過去~現在~未来

何故、人には差別があるのかを仏法の道理から考えて見ます。

なぜ信心をしなくてはならないのか

2010年01月06日 | Weblog

なぜ信心をしなくてはならないのかーーそれは、諸々の苦しみや不幸の原因を断ち切り、幸福になるため、であります。
仏法においては、私達の生命の奥底に、「仏(仏界)」という最高の生命が内在していることを教えています。そして、この内在する最高の生命を現実に引き出す方途を説き明かしています。
私達が、この仏界を現実生活の原動力として生きるならば、仏界の力強い生命力と智慧の働きにより、直面してくる諸々の問題を真正面から解決して、あたかも波乗りのような歓喜の人生を送ることができるようになるのであります。それは、まさに、変転する現実生活を悠々と切り開いていける、崩れぬ絶対の幸福、安心立命の境涯ともいえましょう。

(暁鐘編集室発行 法華講員の折伏必携第5部より抜粋)

新年の辞より

2010年01月05日 | Weblog

私共は御本仏大聖人が御図顕された本門戒壇の大御本尊に絶対の信をとり、自行化他の行業に励む時、煩悩・業・苦の三道を法身・般若・解脱の三徳と転じ、即身成仏することができるのであります。
本年、宗門は「広布前進の年」と銘打ち、僧俗一致の体勢を整え、大法広布の願業目指して大前進すべき大事な年を迎えましたが、「広布前進」とは、言葉を換(か)えて云えば「折伏前進」と云うことであります。
依って、各位には一人ひとりが折伏を実践躬行(きゅうこう)し、もって自らも大きな功徳を積み、揺るぎない境涯を築かれますよう心から念じ、新年の挨拶といたします。

(妙教 平成22年1月号 御法主日如上人猊下 新年の辞より抜粋)

唱題が唱題だけに終わってはならない

2009年12月27日 | Weblog

   【御法主日如上人猊下御指南】より

唱題の功徳についてお示しあそばされた御文は数多(あまた)ありますが、ただし、ここで大事なことは、いつも申し上げていることですが、唱題が唱題だけに終わってはならないということであります。
大聖人様の御正意は、
 「末法に入って今日蓮が唱ふる所の題目は前代に異なり、自行化他に亘(わた)りて南無妙法蓮華経なり」(御書1594㌻)
と仰せのように、自行化他にわたる信心こそ肝要であります。自行だけの信心は像法適時の題目であります。せっかく唱題によって積んだ功徳と歓喜を己れだけのものとせず、一天四海広宣流布達成のため、折伏を行じてこそ、大聖人の御意にかなった信心と言えるのであります。

(大日蓮 平成21年3月号 唱題行(1月31日)の砌より抜粋)

凡夫を仏となす

2009年12月26日 | Weblog
   【御法主日如上人猊下御指南】より

唱題行の功徳はまことに計り知れないものがあります。大聖人様は『法華初心成仏抄』に、
 「凡そ妙法蓮華経とは、我等衆生の仏性と梵王・帝釈等の仏性と舎利弗・目連等の仏性と文殊・弥勒等の仏性と、三世諸仏の解(さと)りの妙法と、一体不二なる理を妙法蓮華経と名づけたるなり。故に一度妙法蓮華経と唱ふれば、一切の仏・一切の法・一切の菩薩・一切の声聞・一切の梵王・帝釈・閻魔法王・日月・衆星・天神・地神・乃至地獄・餓鬼・畜生・修羅・人天・一切衆生の心中の仏性を唯一音に喚び顕はし奉る功徳無量無辺なり」(御書1320㌻)
と仰せであります。
すなわち。大御本尊様に対し奉り、余事を交えず、南無妙法蓮華経と至心に唱え奉れば、十界の衆生の心中の仏性が呼び顕され、我らが色心が即、妙法の当体となって即身成仏できるのであります。
また『妙密上人御消息』には、
 「国中の諸人、一人二人乃至千万億の人、題目を唱ふるならば存外に功徳身にあつまらせ給ふべし。其の功徳は大海の露をあつめ須弥山の微塵をつむが如し。殊に十羅刹女は法華経の題目を守護せんと誓はせ給ふ」(同969㌻)
と仰せられ、また『内房(うちぶさ)女房御返事』には、
 「妙法蓮華経の徳あらあら申し開くべし。毒薬変じて薬となる。妙法蓮華経の五字は悪変じて善となる。玉泉と申す泉は石を玉となす。此の五字は凡夫を仏となす」(同1492㌻)
と仰せられております。
まさしく、妙法を唱える者は、広大無辺なる妙法の功徳によって変毒為薬し、百人は百人、千人は千人ながら仏と成ることができるのであります。

(大日蓮 平成21年3月号 唱題行(1月31日)の砌より抜粋)

大御本尊の功徳を伝える大事

2009年12月25日 | Weblog

   【御法主日如上人猊下御指南】より

大聖人様は『当体義抄』に、
 「正直に方便を捨て但(ただ)法華経を信じ、南無妙法蓮華経と唱ふる人は、煩悩・業・苦の三道、法身・般若・解脱の三徳と転じて、三観・三諦即一心に顕はれ、其の人の所住の処は常寂光土なり」(御書694㌻)
と仰せであります。
爾前迹門の方便権教を捨てて、ただ法華経寿量品文底独一本門の妙法蓮華経にして、三大秘法の随一、本門戒壇の大御本尊を信じ、南無妙法蓮華経と唱える人は、煩悩・業・苦の三道が、法身・般若・解脱の三徳と転じて、本地難思の境智の妙法を即、我が一心に顕し、本門寿量の当体の蓮華仏を顕すことができるのであります。しかのみならず、その人の所住の処は常寂光土となるのであります。
ここで大事なことは、この広大無辺なる大御本尊の功徳を我れ一人のみが受けるだけに止(とど)めず、より多くの人に伝えるために折伏を行じていくことの大事を知るべきであります。

(大日蓮 平成21年3月号 唱題行(1月25日)の砌より抜粋)

真の幸せと平和のために

2009年12月24日 | Weblog

   【御法主日如上人猊下御指南】より

今、国内外の状況は混沌として解決の糸口さえも見えず、出口がないままに、その迷走ぶりはますます度を増すばかりであります。
では、このような混乱の根本原因は何かと言えば、大聖人様は『諸経と法華経と難易の事』に、
 「仏法やうやく顛倒(てんどう)しければ世間も又濁乱(じょくらん)せり。仏法は体のごとし、世間はかげのごとし。体曲がれば影なゝめなり」(御書1469㌻)
と仰せであります。
すなわち、仏法が顛倒しているから人心が濁り、世の中が乱れるのであります。「顛倒」とは、正しいものの見方、在り方の反対を言いまして、正しい理に反すること、真理に違(たが)うこと。是を非とし、非を是とすること。逆さまな考え。道理に背いた誤った考えのことであります。
仏法が顛倒するとは、正しい教えに背き、正と邪が逆さまになって、邪義邪宗の間違った教えが横行することであります。その結果、間違った教えによって人心が濁り、人心が濁れるから世間が乱れることになるのであります。(中略)
同じ仏法であっても、邪義邪宗の間違った教えに従っていたのでは、幸せを築くことはできません。言い換えれば、世の中の混乱と不幸の原因は、間違った教え、すなわち『ニセ本尊』をばらまく池田創価学会などの邪義邪宗の害毒によるのであります。したがって、この害毒を取り除かなければ真の幸せと平和は絶対に訪れてこないのであります。
故に『立正安国論』のなかには、
 「早く天下の静謐(せいひつ)を思はゞ須(すべから)く国中の謗法を断つべし」(御書247㌻)
と仰せであります。
謗法を断ち、謗法の害毒を取り除く方法とは何かと言えば、それは申すまでもなく折伏であります。折伏によって謗法を断ち、謗法の害毒を取り除く以外に解決の道はないのであります。折伏は一切衆生救済の最善の慈悲行であります。

(大日蓮 平成21年3月号 唱題行(1月18日)の砌より抜粋)

折伏ですべての人を幸せに

2009年12月23日 | Weblog

   【御法主日如上人猊下御指南】より

近年まれに見る世界的な混乱と不況、世界規模での戦争がいつ起きても不思議でない現在の混沌とした世相を見るとき、この窮状を救えるのは、ただ、末法の御本仏宗祖日蓮大聖人の三大秘法の仏法以外にはありません。
大聖人は『撰時抄』に、
 「一(てい)あつまりて大海となる。微塵つもりて須弥山となれり。日蓮が法華経を信じ始めしは日本国には一一微塵のごとし。法華経を二人・三人・十人・百千万億人唱え伝うるほどならば、妙覚の須弥山ともなり、大涅槃の大海ともなるべし。仏になる道は此(これ)よりほかに又もとむる事なかれ」(御書868㌻)
と仰せであります。幸せを築くためには、まず「千里の道も一歩から」であります。
日顕上人は「一年に一人が一人の折伏を」と御指南せられています。
折伏は理屈ではなく、まず行動を起こすことであります。法華講員一人ひとりが広布の使命に燃えて、時を断つことなく、真剣に折伏に励み、二人、三人、十人、百千万億人と次第に唱え伝えていくならば、御金言の如く、広布の大願もけっして夢ではないのであります。
全世界の人々を幸せに導く最善の方途こそ折伏であり、折伏を行じていくことは、世のため人のためにはもちろん、自他の成仏のみに止(とど)まらず、依正不二(えしょうふに)の原理が示すように国土世間もまた安穏となるのであります。
折伏によって、個人はもとより、全人類の幸せと真の世界平和を実現できるのであります。したがって、謗法の害毒によって世の中が極度に混乱している今この時、我々がなすべき最も大事なことは折伏であります。(中略)
大折伏戦を展開し、もって全国すべての講中が必ず折伏誓願を達成するよう、心から願うものであります。

(大日蓮 平成21年2月号 立正安国論正義顕揚七百五十年 出陣式の砌より抜粋)

唱題の功徳をもって折伏を

2009年12月22日 | Weblog

   【御法主日如上人猊下御指南】より

日顕上人は、
 「一切を開く鍵は唱題行にある。そこに僧俗一人一人の現在の位置と人格をめぐって、不思議な折伏教化の因縁がおのずと顕れる」(大日蓮・平成11年1月号5㌻)
と仰せられています。また、
 「かぎりなく 境涯ひらく 題目を 常にとなえつ 広布目指さん」(同3月号72㌻)
と歌を詠まれておられます。
この御指南を拝し、唱題の功徳がいかに大であるかを知るべきであります。そして、私どもはこの御指南の御意を深く拝し、唱題の功徳をもって折伏に立ち上がることが肝要であります。

(大日蓮 平成21年2月号 唱題行(1月1日)の砌より抜粋)

魔をも呼び起こす戦い

2009年12月21日 | Weblog

   【御法主日如上人猊下御指南】より

魔にも無視されているような、そのような信心、戦い方では我々としてはあまりにもおぼつかない、このように思うのであります。
 「魔競はずば正法と知るべからず」(御書986㌻)
というお言葉がありますが、むしろ魔を呼び起こすような、そのような戦いをしていくことが今、大事ではないかと思うのであります。魔を恐れるのではなく魔を退治する、その決意こそ肝心だと思います。

(大日蓮 平成21年1月号 平成20年度 富士学林研究科閉講式の砌より抜粋)