8時に起きる。やはり少々寝不足気味ではある。夕方に大学から直接東京に帰るので、大きな荷物をもってタクシーで大学に行く。正面玄関に直接乗りつけての出勤というのはちょっと偉そうである。ほんの数メートルのところで料金が上がってしまって、運転手さんがとてもすまなそうにしていた。いいのです。滅多にないことですから。
2コマの総合演習は玄田有史『仕事のなかの曖昧な不安』と小杉礼子編『フリーターとニート』の中からいくつかの章を選んで読むことになっている。しかし報告者の一人がいつまで経っても現れない。連絡もない。僕のメールアドレスも研究室の電話番号も伝えてある。実は先日も予めスケジュールで決まっていた報告担当者が来なかった。そしてそのままフェードアウトする格好になっている。授業の内容がつまらないと思うのはかまわない。それこそ講義科目ならば途中で切ってもらうのも問題はない。しかし演習となると話しは別である。報告者の報告をもとに議論をすることが前提になっているわけだから、それを無断で放棄されてしまったらどうしようもない。途中で見切りをつけるならつけるで、その旨いいに来るぐらいのことはしてもいいのではないか。友人にメッセージを託すという形でもかまわないのだ。とにかく何もいわないというのは困る。そんなマナーまで教えなければならないとは(といっても、肝心の当人には伝えられないだろうが)、大学も堕ちたものである。
そんなこともあったが、議論はそれなりにきちんとできた。玄田さんと本田由紀さんの対立点とか、小杉さんのような事例調査の重要性などについては、参加者の学生さんたちがいろいろと考えるところをたくさんしゃべってくれて僕としても面白かった。議論の中心をなすのはアニキのゼミや授業で鍛えられてきたメンバーである(僕はアニキン軍団と呼んでいる)。こういう人づくりがちゃんとできているところには畏敬の念を覚える。
昼休みも弁当を食べながらPCの復旧作業。ようやくCドライブにWindows XPをインストールすることができた。ここから先は東京から戻ってきてからの作業だ。
3コマの授業はサンプリングの話しの前半。標本誤差の話しになったところで、公式を板書する。高校のときからとにかく数学が苦手だった僕が、まさか授業で数式(実に簡単なものだけれど)を書くようになるとは思ってもみなかった。基本的には文系が多い履修者の皆さんも、何となく、うえー、という表情をしている。その気持ち、よくわかります、といいながら記号のところをことばに置き換えて公式の内容を説明する。どうもnとかpとかNとかがそのまんまの式を書かれると意味がわからなくなるのだ。聞いている人たちはそんなことはないのかもしれないけれど。
板書をしていて、√というのは結構書くのが難しいのだということに気づいた。大きすぎると不格好だし、小さいと中身がはみだしてしまって、これも見栄えが悪い。数学の先生はさらりと書いていたけれど、結構慣れが必要なのだなあと思う。結局書き慣れていないのがバレバレの格好悪い√しか書けなかった。来年度はこの授業は科目名は同じでも、中身は大きく変わるので(社会調査とは関係ないものになる予定)、√を板書する機会というのも今後はそうはないだろうなあ。
4コマのゼミは『路上の国柄』の7・8章を読む。住所や大学の学部のヘンな名前がテーマ。市町村合併や学部の改組によって生まれたヘンテコな名称に対して、なぜわれわれはそれに違和感を覚えたりするのだろう、といった議論をする。青森県などをみると、五所川原市には飛び地があったり、平川市も碇ヶ関のあたりはずいぶんと遠くだったり、とかなりの無茶と、そこから生じるヘンな感じというのがある。なかなか合併後の新しい地名でヒットなものというのはなさそうだ。合併前のそれぞれの地域の政治的な思惑などもあるから、難しい。以前「進め!電波少年」(「進ぬ」になってからだろうか)というテレビ番組で、浦和・大宮・与野が合併してできる新市の名称決定がもめているという話しを聞きつけて、それぞれの役所に「よ!大浦和市」という市名を提案しに行っていたなんていう話しをする。けんもほろろな対応の浦和・大宮両市に対して、与野市の担当者が「いいですねえ!」と乗っていたのが面白かった。こういうのが大人の対応ってもんなんだ、と関係ない話しまでする。
大学の学部名称も、おそらく慶應義塾が湘南藤沢キャンパスを開設したあたりから多様化が進んできたように思う。とりわけ国立大学の教育学部は教養部解体のあおりで名称を変更したところが多い。その点うちの大学は割と保守的というか、もともとの学部名称を割と保っているほうのようだ。農学部が農学生命科学部(略称は農生)になったくらいか。東大にはポツダム学部というのがあってねえ、なんていう話しには、2人とも不思議そうな顔をしていた。
今日のゼミはいつもより20分ほど早く切り上げさせてもらって、タクシーで弘前駅に向かう。時間的にはかなりぎりぎりだったのだが、車内でのおやつのドーナツだけは忘れずに買う。津軽の日暮れは早い。「つがる30号」が弘前を出る4時にはもう夕焼けである。青森に到着するころには日が落ちている。スイッチバック式の青森から進行方向が変わると、東京に向かっているという実感がわいてくる。
八戸から乗り継いだ新幹線の車中で昨日と今日の2日分の日記を書く。せっかくの帰京なので、色々楽しんで、リフレッシュできたらと思っている。
2コマの総合演習は玄田有史『仕事のなかの曖昧な不安』と小杉礼子編『フリーターとニート』の中からいくつかの章を選んで読むことになっている。しかし報告者の一人がいつまで経っても現れない。連絡もない。僕のメールアドレスも研究室の電話番号も伝えてある。実は先日も予めスケジュールで決まっていた報告担当者が来なかった。そしてそのままフェードアウトする格好になっている。授業の内容がつまらないと思うのはかまわない。それこそ講義科目ならば途中で切ってもらうのも問題はない。しかし演習となると話しは別である。報告者の報告をもとに議論をすることが前提になっているわけだから、それを無断で放棄されてしまったらどうしようもない。途中で見切りをつけるならつけるで、その旨いいに来るぐらいのことはしてもいいのではないか。友人にメッセージを託すという形でもかまわないのだ。とにかく何もいわないというのは困る。そんなマナーまで教えなければならないとは(といっても、肝心の当人には伝えられないだろうが)、大学も堕ちたものである。
そんなこともあったが、議論はそれなりにきちんとできた。玄田さんと本田由紀さんの対立点とか、小杉さんのような事例調査の重要性などについては、参加者の学生さんたちがいろいろと考えるところをたくさんしゃべってくれて僕としても面白かった。議論の中心をなすのはアニキのゼミや授業で鍛えられてきたメンバーである(僕はアニキン軍団と呼んでいる)。こういう人づくりがちゃんとできているところには畏敬の念を覚える。
昼休みも弁当を食べながらPCの復旧作業。ようやくCドライブにWindows XPをインストールすることができた。ここから先は東京から戻ってきてからの作業だ。
3コマの授業はサンプリングの話しの前半。標本誤差の話しになったところで、公式を板書する。高校のときからとにかく数学が苦手だった僕が、まさか授業で数式(実に簡単なものだけれど)を書くようになるとは思ってもみなかった。基本的には文系が多い履修者の皆さんも、何となく、うえー、という表情をしている。その気持ち、よくわかります、といいながら記号のところをことばに置き換えて公式の内容を説明する。どうもnとかpとかNとかがそのまんまの式を書かれると意味がわからなくなるのだ。聞いている人たちはそんなことはないのかもしれないけれど。
板書をしていて、√というのは結構書くのが難しいのだということに気づいた。大きすぎると不格好だし、小さいと中身がはみだしてしまって、これも見栄えが悪い。数学の先生はさらりと書いていたけれど、結構慣れが必要なのだなあと思う。結局書き慣れていないのがバレバレの格好悪い√しか書けなかった。来年度はこの授業は科目名は同じでも、中身は大きく変わるので(社会調査とは関係ないものになる予定)、√を板書する機会というのも今後はそうはないだろうなあ。
4コマのゼミは『路上の国柄』の7・8章を読む。住所や大学の学部のヘンな名前がテーマ。市町村合併や学部の改組によって生まれたヘンテコな名称に対して、なぜわれわれはそれに違和感を覚えたりするのだろう、といった議論をする。青森県などをみると、五所川原市には飛び地があったり、平川市も碇ヶ関のあたりはずいぶんと遠くだったり、とかなりの無茶と、そこから生じるヘンな感じというのがある。なかなか合併後の新しい地名でヒットなものというのはなさそうだ。合併前のそれぞれの地域の政治的な思惑などもあるから、難しい。以前「進め!電波少年」(「進ぬ」になってからだろうか)というテレビ番組で、浦和・大宮・与野が合併してできる新市の名称決定がもめているという話しを聞きつけて、それぞれの役所に「よ!大浦和市」という市名を提案しに行っていたなんていう話しをする。けんもほろろな対応の浦和・大宮両市に対して、与野市の担当者が「いいですねえ!」と乗っていたのが面白かった。こういうのが大人の対応ってもんなんだ、と関係ない話しまでする。
大学の学部名称も、おそらく慶應義塾が湘南藤沢キャンパスを開設したあたりから多様化が進んできたように思う。とりわけ国立大学の教育学部は教養部解体のあおりで名称を変更したところが多い。その点うちの大学は割と保守的というか、もともとの学部名称を割と保っているほうのようだ。農学部が農学生命科学部(略称は農生)になったくらいか。東大にはポツダム学部というのがあってねえ、なんていう話しには、2人とも不思議そうな顔をしていた。
今日のゼミはいつもより20分ほど早く切り上げさせてもらって、タクシーで弘前駅に向かう。時間的にはかなりぎりぎりだったのだが、車内でのおやつのドーナツだけは忘れずに買う。津軽の日暮れは早い。「つがる30号」が弘前を出る4時にはもう夕焼けである。青森に到着するころには日が落ちている。スイッチバック式の青森から進行方向が変わると、東京に向かっているという実感がわいてくる。
八戸から乗り継いだ新幹線の車中で昨日と今日の2日分の日記を書く。せっかくの帰京なので、色々楽しんで、リフレッシュできたらと思っている。