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ミスパテイのエジプト旅 世界わがスケッチの旅



今朝、ひさしぶりに、朗読の録音テープ、赤毛のアンをカセットで聞いた。物語中、アンの学生生活の時代の家主さんからアンへの借家の使用期間延長のお手紙を受け取ったくだりです。



(『三月の半ば頃、ミスパティから手紙が届きミスマリアと二人で、もう一年外国で過ごすことに決めたと知らせてきた。
それですから、もう一冬お使い下さって結構です。マリアと私はちょっとエジプトへ回って来ようと思っております。死ぬ前に一度スフィンクスを見たいので。』手紙にはこう書いてあった。二人がちょっとエジプトへ回って来るところを考えてごらんなさいよ。うふふふ。スフィンクスを見ながら、編み物をしているかしらね。)



これを聞いた時に、エジプトに旅したことを思いだしました。スケッチにスフィンクスを、ピラミッドを描いておりました。現地に立ちますと、トラックも大きな機械もない時代に、たいへんな労力であったであろうと驚きます。
参考までに、お話ではスフィンクスの特徴は、人間の女性の顔、豊満な乳房、ライオンの身体、鷲の翼となっているはずです。
さらに、有名なスフィンクスの謎があります。小さい時に聞いたことがあります。
この謎は「一つの声をもちながら、朝には四つ足、昼には二本足、夜には三つ足で歩くものは何か。 その生き物は全ての生き物の中で最も姿を変える」というものであった。この謎が解かれた時スフィンクスの災いから解放されるであろう という神託をテーバイ人達は得ていた為、この謎を解くべく知恵を絞ったが 何人も解く事は出来ず、多くの者がスフィンクスに殺された。身体は獣だが美しい女性の上半身を持つスフィンクス。今まで何人もの人間を食してきたにもかか わらず、オイディプスを憐れむような優しくて悲しい目をしていたのです。
古代ギリシヤの重要都市。ギリシヤ名テバイ。現シベ。テーベ 伝説上のオイディプス王の首都で,古代ギリシア悲劇の舞台として知られるテーバイに来たオイディプスはこの謎を解き、スフィンクスに答えた。 答えは人間であると。




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もう一枚は、過去の日記から


カイロ 世界わがスケッチの旅 今日の一枚は、エジプトである。
 オールドカイロの旧市街にあるコプト教会の立つ古い建築物があり、銃をもち警備されている地区に入ると、地下に降り2000年前ころの現場が保存保護されていた。そこに、イエスの聖家族がひっそりと身をよせていた部屋、洞窟を補強してある部屋が残されている。現場は、スケッチすることはできないが、その入り口の通路あたりをスケッチした。


 占星術の学者たちが帰っていくと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、 エジプトに逃げ、私が告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母 を連れてエジプトに去り、ヘロデが死ぬまでそこにいた。
この文章のそこ、まさにそこの住まいをスケッチしたのですけど、この所は、撮影は許可されていません。
現場も、地下で色彩がありませんので、言わばセピア色のような記憶です。
それは、「私はエジプトからわたしの子を呼び出した」と、主が預言者を通して言われ

たことが実現するためであった。(マタイによる福音書2章13~15)なんか、神秘的ではありませんか。イエスが十字架を背負って歩いた道とか、説教してた会堂とか、母マリアがイエスの死後、ヨハネの世話を受け過ごした住まい跡とか、聖書の歴史の跡を訪ね歩くのは、わくわくいたしますね。


 新約聖書ではマタイ福音書の中でのみ書かれている、聖家族のエジプト逃避の事実がある。
私をはじめエジプト以外のクリスチャンは、このエジプト逃避の記述をあまり話さないし気にしていなかった。コプト教会の聖書に基づくこの事実の重要性を、また大切にしてきたことを思うと、この地に立つたのがとても喜びであった。エジプトの地を旅行してみれば、聖家族の名の教会が多いのにであう。
それらは今日コプト教徒たちの生きた信仰の対象になっているのだ。コプト教はキリスト教の一派、キリスト誕生まもない2世紀頃から、エジプトやアレクサンドリア周辺でキリスト教が広まり、それ以後約二千年の歴史をもつている。「コプト」というのはエジプトの意味でギリシャ語が語源でアイギュプトスは現在の国名エジプトの元である、当時のキリスト教時代の言葉もコプト語で、コプト教典礼が書かれている。コプト教(キリスト教)は、エジプトでは人口の1割が信者である。
ニュースで聞くと、エジプトの暴動でコプト教徒が弾圧されたと聞いた。二千年の間続いたイスラム教との共存関係をなくする働きが起こっている。なぜなのか。不況(高い失業率)か。エジプトで革命が起きたこと、暴動によってイスラム教徒とコプト教徒が衝突していることは決して偶然とは言えないようだ。ちょうど、この政権の変化のある直前に私は現地エジプトを旅したわけだが、たしかに現実に汚職と政情不穏を感ぜずにはいられなかった。


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