過去~現在~未来

何故、人には差別があるのかを仏法の道理から考えて見ます。

一念三千③

2009年03月23日 | Weblog

ところで、この三千の単位については、百界に三世間を合して三百世間とし、これに十如是が具わることをもって三千如是とする拝し方と、百界に十如是を合して千如是とし、これに三世間が具わることをもって三千世間とする拝し方との二通りがあります。
大聖人は、『観心本尊抄』において、
 「世間と如是と一なり、開合の異なり」(御書644㌻)
と摩訶止観の註を引用されておりますが、これは要するに如是に約して三千と開いて三千如是と拝しょうと、また世間に約して三千と開いて三千世間と捉えようと、いずれにせよ開合の違いに過ぎず、一念三千を顕わす上からは同じ意味であるということです。
私たちの刹那の一念に、このような三千もの世界が宿り、仏も地獄も、それらの国土なども、全て我が心に収まっているのです。そして私たちの一念は、知ると知らざるとにかかわらず、これら三千世界へと変幻自在に通じているのです。
これを妙楽大師は、
 「一身一念法界に遍し」
と示されています。