに取り組まれているテーマのものもある。ひとつは、広島の大学に教えに行かれた際に訪れた原爆ドーム。これまで、出身地の長崎をテーマにした作品を多く手がけられてきたが、広島を描いたものは、僕は初めて拝見した。原爆ドームを塗りたくるような黒。長崎だったり、9・11を題材とした作品を描いてきた先生の平和への思いが伝わってくる。

 もうひとつは、額縁を描いた作品がある。「畏怖」「対峙」とテーマがついていた。自作と向き合うときの緊張感、僕はそんなふうに感じたのだが、先生の意図としては、心理を描くことにあるのだそうだ。心象とは違う、心理。一見難しそうではあるけれども、絵画の主題になったような感覚は、僕も経験したことがあるような気がしている。

 お茶をいただきながら、しばし先生とお話しする。それぞれの作品に込めた意図であったり、芸術論であったり、はたまた四方山話であったり。話していて、本当に心底面白いと思う。僕みたいな者にでも、真摯に語ってくださる姿勢は昔っからまったく変わっていない。そして、僕は、自分の仕事に対する意志というものを、しっかり考え直させられるのだ。

 お昼ご飯までいただいて、絵画とお話しとを楽しませていただいた。さっぱりとした気持ちになって、画廊を後にする。



 国立の駅舎は、高架化工事が進んで、本駅舎のようなものも姿を現していた。何だか殺風景だ。やっぱり三角屋根の駅舎があったころが懐かしい。



 新宿で少しばかり買いものをしてから、東京駅に出て「はやて」に乗り込む。駅構内の本屋さんで買った中村光の『中村工房』と『荒川アンダーザブリッジ』を読む。『聖☆おにいさん』の第4巻が待ちきれずに、こちらの作品にも手を出してみたのだが、面白い。ついついふくみ笑いをしてしまう。

 盛岡で下車。すぐに接続するヨーデルには乗らず、1本後のバスで戻ることにした。1時間ちょっとの時間ができたので、大通りまで歩く。ちょうど夕食どきなので、「キッチンたくま」へ。チキンカツとしょうが焼きのセットメニューにみぞれをつける。うまい。しっかり肉を食べて大満足。駅から歩いて食べに行く価値は十二分にある。



 先日盛岡を訪れたときには工事中だった、大通りの手前の建物は、「クロステラス盛岡」という商業施設になっていた。建物ができる前は駐車場だったような気がする。

 中に入ってみると、食料品の店だったり、ベーカリーだったり、色々雑多だ。でも楽しい。

 もともと大通りと盛岡駅との間には、ちょっと距離があって、橋もあり、いかにも離れた空間という感じがした。この両者のすき間を埋めるような形で立地しているこの施設は、実にいい感じ。街づくりという観点からみても、大変すぐれているような気がする。やっぱり盛岡はよくできた街だなあ、と思う。



 出発時刻ぎりぎりに乗り込んだヨーデル号は、いつになく混雑していた。特急「つがる」のない時間帯だからか、はたまた三連休の最終日だからか。いつもなら1人で2席を占拠できるのだが、今日はほぼ満席。何とか一番後ろの隅っこの席を確保することができた。ブランケットを引っ被って、居眠りをしているうちに弘前に戻ってきた。

 帰宅するや否や、お風呂セットを持って健康温泉桃太郎へ。露天風呂に浸かって夜空を見上げていると、つい数時間前まで東京にいたことが、なんだか信じられない気持ちになる。

10月11日(日)晴れ

2009-10-16 04:07:11 | Weblog
 8時起床。トーストと目玉焼きの朝食。すっきりと晴れたすばらしいお天気だ。

 天王洲アイルに向かう。銀河劇場で上演されているこまつ座の新作「組曲虐殺」を観るためである。昼食の時間を見越して、余裕をもって到着した。滅多に訪れない場所なので、しばし周辺を散策することにした。

 かつてほどではないにせよ、依然としてこのあたりは運河が流れていて、文字通りのウォーターフロントという感じだ。格別アテもなく、ぶらぶら歩きをする。高層ビルの脇の通りを歩いていったら、見覚えのある橋に出会った。よくテレビドラマに登場する、歩行者専用の橋。短いながらもしっかりとしたトラス組みがユーモラスだ。



 運河沿いのボードウォークをてくてく歩く。よくモノレールからみえる帆船に近寄ってみる。東京海洋大学のキャンパス内にある、雲鷹丸。練習用帆船だったらしい。ところどころ傷んではいるものの、真っ白な帆船は独特の気品をまとっている。



 ぐるりとひと巡りして、ボードウォーク沿いのレストランで昼食。オープンテラスはとても気持ちがよさそうだったが、海が近いせいか、いささか風が強い。窓際の席に座り、運河を眺めながらパスタを食べた。

 銀河劇場に着くと、開場したばかりで長い列ができていた。入口前にはたくさんの花が並んでいる。



 こまつ座の舞台を観るのはいつ以来だろう、かなり久しぶりだ。ミュージカル界のプリンス井上芳雄主演とあって、席を確保するのは大変だった。何回かのプレオーダーで外れて、最終的に何とか3階の最後列の席を押さえることができた。

 大好きなこまつ座の作品というだけでなく、井上芳雄が小林多喜二をどう演じるのかというのも興味津々。ヒロイン役に石原さとみ、脇を固めるのは高畑淳子、神野美鈴、山本龍二、山崎一といった上手い役者さんたち。そして小曽根真がピアノを演奏する。とっても豪華。

 冒頭から、出演者全員が舞台上に揃って歌い出す。こまつ座のこの手の舞台は、ミュージカルというよりは音楽劇といったほうがしっくりくる。

 小林多喜二の作品にせよ、その人生にせよ、ときとして暗鬱に感じられてしまうのだけれど、舞台には翳りだけでなく、明るさやほのぼのとした情景も表れる。笑わせるところはしっかり笑わせるのが井上ひさしの作品ならでは。

 この舞台を観るにあたって、付け焼き刃的に「蟹工船」と「党生活者」を読んでいった。これらの作品は、ところどころ引用されるけれど、あくまでも物語の主役は多喜二自身である。ゆえに主役こそが大事。当たり前だが。そして、ビジュアル的には本人とは全然似ていない井上芳雄がどこまで多喜二になれるのかに注目した。

 少なくとも小林多喜二をよく知らない僕にとっては、見事に多喜二を演じているように思われた。若いながらも思索に富み、ときに煩悶し、そして朗らかな表情もみせる。一人の青年としての生の瑞々しさを感じさせる。

 見せ場の歌も、ミュージカルのような、高らかに歌い上げる場面は少なくて、あくまでも科白の延長線上にあるようなものが多く、それゆえに心に沁みるものがあった。ノドから何かを絞りださんとするがごとく、重く深く歌ってみたり。一方で、「カタ、カタ、カタ」と歌う場面では、どこまでも優しい。実際の多喜二という人も、こんな感じだったんじゃないかと思わされた。役者と演出両方の妙である。

 この人の舞台を観るのは「Mozart!」に次いで2度目なのだが、すっかり魅了されてしまった。舞台上では、まさしく多喜二そのものであった。それにしても、パンフレットを開いたら、ファンクラブの申込用紙が出てきた。なぜか僕の名前まで書かれている。一般に発売されているものには絶対にないはずで、摩訶不思議なこともあるものである。

 周りの役者さんたちは、それぞれ持ち味を存分に発揮されていた。3人の女性たちは、異なった個性のもとに多喜二を見守り、そして支える。2人の男性は、特高刑事という立場でありながら、多喜二に感化され、やがて同情を寄せるあたたかい人物を好演している。もしも実際の刑事たちにこうした感性があったなら、と思ってしまう。

 新作ということもあり、若干荒削りというか、冗長に感じられる部分がなかったわけではない。それでも1幕1時間40分、2幕1時間20分という時間を長いと思わなかった。

 カーテンコールは、通常のこまつ座のお芝居はとてもあっさりしているのだが、今日はミュージカルのときのように何度も何度も役者さんたちが出てきた。客席の半分くらいはスタンディングオベーションをしていた。もちろん僕も立ち上がって拍手。後で知ったのだが、高畑さんの誕生日ということもあったらしい。

 ああ、やっぱりこまつ座の舞台はいいなあ。再演されるときがあったら、観てみたい。ぜひ井上芳雄の多喜二をまた観たい。

 モノレールで浜松町に行き、日の出桟橋から海上バスに乗る。ちょうど日が暮れたところで、船の屋上から、美しい夜景を堪能することができた。風が気持ちよく、ちょうどいい具合に船が揺れる。







 お台場にやってきた。デックス東京ビーチから東京テレポート駅への歩道橋を抜けてパレットタウンへ。休日ということもあって、どこも賑やかだ。お台場を歩くのも久しぶり。MEGA WEBで電気自動車E-COMライドに乗った。驚くほど静かだ。自動運転で、前の車との車間が詰まると自動停止したりする。コースも思ったより長くて、これは楽しい。



 ヴィーナスフォートも、ゼミの巡見のとき以来に歩いた。ところどころ改装中で、疑似ヨーロッパ的空間も、どこか馬脚を現した(失礼)ように思える。

 3階にあるアジアン料理の店で夕食。生春巻きやナシゴレンといったお料理を久しぶりに食べた。とかく東京に帰ってくると「久しぶり」ばかりになる。

 丸一日遊んだのだが、まだまだどこも人であふれている。夜がこんなに長いということじたい、もうすっかり忘れてしまったような気がしている。

 帰りの電車のなかで、「組曲虐殺」のパンフレットを眺める。劇中の 「頭や指先で書いてはだめです。表現とは全身を使って書かなければなりません」という多喜二の科白を反芻する。全身を使って書く研究、ちゃんとしなければいけないなあ。

10月10日(土)晴れのち曇り、時々雨

2009-10-11 00:10:08 | Weblog
 8時半に父に起こされる。朝食はトーストとクリームシチュー。少し冷える朝には温まるクリームシチューが格別おいしく感じられる。

 「ぶらり途中下車の旅」が八高線を取り上げていたので、30分ほどみる。山田五が旅人で、比較的見所があると思われる越生や小川町を通過して、明覚とか丹荘といったマニアックな駅で下車しているのが面白かった。

 昨日に続いて整骨院に行く。いつも土曜日の午前中は混雑しているのだが、3連休のせいか空いていた。首を中心にもんでもらう。「それにしても固いなあ」と先生がつぶやいていた。僕の首はガッチガチに凝っているらしい。

 今週末も2回調整をしてもらって、かなりラクになった。やはり空けても2週間が限度である。

 朝食の後、両親が五日市の温泉に行こうといってくれた。喜んで連れて行ってもらう。

 弘前に移ってから、幾度となく実家に帰っているが、いつも自宅より東のほうには行くものの、西のほうには全くといっていいほど出かけていない。以前は休みともなれば奥多摩や五日市によくドライブしていたのだが、今となっては本当に久しぶりだ。

 国道16号から、牛浜駅のすぐ横を通って、あきる野市へ。地元の農家の農産物などを集めた「ファーマーズ」に立ち寄る。いわゆる地産地消のお店で、お客さんがたくさんいる。ただ、弘前にいると道の駅が周りに結構あるものだから、それほど珍しいものには感じない。だが東京では貴重なお店である。いかん、このあたり、相当感覚が鈍磨(?)してしまっている。

 秋川の駅前を過ぎ、武蔵五日市の駅前に至る。五日市の駅こそ高架になり、すっかりきれいになったが、古くからの街並みはあんまり変わっていない。そんな街道筋から外れて、急に細い山道のようなところに入っていく。夜だったら渡るのが怖そうな、幅の狭い橋を越えて、奥へ、奥へ。

 到着したのは深沢というところで、「深沢小屋」という看板が出ている。道の左側はきれいな沢が流れている。ここもれっきとした東京都である。

 斜面を上がっていくと、立派なログハウスが現れた。喫茶店を営んでいて、コーヒーをいただく。水がいいのか、とてもおいしい。山のガイドをされているマスター(正しくは「小屋番」が肩書きのようだ)は、とても人柄のいい方で、登山の話しや、最近青森旅行をされたときのお話しなどを聞かせてくださった。

 隠れ家のようで、そしてあたたかみのある、素敵なお店である。今度はお昼時に訪れて、ぜひうどんを食べてみたいものだ。

 両親おすすめの日帰り温泉「瀬音の湯」に行く。ちょっと引っ込んだところにあるのだけれど、駐車場はほぼ一杯。まだ新しい施設のようで、とてもきれいだ。宿泊施設も併設されている。

 入浴料は800円。この辺としては決して高くはないのだが、健康温泉桃太郎なら、900円で5日間入れるから、何だか高級な感じがしてしまう。

 源泉の温度は27℃で、バイオマスボイラーで適温まで沸かしているそうだ。お湯の質は少しぬめっとしていて、肌触りがよい。露天風呂は、その名のとおり、せせらぎの音を聞くことができ、眼下に川の流れをみることができる。熱くないので、ゆったりのんびり浸かることができる。レストランに広い休憩所、さらに地域の特産品販売所まで併設されているから、人気が出るのもわかる。

 自宅への帰り道は、父が気を利かして行きとは別のルートを通ってくれた。懐かしい通りだが、いつの間にか道路が拡幅され、きれいになっている。

 夕食はさつまいも、にんじん、みょうがの天ぷらに、イサキの煮付け、小松菜。どれも体にやさしい料理だ。こういった実家の味というのは、当たり前だが実家に帰ったときにしか味わえないなあ。

 伯母の家にみやげのせんべい汁セットを届ける。生憎伯父さんが出かけていて、会えなかったのが残念だ。

  帰宅して、「出没!アド街っく天国」をみながらTOKYO FMの「Odakyu Sound Express」を聴く。角松敏生がパーソナリティーを務める番組なのだが、東京に帰ったときでないと聴くことができない。選曲もさることながら、トークも軽快。全国ネットでやってくれたらいいんだがなあ。

 本当に久しぶりに、多摩の休日を満喫した。東京人(僕がこう自称するには少々気が引けるけれども)には故郷がない、というけれども、「多摩」は僕にとってかけがえのない故郷だと、しみじみ思う。

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